「DS」で自作教材配信:この仕組みをどう考えるか?

 自主制作した教材をニンテンドーDSへ配信して授業やイベントなどで利用できる仕組みが提供されるそうだ。同じく、少し前に施設ガイドサービスの記事も出ていた。
任天堂、「DS」の用途拡大 学校で自作教材を配信 (Nikkei net)
東京ディズニーリゾート内の商業施設、DSが「ガイド」 (Nikkei net)
 使ってみたわけではないので、どう評価するかは使い勝手や何かを加味した上で考える必要があるのだけれども、この仕組みについてどう考えるかは、教育メディア研究のテーマとして面白いと思う。ケータイでも同様のことはできるだろうし、普及の度合いから見ればケータイの方がまだやりやすいところはあるかもしれない。この手の話は、使いやすいツールがパッケージとして提供されるかというところと、現場で利用する際の使い勝手にかなりのところ影響される。
 用途として、これで何ができるかを考えるのも面白い。授業の確認クイズだけやってもあまり面白くない。従来型の教室授業をやる中で補助的に取り入れるやり方は、実際には思うようにはうまくいかないと思う。授業中に質問を送るとかいったことはケータイでもやっている事例はあるものの、このスタイルが普及しないのは入力端末としての使いにくさや教育する側がうまく使いきれてないところにある。目新しさとデータの処理のしやすさ以上の付加価値を出すには、学習活動のデザイン自体にかなり手を入れる必要が出てくる。授業の時に配布して、授業の後に回収するというやり方だと制限が大きく、そういう形であればミュージアム見学やフィールドワークのような教室外活動での利用の方がまだやりやすい。
 教育メディアの普及の観点からみると、もともと教育の場で利用するモバイルメディアが「DSでないといけない理由」はない。むしろこういうサービス提供やそのニュースを通じたパブリシティによって「DSを使う理由」が積み上がっていって、気がつくといつの間にかDSが教育メディアとしてご指名を受ける状態になるのかもしれない。もともと敵視されていたゲーム機が教育の場に入り込んできて、逆により実用的な携帯電話が学校で必要な学習メディアとして認識されるチャンスを逸しつつあり、最近では持ち込み禁止などと敵視されるようになってきているのは対照的だ。
 こういうものについて「面白いことができそうだなぁ」とは誰でも考えるし、一つ二つアイデアを思いつくことはできるかもしれない。しかし実際にそれを実行して成功するのはものすごい労力が要る。それにたとえ一つの事例がうまくいったとしても次になかなかつながらない。今までそうやって「面白いこと」が出てこないままに消えて行ったメディアやサービスも数知れない。用途開発にも普及にもいろいろと障壁があるわけで、それらを乗り越えるには研究開発の努力が必要になる。この事実は教育の世界で軽視されがちだと思う。

「マンガで学習」文化の輸出

 大学の図書館に行くついでに、本屋に立ち寄って教育書のコーナーにマンガを見つけた。
 今回見つけたのは、テスト対策教育サービス大手のKaplanの「マンガで学ぶSAT/ACT対策ボキャブラリー」のシリーズ。日本であればたいして珍しい話でもないが、これはアメリカの本屋で売っている学習マンガの話である。
Amazon.co.jp ウィジェット
 これらの学習マンガは、Tokyopopという出版社からの既刊本のアレンジ再発版のようで、フキダシに出てくる単語の中で覚えるべきものに下線が引いてあって、横に意味や用法の解説がついている。マンガのストーリーを楽しみながらボキャブラリー学習ができるというもの。
 マンガ自体はすでにアメリカでも定着しており、「ドラゴンボール」のような人気マンガはどこの本屋でも売っているくらいだし、「デスノート」も日本での単行本発売からそれほど時間が経たないうちに英語版が出ていた。このマンガ学習本や、DSの脳トレ北米版のようなものが出ている状況を見るに、単にマンガ文化だけでなく、日本の学習文化もアメリカに伝播してきているのかもしれない。

Mind Labセミナー参加

 フューチャーインスティテュート主催の「問題解決力向上カリキュラム体験セミナー」に参加してきた。このセミナーでは、イスラエルで開発されたゲームを利用した教育プログラム「マインドラボ(Mind Lab)」が紹介され、実際にどのようなものなのかを体験するデモが行われた(別の日に開催されたこのセミナーの模様)。
 このプログラムは、パズルゲームや対戦型のボードゲームをプレイしながら、思考力や問題解決能力を高める教育プログラムとしてパッケージ化されている。イスラエルではかなりの数の学校で思考力訓練の授業で採用され、数年前から世界展開を進めているとのこと。日本ではフューチャーインスティテュートが窓口となって展開を進めている。
 今回のセミナーで体験したゲームは「ラッシュアワー」という「倉庫番」風のパズルゲームと、「コリドー」というチェス風の対戦型ゲーム。ラッシュアワーは、16パズルの駒を車にした感じで、ゲーム自体は馴染みのある形式。コリドーの方は、限られた駒を使って相手をブロックしながら敵陣に到達するという内容で、ルールはシンプルながらもなかなか戦略要素の高い対戦型ゲーム。
 ボードゲームを利用した教育ということ自体は、以前から行われているので一見するとあまり目新しくないのだが、このプログラムの肝は、学習を促すファシリテーションの方法論が構造化されたノウハウとして整理され、教育カリキュラムとして体系化されている点にある。使用するゲームも学習要素に合わせて多様なゲームが用意されている。
 ファシリテーションの構造化は、創造性と根気が必要な面倒な作業なので、ざっくりとしたガイドラインのもとでインストラクターの力量任せでやっていることが多い。このマインドラボは、利用するゲームに合わせてかなり細かく学習のポイントや学習内容を整理しており、他領域に転移させるための支援の仕方を形式知としてプログラムに組み込んでいるところに強みがあるようだ。
 実際に体験してみて、確かに効果があると思ったし、自分が親なら子どもに受けさせたいと思う内容だった。単にパズルゲームをやることだけでは完結せず、そのゲームの前後や最中のコミュニケーション、思考の支援があることで学習が促される。将棋やパズルが得意な子どもがそのゲームのスキルをメタスキルとして人生の役に立つようになるには、そのための働きかけが必要になるが、それがなければゲームの中に限られたスキルにとどまる。このプログラムは、そうしたゲームで身につけたスキルを人生で役に立つように転移させるところまでをカバーしているところがイノベーションになっている。
 このプログラムの全体像を見たわけではないので、聞いた範囲でわからないところは推測しつつ考えると、日本での展開には、とりあえず二つ大きな課題があるような気がした。一つは、従来からあるゲームを利用した教育との差異が見えにくく、その新しさや強みを説明しづらいことだ。日本にはエンターテインメントがあふれていて、ゲームもさまざまなものを身近に享受できる。そのためゲームを通した教育というのも感覚的に理解できる。しかし、そうであるがために逆に、このプログラムに従来にない効果があるということを説明するのが難しい面が生じているのではないか。商品としての問題解決力訓練プログラムは、ビジネスのための~とか、~試験対策、といった直接的な効果が明示されてないと売りにくい。マインドラボは、問題解決力や生きる力の向上という汎用性の高さに良さがある反面、ボードゲームというメディアの地味さと、学習効果を直接的に示しにくいところにビジネスとしての難しさがある。
 二つ目の課題は、日本の教育水準は中途半端に高いため、このプログラムを導入する必然性が見えにくいことだ。学力重視というと、教科学習の時間数を増やすという発想しか出てこない教育行政の下では、学校や学区への一括導入というのはなかなか大変そう。そういう頭の固い人が意思決定者だと、良さを分かってもらうのがすごく難しいだろう。むしろ日本のような国よりも、開発途上国やリテラシーの低い層に向けた展開の方がやりやすそうな気がする。
 健康増進や病気の予防のプログラムなどにも同じようなことが言えると思うが、「一般論として大事で基礎的な活動」というのは、優先順位が低くなりがちになる。だから国策や公共的なこととして扱うものなのだが、個人が求めて買う商品にはなりにくい。病気になった、試験に受からないといけない、出世に響く、といった直接的な課題に向けた商品の方が受け入れられやすく、たとえそれらに基礎的な活動の方が有効であっても、対処療法的に効きそうに見えるものの方が受け入れられやすい。良いもので必要なことだから必ずしも売れるというわけではないのが悩ましい。
 ではこのような課題がある中でどう展開していくかについては、いくつか方向性があると思うが、自分が扱うとしたら、おそらくプログラムのカスタマイズを考える。日本の流通体系に乗せやすいパッケージに組み直すことが必要で、書籍なり、Webサービスなり、集合研修パッケージなり、売り手が扱い易く、買い手が買い易い形にすることをおそらく最初に考える。そのためにプログラムの中身をよく研究して、派生的な商品開発ができる体制を整えて、日本での展開の阻害要因を減らす方向で考えるだろう。たぶんそう考えるのは、自分自身が営業マンではないので、直接的な営業力に頼らずに売る方法を考える傾向があるためなのだが、営業力の強い会社であれば営業力を頼りにする方向もあると思うし、組織が持つリソースの状況によってやりようはさまざまあるのだろう。自分自身、子どもの頃受けられたらよかったのにと思うほど、このマインドラボのプログラム自体はとても良いものだと思うので、ぜひ成功してほしいと願っている。

eラーニングデザインの10大チョンボ

 英国のeラーニング開発会社のEpicが「eラーニングに関する20項目のトップ10リスト」というのを出している。eラーニングの開発や導入に関するさまざまなトップ10が紹介されていて、そのなかに「Top 10 Design errors in e-learning」というのがある。そこであがっているのは次のようなものだ。

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ポケモンを使った小学生向けオンライン講座

 ポケモンラーニングリーグ(Pokemon Learning League)という小学生向けオンライン学習ウェブサイトがあると聞いたので見てみた。
 このウェブサイトは、小学校のカリキュラムに対応した学習内容をポケモンのアニメを使って学習する、小学生向けeラーニングサイトだ。算数、理科、ライフスキル、読み書きの4科目あって、各科目の単元ごとにポケモンアニメと問題演習が収録されている。
 各科目二コマずつ無料コンテンツが提供されているので、内容がどんなものかを試してみることができる。ひとコマのボリュームは、10分程度のアニメと、アニメで出てきた知識を確認する練習問題と、応用問題、学習時間はひとコマ30~40分程度で完結する構成になっている。

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教育用ソフトウェアは効果がない?

 米教育省が主導して実施された、学校教育用ソフトウェアの学習効果研究プロジェクトの中間報告書が先週リリースされた。これが教育メディア開発者や教育研究者の間で話題になっている。
Effectiveness of Reading and Mathematics Software Products: Findings from the First Student Cohort (National Center for Education Evaluation and Regional Assistance)
http://ies.ed.gov/ncee/pubs/20074005/index.asp
 この研究では、学校カリキュラムのリーディングと算数・数学の授業で利用されている主要な教育用ソフトウェアを対象に、全米各地の学校でそれらのソフトウェアを利用した授業と、利用しない授業(もしくは従来通りの授業)を同じ期間実施して、標準テストの結果を比較した。(この研究で使用されたソフトウェアについては、ビル・マッケンティさんのブログにリンク付の一覧が出ている)。
 レポートでは、標準テストの結果から、「教育ソフトウェアを使った授業に特に有為な変化は見られなかった」ということが結論付けられた。そのほかの主な発見として次のようなことも補足されていた。
・実験で利用するソフトウェアに慣れるために、実験前の夏休みに教師トレーニングを実施し、実施後教師たちのほとんどは、そのソフトウェアで授業をする自信がついたと答えたが、実際に授業をしてみると自信のレベルは下がった。
・テクニカルな問題は、インストール時の不具合や導入時のちょっとした混乱、ハードウェアの不具合など軽微なものがほとんどで、解消不可能な問題は生じなかった。
・ソフトウェアを利用した授業では、生徒たちは自分で練習に取り組む傾向があり、教師たちは講義をするのではなく学習促進的な役割を担う傾向にあった。
 この研究報告は、2年間プロジェクトの1年目のもので、2年目には今回不慣れな状態で授業を実施した教師たちにもう一度同じソフトウェアを利用して授業を行ってもらい、その成果の違いをみるなどの研究が盛り込まれるそうだ。
 米教育省による大規模研究プロジェクトだったこともあり、大手メディアはこぞってこの結果を報道した。その見出しには「教育テクノロジーは学習改善につながらない」「テクノロジー利用教育の効果に疑問」などという文言が並んでいる。教育メディア研究者の間でも注目が集まっていて、あちこちで取り上げられている。
 この研究結果をどう捉えるかは、よい議論のネタになる。そもそもこの研究方法が適切だったのか、この結果の出し方は適切だったのか、この結果が何を意味するのか、この結果が与える影響はどのようなものかなど、教育分野における実証研究の事例として多くの観点を与えてくれる。
 この研究に対する批判として最も目立つのは、選ばれた教育用ソフトウェアはまとめて扱われていて、よい成果を出したものもそうでないものも一緒にまとめて平均化されているところで、そんなことをしたらよい結果が出るわけではないではないか、というもの。よいソフトも悪いソフトも一緒くたにして、教育ソフトウェアを使っても学習効果は改善しないなどと言われても困る、いろんな算数の教科書で効果を調べたのに平均したら点数が悪かったので「今使っている算数の教科書は使えない」と結論付けているようなものだ、というわけだ。そんな状況で、このような分析方法と結論の出し方には疑問が残る。
 教師トレーニングが十分だったかとか、新たな授業を実施する際の導入の方法が適切だったかなどの点も考慮する必要がある。授業を行う教師は無作為に選ばれたということなので、新しい教育方法を導入する際に成功要因として重要視されるリーダーシップの問題はここでは無視されていることになる。
 報道のされ方が最も懸念されるところだ。「教育テクノロジーは効果なし」という見出しだけ見て、一般の人は短絡的に教育メディアがダメなものだと考えるおそれがある。政治家たちの教育政策に対する印象を左右して、教育予算におけるテクノロジーへの配分が減るなどの悪影響は容易に起こりうる。
 教育用ソフトウェアの売り手にとっては、厳しい状況を迎えることになると思われる。ただ、ここで対象となったソフトウェアはいずれも一昔前に開発されて10年以上使われているものばかりで、必ずしも最新のノウハウを持って開発されたものではない。そのため、次世代の教育用ソフトウェアの開発には拍車がかかって、むしろよい結果を生むということも考えられるので一概に悪いことではないだろう。
 そんな感じで、アメリカの教育工学分野は少し騒がしい感じになっている。ちょうどシカゴでAERAが開催中なので、この報告の話題が研究者たちの間で盛り上がっていることだろう。

「しゃべる!DSお料理ナビ」 レビュー

 少し前に日本で入手した「しゃべる!DSお料理ナビ」を最近よく利用している。このレシピを参照しながらここ一週間で、自分のレパートリーからは微妙に外れていた、肉じゃが、玉子スープ、ポテトサラダを作ったし、ネタに困った時のアイデア出しにも活躍している。
 このソフトは、ニンテンドーDS用のお料理レシピソフトで、200種類ほどのレシピを利用できる。紙媒体のレシピには、検索の便利さで勝っていて、従来のマルチメディアレシピには、持ち運びの便利さで勝っている。検索の方法も、料理名、食材別、テーマ別などの複数の方法が提供されている。DSのハードの特長であるペン入力が活きていて、操作性もよくて快適に利用できる。ソフトの名前の通り、料理の手順を読み上げてくれるので、読まないといけない情報量も少なくて済む。
 一般的にレシピの用途は、主に「料理のアイデア出し支援」という探索的用途と、「作りたい料理を作るために必要な情報提供」という検索的な用途があると思う。前者は紙媒体のレシピも結構強い。きれいな写真つきのレシピをパラパラと見ていれば、そのうち作ってみたい料理が見つかる。だが、後者の方は紙媒体だとあまり用を足さないことが多い。目次や索引が食材別、テーマ別、場面別など細かく分かれていても、もう一つ使い勝手が悪いし、情報を盛り込めばその分だけ重くなって使いにくくなる。
 また、料理を作る場合、かなりハードコアに料理が趣味な人でない限りは、レシピがルーチンとして生活に入り込むのはなかなか難しいと思う。普段は手持ちのレパートリーのローテーションでレシピを参照する必要はない状態で、あるときふとテレビを見ていてうまそうな料理が出てきてから作ってみようと思ったとか、ジャガイモが余っていて悪くなるから使い切りたい、などの動機から始まる。そのためあるとき思い立ってカッコいいレシピを買ったとしても、本棚でほこりをかぶって忘れ去られるということになりがちで、たまに本棚から引っ張り出して使ってみても、使い慣れていないのでかえって効率が悪くなる。レシピのCD-ROMソフトウェアは、さらに面倒で本よりも使われる頻度は下がる。かろうじて、レシピ情報ウェブサイトは、その検索性の高さのおかげで利用されやすいが、いざ使うときは紙にプリントアウトして持ち運びよくする必要が生じる。
  この「しゃべる!DSお料理ナビ」は、その辺りのデザイン上の課題をうまく消化していて、ユーザーの行動にあったデザインを提供できている点が優れている。料理のアイデア出しのためにパラパラとめくることもでき、手持ちの食材を入力して、それで作れる料理を検索できる。キッチンに持ち込んで、手順を参照しながら利用することもできる。DSでレシピという新規性だけでなく、この辺りの利便性が付加価値となっていることが人気の理由の一つになっていると想像できる。
 学習支援的な要素も多い。作ったことのない料理を、手順通りに作れば美味しくできるというのはもちろん実現している。さらに、「お料理事典」として、切り方や下ごしらえの方法を項目別にしてあって、「たんざく切りってどうやるんだろう?」、「ごぼうのささがきってってどうやるの?」といった技術的な疑問も実演映像を見ながら解消できる。手持ちのレパートリーの料理においても、それまで我流で適当にやっていたところを、より簡単な方法やもっと上手に味を調える方法を教えてくれたりするので気づかされることも多い。以前は特に火加減調節はあまり気にせずに作業することが多かったが、レシピの指導のおかげで気をつけ方がわかってきた。
 いくつか利用上の制約はある。実際にキッチンにおいてみると、結構水が飛んでDSがぬれることもあるのが気になる。それに音声認識が包丁でトントンと野菜を切る音を拾ってしまい、ナビゲーションのシェフのおじさんが「ん?」といちいち反応してくる。次に進む時は「オッケー」と言ってページをめくるのだが、これも途中でうざくなってペン入力でバシバシ飛ばして進むようになってしまう。この辺りは、キッチンで利用することを想定して作られていても、100%想定通りに機能しているわけではない。
 それでも、これまでのいかなるレシピ媒体も凌ぐ利便性を提供しているし、マルチメディアレシピソフトウェアとしては、媒体ごとキッチンに進出できた初めてのレシピソフトではないかと思う。
 つい先日、コーエーが「しゃべる! DSお料理ナビ まるごと帝国ホテル」を発売すると発表された。これも本作の利便性を踏襲しつつ、家庭で帝国ホテルの有名レストランの料理を作れるようにアレンジしたレシピが提供されるということなので期待できる。
 このソフトに見られる、「ゲーム会社が主導して、ゲームで培ったインタラクティブメディアのノウハウを活かして、従来は接点のなかった業界と協力して社会に付加価値を提供する」という動きは、欧米ではシリアスゲームの枠組の中で起こっていることだが、まだコンシューマ市場でのビジネスモデルを確立するには至っていない。その一方で日本では、シリアスゲームの普及より先に、その精神とするところがよく実践され、ビジネスモデルも示されている。この辺りに任天堂をはじめとする日本のゲーム会社の持つ強みは活きており、高度な大作ゲーム分野で敗色が濃くなっている日本のゲーム会社の活路の一つがここにあるのかもしれない。

スーパーエッシャー展のDS Lite鑑賞ガイド

 Bunkamuraのスーパーエッシャー展に行ってきた。行った日がちょうど土曜の夕方だったこともあり、えらく混んでいて個人的には観るのがたいへんだったけども、こういう美術展にたくさん人が集まることは良いことだと思った。入り口から出口までずーっと人の群れが途切れず、有名作品の前では、作品を見るというよりも、その前に群れている見ている人を見ている感じになっていた。
 このイベントでは、ニンテンドーDSLiteを鑑賞ガイドに使っていた。話に聞いてちょっと楽しみにしつつも、どうせ台数が足りなかったりするんだろうと、あまり期待していなかったのだが、余裕で貸してもらえた。この混雑に十分対応できるだけの台数を用意していて、それを追加料金無しで利用できるのはえらい。
 使ってみると、結構良く作ってあって、このガイドのおかげで鑑賞の楽しみが増した。インターフェイスはDSのシンプルさをうまく活かしていて、使いやすいガイドになっていた。基本的な内容は、主要作品の解説と、順路の指示が音声とビジュアルで提供されるというもの。作品の細部を拡大して見つつ、音声で解説が聞けるので、これ単体でも十分楽しいくらい。変にゴテゴテと機能を盛り込まず、誰でも使える範囲でできることをシンプルに、きっちり作っていたのが好感が持てた。
 この鑑賞ガイドは、混雑した状況下ではさらに効果を発揮していた。列の動きが遅くて待ち時間がちょくちょく発生するので、次の作品を見るまでに予習や退屈しのぎができた。それに美術の教科書に出ているような有名なだまし絵の作品のところは細部を見れるほどには近づけなかったりしたので、そこではDSの方で解説を聞きながら拡大してみることで、十分に楽しむこともできた。音声のみのガイドにはない強みがあって、それは混雑時にはその強みはさらに活きていた。
 この鑑賞ガイドの難点をあげれば、音声を聞くためのヘッドフォンが煩わしかったこと。コードがぶら下がっていると機動力が下がって快適度が下がる。今回は誘ってくれた人と一緒に二人用ヘッドフォンというのを使っていたのだが、迷子ロープでつながって二人三脚をしているような状態だった。カップルで利用するにはこれはこれでよいのだろうし、たぶん対象ユーザーとしてカップルが想定されたものなのだと思うけど、子どもと親とか、ペースの違うカップルとか、孫とばあちゃんだったりすると結構面倒かもしれない。ヘッドフォンの煩わしさでユビキタスという感じを損なってはいたが、最近出始めているブルートゥースのワイヤレスヘッドフォンがこなれてコストが下がってくれば、かなり解消できる問題ではある。
 それとこの手のミュージアムで利用されるメディアの共通の課題として、どうしても独りでの利用が前提になり、来場者同士のコミュニケーションは阻害されてしまうことだ。おしゃべりせずに独りで静かに作品と向き合いなさい、という発想であれば利用者をそう方向付けるという点で優れているとは思うが、普通は一緒に行った人と作品を媒介にコミュニケーションがあった方が楽しみが増す。このDS鑑賞ガイドは、一緒に覗き込みながらいじったりできて、今までのメディアにないインタラクションが見えてきている。この部分の遊ばせ方を工夫すれば、ミュージアムでの教育メディアの新しい形になると思う。
 鑑賞ガイドだけでなく、もちろんエッシャーの作品もとても楽しめた。完成した作品だけでなくて、その準備中の下書きみたいなものも豊富に展示されてあったのがよかった。方眼紙やトレース紙のようなものに描かれた綿密な下書きを見ていると、こうしたアート作品も感性だけでなくシステムとして組まれているんだということに気づかされる。個人的には有名作品よりも、寓話絵や少年マガジンの特集の紹介、若い頃や有名作品の合間に作られた小ネタ作品をたくさん見れたのがよかった。展示が豊富なおかげで、エッシャーのマンガ家っぽいところや、職人っぽいところも見ることができたのもよかった。
 混雑にもかかわらず、これだけ楽しんで、良い経験ができたのはDSの鑑賞ガイドが力を発揮していたおかげも大きいと思う。このような場のための教育メディアを開発する際の目標の一つは、混雑やら何やらの阻害要因を軽減しながら、鑑賞経験を豊かにするためのサポートをすることなのだというのがよくわかった。

日本人英語:Engrish

 先日、You Tubeにアクセスしたら「ALL YOUR VIDEO ARE BELONG TO US」という変な表示が出るだけでアクセスできなかった。ダウンしたのかメンテ中なのかと不思議に思っていたら、そのことを書いた記事が出ていた。どうやら表示されていたメッセージは、以前流行ったEngrish(「日本人が使う変な英語」を意味するスラングで、EnglishのLがRになっているのは、RとLの発音の区別ができない日本人の特徴を示しているとのこと)のフレーズ「All your base are belong to us」をアレンジしたジョークだということだった。
 笑える半面、なんだかこういうのを見ると日本人として、「むかー!バカにすんな!」という気もする。それに加えて、そういう間違いを日頃重ねている自分への皮肉もこもった苦笑がこみ上げてくる。
 LとRについて言えば、普段何気に手が覚えていて間違えないで済むスペルでも、ある日急に「これLだったかな、Rだったかな??」とあやふやになることが結構ある。パソコンで作業していればスペルチェックや辞書サイトでカバーできるし、Googleも「これのことですか?」とスペル間違いを指摘してくれる。
 しかし、手書きで何かやらないといけない時は、そうもいかず、適当に書いて後で違っていたのに気づいて恥ずかしい思いをしたりとか、そういうことを数えていたらきりがない。それに、間違っていれば教えてくれるスペルチェックも、たまたまその間違えたスペルの単語も存在する場合は、スルーされてしまって機能しない。そしてそういう時に限ってひどい間違いだったりする。
 前にコース課題で簡単なオンラインテスト教材を作った時にそんなことがあった。「空欄を埋めなさい」の意味で「Fill in the brank」と表示させた。クラスのプレゼンでその教材を見せながら説明して、席に戻ったらクラスメートがすました顔でメモを渡してくれた。そこには「からかうつもりではないのだけど、brankというのは、大昔の拷問の道具のことだよ。」と書いてあった。一瞬何のことかわからなかったけど、”Blank” と書いたつもりで、何度も”Brank” を使っていたのに気づいた(Googleのイメージ検索をして見ると、どんな道具か出てくる)。気づいた時は恥ずかしさ以上に、可笑しくてしょうがなくて、その後ずっと笑いをかみ殺して授業を受けていた。
 このBrankをGoogleで日本語ページ検索してみると、66200件もヒットする。そのほとんどがBlankのつもりで間違って使っていて、拷問道具のことを書いているページというのは見当たらない。あぁ、これぞEngrish。。なわけだが、こんなことで脱力している場合でもない。
 どの言語圏にも苦手な発音というのはある。韓国人も「ふ」が全く発音できず、全部「ぷ」になってしまうし、同じ英語圏でもそれぞれの地域のアクセントの特徴をからかってみたり揚げ足を取ったりということはいくらでもやっている。日本語でも、中国人の日本語を「。。ナイアルヨ」と誇張してみたり、「インディアン、ウソつかない」みたいなステレオタイプなことで遊んでいることはいくらでもやっているし、田舎の方言をまねて遊んでみたりすることは普通なので、それと同じことである。
 LとRの混同の話は、日本人英語の話ではまず出てきて、これが直らないと英語はいつまでたっても上手くならない、みたいなことがよく言われるけれども、決してそんなことはない。もちろん、きれいな英語を使わなければならない職業につくのであれば、直す必要があるだろうし、直した方が英語の吸収も早くなるのかもしれない。でも多くの場合は、直せないままでもなんとかやっていけるし、慣れていく中で自然と直っていく部分もあるので、考えすぎないのがいいと思う。
 「日本人のヘンな英語」については、これもGoogle検索するといろいろ出てくる。Tシャツの意味不明な英語とか、お菓子やジュースのカタカナ英語が実はすごい変な意味だったりするとか、笑いのネタは果てしない。でも同じようなことをアメリカ人もいっぱいやっていておたがいさまなので、これもあまり気にしなくてもいいのかなという気もする。日本食レストランのヘンなインテリアとか、若い兄ちゃんのヘンな漢字のイレズミとか、これも笑いのネタが果てしなく続く。
 日本人は「恥の文化」なので、からかわれるとマジにキレる人とか、恥ずかしさの余りトラウマになってしまう人とか、そういう恥ずかしい目に合わないようにガードが固くなりすぎる人とか多くなりがちだけど、アメリカ人の文化として(これもアメリカに限った話ではないけれど)、親しくなるために人をからかったり、揚げ足を取ったりするところがあるので、その辺の文化の違いを考えて、あまりシリアスに受け取りすぎないのがいいんじゃないかと思う。からかわれるのは自分が集団の中で認められてきた証拠、くらいの気分で楽しんでいくくらいの方がよいと思う。
 私自身、そういう風に捉えられるようになったのは、こちらに来てずいぶん経ってからなので、それまでは何かあるたびに恥ずかしくて立ち直れないような思いをしたことは数知れない。でもだんだんどうでもよくなってくる。それが慣れということなのかもしれないし、それが学習を阻害している面もあるかもしれないけど、全てを完璧に学べるわけでもないし、どこかの部分の学習を安定させるためには、他の部分をある程度切り捨てるというか、ある種の割り切りも必要なのだろうと思う。

スクール・オブ・ロック

 先日、夕食の後、テレビで映画「スクール・オブ・ロック」をやっていたので久しぶりに観た。ジャック・ブラックの演じるバンドマン崩れのさえない男(デューイ)が、肩書きを偽って代行教員になって小学校でクラスを受け持ち、子ども達をロックに洗脳しながらバンドを始めさせ、コンテストに参加する、という筋書きのコメディ映画である。
 作り手のロックへの愛情が注がれていて、クスッと笑えるマニアックな小ネタがたくさんちりばめていることもあり、ロックファンには評価が高い映画だが、「学校教育風刺もの」の映画としてもかなり興味深い点が多い。ロックの小ネタと同じように、教育学の小ネタがちりばめられている。実験的な教育を行なう主役の名前からして「デューイ」である。この手の学校ものではお約束の、お堅い校長や親たちとのやり取りにも、現代の学校教育の問題への風刺が効いていて、愉快である。メリル・ストリープ主演の「ミュージック・オブ・ハート」やジュリア・ロバーツの「モナリザ・スマイル」、それとロビン・ウィリアムスの「いまを生きる」と同様、学校教育や教師のあり方をテーマを扱いながら、感動の質では同等、笑いや風刺の鋭さが加味されて、これらを凌ぐ作品と言ってもよいと思う。
 学校教師や教育に関わる人たちにはぜひ観てもらって、何が語られているかをよく考えてほしい映画です。「いまを生きる」に感動した人は、この映画からも同質の感動を笑いと共に得られるし、ここに挙げた4作品を見比べてみるととても面白いでしょう。また、教育学や教職課程の授業を持っている方には、教材として利用するのにもってこいの映画です。