大学院生という肩書き

 東大の中原さんが「人は見かけで」というエントリを書いていて、そうだよな、と納得しつつ、人は見かけの次に肩書きで判断するという話で返歌を。
 私の今の肩書きは、あれこれ工夫してつけることはできても、大きな括りでは「大学院生」である。うまくいけば、あとちょっとで「博士課程修了」の身分にはなるのだけども、それでも学位をとることを主目的に大学院にいる限り、とりあえずは大学院生である。
 学会のような仕事とは関係ないところで、日本の主に中高年男性、特に地方の人と話をする機会があると、ありがちなのが、アメリカの大学院で研究している、と聞いて、なんだかエライ先生なのかもしれないがよくわからない人だなと、腫れ物の周りをそっと触るような感じで居心地悪そうに接せられる。そしてどこかのタイミングで、大学院生=学生さん、あぁ学生さんね、とその人の中で腹に落ちた瞬間に、急に態度がえらそうになったり、中には、学生たるもの云々、と説教を始めてくる人がいたりする経験を何度もしている。最初はこちらもその度にムカッとかしていたのだが、最近はそういうものだと思って笑いながら相手をしている。
 この話は、ネット上の方がわかりやすい。Mixiなんかをやっていると、とりあえずプロフィールは「大学院生」とでるだけなので、相手は自分の持っている大学院生のステレオタイプなイメージでもって、こちらと接してくる。多くの場合そのイメージは「学部を出てとりあえず院に進んだ、世の中を知らない未熟な若者」というものなので、相手はこちらがサラリーマン経験のある30過ぎのおっさんいい大人であるということなどまるで想定していない。20代後半くらいの人から偉そうな態度で接してこられることも珍しくない。「大学院生には、ちょっと厳しい突込みを」なんていう態度で無礼なことを言ってくる人もいる。そういうのをいちいち相手にしているときりがないので放置しているのだが、たまにはあまりにムカッときて皮肉のひと言も言いたくなることもある。私は海外にいるのでその被害は少ないが、日本にいて社会人を経て大学院で学ぶ人たちには、この社会的な大学院生に対する未熟者イメージは嫌な感じだろうなと気の毒に思う。
 この問題は、「見た目や年齢や肩書きで相手を判断して、上下関係を決める」という日本の文化的な習慣に対して、大学院生という肩書きが学生という枠の中でしか捉えられていないことから生じていると思う。もちろん、大学院生の側にも社会から低く見られてしまう原因はある。いわゆる学生気分で、プロとして貢献する意識が低かったり、成果に対する甘さがあったりすることが、社会的な「所詮は学生だから」という評価に甘んじる理由であったりもする。社会からの評価が低いので、大学院生もそれに甘んじる、甘んじているから社会からの評価は低いまま、という悪循環が存在する。それは寂しい話で、大学院生は単に学ぶだけの存在ではなく、専門家コミュニティの一員であって、一人の専門家だという認識を社会的に共有できた方がメリットは大きい。
 役割が人を育てるという面はおおいにあって、若くても社長やマネージャーになれば、下っ端社員として扱われるよりもずっと力強い人材に育つし、受け持つ責任の度合いや役割の性質に応じて、成長の仕方や速度も変わる。大学院生は修士一年でも博士3年でも未熟な学生、という扱いでは、後半に行くほどデメリットは大きいし、修士一年でも扱い方によってはうんと育つものが育たない。社会人が大学院で学ぶ際には、今まで育ってきたものを打ち止めにして負の成長を引き起こしてしまうことにつながる。なのでこういった大学院生の肩書きに対する社会的イメージは何らかの形で変えていく必要があるなと思うし、少なくとも自分が日本で大学院生と関わる立場になった場合は、そうした意識を持って臨みたい。
 アメリカの大学院で生活することの気楽さは、見た目や年齢や肩書きに縛られる窮屈さから解放されていることによるところが大きいなとあらためて感じている。大学院生の肩書きがすごいものではないにせよ、専門家の一員であることに対して、敬意を持って接してくれる。この点だけでも、コミュニケーション面での窮屈さを補って余りあるくらいな気がする。
 とまあ、返歌のつもりで書き始めたのだけど、なんだか少し長くなってしまってすみません。超字余りというところで。

大学院生という肩書き」への5件のフィードバック

  1. まさにおっしゃるとおり、我が意を得たりという
    感じです。
    >「大学院生には、ちょっと厳しい突込みを」
    >なんていう態度で無礼なことを言ってくる人もいる。
    僕も大学院生の頃、ずいぶんやられました。
    半分おちょくったような質問をされたり、
    そもそも研究の意味がないと断罪されたり。
    不思議なもので、就職するとこの手の質問は
    なくなります。
    なかはらじゅん

  2. > 不思議なもので、就職するとこの手の質問は
    なくなります。
    そうですね。これもよくわかります。
    題名は忘れましたが、幼い頃に読んだ絵本で、ある日王様が薄汚い着物でレストランに行ったらすごい雑な扱いを受けて追い出されてしまって、また別の日に王様の格好で同じ店に行ったら賓客待遇を受けたので、あきれた王様が自分の服に食べ物を食べさせて皮肉った、という話を思い出しました。
    社会の本質を突いたいい絵本だったんだなと思いました。

  3. 医学系だとさらにややこしいことになります。
    医学系博士課程、というと医者だと思われるのですが、
    研究室によってはそうでない人間も結構居るので
    企業の方などから最初「先生」と呼ばれるわけです。
    が、そのうち単なる看護師あがりやSEあがりだとわかると
    途端に「先生」と呼ばなくなる人がいました。
    (別に先生と呼ばれたいわけじゃないんですが)
    本人が若く見える人や女性だと尚更。
    確かに米国ではそういうのが無くて大変居心地が
    いいというか気が楽ですね。

  4. とりあえず先生と呼んでおけば無難だろう、というところなのかもしれませんが、なんか感じ悪いですよね。
    アメリカは公式な場や、あまりにえらい人にはDr. なんとかと呼びますが、親しくなればみんなファーストネームなので楽なものですね。
    Dr.なのかどうかわからなくて困る場面はあったりしますが。

コメントは停止中です。