インストラクショナルデザイン関連書

日本語で読めるインストラクショナルデザイン関連の書籍も少しずつ増えてきた。
日本の著者が最近書いたものはほとんど読んでいないが、翻訳されたものは英語版で読んだ。IDが普及して、すべてフォローできなくなるぐらいに充実していくことを願いつつ、お勧めの書籍をご紹介。
当面は、だいぶ前に整備しかけていたリソースページをアップデートしつつ、新しい情報を追加していきます。

プロフィール更新

 やらなきゃいかんなと思いつつ、放置状態だった日本語のプロフィールページをようやく更新した。英語の方は必要に迫られてたまに更新していたが、日本語の方は3年近く放ったらかしにしていた。最近なぜかプロフィールページへのアクセスが増えていたこともあって、必要最低限だけでもと思って更新した。手をつけ始めると他のページもあちこち直したいところが出てきてきりがない。こういう作業はたまにしかやらないので、ちょっとしたテンプレートの修正もいちいち調べながらになってしまって、やたら時間がかかる。今日のところは、古いページの整理と、トップページの微調整のみで終了。うーむ、中途半端だ。

試験長引く

 修了試験の口答試験のコミッティーたちのスケジュールが合わなくて、なかなか試験の日を設定できず、あと一ヶ月は先になりそうな状況になってきた。集中力がだんだん途切れてきて、厭戦ムードになってきた中、スタディグループで集まって試験対策ミーティングを開いた。論述試験で書いたそれぞれの回答を読んで、質問しあいながら、準備の必要なところを洗い出した。他のメンバーに様子を聞いたら、みんな同じような状況で結構くたびれていたので、今回はあまり根を詰めず、夕飯を食べて、談笑して、息抜きの合間に作業するような感じで進めた。論述試験が終わった後しばらく燃え尽きていて何もする気がしなかったとか、他の連中の就職活動の様子がどうだとか、そんな近況を伝え合うだけでもずいぶんとモチベーションが回復した。
 最近なんか昼はダルいし、夜は眠いんだか眠くないんだかわからない状況で、ぼやぼやと遅くまで作業する日がここしばらく続いた。時々頭がさえて仕事がざくざくはかどることもあるのだが、それ以外の時間は何が仕上がるわけでもなく、無為に過ぎていく。いつからこんなムラのあるワークスタイルになったのかなと思いつつ、試行錯誤の日々が続く。早く試験終われ。

大学院生という肩書き

 東大の中原さんが「人は見かけで」というエントリを書いていて、そうだよな、と納得しつつ、人は見かけの次に肩書きで判断するという話で返歌を。
 私の今の肩書きは、あれこれ工夫してつけることはできても、大きな括りでは「大学院生」である。うまくいけば、あとちょっとで「博士課程修了」の身分にはなるのだけども、それでも学位をとることを主目的に大学院にいる限り、とりあえずは大学院生である。
 学会のような仕事とは関係ないところで、日本の主に中高年男性、特に地方の人と話をする機会があると、ありがちなのが、アメリカの大学院で研究している、と聞いて、なんだかエライ先生なのかもしれないがよくわからない人だなと、腫れ物の周りをそっと触るような感じで居心地悪そうに接せられる。そしてどこかのタイミングで、大学院生=学生さん、あぁ学生さんね、とその人の中で腹に落ちた瞬間に、急に態度がえらそうになったり、中には、学生たるもの云々、と説教を始めてくる人がいたりする経験を何度もしている。最初はこちらもその度にムカッとかしていたのだが、最近はそういうものだと思って笑いながら相手をしている。
 この話は、ネット上の方がわかりやすい。Mixiなんかをやっていると、とりあえずプロフィールは「大学院生」とでるだけなので、相手は自分の持っている大学院生のステレオタイプなイメージでもって、こちらと接してくる。多くの場合そのイメージは「学部を出てとりあえず院に進んだ、世の中を知らない未熟な若者」というものなので、相手はこちらがサラリーマン経験のある30過ぎのおっさんいい大人であるということなどまるで想定していない。20代後半くらいの人から偉そうな態度で接してこられることも珍しくない。「大学院生には、ちょっと厳しい突込みを」なんていう態度で無礼なことを言ってくる人もいる。そういうのをいちいち相手にしているときりがないので放置しているのだが、たまにはあまりにムカッときて皮肉のひと言も言いたくなることもある。私は海外にいるのでその被害は少ないが、日本にいて社会人を経て大学院で学ぶ人たちには、この社会的な大学院生に対する未熟者イメージは嫌な感じだろうなと気の毒に思う。
 この問題は、「見た目や年齢や肩書きで相手を判断して、上下関係を決める」という日本の文化的な習慣に対して、大学院生という肩書きが学生という枠の中でしか捉えられていないことから生じていると思う。もちろん、大学院生の側にも社会から低く見られてしまう原因はある。いわゆる学生気分で、プロとして貢献する意識が低かったり、成果に対する甘さがあったりすることが、社会的な「所詮は学生だから」という評価に甘んじる理由であったりもする。社会からの評価が低いので、大学院生もそれに甘んじる、甘んじているから社会からの評価は低いまま、という悪循環が存在する。それは寂しい話で、大学院生は単に学ぶだけの存在ではなく、専門家コミュニティの一員であって、一人の専門家だという認識を社会的に共有できた方がメリットは大きい。
 役割が人を育てるという面はおおいにあって、若くても社長やマネージャーになれば、下っ端社員として扱われるよりもずっと力強い人材に育つし、受け持つ責任の度合いや役割の性質に応じて、成長の仕方や速度も変わる。大学院生は修士一年でも博士3年でも未熟な学生、という扱いでは、後半に行くほどデメリットは大きいし、修士一年でも扱い方によってはうんと育つものが育たない。社会人が大学院で学ぶ際には、今まで育ってきたものを打ち止めにして負の成長を引き起こしてしまうことにつながる。なのでこういった大学院生の肩書きに対する社会的イメージは何らかの形で変えていく必要があるなと思うし、少なくとも自分が日本で大学院生と関わる立場になった場合は、そうした意識を持って臨みたい。
 アメリカの大学院で生活することの気楽さは、見た目や年齢や肩書きに縛られる窮屈さから解放されていることによるところが大きいなとあらためて感じている。大学院生の肩書きがすごいものではないにせよ、専門家の一員であることに対して、敬意を持って接してくれる。この点だけでも、コミュニケーション面での窮屈さを補って余りあるくらいな気がする。
 とまあ、返歌のつもりで書き始めたのだけど、なんだか少し長くなってしまってすみません。超字余りというところで。

熊本大学御一行様来訪

 修了試験のラストの課題を片付けたタイミングで、熊本大学の教授システム学プログラムの皆さんがペンステートを来訪。キャンパスツアーを間に挟みつつ、ペンステートの教授システム学プログラムの教授陣や院生とのミーティングを通して、こちらの様子を見ていただいた。
 ミーティングのセッティングは知恵の使いどころだったのだが、日本初のISDプログラムを立ち上げる人たちがわざわざやってくるということにどういう意味があるか、やぼな説明をせずともみんな理解してくれるので、さほど苦労せずにセッティングできた。どんな内容になるかなとやや気をもんだが、手前味噌ながらこれ以上は想像できないくらいにいい内容になった。教授陣や院生達の一言一言に、ペンステートのINSYSプログラムのよさが凝縮されていた。熊大の皆さんに、このプログラムのノリの一番いいところに少しでも触れてもらえた点だけでも、セッティングした甲斐があった気がしている。
 ISDは技術や手順な部分ばかりに目を向けられがちだが、ISDの専門家の持つ気合いというのがあって、ISDの専門知識が思考の奥深くに根付いている人には、表面的にISDを学んだ人だけの人にはない気合いのようなものがその言葉にのっている。まあこれは、ISDに限らずどんな分野でも専門家全般に共通する類のものではある。ミーティングの中で「インストラクショナルデザイナーにとって重要な能力は」という話になり、柔軟性や理解力がその中の要素の一つとして挙げられていた。たしかに、私がISDを学んできた中で、これらは特に重要な要素だなと実感した。これらは、インストラクショナルデザイナーに限らず、人の間に立って仕事をする性質の専門家に共通する要素である。ISDは認知領域のインストラクションが主で、態度や意志の形成のような情意領域については、さほど研究が進んでいない。米国のISDの専門教育においても、情意領域は考慮されていないか、学習の過程で自然に身につくことを期待しているところがある。そのような中では、そういう気合を持った人のもとで学ぶことが最も有効であり、そういう人がいない場では学習者の属人性に頼ることになる。ペンステートには、意志と気合を持った善意ある専門家が研究コミュニティを形成していて、そのもとで学ぶことで院生たちもそうした情意領域が高められる。ここで言う気合というのは、精神論的な話ではなく、専門性や経験に根ざした自信や自己効力感といったものから形成される。気合だーと叫ぶのは、一時的なモチベーション高揚をもたらす。それも部分的な局面では有効だが、継続的に維持できる気合というのは、そうした気合のモデルに触れながら、技術の習得や場数を踏むことによって形成される。知識の詰め込みや、受身の学習では身につかない。そういう意味において、熊大のプログラムがLearning by Doing的アプローチを重視していることは重要で、そのアプローチがどういった形で具現化されるかをとても楽しみにしている。難度が高くて一朝一夕にはいかない課題だが、粘り強く少しずつ形にしていって、熊大独自のISD教育方法論のようなものが確立されることを期待している。
 夕飯とお土産ごちそうさまでした。

敵を欺くには..

 修了試験の最後の課題だったサポーティングフィールドのペーパーをまとめあげて、提出した。提出した時にスタッフアシスタントに「あんたが一番最初だわよ」みたいなことを言われたので、おかしいなと思いつつ、一緒に受けてる同僚と連絡を取ったら、実は〆切はその翌日だということがわかった。
 私は〆切ものに遅れないように、一日早めに自分の中での〆切を設定するようにしているのだが、時々本物の〆切を忘れて、その一日早い〆切を本物だと思い込んでしまうことがある。今回がそのパターンで、「敵を欺くにはまず味方から」ならぬ「敵を欺くにはまず自分から」という状況になってしまっている。自分が欺かれてしまっているので、本人はその偽の〆切を守ろうと必死になる。それで一日早く仕事が仕上がるので、あまった一日でブラッシュアップすればいいじゃないかと思うのだが、それがうまくやれるかやれないかが、一流の仕事人とそれ以下の分かれ目である。自分は残念ながら後者で、いったん自分の中で終わったものは、書いてる途中でダメなところが見えていたとしても、書き上げたとたんに輝き始め、直すモチベーションが非常に下がってしまう。ぐずぐずしているうちに一日が過ぎてしまって、結局は一日短い〆切に合わせてできたものがほとんど最終アウトプットになってしまう。今回は非常に重要な課題だっただけに、その一日を有効に使いきれなかった自分のふがいなさへの憤りもまたひとしおである。
 不満はあれ、まあとりあえず終わった!あとは口頭試験を残すのみ。早くパスして、博士論文研究に進みたい。

ポルトワイン

 先日、酒屋に行ったとき、たまには違うものを飲んでみようとふと思い立って、あちこちの棚を見てまわっていたら、ポルトワインが目に留まった。これは!と一番に心ひかれた。というのも、最近プレイしている大航海時代オンラインで出てくるオポルト産のポルトワインというのがやたら美味そうな感じがして、いつか飲んでみたいと思っていたのだ。ポルトガル産の輸入物はちょっと高かったので、とりあえず今回はニューヨーク産のポルトワインという意味不明な安いやつを試してみることにした。うちに帰ってさっそく飲んでみると、これがまた、美味かった!幼い頃にアニメなど見てて、海賊たちや貴族なんかが美味そうに飲んでた「ぶどう酒」の味って、きっとこんなだろうなぁ、と想像していた味そのものだった。ルビー色で、口に含むと香りと甘さが広がって、すごく飲み易くて、もうちょっと、もうちょっとと飲みたくなる味。酒を飲める歳になって、その甘くておいしいぶどう酒の味を期待して赤ワインを飲んで、なんか違う。。と思ったものだが、それからずいぶん経って、幼い頃に想像したぶどう酒は、ただの赤ワインではなくて、実はポルトワインだったんだなと知った。しかも5ドルのむちゃ安いやつで十分美味い(アルコール濃度の高いブランデーを混ぜている(発酵を止めて甘さを残すために入れる)ので、普通のワインよりも強い。飲みすぎには注意)。同じ甘いワインでも、むちゃ高いアイスワインより断然こっちの方がいい。なんだか世界が少し広がった気がして少しうれしかった。
 ところで、この大航海時代オンライン、出てくる酒も料理もやたら美味そうに見えて、なんだか嗜好がヨーロッパづいてくる(大航海時代のヨーロッパが舞台なので)。ラム酒もシェリー酒もウィスキーも、パエリアもコロッケもきのこのパスタも、どれも美味そうで、プレイしててやたら食への欲求を刺激される。最近ようやくリスボンから北欧まで行けるようになって、北欧産のアクアビット(ジャガイモの蒸留酒だそうだ)というのが出てきたのだが、この酒はこのゲームで初めて知って、これもなんだかすごく美味そうに見えて、試してみたくなった。
 こういう経験の延長線上に、バーチャルなゲーム世界とeコマースのクロスオーバーがあるのだろうなと思う。アドバゲーミングという分野が最近盛り上がりつつあるが、そこで起こっているゲーム内の看板広告みたいなせこいアプローチではなくて、もっとユーザーの心に深くアピールする、壮大なインフォマーシャル的なアプローチが可能だと思う。ゲームの世界観の中で自然にユーザーの心に届いている商品について、少しだけその気持ちを現実の商品に向けさせれば、購買に結びつく確率は高いと思うし、ブランドイメージにもプラスになる。品のないマス広告をバーチャル世界に持ち込もうという発想ではなく(まあ、それもニーズがあるのでビジネス上は大いにやるべきなんだろうけど)、ゲームの世界観を活かした方向でのマーケティングを確立していく必要がある。
 その際に活躍するのは、ゲームの世界を熟知したマーケティングプランナーである。それもちょっとかじったくらいでも、オタク過ぎてもダメで、つかず離れず、分析的な目でゲームの世界と現実世界の接点を見定めることのできる人材がベストである。さあマーケティング職志望の若者たち、今のうちにしっかりゲームで遊んでおいて、その経験を将来仕事に活かせ。

ニンテンドッグス

 昨年夏に日本に帰った時、ニンテンドーDSを購入して一緒に「ニンテンドッグス」の「チワワ」を入手した。なにも考えずに秋葉原の中古屋で買ったのだが(任天堂の皆さん、ごめんなさい)、実はこのソフトの中古版には新品にはない楽しみがあることを知らされた。どの犬飼おうかな♪とソフトを立ち上げてみると、チワワに出迎えられた。あれ?と思って情報を見てみると、前の持ち主の飼ってたチワワ「ゆきの(メス)」だった。最初は、えーどうしよう、、とか思っていたが、5分もたわむれていたらもう情が移ってしまってデータを消すのが気の毒になり、そのまま愛犬「ジョーイ(ビーグル・オス)」と一緒に飼うことにした。

 しばらく二匹を適当に世話しながら飼っていて、ある日あれこれ機能を見ていて、ドッグホテルを見てみたら、なぜか一匹預けられていた。引き取ってみると、それも前の持ち主の犬「インメルマン(ラブラドールレトリバー・オス)」だった。なんだかでかくてあまりかわいくないなぁとか思いつつ、他の二匹と遊ばせていたら、やっぱり情が移ってかわいくなってしまって、そのまま世話することにした。中古版を買ったおかげで、思いがけずして二匹の犬たちを養子に引き受けることになったのだ。

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現代の科挙試験

 修了試験の合間に、テスト理論の専門家のDr. Suenが中国の科挙試験の歴史についての講義をやっていたので聴きに行ってきた。科挙試験というと、狭い土蔵のようなところに閉じ込められて、数日間ぶっ通しで丸暗記してきた四書五経を解答用紙に書き続けるとか、カンニングのテクニックがすごかったとか、断片的な知識しか持っていなかったが、今回の講義でテストのシステムから会場の作り、テスト社会化の影響など、かなり体系に理解できた。面白かったポイントをいくつかメモしておく。
・隋の7世紀から清の20世紀初頭まで(元の時代に空白あり)、科挙試験は面々と続いて、現在の中国のテスト社会の文化はその流れにある
・科挙試験をモデルにアジア各国はもとより、ヨーロッパ各国でも試験制度が整備された
・各地の試験会場は数千人から数万人収容の施設で、カンニング防止のための厳しい監視体制が施されていた
・省レベルの試験では(科挙試験は大きく分けて県、省、首都レベルの3階層あった)、受験生は9日間に、四書五経、作詩、政治分析の3科目をそれぞれ3日間(それぞれ間に一日休み)受験して小論を書く。
・数千人から提出された小論は、数万枚にものぼるが、各会場の試験官はたったの14人で、15日以内に採点を終えないと罰せられたため、試験官たちは四書五経の試験の結果を残りの科目にも適用した。そのため結局は四書五経の出来が結果を左右した。
・その時々の政権で、答えに書いてはいけないNGワードがあって、それを使った受験生は打ち首になったり、試験資格停止になったりした。問題のあった試験会場の試験官も罰せられた
・試験に受かるかどうかで人生が左右され、受かれば郷里へはパレードで凱旋だったが、落ちればうちに帰る金もなく、落ちぶれた日々を過ごさなければならかなった
・3階層の試験全てにトップ合格した人は三元と呼ばれ、科挙の長い歴史でも十数人しかいなくて、とても稀なことからマージャンの大三元の由来となった
・文官試験と同じく武官試験も整備されたが、受験してきたカンフーマスターたちの多くは字が読めなかったので、実技はできても筆記試験が機能せずに廃れていった
・唐や宋の時代には作詩がテスト科目に入っていたのでみんな詩の勉強をして、その頃に偉大な詩人が多く輩出されたが、元以降には科目から外されたためにその後はさっぱり偉大な詩人が現れなかった
・医療は科挙の初期の頃は、試験に関わらず志される職業だったが、後期は試験でダメだった人が志す職業になった
・工業や商業は卑しいものの仕事だとされたために、長い間停滞した(紙の発明や医療技術などの中国の優れた発明はみんな科挙以前)
・西洋の物語のヒーローは、騎士や戦士などのアクションヒーローが主流だが、中国のヒーローは科挙試験の優等生
・明や清の時代の小説家(三国志、水滸伝、西遊記などの作者)たちは試験でうまく行かなかった人たち
・厳しい対策にもかかわらず、収賄やカンニングが横行してさまざまな事件が起きた
・模範エッセイを小さな字で書き込んだシャツや豆本を作るカンニンググッズの専門会社が繁栄した
・途中で受験をあきらめて地方で家庭教師をやったり、下級官吏で雇ってもらったりする人もいたが、何十年も試験を受け続ける人もいて、「プロ受験生」化したり、受験勉強だけで人生を送る多年浪人生は社会のパラサイト化していた
・科挙試験のおかげで、教育を重んじる文化が形成されたが、試験の準備=教育だった
・科挙試験の文化は現代のテスト社会に色濃く残っており、過度な受験戦争の弊害が続いている
 など、面白いエピソード盛りだくさんで話してくれた。講義を受けているのはみんな大学院の博士課程も後半の人たちなので、Dr. Suenも大学院の試験制度と科挙試験の共通点を引き合いに出しながら、笑いを取っていた。
 もし自分が科挙の時代に生まれていれば、受験もほどほどに、何か適当に金になることをやって過ごしていたかもしれない。自分はテストでうまくやるスキルはあまり高くないし、テストのための勉強は好きな科目でも苦痛でしょうがないので、これで人生の評価が決まる社会では自分はちと厳しい。何の因果か、やむなく科挙試験みたいなのをあくせく受験していたりするわけだが、もうこれ以上は勘弁である。
 講義を聞いていて、テストというのは教育のためではなくて、時の権力を維持するための機能としての意味の方が強いのだなと考えさせられた。中世の日本では中国の文化は何でもCoolなもので、制度や文化と共にこの試験制度も日本に持ち込まれたが、世襲制度が強かったために形骸化して、テストでがんばっても意味ないジャンということですぐに廃れていったそうだ。テストでがんばりさえすれば社会階層をのし上がれるというメリットはあっても、テストですべてが縛られた社会というのは生きづらい。しかも昔も今も同じく、やはり裕福な家の方が有利なのは変わらず、建前で言われているほどには実際には可能性は高くない。そして今の日本は、「いい大学にいけば、人生の成功をつかめる」という幻想も崩れてきており、テスト中心の教育システム自体が機能しなくなっている。しかしその教育システムは、テストで成功した人々が支えており、その人々はそのシステムを維持する方向にしか進めない。今さら自己否定につながることはできないし、基本的には自分がうまくやれる今のシステムが好きだから変えたくないのだと思う。
 Dr. Suenは香港人で、テスト理論研究の分野では優れた実績をもつ研究者だ。アメリカのNo Child Left Behind政策の影響でのアメリカのテスト社会化傾向を危惧して、これまでに進めてきた中国の科挙試験の歴史研究を本にまとめて出版するそうだ。その研究からの今回の講義のポイントは、テストが社会にどのような影響を与えるかということを歴史的に考察することだった。そのための題材を提供してくれつつ、聞きながら大いに楽しんだ。彼のような仕事が学者としての優れた仕事だなと思う。学問をエンターテイメントにもでき、社会問題解決への拠りどころにもできる。そう考えると、自分は研究者たりえても、勉強嫌いが災いして、学者としては厳しいなと思う。まあ、外の世界の人々からすれば、学者も研究者も同じなんだろうけど。

オーバーフローしました

 ノートPCに研究用のソフトウェアをインストールしようとしてCD-ROMを入れたら、ブィ~~ンと激しい回転音がして、「オーバーフローしました」とエラー表示が出る。なんか調子が悪いらしい。自分の頭もなんかそんな感じでやばい。車に乗れば鍵挿したままロックして詰め込んでしまうし、やかんを火にかけたらそのまま忘れて空焚きするし。何か勉強しすぎで、まさにオーバーフローしました状態。自分の能力に追いつかないことを背伸びしてやりすぎるとこういうことになる。座右の銘「無事これ名馬」を肝に銘じつつ、しばらくは怪我しないように気をつけて生活します。