先週、社会生活シミュレーション「セカンドライフ」のバーチャル世界に、一つキャンパスが開設されて、そのグランドオープニングイベントが開催されたので参加してきた。このキャンパスは、ニューメディアコンソーシアムという非営利機関で、名前の通りに新しいメディア活用の研究プロジェクトに取り組んでいる。
イベントは、キャンパスツアーとステージでの催し、最後にダンスパーティという流れで行なわれて、昼と夜の2セッションで延べ150人以上が参加したとのこと。私は夜のセッションに参加して、その時は常時20数人はいた感じだった。会場に着くと、みんなステージの方に集まっていた。キャンパスの建物はリアルの大学のようなデザインで、ホールや講義室、ミュージアムに図書館と、とても雰囲気のよいキャンパス環境ができあがっていた。リアルのオープンキャンパスみたいに、キャンパスのスタッフはおそろいのオレンジTシャツを着て、質問に答えたり参加者を誘導したりしていた。そしてお土産の資料が入った手さげ袋やロゴの入ったフリーTシャツまで配布しているところまで、リアルのオープンキャンパスの運営を細かく実践していた。
イベントでの案内は、セカンドライフの音声配信機能の主に使っていたが、これは一方向なので、フリーの電話会議ツールを使うことで参加者からの質問などを音声でやり取りできる形にして、双方向コミュニケーションを実現していた。ソフトのインストールやマイクの準備とかテクニカルな面倒さもあるため、参加者からはあまり利用されていなかったようだが、ツールの併用の仕方はいい工夫だと思った。
ワークショップ二本終了
先週と今週、ゲーム関連のミニワークショップを二つやった。一つ目は、「エンターテイメントゲームをプレイして学ぶ学習デザイン」と題して、Learning & Performance Systemsの院生を対象にした75分のゲームプレイセッション。教育ゲームの話題が増えていく中で、関心はあるけど自分ではゲームをやらない院生たちのために、学習の視点でエンターテイメントゲームを見ていく際にどこに焦点を当てればよいかという解説と、そのポイントごとに例として一つずつゲームをプレイしてもらって、最後に振り返りディスカッションを軽くやる、という流れ。
この手のゲームセッションは、ゲーム経験の浅い人が対象だと、ゲームがどんなものかをつかむのに時間がかかったり、つかめないままだったりして散漫になりがちなのだが、今回は参加者の中にゲーマーが一名混ざっていたおかげで、ファシリテーションのきっかけがつかめて何とかポイントをおさえた形でまとまった。教育系の研究者は自分ではゲームやらない人が多いので、ゲーム研究にせっかく興味があっても、なかなか踏み出せなかったり、踏み出したはいいけど微妙に的を外していたりするので、こういう機会を通して、リテラシーを高めつつ、よくできたゲームからインスパイアされることが必要になってくる。
もう一つは、私の博士研究コミッティの一人であるMagyが提供しているゲームデザインセミナーの時間に、私が自主研究でここしばらくデザインワークを続けてきた自作ゲームのプロトタイプのお披露目とユーザーテストのセッションをやった。今開発中のゲームは、選挙をテーマにした政治的なパズルゲームで、ゲームのコンセプトとメカニックは出来たので、それをペーパープロトタイプ化して、ボードゲームの形でみんなにプレイしてもらった。ボードゲームの盤とかコマを半日かけて工作した。こういうものつくりの作業は楽しくて、果てしなくやっていられる。そして自分の作ったものをみんなに試してもらうのも、また楽しい。今回のゲームが実質的に私の初シリアスゲーム作品で、デザインが意図通りに機能するかやや不安だったのだが、ルールを一通り理解させるのに手間がかかった以外は、みんなコンピュータが処理するところの面倒な計算も、手で計算しながら熱心にやりながら遊んでくれた。
紙のプロトタイプがうまくいったので、今度はプログラムを組んでコンピュータ上で動くプロトタイプを作ることになるが、そこは自分の手には負えない。デザイン上の工夫をすればするほど、書くべきコードが複雑になり、ますます手に負えなくなる。Magyはハードコアなプログラマなので「フラッシュなんかより、C#でやった方が断然簡単だわよ」みたいなことを笑顔でのたまう。プログラマにすればそうかもしれないが、こちらはあいにくノンプログラマである。どうしたものか。
ともあれ、自分で立てたコンセプトをもとに、プレイアブルなプロトタイプが作れるところまで来たので、ノウハウ的にはあと何種類か違ったタイプのシリアスゲームをデザインすれば、少しはものになるかなという気がしてきた。軽めのワークショップであればそんなに負担なくやれるということがわかったことも、今回の成果だった。
Gamasutraインタビュー記事掲載
シリアスゲームジャパンでも告知してますが、一応こちらでも。
先月の中頃くらいに電話取材を受けた日本のシリアスゲームに関する記事が、Gamasutraのシリアスゲームニュースサイトで掲載されました。
Gamasutraの記事
http://www.gamasutra.com/php-bin/news_index.php?story=8960
The State Of Serious Games In Japan(インタビュー全文)
http://seriousgamessource.com/features/feature_041806_sg_japan.php
英語の電話取材というのは難しい。微妙に違った感じで伝わってるところも若干あったりするけど、それ以前に、なんかすごいシンプルなことしか言ってない。難しい言い回しとか一切なし(それと文章にすると意味不明なところを編集でわかりやすく直してくれてる)。それでも通じるし、何とかやっていけるということで、皆さん自信を持って海外留学してください。
アールグレイティーとドメインナレッジ
少し前から、何となくアールグレイ紅茶がマイブームになって、ここ数ヶ月のうちに結構な種類の銘柄を試した。そういうと品がいい風に聞こえるが、紅茶通のように高級な茶葉を買って、専用茶器を使って上品にたしなんでいるわけではなく、単にティーバッグで売っているものをあれこれ飲んでいるといった程度なので、たいしたものではない。今のところ、Tazo(スタバで売ってる銘柄)やNumiのエイジド・アールグレイがお気に入りである。
特に気を使って飲んでいるわけではないけど、ほとんど毎朝のように飲んでいると、それまでには気づかなかった微妙な味わいや食べているものとの組み合わせでの味の違いに気づくことがある。その日の体調によって味の感じ方も変わってくる。オーガニックな高級紅茶が必ずしもいいお味というわけでもないし、ベルガモットオイルのダブルショットを売りにした銘柄は、お湯を注ぐまではすごいよい香りなのだけど、飲んでみるとそんなでもなかったりする。甘いものと飲むのは楽しいけど、アイスクリームとはイメージほどには合わなかったりする。
そうやって、気づくことが多くなってくるほどに、だんだんとこちらも気をつけて飲むようになる。そしてあれこれ試したくなって、店に行って違う銘柄を見つければ買ってみたくなるし、ネットで調べてみたくなったりもする。するとだんだんとアールグレイにまつわる知識がたまってくる。これは立派に、アールグレイの領域に関する知識(ドメインナレッジ)である。今の時点ではたいして深みも広がりもないが、大げさに言えば、アールグレイ紅茶についての専門性を高めていくための知識の軸と、自主的に学習を進めるモチベーションの核が形成された状態になったと言ってもいい。その専門性をどこまで高めていくかは、本人の志向や他のテーマとの兼ね合いということになる。隠居して暇だったら、さらに高度なことを始めるかもしれないが、今はせいぜいいくつかの銘柄を飲み比べるくらいで満足である。
ドメインナレッジは、専門家にとっては頼みとする知識の軸であって、その軸がなかったり、細かったり短かったりすると、その人はたいした専門家ではないということになる(職業としての専門家と、力量が専門家レベルであるということは必ずしも一致しない。これは楽しいテーマなのでまた別の機会に議論する)。ドメインナレッジを軸にすることによって、自分の目で人の意見やものの品質を評価できるのであって、それがいわゆる目利きということになる。客観的な尺度に頼らないと評価できない人と、自分のドメインナレッジを頼りに評価する人とでは、その評価の重みに差が出てくる。
ドメインナレッジは、やらされながらでもある程度のところまではベースはできるが、ある時点で本人が意志を持って構成しようと努めないと積みあがっていかない。逆に言えば、本人の学習の意志が弱くても、とにかく続けさせればある部分は知識として積みあがっていく面がある。アールグレイの話で始めたので、お茶をたとえとして続ければ、私は幼い頃からずっと緑茶党で、緑茶は二十数年飲み続けていることになる。普段は考えもなしに飲んでいるので知識の軸も何もないが、ある時何かのきっかけで、緑茶の味について意識するようになるとする。するとそれまでの緑茶を飲んだ経験のある部分は知識化されて、判断の軸が形成される上、それまでに味覚としては緑茶を知覚するセンサーがある程度鍛えられているはずである。あるいは緑茶を飲み続けたおかげで、アールグレイ紅茶の味を判別する力が蓄積されたという面もあるかもしれない。
なので、ドメインナレッジを身につけるには、本人の自発的な学習意欲の形成に頼る部分は大きいが、その一方では有無を言わさず教え込む環境が果たす役割もある。特に高度な自発性が形成されていない子どものうちは、とにかく大事と思うことを教え続けることも必要だと思う。そういう点で、子どもの学習環境と成人の学習環境を考える際には、一緒くたにはできない。一方的に教え込む要素と、自発的に学習テーマを形成させるための学習支援的な要素のブレンドが全く違うからだ。
子どもの学習環境では、暗唱やドリルなどの教え込みも重要な要素になるが、成人の学習においては、そういう学校的な教え込み発想はあまり望ましくない(「脳を鍛える」ゲームは、大人の頭の体操であって、学習ではない)。日々の生活の中で学習テーマを形成できるきっかけと、そのきっかけから派生してドメインナレッジの形成へと導く自然な流れをどうつくるか、ということが学習環境デザインにおいて重要なコンセプトになる。そのコンセプトを実現した学習環境が普通に提供されるようになったら、専門家がたくさん生まれて、さぞ豊かな社会になることだろう。
今シーズン初打ち
すっかり春の穏やかな気候になり、天気があまりによかったので、近くのゴルフ練習場で今シーズンの初打ちをしてきた。半年もやっていないのでいい当たりはしないだろうと思っていたが、クラブを握れば身体が覚えているもので、10球も打てば身体が慣れて普通に当たりだした。昨年はかなりの頻度で練習したおかげでだいぶ上達したが、今年は果たして次のレベルに上がれるかどうか。90台前半をコンスタントに出せるようになって、ベストで90を切れれば上出来。日本に帰ったらゴルフなんて高くてやっていられないので、こちらにいる間にせいぜい楽しみたい。
Age of Empires IIIやってみた
今週はAERA(全米教育学会)ウィークのため、うちのプログラムの教授陣は半分くらいサンフランシスコへ出払っていることもあり、プロジェクトミーティングがキャンセルになったりして、少しスローペースな平和な週である。それで気が緩んで、先日ベストバイ(大手電器スーパー)に立ち寄った時に、つい魔がさしてリアルタイムストラテジー(RTS)ゲーム「Age of Empires III(AoE3)」をうっかり買ってしまった。通常49ドルのところ39ドルになっていたのに釣られた。日本語版は9000円以上するので、半額以下。すごい安い。
AoEシリーズはなんだかんだでAoE2以降は結構チェックしていたりする。何せ中学でゲームから引退して以来(ドラクエIIIくらいで引退して、スーファミもPS1もセガサターンもその辺のコンソールは一切触ったことがない)、10年以上もゲームから遠ざかっていたところを引き戻されたきっかけがAoE2で、ゲームとしての面白さよりもむしろ、進化したゲームが持つ教育的な可能性にインパクトを受けた。それは今のシリアスゲームの道に進む最初のきっかけみたいなものだった。初めてAoE2をやった時、なんてすごいゲームなんだろうと感心して、休みの日なんかにかなりの時間を費やした。なかなか飽きなかったので、ある時封印してやめた。
いつもは買ったその日にソフトウェアをインストールするなんてことはやらないのだけど、自分の中ではAoEシリーズは今も別格なようで、今回も速攻でインストールしてプレイした。やってみるとやはり相当ヤバイ。果てしなくやっていられる。ゲームを丸二日間やり続けて死んだ韓国人がいたけど、このゲームはそんな感じでポックリ死ねるくらいに寝食を忘れて没頭できる。RPGやシューティングにはそんなに熱くならないのだけど、RTS系はかなり自分にとってツボらしい。本作は特に、グラフィックの美しさは尋常ではない。この手のゲームでこれはやり過ぎでしょうと突っ込みたくなるほどの凝り方で、大砲が建物に当たってボコボコになっていったり、兵隊が吹き飛ばされたりするところは、メルギブソンの映画「パトリオット」のよう(公式ウェブサイトのこの辺を見ると少しはイメージがつかめる)。キャンペーンモードは、アメリカ開拓史をベースにしたストーリーで、ネイティブアメリカンとの関係の部分なんかは、政治的な配慮がされた描写がされている(ゲームの詳しい内容は、公式ウェブサイトの他、4Gamerの連載がよくまとまっていて面白い)。
グラフィックのきれいさとかはあるのだけど、プレイ感自体はAoE2の頃からたいして変わらない。それだけAoE2の完成度が高いということではあるのだけど、ゲームの楽しさと没頭度は、グラフィックやサウンドなどの効果は不可欠なものでもない。ある程度質が高ければ十分機能する。そんな効果は何もない数独のようなパズルゲームをやっている時も同じように没頭できる。ゲームルールの作り方と、デザインのバランス次第なのだと思う。そしてそれは娯楽用のゲームに限らず、学習ゲームのデザインにおいても同じことだ。教育分野で研究されているほとんどのゲームのように、糖衣で不味い薬を包んだような教育ゲームではなくて、学習がゲームプレイに丁寧に埋め込まれていて、自然に没頭できる形で学習できるゲームは、プレイ感が全く違うと思う。そういうゲームを作る技術は、教育学系の研究成果は多少の足しになっても、研究の延長線上からはそうした技術は生まれない。そこはある種、発明の世界みたいなもので、知識をベースに試行錯誤して、ちょうどよいバランスを見つけ出す作業になってくる。飛行機の発明みたいなもので、最初にライト兄弟が飛行機を飛ばすまでは、航空力学や機械工学のような研究をいくらやってもそれだけでは飛行機は飛ぶようにはならなくて、飛行機を実際に設計して微妙な調整をしながらちょうど飛ぶポイントを見出したから飛んだのだ。教育ゲームやオンライン教材は、そういう意味ではまだ空を飛んでいない。手に羽をつけてバタバタやったり、飛ぶ気があるのかわからないような方法で適当にやってお茶を濁していたりする。そういうのにはあまり付き合いたくなくて、自分がこっちだと思う方向で試行錯誤していくことに集中したいと強く思う今日この頃である。でもAoEジャンキーである限りはそれも無理なので、AoE3はそのうち封印の憂き目に合う。短い間だったけど楽しかった。ありがとう。
適応と退化
晩御飯に、この間アジアンストアで買ってきた食材を使って、「キムチ納豆ツナ豆腐」なる意味不明な料理を作って食べた。単にちょっとずつあまっていた物を全部一皿に盛って、胡麻ドレッシング(なぜかこんなところでもフンドーキンのドレッシングが売ってる)をかけて料理と称しているだけなのだが、それでも結構ウマかった。
それで、その準備をしている時に、納豆についているタレを空けようとした時のこと。日本の商品ではよく目にする「イージーオープンでこちら側のどこからでも開けられます」とわざわざ書いてくれているのに、その「こちら側」の辺ではない方から無理やり切り開けようとして、そのイージーオープンの側を全部切り取ってしまった。イージーオープンはおかげで機能せずに、さらに開けにくい状態になって開けるのに苦労した。がさつなアメリカ製品に慣れてしまって、考えもなく力任せにやるクセがついてしまって、せっかくの細やかな日本のテクノロジーを享受できない身になってしまったらしい。粗雑な生活をしていると、以前に身につけていた文化がどこかにいってしまって、急には適応できないようだ。
これを新しい文化への適応と呼ぶのか、一度は身につけたリテラシーがどこかへ行ってしまったことで退化と呼ぶのか、判断の分かれるところだ。自分の国だからとえこひいきするわけではないが、こういう製品に使われた細やかな技術は、日本が最高だと思う。権利保護とか契約なんかについてはむちゃくちゃ細かいくせに、こういうところの技術はアメリカ人は超ガサツである。なぜかそういうところだけカウボーイ気質のままというか、感性が鈍く、不便を感じようが感じまいが、みんなそのまま使い続けている。日本の技術がすごいことを感心することはするけど、だからといって取り入れるわけでもない。それも一つの文化といえば文化なので、こちらで生活する限りは、バカにせずに尊重して合わせてきた。それがストレスなくやっていく上で必要な心構えではある。
シリアスゲームサミットレポート掲載
先日寄稿したシリアスゲームサミットレポートがRBB Todayにて掲載されました。
GDC2006 シリアスゲームサミットレポート(RBB Today)
http://www.rbbtoday.com/column/seriousgames/20060404/
今回のレポートは、いつものようなメモを貼り付けただけのようなやつではなくて、これまでのシリアスゲームサミットの流れも踏まえた形で考察を加えているのがポイント。サービスしてしっかり書いたので、内容的にはかなりお得感のあるものになっていると思います。ゲーム情報サイト向けにしてはちと文体が硬い感があって読みにくいかもしれませんが、どうぞお楽しみください。
Avenged Sevenfold
少し前に、Avenged SevenfoldというメタルバンドのCDを買って、かなり聞き込んでいる。昨年の秋頃からFMラジオのロックステーションでヘビーローテーションになっていたのを聴いて、ボーカルの感じはラウドロック風だけど、ギターはすごいメロディックメタルでかっこよかったので、探してCDを買ってみた。ネット調べてみると、アメリカでセールス好調で、日本でも輸入版が結構話題になっている様子。
見栄えも大事
シリアスゲームジャパンのウェブデザインをリニューアルして以降、更新作業のモチベーションがいくぶんあがって、楽しくなってきた気がする。見栄えの良さというのは、人から見てどう映るかという以前に、送り手側のモチベーションに影響する面が大きいのだなと感じた。きちんとした服装をすると気が引き締まったり、いい車を買うと手入れをしっかりしたくなるのと同じような効果だと思う。人がどう思うかというのも心理的に反映されてのことだと思うが、その見栄えを一番見るのは自分自身なのだから、見栄えがよければ悪い気はしない。服装に限った話でなく、自分自身の気分をリフレッシュするために、自分の関わっているものの見栄えを少し工夫してみるというのは案外有効なようである。