拙書の校正作業も今日でだいたい終わる。何度も読み返しているが、毎回何らかの直すところが見つかる。だんだん面倒くさくなってきて「もう降参、許して」と思ってネットで息抜きを始めようとした。グーグルのパーソナルページに星占いのコンテンツを登録していて、よほど暇な時しか読まないのだが、この時たまたま目に留まったので読んだ。すると次のようなことが書いてあった。
—
Gemini
May 21 – June 21
People should be willing to pay attention to what you have to say right now, so be sure to use this time to try to get your message across. Fine-tune the image that you want to present and then take the opportunity to promote yourself. This should be the key to achieving the greatest success for yourself right now.
—
一言で言えば「メッセージが人々にちゃんと伝わるように時間をかけなさい。それはあなたの将来のために大事なことですよ」という内容。図星というかなんというか、今まさにサボろうとしていたところを見られてたようなことが書いてある。これでサボるのはなんだか罰当たりな気がして、少し丁寧に仕事をした。
こうして今したためている大事なメッセージも、来月には世に送り出される。うまく人々に伝われば、わざわざお告げをよこしてくれたお星さまにも感謝しないといけない。などと考えてしまうのは、アメリカでは毎年クリスマスに必ずテレビで、フランク・キャプラの映画「It’s a Wonderful Life (素晴らしき哉、人生)」を何度も放送(しかもケーブル局でなく主要ネットワーク局のゴールデンタイム)していて、何気にテレビをつけてやっていたらつい最後まで見てたりするからかもしれない。紅白を見ないと年越し気分が高まらない日本人がいるように、これを見ないとクリスマスを迎えた気がしないアメリカ人もいるくらいのクリスマス定番映画になっている。在米5年目にもなると、そんな気分を少し共有できてくるのは面白い。
「diary 2006」カテゴリーアーカイブ
ついにWii(USA版)入手の顛末
昨日ついにWiiを入手した。日本でもまだ品薄のようだが、アメリカでもまだ品薄。発売以来何度目かの挑戦の末、ようやく手に入った。
Wii入手の挑戦は、日本にいるときに始まった。日本に滞在中にちょうどWiiの発売日に東京に居合わせたので、発売日の早朝、たくさん売っていそうで少しは買える可能性もあるかもと思い当たる店を周ってみた。ところが、いずれも前日のうちに整理券配布終了で全く歯が立たずに撃沈。早朝販売の店で買うには、前日から並ばないと全くダメだったらしい。抽選販売の店に行けばまだ買えたかもしれなかった。一消費者としての気合不足と情報収集不足を痛感した。
買えなかったことを残念に思いつつアメリカに戻ってきてすぐに、気を取り直して再度挑戦。近所の家電店やスーパーを周ってみたが、いつ入荷か店員も全くわかってなくて、いつ行けば買えるのか全くわからなかった。近所のゲーム屋に行ってみると、店員が入荷情報を把握していて、金曜の入荷でWiiが何台か入るかもしれないという情報を得た。
そこで金曜に朝から出直してみると、10時の開店直後から店内にはWiiの入荷を待つ人が待ち構えていた。一人の大学生と思しき客がウェイティングリストを管理していて、私はリストの9番目になった。その後続々とWii目当ての客は押し寄せ、昼前には20人くらいがリストに名を連ねた。平日だったこともあり、客のほとんどはクリスマスに子どもからWiiを頼まれて買いに来たお母さんお父さんたち。こういう時アメリカ人たちは、知らない人とでも気軽に話すので、放っておいてもワイワイと会話の輪が広がっていく。おかげで待つ退屈も紛れる。発売日以来の苦労話や近所の店の入荷情報などあれこれ話しながら過ごした。おかげで、この近辺の購入情報はだいたい把握できた。
待ちリストを管理している大学生は、ただの客にもかかわらず、来る客みんなにWiiを買いに来たのかを聞いて、待ちリストの説明をして店員のように甲斐甲斐しく働いていた。そのうち他の客に彼を店員なのかと勘違いする人も出るようになって、「ボクは店員じゃないよ」と何度も断りを入れていたのには笑えた。
待つこと3時間余りの午後1時半頃、UPSのトラックが店の前に止まり、店内の人々がざわめきたった。入荷のダンボールの数は結構ある。店員が荷物を仕分けた後、9台入荷したとアナウンスした。ちょうど私の番までが購入できることになった。後ろにいた20人以上の客たちは落胆しながら帰っていった。私のすぐ後ろの10番目のおばさんが落胆しながらもまだあきらめきれずに残っていた。近い番号の人たちとは一緒に話していたのでこのおばさんがどういう事情で今日買いに来ているかも聞いていた。余りにがっかりした様子で、もうクリスマス前には買えないと話していたのがつい気の毒になって、ぼくはまたすぐ買いに来れるから、とそのおばさんに自分の番号を譲ってしまった。おばさんはとても喜んでくれて、御礼に50ドルをくれたのは嬉しかったが、結局この日もWiiは買えず、私はもらった50ドルを握り締めて帰宅した。
その後も買い物のついでに、Wiiを取り扱っている店に顔を出しては入荷情報を確認しつつ様子を見ていたところ、「日曜のセールに合わせてこの辺の店にWii入荷する」という情報を得た。そこで日曜の早朝、夜も明けぬうちから各店を周ってみた。すると前夜から並んでいたと思しき人々が店の前で防寒フル装備で座って待っていた。どこも店の入り口の張り紙に、今日入荷しますが台数は・・台です、と書いてあって、その台数分の人がすでに並んでいたのでアウトだった。アメリカ人の購買意欲は、ブラックフライデー(サンクスギビングの早朝大売出し)と、クリスマスにピークになっており、単にWiiがほしいというだけでなく、クリスマスに間に合わせようという気合がすさまじい。今回も完全に気合負けだった。
クリスマスが明けて26日、人々の活動が平常に戻った最初の平日ということで、案外狙い目なのではないかと思って、朝から再びゲーム屋をのぞいてみた。すると店員は、今日からUPSは動いているので入荷の可能性はあるが確実ではない、と言っている。まだ店内にはWii目当ての客は誰もいなかったので、もしかしたら入荷はないかもと思いつつ、とりあえず待ってみた。店員は客からのWii入荷の問い合わせにオウムのように同じ返答をしている。時間が経つにつれてWiiの問い合わせは増えたが、ほとんどの客はすぐにあきらめて帰っていった。
店員の予想よりもだいぶ早い午前11時半、UPSのトラックがやってきて、商品のダンボールがいくつか入荷した。客たちは列を作り始めた。私は一番前に並ぶことができ、レジの店員と話しながら待っていた。もう一人の店員が奥に荷物を運び入れ、仕分けた商品をカウンターに運び入れる。最初に来たのはPS3が2台。PS3も品薄でなかなか買えない人気商品だというのに、客たちはPS3には見向きもせず、なんだよPS3かよ、とがっかりしている。その直後、Wiiは2台だけ入荷、と店員のアナウンスがあり、私と2番目にいた男の子が今回の幸運を手にすることとなった。列の後の客たちは落胆の声を上げながら店を後にしていった。「ここのところいつもこんな感じで、店が混雑していると思ったら、UPSのトラックが来たとたんに、あっという間に閑散とするのよ」とレジの店員は苦笑していた。
ゲームも一緒に買うかと聞かれたが、USA版の本体には「Wii Sports」がおまけでバンドルされているので、とりあえずはそれを試してみることにして、今回はゲームは買わずに済ませた。まず買いたいと思っていた「はじめてのWii」や「おどるメイド・イン・ワリオ」は、米国発売は来年なのでまだおあずけである。リモコンも品薄でなかなか買えないのだが、この時ちょうど在庫があったので、追加でリモコンを一台購入。ヌンチャクはまだ在庫切れで買えなかった。
こうしてついにWiiを購入できた。これだけ苦労すると手にできた喜びも倍増する。すでに世界で何十万人もの人たちが同じようにあれこれ苦労して手に入れているということを思えば、これだけ購買意欲を刺激する商品を作るというのは大変なことだと思う。それに、購買者の意識や購買者の層に変化が起きているようで、従来の子どもに買い与えるという意識から、家族で利用するものを買う、という意識に変わってきている印象がある。テレビか何かの家電品を買うような感覚に近づいているのかもしれない。
今回なんとか買えたのは、アメリカでは発売から1ヶ月余りが経過し、気合の高かった人たちの多くはすでに購入済みということと、クリスマス明けすぐは人々の購買意欲は平常に戻っていることで、かなり買い易くなっていたということもある。XBOX360も最近ようやく普通に在庫がある状態になってきたように、Wiiもあと少し経てばもっと買い易くなるのは間違いない。それがわかっていてもあえて並んで買ってしまおうと私も思わされたという次第である。
今回は一消費者として、今までにない多くの経験をした。列に並んで人気商品を発売後すぐに買おうとする行為自体ほとんどしたことがなかったので、その不慣れさからくる数々の失敗を経験し、「人気商品を買うこと」という領域の知識を身につけたのち、難易度も下がった頃にようやく目的を達成できたという感じである。どんな活動にも専門知識というのがあって、それはバカにしたものではないなと考えさせられた。
Flowers for Seymour
日本から戻ってきて間もなくのこと、MITメディアラボ名誉教授のシーモア・パパート博士が、ベトナムのハノイで交通事故に遭ったという知らせが入った。重傷ながらも快方に向かいつつあるということだった。パパート博士は、プログラミング言語のLogoを開発したことでよく知られていて、学習メディアについて学べば必ず出てくる偉大な研究者である。
昨日、何かのついででたまたまWikipediaのパパートの項を目にしたのだが、するともうこの事故の報が記載されていた。それとパパート博士にお見舞いのバーチャル花束を贈ろうというプロジェクト「Flowers for Seymour」が行われているということがあわせて告知されていた。みんなできれいな花のデジタル画像をFlickrのグループページに集めよういうもので、すでにたくさんの美しい花束が寄せられている。写真自体とても美しいが、人々の思いのこもった花束ということが、見るものへはさらにその美しさを引き立たせていて、回復中のパパート博士にはとてもうれしいお見舞いになると思う。
第ニ作目進行中
一冊目の執筆作業は残りが再校だけでだいたい落ち着いたので、第二作目となる翻訳書の作業を本格的に進めている。一日に3~4時間翻訳作業にあてて、それを毎日粛々と続けている。慣れてきたおかげで、だんだんペースが上がってきて、週当たりの作業量が2倍になった。1月いっぱいかかると見積もっていたところを二週間前倒しで作業を終えることができそうだ。
自分が翻訳の作業をしていると、人の訳文に対する見方が変わる。前は気にならなかったような訳し方の拙いところが見えて気になったり、うまい処理の仕方に気づいて参考にしたりと、今までは吸収できなかったことが吸収できるようになる。自分のスキル自体がまだ拙いため、上達の余地が大いにあって、今は何をやっても上達につながるという感じで楽しく仕事ができている。何より、面白い本を選んでよかったとつくづく思う。とりあえず訳していて面白いので、その面白さをうまく表現したいというところがモチベーションになっている。
一作目は2月下旬、二作目は5月、三作目は夏~秋という予定はなんとか維持しつつ進行中。いずれも手ごたえがあり、ワクワクできる内容になっているのでどうぞご期待ください。
ヘルシー食生活路線への抵抗
大学時代の同期がペンステートを視察したいということで訪ねてきた。1日しか時間がなかったのでとりあえず回れるところをあちこち案内しただけで、翌日には忙しなく日本に帰っていった。その友人は大学勤務なのでまだ時間の調整がつけられる方だが、勤め人をしているとなかなかまとまった時間を作りにくいものだ。
二人でキャンパスをまわって、昼にダウンタウンで飯を食った。チェーンレストラン系は昼でもしっかり食えるメニューがあるが、普通のローカルレストランなんかだと、昼のメニューはサンドイッチやハンバーガーなどの軽いものばかりだったりする。とりあえず頼んだサンドイッチが届いて、友人は開口一番「野菜がぜんぜんない・・」フレンチフライも一応野菜だよと言っても気休めで、皿に乗っている野菜はピクルスだけ。二人とも時差ぼけで昼が食欲のピークで、「出されたものは残してはいけません」と厳しく親からしつけられた日本の家庭教育の成果もあり、皿の上の山盛りのフレンチフライをそろって完食。
引き続き見物して、お土産などの買い物(「DS Liteがあるぞ」と喜んで買っていた)を済ませ、まだ腹は減ってなかったもののとりあえず地元の地ビールレストランへ。ナチョスが今日のおすすめだというので頼むと、山盛りのナチョスがやってきた。そもそも二人で頼むものではなかったかもしれないが、こんなものをすすめるなよと思いつつ、でも他のテーブルでは普通に二人とかでも食べている。ビールに合ってなかなか美味いとは言っても、食べても食べてもナチョスの山は減らない。それにそもそもそんなに腹が減っていない。さすがにこんなものを完食したらエライことになると思って放棄して帰った。
アメリカでヘルシー生活志向が進んでいるとは言っても、日々の生活はこんな感じで「身体に良くないけど何となく食べてしまうもの地雷」が生活にあふれている。アメリカでこの地雷を踏まずに生活するには、よほど気を使わないといけないし、金が余計にかかる。低所得者層ほど肥満問題を抱えているのは、とりあえず食べられる安いものほど不健康だからである。
日本人は自炊中心に切り替えればかなりの部分回避できるが、普通のアメリカ人にはそうでもない。日本人の食生活ではピザやチキンウィングやハンバーガーは、たまに食べて食生活の幅を持たせる「ワンポイントリリーフ」的な役割であっても、アメリカ人には日々の食事の「先発ローテーション」に入っていて食す頻度も多い。昼飯の出るミーティングに行けば出るのは必ずピザだし、友だちと集まる時にウィングが出れば「今日はご馳走だな」とばかりにみんな飛びつく。小腹が減って、日本ならコンビニおにぎりでも食べそうなタイミングで食べるのはハンバーガーで、ついポテトもおまけにつけてしまう。そうなってくると、ヘルシー路線も「三歩進んで三歩下がる」といった感じで、全く進まない。
ヘルシー路線の最大の害悪のように見られているのがファーストフード店で、なかでもマクドナルドは諸悪の根源のような邪悪な存在として見られていた。「スーパーサイズ・ミー」のような映画にも盛り上げられ、「うちの子がデブになったのはマクドナルドが悪い」と便乗して訴えて、賠償金をせしめようとするおかしな人も出てくるほど、社会的な「アンチヘルシーバッシング」がここしばらく進行してきた。
その後マクドナルドは、サラダメニューを追加したり、CMの路線をヘルシーさわやか系に変えたりして、ブランドにヘルシーイメージを打ち出す方向にシフトした。それにウェンディーズやサブウェイなどの他のファーストフード企業も追従した。
それで不利になるのは、バーガーキングやデイリークイーンのようなあまりヘルシーなイメージがなく、どうヘルシーイメージを打ち出したところで明らかに無理があって、下手なことをするとブランドイメージが崩壊してしまいそうな競合企業たち。そこでそれらの競合企業がとった戦略は「ヘルシー路線をぶっ飛ばせ」的なブランド強化アプローチ。バーガーキングのCMは、暑苦しい男達が街を練り歩いて「オレたちは肉が食いてぇんだ!」と分厚い肉の入ったワッパーを美味そうにかぶりつく。デイリークイーンはどうしょうもなくカロリーの高そうなシェークを目玉商品にした販促。サブウェイの競合のサブマリンサンドチェーン(名前忘れた)は、サブウェイサンドがいかに具が少なくて、自社のサンドは肉厚かをアピールした。
マクドナルドらが進めるヘルシー路線は、どこか無理やりなところがあり、申し訳程度にしか見えない。それにそうやってヘルシーイメージの広告が増えても、現実の生活は「不健康地雷」に満ちた食生活であるのは変わっておらず、マクドナルドのメイン商品はその地雷の供給源である。そのためイメージ先行のヘルシー志向路線は、社会的に変なストレスを高める側面があった。バーガーキングらの「アンチヘルシー路線」は「不健康なものをたらふく食わないと何となく飯を食った気がしない」アメリカ人の正直な気持ちを代弁していて、人々をホッとさせて好感度を上げ、マーケティング的にはマクドナルドにカウンターを食らわせた形になっているように見える。
ファーストフード企業には人々の健康問題もブランド戦略のネタでしかなくても、社会的な肥満問題は深刻化していて、それは医療関係者の反応から伝わってくる。ヘルスケアにゲームを利用するゲームズ・フォー・ヘルスがアメリカで盛り上がりを見せているのは、単に新しいもの好きなアメリカ人の気質が反映されているだけではなく、「ゲームでもなんでも使えるものは使わないとホントにヤバイ」と必死になっているという側面の方が強いように見える。どう見てもゲームには関心のなさそうな、政府系機関の偉いおばあさんが、ゲームの可能性への期待を熱く語っていたり、数億円単位のゲーム開発プロジェクトが幾つも動いているというのは、事の重大さの現れであり、単なる興味本位ではこれほどの状況は起こり得ない。
アメリカ人の食生活のバランスは、相当に不健康なところで均衡が取れていて、「私は健康に気を使っています」という言い訳程度に過ぎない。ダイエット飲料やサラダメニューの普及は、その言い訳を満たす程度でしかなく、それ以上の本格的なヘルシーさを追求するものを広めようとすると、みんなストレスを感じてしまって、投げ出してしまいたくなる。マクドナルド対バーガーキングの広告合戦は、そうしたアメリカ人の気持ちを反映しているように思う。
大雑把に言えばアメリカ人のヘルシー志向は、言い訳レベルを超えるとストレスになって嫌になり、ピザをバカ食いしてしまうような人々と、朝も晩もジョギング、酒も飲まずにオーガニックサラダだけ食ってるような極端にハードコアな人々に二極分化していて、ちょうどよいバランスが存在しない。ちょうどよく健康な食生活ができないというのは気の毒と言えば気の毒だし、アメリカ人の食生活習慣を変えるというのは、たいへんなチャレンジであることは間違いない。
取るべき方向性としては、人々が受け入れられるようなモデル的な食生活を地道に普及させながら、障壁となっているものを消滅させるための政策的なアプローチの組み合わせでいくのが望ましいと思うが、誰もが賛成できて、すぐに実行できる最適解はおそらく存在しないだろう。何とかしたいという想いを持った人々が、粘り強く道を切り開いていけるかどうかにかかっている。アメリカで生活して、日々飯を食っていると、この問題の根の深さをしみじみと感じる。
時差ぼけ健康生活
日本から戻ってきて5日目、まだ時差ぼけ継続中である。夕方になるとひどく眠くなり、夕飯を食べる前にひと眠りと思ってベッドに倒れこみ、目が覚めるともう夜中。夜中から食べたりするのはよくないので、水を飲んで今度はちゃんと布団をかぶって再び寝に入る。そして夜明け前に腹が減って目が覚めて、そこから活動開始、という毎日が続いている。
以前は違和感のあったこのパターンだが、もう何度も経験するとだんだん慣れてきて心地よくなってきた。何しろ日が暮れたら寝て、夜明けに活動開始というのは気分が良い。窓の外の朝焼けを見ながら机に向かうのは快適である。しかも夕飯で酒を飲んだり大食したりせずに寝るので、健康的で身体も軽い。
だがこの健康的な生活も、だんだんと仕事が詰まってくれば時間がずれてきて元通りの不健康生活に戻ってしまう。私のように普段が時差ぼけのような生活をしている人間には、時差ぼけに生活時間を調整できるという効能があることがわかってきた。飛行機のエコノミーの窮屈さに耐えることと、移動後すぐに仕事を詰め込みすぎないことさえ守れば、たまに時差ぼけになって生活するくらいが案外自分に合っているかもしれない。
日本で見つけた便利なもの
今回の帰国では、東京に3週間滞在とやや長かったので、ウィークリーマンションなるものを初めて利用してみた。ビジネスホテルに連泊するよりもいくぶん安上がりで、部屋も広くて人を自由に連れてこれて、ベッドや洗濯機やテレビのような基本的な備品が揃っているので基本的には快適だった。
ただ、キッチンがあるので自炊をしようと思っていたら、炊飯器がなくてご飯を炊けず、自炊の基本軸が崩れてしまってうまくいかない。これじゃ自炊できないじゃないかヽ(`Д´)ノ となっていたら、親切なお方が「クック膳」というのがあるよと教えてくれた。電子レンジでご飯が炊けて、他にもいろんな料理に使えるとのことで、さっそくアマゾンで注文してみた。使ってみると、確かにちゃんとご飯が炊ける。ご飯を炊くときは皿を敷けと書いてあるのを見落として、一度目は電子レンジの中が大洪水になってしまったが、二度目からは普通に炊けた。おかげでわさび漬けやつくだ煮など、ご飯のおともをたっぷり楽しむことができた。ちょっとした煮物も手軽にできるようなので、自宅へ持ち帰って使うことにした。
もう一つ、今回試してみて、おぉーと感動したものは、ボーズのノイズキャンセリングヘッドフォン。ららぽーと豊洲に遊びに行ったとき、In the roomの中にボーズのコーナーがあって、サラウンドのスピーカーシステムや単体のスピーカーなどと並んで、ノイズキャンセリングヘッドフォンの試聴ができた。聴いてみると予想以上に音がよい。隣で話している人の声が全く聞こえず、完全に外の音が遮断された状態になる。飛行機でしょっちゅう移動する人にはとてもよい買い物だと思う。アメリカで買った方が若干安いのだけど、それでも高いのでまだ手が出ない。いずれ手に入れたいと思うぜいたく品だ。
帰宅しました:よかったことと少し残念なこと
約3週間の東京滞在も終わり、ステートカレッジの自宅に帰宅した。こちらでは暖かい方といっても、気温は一ケタ台、夜更けからの雨が夜明けに雪にかわり、寒さは増してきた。でもこれくらい寒くてようやく冬の感じがする。東京は暖かかった。
執筆中の著書は初校を終えて、発売予定日も2月20日頃ということで確定しつつある。今回の東京滞在では、この本の仕事と、某大学の教材開発プロジェクトの仕事をしてきた。後は来年後半以降の日本での活動のための、いくつかの仕込的な活動をしてきた。それ以外はかなり骨休めというか、自分のための豊かな時間を過ごすことができて、心身とも癒されてきた感じになった。自分でコントロールできる時間が増えたために見落としがちになっているが、やろうとしている仕事の量や求められる質はあがってきているので、これからのチャレンジを続けるためにとても貴重な充電になった。
うちに帰ると、残念なことに飼っている金魚のうち一匹が亡くなっていた。一番小さなオレンジの金魚だが、うちに来た当初は白地にオレンジ模様の金魚だったので、そのオレンジの見た目にもかかわらず「ちびシロ」と呼んでいたやつだった。他の金魚がちびとかミニとか呼べないほど育っていく中で、こいつだけ発育が良くなくて、いつまでたってもちびのままだった。なのでこれでもよく生きたほうなのかもしれない。うちに来て二年半ほど、のんきな顔で日々の疲れを癒してくれていたので、いなくなってしまうとなんとも寂しい気持ちになる。雪の降る朝、少し眺めのよいところに埋葬してその死を弔った。
こうしてみると、葬式や追悼の儀式の類は、その亡くなった者のためではなく、その後も生き続けないといけない人たちのためにあるのだなと思う。立派な葬式を出したり、花を贈ったりしても、本当に亡くなったその人に届いているかどうかは実際にはわからない。ただの気休めだったとしても、少なくともそうしてその人のために何かをやっている人たち自身には大事なひと時である。でも、本当にその人のために何かをしたいのであれば、生きている間にすべきだと思う。
ちょっとだけ帰省
こまごまとした仕事の合間に時間を作って、ちょっとだけ大分の実家に帰省してきた。わずかな時間だったが、美味いものを食べて、温泉に入って骨休めしてきた。今回はパソコンも持たずに帰ったのがよかった。パソコンがあってネットがつながると、あれこれ気にしだして大して気が休まらないので、あえてネットも一切無しで過ごしてきた。今回はあまり余裕もないし、夏に帰省したばかりだから帰らなくてもいいやとか思っていたが、やはりそういうのはよくないなと反省した。ちょっと無理やりだったが、時間を作って帰ってきてよかった。
もう日本滞在も残り数日となってしまった。原稿の修正はほぼ終わったが、追加原稿があまり書けていない。後は残りの滞在を楽しみつつ、書けるだけ書いて帰ることにする。
初校作業中
執筆中の「シリアスゲーム」の初校ゲラが先日届き、現在校正作業を進めている。出版社から戻ってきた原稿は、さすがプロの編集者の仕事で、表記のブレやおかしなところは確実に赤を入れてくれている。おかげで細かい修正作業がかなり楽になった。
何人かの方たちに原稿の試読をお願いしたところ、反応はとてもよく、手ごたえを感じている。これが世に出てどんなことになるか、さらに楽しみが高まってきている。ページ数的に予想よりも少なめだったので、修正作業と並行して、少し詳しく解説が必要な部分や時間が足りなくて書ききれなかった分を追加する原稿を書いている。これらの作業が一通り済めば仕上がりとしてはもう一段階完成度が高まる。ソロ執筆はたいへんだったが、いろんな方々のご協力のおかげで、どうにか世に送り出せるめどは立ってきた。刊行予定は、どうも当初目標の1月には残念ながら難しくなってきたものの、2月には出せそうな状況。どうにか九合目まできた感じ。あともう一息がんばります。