熊本大学御一行様来訪

 修了試験のラストの課題を片付けたタイミングで、熊本大学の教授システム学プログラムの皆さんがペンステートを来訪。キャンパスツアーを間に挟みつつ、ペンステートの教授システム学プログラムの教授陣や院生とのミーティングを通して、こちらの様子を見ていただいた。
 ミーティングのセッティングは知恵の使いどころだったのだが、日本初のISDプログラムを立ち上げる人たちがわざわざやってくるということにどういう意味があるか、やぼな説明をせずともみんな理解してくれるので、さほど苦労せずにセッティングできた。どんな内容になるかなとやや気をもんだが、手前味噌ながらこれ以上は想像できないくらいにいい内容になった。教授陣や院生達の一言一言に、ペンステートのINSYSプログラムのよさが凝縮されていた。熊大の皆さんに、このプログラムのノリの一番いいところに少しでも触れてもらえた点だけでも、セッティングした甲斐があった気がしている。
 ISDは技術や手順な部分ばかりに目を向けられがちだが、ISDの専門家の持つ気合いというのがあって、ISDの専門知識が思考の奥深くに根付いている人には、表面的にISDを学んだ人だけの人にはない気合いのようなものがその言葉にのっている。まあこれは、ISDに限らずどんな分野でも専門家全般に共通する類のものではある。ミーティングの中で「インストラクショナルデザイナーにとって重要な能力は」という話になり、柔軟性や理解力がその中の要素の一つとして挙げられていた。たしかに、私がISDを学んできた中で、これらは特に重要な要素だなと実感した。これらは、インストラクショナルデザイナーに限らず、人の間に立って仕事をする性質の専門家に共通する要素である。ISDは認知領域のインストラクションが主で、態度や意志の形成のような情意領域については、さほど研究が進んでいない。米国のISDの専門教育においても、情意領域は考慮されていないか、学習の過程で自然に身につくことを期待しているところがある。そのような中では、そういう気合を持った人のもとで学ぶことが最も有効であり、そういう人がいない場では学習者の属人性に頼ることになる。ペンステートには、意志と気合を持った善意ある専門家が研究コミュニティを形成していて、そのもとで学ぶことで院生たちもそうした情意領域が高められる。ここで言う気合というのは、精神論的な話ではなく、専門性や経験に根ざした自信や自己効力感といったものから形成される。気合だーと叫ぶのは、一時的なモチベーション高揚をもたらす。それも部分的な局面では有効だが、継続的に維持できる気合というのは、そうした気合のモデルに触れながら、技術の習得や場数を踏むことによって形成される。知識の詰め込みや、受身の学習では身につかない。そういう意味において、熊大のプログラムがLearning by Doing的アプローチを重視していることは重要で、そのアプローチがどういった形で具現化されるかをとても楽しみにしている。難度が高くて一朝一夕にはいかない課題だが、粘り強く少しずつ形にしていって、熊大独自のISD教育方法論のようなものが確立されることを期待している。
 夕飯とお土産ごちそうさまでした。