たいくつ発見器

 MITメディアラボの研究者が、人が退屈しているかどうかを見分ける装置が開発したという記事が出ていた。メガネに内蔵されたデジタルカメラとモバイル端末を使った画像認識装置で、会話中の相手が退屈したり困惑したりしているしぐさを検知して、その端末のユーザーにお知らせが入る仕組みなのだそうだ。マシンラーニングのアルゴリズムで、人の顔のパーツの動きや表情のパターンをソフトウェアに学習させて、そのパターンとの適合度で退屈を判断するというメカニズムで、今はさらにその認識の精度を上げたり、利用するデジカメの技術を高めたりしているそうだ。
 この装置は現状では少人数の会話を想定した設計になっているが、記事の最後に紹介されているコメントのように、授業やプレゼンのような場で大人数の反応をモニターするのに使えたら教室でのダイナミクスはずいぶん変わるかもしれない。あるいは、この装置を使って、教師のタレントショーみたいなことをやって、退屈判定が一定以上出たら退場、みたいなことができるかも。でも、人のしぐさのクセはさまざまなので、この方式がどこまで有効なのかはわからない。よく年配の人で、明らかに寝に入ってるようなしぐさで人の話を聞いてる人なんかもいたりするし(ホントに寝てるときの方が多い気がするが)、そういうのをいちいちチェックして正しく判定するのはかなり困難な感じがする。とはいえ、技術革新は普通の発想では及ばない形で進むので、研究を続けていれば何かすごいものが出てくるかもしれない。

仕事の生産性をあげる要素

 仕事のはかどらない状態についてもう少し考えてみた。
 どんなにがんばってもはかどらない状態は、たいてい自分にとって未知の領域にチャレンジしている時か、やったことがあっても自分の力量を超えたことをやろうとしている時に起こる。自分のコンディションのよしあしと、タスク遂行に必要なスキルに対して自分のスキルレベルがどこまで対応しているか、それとその仕事の緊急度と、好きな仕事かどうか、といった変数のコンビネーションによって、その仕事のはかどり具合が定まってくる。
 タイムマネジメントの定番的な知識では、優先順位の決め方は「緊急度」と「重要度」の軸で考えて、緊急で重要なものから順に片付けなさい、といったことがよくあげられる。この軸はざっくりと仕事の優先順位を決めるのには役に立つが、この軸はタスク中心の考え方のため、仕事をする本人の状態や、計画的な能力開発を考慮する場合には余り適さない。緊急で重要な仕事であっても、それを高い質でやるには、知識・スキルのレベル、心身のコンディション、仕事へのモチベーションといった要素がかみ合っている必要がある。緊急で重要だからといってすぐ着手しても、調子がでなければ時間が浪費されがちで、50%の出来でとりあえずやっつけた、という結果に終わることもある。ちょっと遠回りになっても、不足している知識を補うために時間をとるとか、頭をリセットするために遊びに行くとか、長期戦になっても体力が持つようにエクササイズを継続的に行なうとか、そういったことを組み合わせていく方が結果的には正解だったりする。つまりは「急がば回れ」である。緊急度と重要度の軸にこういう要素まで含めて考えれば、機能しなくもないけど、それでも本人のコンディションは見落とされがちになる。
 いつも高モチベーションで、どんな性質の仕事もムラなくこなせるスーパービジネスマンみたいな人は、意識しなくてもそういう要素のバランスを取る時間の使い方をしていたりして、重要度と緊急度だけで仕事の進め方を決められるかもしれないが、私のようなモチベーションも能力も平凡な人間が生産性を維持しながら仕事を続けていくには、意識して自分が仕事がはかどる状態をもう少し細かくモニターしながら、いい状態に持っていくための工夫をしていく必要がある。

リフレッシュは必要

 早く片付けたかった原稿が片付いて、当面のメインの仕事にじっくりかかれるぞと思った土曜の午後、どうもノリが悪くてまるではかどらない。どうにもはかどらないので、ちょうどキャンパスで映画をやっていたのを観に行った。「ハウルの動く城」を見たあと、別の場所で「ナルニア国物語」をやっていたので二つ立て続けに観た。
 「ハウル・・」の方は、宮崎アニメの型を踏襲したものを少し違ったモチーフとテーマを込めている、という感じで、大作の谷間の作品という印象だった。悪い意味ではなくて、型があるというのは産業的な作品には大切なことで、継続的にいいものを作っていくには不可欠なことだと思う。その型にはまり過ぎれば退屈だと批判されるし、違うことをやりすぎれば、聴衆は取り残された気分になる。この作品はそのバランス的には、やや型に頼った感があるかなという程度で、十分に新しさはあるし、満足感も得られたので、自分にとっては十分にいい作品だった。
 「ナルニア国・・」の方は、なんと言うか、ロード・オブ・ザ・リングとハリーポッターをブレンドして、美味しいところを出そうとしたのに、ブレンドを間違えて、良くも悪くもディズニーの味付けで仕上がった、という感じの作品だった。敵役の女王が、テレビの特撮ものの敵ボスキャラのような安っぽさに仕上がっているのが実に微妙で、場内からも失笑を買っていた。ストーリーやコンセプトはよくて、金を掛けて特殊効果に凝ったとしても、演技や演出の細部を詰め切れないと、今一つキレの悪いこういう感じの作品になってしまうのだなと考えさせられた。動物やクリーチャーと子役たちは、個々にはなかなかよかったのだけど、ちょっと惜しい感じ。ディズニー作品の中での位置づけ的には相当にがんばっている方なのかもしれないが、原作が有名なのに加えて、同種のファンタジー物でロード・オブ・ザ・リングがあれだけすごかったので、それに引っ張られて聴衆の期待値が高くなったことも影響しているような気がする。とはいえ、ディズニー映画はいつも観たあとに悪い気はしない。それもプロダクションの型の一つであって、聴衆にとっては、元気になりたい時にはディズニー映画を選べばだいたい外さないという安心感がそのブランドに込められている。その範囲で考えれば、観る側の期待値とのバランスが悪かっただけで、この映画も悪い映画ではなく、十分楽しめた。
 映画が終わり、他の部屋から音楽が聞こえるのでのぞいてみたらバンドコンテストをやっていたので、コーヒーをすすりながら観た。週末のキャンパスのイベントにはごくたまにしか顔を出さないのに、その時はなぜかたまたまこのバンドコンテストをやってる日だったりする。最初に見たのは2003年の春のはずなので、もう3年も経ったのかと不思議な気がした。そんな時間を過ごして、夜半過ぎに帰宅した。
 結局そのままほとんど仕事にならなかった上、寝る前にこの日からちょうどサマータイムに入ったことに気づいて、一時間寝る時間損したーとかムカついて寝たのだが、翌日はなぜか朝から、今まで詰め切れなかったゲームデザイン案が大幅前進するし、他にも小ネタが浮かんだおかげで一つ仕事が片付いた。ただの休息ではなくて、違ったタイプのリフレッシュが必要なのをつくづく実感した。

アメリカン・インベンター

 つい最近、発明家オーディション番組の「アメリカン・インベンター」(ABC)が始まった。一言で言えば、アメリカン・アイドルの発明家版といった内容。アメリカン・アイドルのジャッジの一人であるサイモン・コーウェルがエグゼクティブプロデューサーに名を連ねていて、番組フォーマットはアメリカン・アイドルとほとんど同じで、地方予選で勝ち残った発明家が自分の発明をブラッシュアップしていって、最後まで勝ち残った一人がアメリカン・インベンターに選ばれ、100万ドルの賞金と、発明品の商品化の栄誉に預かることができる。今はその地方予選をやっているところ。
 地方予選の回はアメリカン・アイドルもかなり面白いが、この番組の方が挑戦者のユニークさの幅が広いので格段に面白くなっている。いろんなレベルの街の発明家が挑戦してきて、ジャッジにけちょんけちょんにけなされたり、発明への想いを訴えて感動の場面を生んだりして、楽しさの幅が広い。こんな全国ネットのテレビで自慢の発明を公開してもいいのかなと思いつつやり取りを聞いていると、どうやら全部ではないと思うが、出てくる発明の多くは特許をすでに取っているようである。すごくくだらない発明品や、王様のアイデアに売ってそうなアイデア商品もどきのものもあれば、ホントに売れそうななかなかの発明までさまざま出てくる。全財産つぎ込んでこの番組に賭けているという挑戦者が何人かいたが、あっさり落とされた人も、次に進めた人もいた。アメリカンアイドルと同じく、挑戦者達の熱意と自信はものすごいものがあって、発明家という人々の持つある種の胡散臭さも相まって、出てくる人々の人物描写が番組の一つの売りになっている。
 まだ番組は始まったばかりなので、これから次のステージに進んで、決勝ラウンドまでどういう風に進むのか楽しみである。

ネットメタルラジオ放送終了

 昨年9月に開局したプライベートネットラジオステーション「ライフロングメタル」は、残念ながら今月で休止することにした。理由は資金難なのと、当面やりたいことはやって満足したので。
 約半年の間に、世界中のメロディックパワーメタル・プログレメタルファンがリスナーになってくれて、ささやかな盛り上がりを見せていた。メタル系ラジオステーションが300近くある中で最高60位台まで上昇した。今年に入ってからは忙しくてほとんど更新できなかったためにだんだん下降していったけど、プリセット登録してくれた人は120人を超えた。
 日本とアメリカはもとより、ヨーロッパ、南米、アジア、アフリカと文字通り世界中にリスナーがいて、毎日どこの国から聞いてくれてるのかをチェックするのが楽しみだった。ただ好きな曲を選んでかけるだけではあるのだけど(やろうと思えばプロのラジオ局並みのこともできる)、ささやかながらも個人で世界に向けてラジオ局をやって、自分の想像を超えたところからの反応を得るというのは、なかなか素敵な体験だった。
 今回はこれで休止だが、いつかまた機会があればやって見たい。なにせステーション名からして生涯学習ならぬ、「生涯メタル」なので、年取って余暇が増えた時にでも、またやってみたい。ラジオDJが趣味のじいさんなんてなかなか楽しげでいいではないか。
 自分はたぶん仕事辞めてリタイヤしても、やりたいことがたくさんあるので、燃え尽きて急に老け込んだり、目標を見失ったりするようなリタイア生活とは無縁な気がする。というか、早くリタイアして、のんびり過ごしたいんですが。あるいは別の見方をすれば、仕事と遊びの境界があまりないので、むしろ朽ち果てるまで果てしなく仕事しているような気もして、なかなか悩ましい。そこはどうであれ、生涯メタルの鋼鉄魂なのは変わらないでしょう。

進むメリケン体質

 今日はふだんより早めの夕食にして、酒を飲みながら昨日作った生春巻の残りなどつまんで、ちょうどやってたプリズンブレークとかテレビを見ながらくつろいでいた。早い時間からくつろぐのは悪い気はしないのだけど、その後やることがあるときには面倒くささが倍増する。美味い酒なぞ飲んで緩んだ精神には、普段は耐えていることが果てしなく面倒なことに思えてきて、何をするのも嫌になってくる。面倒くささが極まったところでベッドに倒れこんでふて寝したら、中途半端な時間に目が覚めた。頭はすっきりしているので仕事はできるのだけど、また生活時間が不規則になるのでなかなか悩ましい。
 ところで、時々ふと自分の食行動などを冷静になって見てみると、自分のメリケン体質化がいろいろと目に付いてくる。こちらに来た当初は食えなかったような、スーパーに売ってる甘くて不味いケーキを、この間もらって食べたら、結構美味いなと、でかい一切れを普通に食しているし、インターンの職場ではフリーソーダなのをいいことに、日本ではおそらく売ってないであろう、ダイエットドクターペッパーとかダイエットマウンテンデューなんていう意味不明な飲み物をウマーと飲んでいたりする。ウェンディーズのトリプルバーガー(肉が三枚重ね)のような普通の人の食べ物ではないようなものを、時々すごく食べたくなったりする(そこはさすがにダブルで抑えている)。日本にいる頃はフライドポテトはほとんど手をつけなかったのだが、今ではわざわざ買い求めて食べている。日本食に対しても、以前はとんかつ定食とか牛丼とか、いろいろむしょうに食べたくなったりすることはあったけど、今は自炊する分で事足りていて、特に日本食が恋しいという感覚もほとんどなくなってしまった。普段は気にしてなくても、あるときふと振り返ると、そんな感じで自分のメリケン体質がかなり進行していることに気づく。
 アメリカの食生活というのは普通にしているとすごく不健康で、不健康なものほどものすごく安い。健康志向にすると金が余計にかかるので、余裕のない人たちはそういう不健康なものを日々食べざるをえない。健康に気をつけない人は、普通にアメリケンな食生活をして、普通に太っている。ウォルマートみたいな大衆スーパーに行くと、もはや人間の形を呈していなくて、自分の体重も支えられないような人たちがたくさんいる。そうかと思えば、朝も晩もあちこち走っていたり、食事に気をつけすぎる人も多くて、ちょうどよく健康的な生活を送るのが非常に大変なところである。
 そんな中で、ちょうど自分に合った食生活というのを見出して、やっと定着してきたという感じなのだけど、ここまでメリケン体質化してしまうと、今度は日本に帰ったときが問題になってくる。ダイエットドクターペッパーは売ってないだろうし、牛肉は高いし、ケーキやお菓子は逆に美味過ぎてやばいし(日本の空港のお土産売り場とか行くと、日本のお菓子文化の素晴らしさにマジで感動する。アメリカの空港にはまともなお菓子屋はなくて、あってもせいぜいゴディバみたいなヨーロッパ系な感じ)、また逆に適応するのが大変な気がして先が思いやられる。

インタビュー記事掲載

 年末に受けたシリアスゲームのインタビュー記事が掲載されました。
シリアスゲームジャパン藤本徹氏インタビューと今後の展望(株式会社シナジーWebサイト)
http://syg.co.jp/seriousgame/gfh4_1.html
記事の内容は、インストラクショナルデザインとシリアスゲームを絡めた内容になっていて、たぶんそんなのは他では読めない楽しい内容になっていると思うのだが、なにより顔写真デカすぎ。想定外、という言葉はこういうシチュエーションで使うんだなと、このページを見た時思った。でも世の中的にはたいしたことではないなと気を取り直した。こういうシチュエーションには慣れていないので、今いち居心地が悪くて困るけど、シリアスゲームが次の段階に進んでしまった感があるので、そうも言っていられないのかもしれない。
 あまり関係ないのだけど、ふと、徒然草の説経を学びそこねた法師の話(第百八十八段)を思い出した。その男は法師になったらあちこちに呼ばれるので、馬の一つもうまく乗れないと恥ずかしいと、乗馬を習い、酒席に呼ばれて芸の一つもできないと恥ずかしいと、早歌を習った。それらが上手くなった頃には説経を学ぶには手遅れなほど歳を取ってしまっていた、という話。ちなみに徒然草は好きなエピソードが結構ある。学校で古典を学んでよかったと思う数少ないことの一つだ。
 何かをやろうとするとあれこれ雑念が入って、本来やろうとしていることがおろそかになりやすい。うまくいきはじめて状況が変わってくると、なおさらそうなのだろうと思う。ちょっと取り上げられだすと、お肌や髪型なんかが気になりだし、いい服もほしくなる。金が入れば車やら家やらも気になり始める。それはそれでいいことなのだろうし、そもそも身なりくらいはちゃんとしておけよという話なのだけど、それでも何が一番重要なのかを忘れてしまうと、この法師みたいに、肝心なところにたどり着けないで終わってしまう。馬に乗れて歌が歌えれば、法師としては平凡でも十分幸せな人生には違いないし、うまくやればそうしたものが本業の深みを増すということもあると思うけど、バランスを失ってしまって、肝心なことがダメになったら残念だろうなと思う。
 たぶんこの話を思い出したのは、自分自身にそういう雑念の気配を感じたからなのだろうと思う。
 これからいろんなことが動いていきそうですが、そんな中でも引き続き、一番大事なことに注力して、弛まず精進して仕事に励みたいと思います。

シリアスゲームサミットGDC終了

 サンノゼで開催されたシリアスゲームサミットGDCに参加。もうシリアスゲームサミットも5回目。昨年のGDCはちょうど春休みと重なっていたし、スピーカーパスでGDCのセッション全部見れたので最後まで参加したが、今年はシリアスゲームパスしかなかったのと休みではなかったのもあって、シリアスゲームサミットのみ。もともとGDCでのシリアスゲームサミットは、ゲーム開発者向けの内容になっていることもあるが、今回は研究面での発表はやや物足りない感じがした。その代わり、ビジネス関連のセッションは活気があった。ゲームの事例も増えてきて、ビジネスとして成功する企業や新たに挑戦する企業が出てきたことで、自信と重みが出てきた感がある。詳しくはシリアスゲームサミットレポートで後日。今回はゲームニュースサイトのSlash gamesへ寄稿予定です。
 サミットが終わって、帰宅したところでスクエニと学研がシリアスゲームの会社を立ち上げるというニュースが入ってきた。
スク・エニと学研、学習・職業訓練ソフト開発で提携(Nikkei NET)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060322AT1D200DA21032006.html
今までのシリアスゲームのニュースはゲーム関連メディアにとどまっていたが、今回はこの日経や毎日のような一般メディアでも取り上げられていて、「シリアスゲーム」がこうした形で日本の一般メディアのニュースとして広く取り上げられたのはおそらくこれが最初だと思う。次の普及段階へ進むには、何かを仕掛ける必要があると思っていたが、その必要はなくなった。こちらから流す情報も、今までよりずいぶん伝わりやすくなると思う。
 タイミングというのは、その兆候は読めても、実際にいつやってくるかわからないものだとつくづく思った。そしてそのタイミングをチャンスとして活かせるかどうかは、それまでに準備ができているかどうかにかかっていて、幸運なことに今回はその準備ができている。今やっていることのペースを少し速めて、計画通りに仕事を進めれば、かなり面白いことになる。来年はどういう状況になっているかとても楽しみだ。少しゆっくりクラゲのように緩んでいようと思っていたが、そんな気分でもなくなってきた。

「写経」の効果

 日本の機関から依頼が入って、シリアスゲームについての論文を書いているのだが、書いていて一つ気づいた。以前は書き進めるのがたいへんと感じていた内容を書くのがすごく楽になっている。もう2年もこの分野をメインにしているわけだから知識の蓄積が増えてきたという面もあるのだが、それ以上に、最近やっている翻訳作業によるところが大きいように感じている。翻訳している本はこの分野について書いているものなので、知識自体を吸収しているということはもちろんある。だがそれ以上に、翻訳作業というのは一文一文をかみしめながら、その意味を念入りに吟味しつつ読むことによる効果を感じている。丁寧に訳しながら読み進め、翻訳がある程度進むと、その著者の思考の流れとシンクロするようになり、自分の思考の一部になったような気がしてくる。単に本を読んだだけなのとは知識の吸収の状態が異なり、思考力もその過程でついているようである。よく駆け出しの研究者が自分の専門分野の翻訳出版に取り組むのはこういう意味があるのだなと理解した。
 大学受験のときの英語の勉強で、速読やパラグラフリーディングのようなテクニックばかり追っていたら力がつかなくて、精読をきっちりやることで基盤になる力がついて、大幅にレベルアップができた経験をしたのも、たぶん関連がある。寺の坊さんが修行の一環で写経をするのも、宗教的な意味がなんらかあるにしても、おそらく学習の側面としては、落ち着いて一字一字かみしめながら経を読むことで、より理解が深まるという効果を期待する面があると思う。
 一般的にISDの世界で追い求められる学習効率とは発想の異なる学習方法だが、専門家を育てるための方法として昔から経験則的に利用され、有効に機能していると言える。一文一文訳しながら読むのは語学学習方法としては非効率と考えられがちだが、難しい文献を読み解く訓練や、思考訓練の上ではむしろ効率的な面があるようである。「急がば回れ」ということか。駆け出しの研究者の一人として、きっちり力をつけつつ翻訳をやり遂げようと思った。

試験終了!

 無事パスしました。しかもコンディションなしの完全合格。
 会場の予約がなぜかできてなくて、途中で部屋を移動するハプニングもあったけど、試験自体はとてもいい雰囲気で終始した。コミッティーの教授たちのコメントとかアドバイスとかいろいろうれしかった。何も追加課題なしでパスできたのは、コミッティーに恵まれたおかげ。その場で引き続き博士論文のコミッティーになってくれと頼んで快諾をもらえた。いい流れになってきた。
 さあ次は論文のプロポーザル。とりあえず力抜けたので、週末のサンノゼ出張まではちょっとクラゲのように浮遊していようと思ったら、この間受けた仕事の原稿があった。。なのでクラゲはとりあえず来週末までお預け。