妹尾堅一郎著「アキバをプロデュース」

 この新書は、産学連携プロデューサーとして活躍する妹尾堅一郎氏が、秋葉原再開発の産学連携事業の立ち上げからこれまでの成果をまとめた著作。
 慶應大学の「丸の内シティキャンパス」や東京大学の「知財マネジメントスクール」、日本弁理士会の「知財ビジネスアカデミー」など、ビジネスと学術をつなぐ先端的な学びの場をプロデュースしてきた妹尾氏が、「秋葉原再開発における産学連携」というテーマをその手腕でどう料理してきたか、本人の振り返りを通して事細かに語られている。産学連携に携わる研究者や産業人はもちろんのこと、どんな分野でもプロデュースを志向する人には得るところの多い、多くの知見に満ちた一冊。

(「アキバをプロデュース 再開発プロジェクト5年間の軌跡」目次より)
第1章 変貌をとげる「アキバ」
第2章 秋葉原とアキバ テクノとオタクの街の特徴
第3章 秋葉原クロスフィールド構想
第4章 アキバテクノタウン構想
第5章 安心して楽しめる街づくりへ

 従来の都市再開発や産学連携がなぜうまく行かないかを示しながら、秋葉原という地域の特性を活かした再開発をどう進めてきたか、そのプロセスにおけるコンセプトの着想や実現までの苦労が活き活きと語られている。かなり込み入ったことも書かれているのに痛快で気軽に読めるのは、著者の文才や編集者の腕前によるところなのだろう。
 優れたプロデューサーというのは、コンセプトを簡潔に示すキャッチフレーズを作るのがうまい。この本から、著者が学術とビジネスのちょうど交わるポイントを的確にかつ簡潔な言葉で表しながら、多様な関係者が関わるプロジェクトの舵を取っていた様子が伺える。
 下記の記事には、本書で語られている内容の一部が紹介されている。こういう話に興味を持つ人であれば、本書は間違いなくオススメ。
クロスフィールド仕掛人は、この人!──妹尾堅一郎が語る「アキバをプロデュース」(ASCII.jp)
http://ascii.jp/elem/000/000/085/85802/
「アキバは現代の高野山」――“アキバプロデューサー”妹尾堅一郎が語る(ITmedia)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0803/13/news051.html
 妹尾氏の著作では、大学院入試準備のための必携の一冊としてロングセラーを続けている「研究計画書の考え方―大学院を目指す人のために」も研究計画の構想の考え方を学ぶにはとてもよい本なのでオススメしたい。

DS学習・実用系タイトルの販売状況

 iNSIDEに次のような記事が出ていた。
米大手ゲーム小売店、上位4メーカーで売上の65パーセント(iNSIDE)
http://www.inside-games.jp/news/282/28226.html
 ゲームソフトの販売が大手メーカーのタイトルにかなり集中しているようだが、ニンテンドーDSに絞ってみてみると、さらにその傾向は高まる。先日、「テレビゲーム産業白書」に寄稿するために、メディアクリエイト総研が出している販売データのうちのニンテンドーDSの学習・実用系タイトル分を調べたなかにもその傾向がはっきり出ていた。紙面の都合で準備したネタを結構ボツにせざるを得なかったのだが、2007年分までの集計のため、放っておくとネタが古くなってもったいないので、ここでそのさわりだけでも紹介しておく。

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渡米~活動再開

 ステートカレッジの自宅に戻り、活動を再開。冷蔵庫が空だったので買出しに行き、12時間寝て移動の疲れを取って、ようやく頭が機能し始めた感じ。ついてないことや思うように行かないこともあるけれど、そういうことに引っ張られず、やるべきことを地道にやるのが近道だと信じて前に進もうと思う。

明日から渡米

 明日から再びアメリカへしばらく出かけてきます。今度は夏に本格的に帰国する予定で準備を進めております。
 今回も日本にいる間にいくつか原稿を書きました。
 まず、「テレビゲーム産業白書2008」に「欧米と日本のシリアスゲームの動向」と題した論文を寄稿しました。シリアスゲームの定義についての考え方、ニンテンドーDSの学習・実用系ソフトの販売データから読み取れる傾向など論じています。高い本なので、仕事でないと買えない感じですが、もし手にする機会がありましたらどうぞご覧ください。
 財団法人デジタルコンテンツ協会の実施した「シリアスゲームの現状調査」の報告書でも、欧米のシリアスゲームの動向について書いています。こちらは、米国と欧州のシリアスゲームの動向を対比して、それぞれの特徴について論じています。この報告書は、教育分野、ゲーム業界の著名人へのインタビューなど、かなり読み応えのある内容になっています。報告書は同協会の会員の方や関係機関などに配布されるそうで、一般公開されるのかどうかを確認できていませんが、公開されたらまたご紹介します。
 それと、秋頃出版予定の教育系の学術書にもシリアスゲームネタで1章書きました。こちらもお知らせできるようになったら詳細をご紹介します。
 今回は博士論文研究のための活動にかなり時間を割いて、どうにか終わらせるメドが立ちました。論文とは直接関係のない活動を並行して進めながらの研究活動は遅々として進まず、やはりもう少しやりやすい研究をまとまった時間を集中してやるべきだったかなと反省しつつ、ここまで来てしまったからにはあとは何とか乗り越えるしかないなというところ。学位取得というのは、いろいろと制約が多い中で研究をやりきることに意味があるのだろうとつくづく思います。早く帰国後の活動に移りたいと気がせいているところでありますが、最後のもうひと踏ん張りでなんとか片づけてきたいと思います。

我が家の Wii Fit

 少し前に日本版のWiiとWii Fitを一緒に買った。アメリカではたしか5月発売で、まだWii Fitは売ってないので、Wii Fitは今回初めてプレイした。
 パッケージとしてよくできていて、操作に変な混乱やストレスがない。まず製品としての完成度が高い。これがまさに、新さんの連載記事で解説されているような任天堂クオリティなのだなと思う。
 ゲームデザインの工夫の観点から見ても面白い。重さとバランスを認識するバランスボードのシンプルな機能とゲームのグラフィックの組み合わせで、これだけ多様なゲームが作れるところに感心させられる。このツールでゲームを考えろと言われても、「座禅」ゲームはなかなか思いつかないだろう。ほかにどんなゲームができるかを考えると、ゲームアイデアを考えるよいトレーニングになると思う。
 うちでは、もっぱら妻が利用していて(今も後ろで夢中になってやっている)、僕自身はたまに身体があまりにも鈍ったときの気晴らしか、体重量りついでに軽く遊ぶ程度で利用している。このソフトへの反応を外で聞いても、女性の方がハマっているようで、テイストや仕掛け的には女性の方にアピールしているようだ。ゲームとしては個人的にそこまでハマってないのだが、身体を動かすきっかけとしては重宝している。
 Wiiが従来のゲーマー層(最近自分はWiiのターゲット層ではないことを意識させられるようになった)ではなく、ノンゲーマーやカジュアルゲーマー層をターゲットにしていて、Wii Fitもその路線で成功していることがわかる。Wii Fitを前にした我が家の一コマもそんな感じである。発売前の評判では、デカイとか周辺機器は売れないとか言われる向きはあったものの、即座に100万本以上売れてしまった。
 どのような分野でも、イノベーションに対する下馬評というのは、あてにならないもので、WiiやこのWii Fitはそのようなイノベーションになっているのだろうと思う。たんに目新しいものを作れば売れるというわけではなく、よい製品の開発とそのよさが認知されるためのプロモーションに手を抜かないこともそのイノベーションの一部になっていることを見落としてはいけない。
 Wii Fitは、ゲームとしては本格的なゲームタイトルと比べると見劣りがするし、運動としても本格的にジムで運動するほどにはならない。なのでコアゲーマーにも、激しく運動したい人にも物足りない。だが、このソフトのターゲットは、その間にいるどちらでもない人々だ。時間のかかる本格ゲームをじっくりやるほどの気合いはないけど程よく楽しみたい、ジムに行くほどではないけど、運動するきっかけがほしい、という層がユーザーとなっている。セールスを見ればその層がいかに厚いかということだろう。
 ゲームもフィットネスも、まだ満たしきれていないユーザーニーズが広がっていて、そこにアピールする製品を投入すれば新たな市場が形成される。それも一朝一夕にできるものではなく、能力の高い人々がチームになってギリギリのところで試行錯誤を重ねてようやく生み出されている。次のインタビュー記事にそのような開発の苦労が紹介されている。
社長が訊くWii Fit
http://wii.com/jp/articles/wii-fit/crv/vol1/
 このWii Fitで家族のコミュニケーションが生まれ、身体のバランスへの意識が生まれる。体重管理や身体機能改善の補助として機能する。健康のための導入的ツールとしては、これ以上のものはないのではないか。だがあくまで導入や補助として考えるほうがよくて、これですべてを満たそうとしない方がよいだろう。本格的に運動したくなれば、広いスペースと専用の設備のあるジムに行く方がよい。すべての運動ニーズに答えようとするのでなく、どの範囲のニーズにこたえるべきかをはっきり意識して作られたものだということが、上の記事からもわかる。あれもこれもやろうとゴテゴテ盛り込むのでなく、目的をシンプルに設定して、設定した範囲のなかでいかによいものにするかを掘り下げて考えるというところに強さがあるように思う。

Mind Labセミナー参加

 フューチャーインスティテュート主催の「問題解決力向上カリキュラム体験セミナー」に参加してきた。このセミナーでは、イスラエルで開発されたゲームを利用した教育プログラム「マインドラボ(Mind Lab)」が紹介され、実際にどのようなものなのかを体験するデモが行われた(別の日に開催されたこのセミナーの模様)。
 このプログラムは、パズルゲームや対戦型のボードゲームをプレイしながら、思考力や問題解決能力を高める教育プログラムとしてパッケージ化されている。イスラエルではかなりの数の学校で思考力訓練の授業で採用され、数年前から世界展開を進めているとのこと。日本ではフューチャーインスティテュートが窓口となって展開を進めている。
 今回のセミナーで体験したゲームは「ラッシュアワー」という「倉庫番」風のパズルゲームと、「コリドー」というチェス風の対戦型ゲーム。ラッシュアワーは、16パズルの駒を車にした感じで、ゲーム自体は馴染みのある形式。コリドーの方は、限られた駒を使って相手をブロックしながら敵陣に到達するという内容で、ルールはシンプルながらもなかなか戦略要素の高い対戦型ゲーム。
 ボードゲームを利用した教育ということ自体は、以前から行われているので一見するとあまり目新しくないのだが、このプログラムの肝は、学習を促すファシリテーションの方法論が構造化されたノウハウとして整理され、教育カリキュラムとして体系化されている点にある。使用するゲームも学習要素に合わせて多様なゲームが用意されている。
 ファシリテーションの構造化は、創造性と根気が必要な面倒な作業なので、ざっくりとしたガイドラインのもとでインストラクターの力量任せでやっていることが多い。このマインドラボは、利用するゲームに合わせてかなり細かく学習のポイントや学習内容を整理しており、他領域に転移させるための支援の仕方を形式知としてプログラムに組み込んでいるところに強みがあるようだ。
 実際に体験してみて、確かに効果があると思ったし、自分が親なら子どもに受けさせたいと思う内容だった。単にパズルゲームをやることだけでは完結せず、そのゲームの前後や最中のコミュニケーション、思考の支援があることで学習が促される。将棋やパズルが得意な子どもがそのゲームのスキルをメタスキルとして人生の役に立つようになるには、そのための働きかけが必要になるが、それがなければゲームの中に限られたスキルにとどまる。このプログラムは、そうしたゲームで身につけたスキルを人生で役に立つように転移させるところまでをカバーしているところがイノベーションになっている。
 このプログラムの全体像を見たわけではないので、聞いた範囲でわからないところは推測しつつ考えると、日本での展開には、とりあえず二つ大きな課題があるような気がした。一つは、従来からあるゲームを利用した教育との差異が見えにくく、その新しさや強みを説明しづらいことだ。日本にはエンターテインメントがあふれていて、ゲームもさまざまなものを身近に享受できる。そのためゲームを通した教育というのも感覚的に理解できる。しかし、そうであるがために逆に、このプログラムに従来にない効果があるということを説明するのが難しい面が生じているのではないか。商品としての問題解決力訓練プログラムは、ビジネスのための~とか、~試験対策、といった直接的な効果が明示されてないと売りにくい。マインドラボは、問題解決力や生きる力の向上という汎用性の高さに良さがある反面、ボードゲームというメディアの地味さと、学習効果を直接的に示しにくいところにビジネスとしての難しさがある。
 二つ目の課題は、日本の教育水準は中途半端に高いため、このプログラムを導入する必然性が見えにくいことだ。学力重視というと、教科学習の時間数を増やすという発想しか出てこない教育行政の下では、学校や学区への一括導入というのはなかなか大変そう。そういう頭の固い人が意思決定者だと、良さを分かってもらうのがすごく難しいだろう。むしろ日本のような国よりも、開発途上国やリテラシーの低い層に向けた展開の方がやりやすそうな気がする。
 健康増進や病気の予防のプログラムなどにも同じようなことが言えると思うが、「一般論として大事で基礎的な活動」というのは、優先順位が低くなりがちになる。だから国策や公共的なこととして扱うものなのだが、個人が求めて買う商品にはなりにくい。病気になった、試験に受からないといけない、出世に響く、といった直接的な課題に向けた商品の方が受け入れられやすく、たとえそれらに基礎的な活動の方が有効であっても、対処療法的に効きそうに見えるものの方が受け入れられやすい。良いもので必要なことだから必ずしも売れるというわけではないのが悩ましい。
 ではこのような課題がある中でどう展開していくかについては、いくつか方向性があると思うが、自分が扱うとしたら、おそらくプログラムのカスタマイズを考える。日本の流通体系に乗せやすいパッケージに組み直すことが必要で、書籍なり、Webサービスなり、集合研修パッケージなり、売り手が扱い易く、買い手が買い易い形にすることをおそらく最初に考える。そのためにプログラムの中身をよく研究して、派生的な商品開発ができる体制を整えて、日本での展開の阻害要因を減らす方向で考えるだろう。たぶんそう考えるのは、自分自身が営業マンではないので、直接的な営業力に頼らずに売る方法を考える傾向があるためなのだが、営業力の強い会社であれば営業力を頼りにする方向もあると思うし、組織が持つリソースの状況によってやりようはさまざまあるのだろう。自分自身、子どもの頃受けられたらよかったのにと思うほど、このマインドラボのプログラム自体はとても良いものだと思うので、ぜひ成功してほしいと願っている。

学習会議@NHKに参加

 百式ブログで有名な田口元さんプロデュースの「学習会議@NHK」に参加してきた。
 ブロガーと学習ってどんな感じの内容なのかな、とイメージがわかないままに、教育番組の制作の話が聞けるというので参加してきたが、参加してみて納得。ブロガーと協力企業の双方のニーズの落としどころをリンクさせた、コラボ×プロモセッションだった。
 冒頭の趣旨説明、4月から始まるNHKのテレビ中国語講座「テレビで中国語」の制作者の方による番組紹介と制作の話、番組出演者のタレントさんが出てきての中国語ミニレッスン、参加者ディスカッションと共有、懇親会と、約2時間半の間にギュッと詰まった、密度の濃いイベントだった。途中に2回休憩やグループ作業を入れても、きちんと仕切れば短い時間でこれだけできるのだなと感心した。田口さんの仕切りもNHKエデュケーショナルの関係者の方のサポートも細やかに気が利いていて、楽しんでいるうちになんだかあっと言う間に終わった感じの、参加していてとても気持ちのよいイベントだった。
 議論の題材となったNHKの「テレビで中国語」制作の話として、中国語学習を普及させる際に障壁となる課題と、その対策としてどのような制作上の工夫を盛り込んだかをご紹介いただいた。
1. 発音の難しさ=>ラップ音楽にのせて発音練習するおまけコーナー
2. 文法の難しさ=>文法の構造をビジュアル表現
3. ネガティブな対中感情=>文化紹介コーナーの充実
4. 話す機会の少なさ=>書き込み式テキスト、NHKの語学学習サイト「ゴガクル」で練習教材の提供
5. 飽きやすさ=>小池栄子を起用して中国語学習してもらう
 いずれも、テレビというメディアの制約、少人数のスタッフで大量のボリュームを制作しなければいけないという制約の中で、経験ある制作者の方たちが最大限に知恵を絞って考えているという感じで、実行可能な範囲で最大限のチャレンジ、かつソツなくまとめられている感じなのがさすがプロ。
 ただ、気をつけないといけないのは、楽しませるための要素は冗長になりやすく、時間あたりの学習密度が薄くなりがちだということだろう。番組自体は見ていないので評価できないが、今回拝見したラップ音楽のコーナーの学習の密度は薄い感じだった。25分という限られた枠内で、視聴者を楽しませてひきつける工夫をしつつも、学習のチャレンジの度合いをキープしておく必要がある。そのため、学習密度の薄い時間は極力減らす必要がある。
 あと、テレビの語学講座では、学習ペースの遅い人を置いていかないように配慮しつつ、進行をゆっくりめにして、学習の負荷を下げて丁寧に進める感じにしているのかなと思うが、熱心な人、ペースの速い人向けのコンテンツを増やす方向で考えてみてもよいかなと思う。たとえば、番組のスキットだけでなく、出演者の会話すべての中国語と日本語の対訳をウェブサイトに載せるとか。聞き落としたところの確認もできるし、関心を持ったフレーズを中国語で見直すことができる。出演者の間で交わされる生の会話がコンテクストとして提供されるので、スキットの対訳とは違った学習効果が期待できる。この手の対応はおそらく手間のかかることだと実現が難しいと思うが、洗い出していけば実行可能で効果の高いものがいくつか出てくると思う。
 私も一応、教育メディアの研究者の端くれなので、教材制作のアイデアを出し始めるときりがなく、やりだすといつまでたっても書き終わらない。なのでまた機会があればいずれ書きたい。
 今回参加したブロガーの皆さんはさすがのもので、写真やイベントログもきっちり素材集めをされていた様子で、まるで取材のよう。どんな記事を書いているのかとても楽しみだなと思っていたら、もうすでに皆さん詳しいレポートをあげているし、田口さんは裏側のタネあかし的な話を披露してくださっている。
『学習会議@NHK』ではどんな準備をしていたのか?(&参加ブログへのリンク集)
http://www.ideaxidea.com/archives/2008/03/nhk.html
 会の詳細レポートは、参加ブロガーさんたちがまとめてくださってるのでそちらを参照いただいた方がよさそう(たとえば同じグループだったdeltamさんの記事)。
 皆さんそれぞれ、熱気ある雰囲気がレポートされているが、ミニレッスンで登場したローラ・チャンのことになるとやたらに熱を帯びているところも、場の雰囲気を伝えている。(自分も含め)参加した男性陣の反応たるや、みんなローラ・チャンを見るために一年間視聴継続してしまいそうな勢いだった。皆さんのために、こちらからも撮った写真を一枚投入、と思ったのだが、デジカメの接続ケーブルが見当たらなくて今日は断念。また明日にでも。
 この会の参加条件として、ブログでフィードバックすることとのことだった。それで参加ブロガーは、みんな同じ時間を共有した後に各自で課題に取り組んでいるわけだけども、その取り組みの姿勢というか、ブロガー魂のようなものを学ばせていただいた。記録を取る際の基本動作が違う。全体会議でグループで議論していた時も、自分が一人で考えても思いつかないようなアイデアがたくさん出ていて、コラボレーションの醍醐味を味わえた。それにイベント後のブログを通して学べることが多い。コンテクストを共有しているおかげで同じことを聞いても得るものが多い。まさにオンラインとオフラインを組み合わせた集合知で、ブレンデッドラーニングもこういうブレンドなら大歓迎だ。
 ブロガーという層は、アクティブなユーザー層であり、自分でメディアを持っているという点で、今回の企画に意味があったのだと思う。参加した企業側からすれば、フォーカスグループをやってユーザーデータを集めながら、新製品のプロモーションも手伝ってもらえるというお得感がある。こういう仕掛けはネットというメディアやブロガーという存在をよく理解してないとできないわけで、そこはさすが田口さんというところ。おかげさまでいろいろとよい経験ができました。参加ブロガーの皆さん、ありがとうございました。

東京大学現代GPシンポジウム参加

 東京大学現代GP国際シンポジウム「ICTを活用したアクティブラーニング」に参加してきた。午後いっぱいの盛りだくさんのシンポジウムで、MIT、スタンフォード大、公立はこだて未来大の事例が紹介された後、東大で進められている各プロジェクトが紹介された。
 学習環境デザインや活動におけるICTの利用の仕方や組み込み方にそれぞれ特徴があり、アクティブラーニングという趣旨に合った、そつのない良い構成のシンポジウムだった。各セッションとも聴きどころが豊富で、冒頭の永田先生による導入から、ラストのスピーカー全員が参加してのパネルディスカッションまで、いろいろと考えさせられるところが多かった。駒場アクティブラーニングスタジオの見学でもとても面白いものを見せてもらえた。
 MITとスタンフォードの事例は、今では個別に見ていけば米国各地の大学でも類似の取り組みは見られるが、成果が出るように細部を詰めるノウハウやプロジェクトマネジメントの部分は一日の長がある印象を受けた。新しい取り組みというのは、蓄積がないところでやれば企画倒れになったり、やりっぱなしになったり、評価が雑になったりするところがあるのは米国の大学でも同じこと。古くから先端的な取り組みをしている両大学だからこそできている部分とそうでもない部分もあるのだろうと思った。
 これらの海外事例がそんなにかけ離れた先進事例に見えないほど、東大とはこだて未来大の事例も優れた内容だった。はこだて未来大学の美馬先生のセッションは、同大学の学習環境の施設デザイン面と利用面の特徴の解説と、ファカルティ・デベロップメント(FD)活動の取り組みを紹介された。FDは学習共同体の構築であって、お互いに教員がお互いに学び合って影響しあう関係を作り出すことが重要だという指摘はもっともだと思ったが、今までの日本の大学のFD論議の中でこのような考え方は共有されているのだろうか。おそらくあまり共有されていないから、東大の山内先生から「日本の大学のFDへの幻想を取り払わないといけない」といった指摘がされたのかなと思った。変わりたくない人々を新しい試みに巻き込むのは大変なことで、はこだて未来大学のように新しい大学の方が、新しい組織文化を作りやすく、新たな試みに人を巻き込みやすいという側面はあるのだろう。それでも、コンセプトを共有して人々を方向づけるリーダーやファシリテーター的な存在が継続的にチャレンジを続けてようやく成功するのだろう。
 MITやスタンフォードや東大や、という有名校の事例に、はこだてのような新設大学の取り組みばかりが並ぶと、「潤沢な資金が集められてや人材がいる東大さんはいいですよね、はこだてさんは新しいからいいですよね、うちなんて云々・・」という話になりがちなのではないかと思う。でも、スタンフォード大のスピーカーが発表の冒頭で、マキャベリの「君主論」から「新しいことを始めるのは大変なことで、古いやり方に利益を得る強大な敵と、新しいやり方に利益を得る生ぬるい支持者のなかで改革を進めなければならない」というようなことを言っている部分を引用していたように、どんなところであれ、新しいことを進めるのは大変で、大変さの性質が違うだけなのではないかと思う。スタンフォードでも抵抗勢力はいるだろうし、東大でもそうだろう。
 そういえば以前、スタンフォードの院生と話した時に「スタンフォードはYou TubeやFacebookみたいなクールなベンチャーを起こせるような研究をやらないといけないという雰囲気があって、そういうプレッシャーのなかで研究をやるのは結構タイヘン」みたいな話をしていた。東大も日本ではプロ野球でいえば巨人みたいなもので、常勝で、さすが東大、と言われるような成果を出し続けないと周囲の人々はすぐに叩こうとするような状況にあるのだろうと思う。大企業や公的な研究資金が集まっても、これだけ金出すんだからすごい成果だせよ、みたいなプレッシャーがあって、それはそれで大変だし、金が集まらない苦労の方がまだ気楽なところがある。東大という看板が重荷になることだってあるだろう。それにもし制約だらけの資金だけあって、人手もリソースもなく、後はよろしく、みたいなはしごを外された状況になってしまうと目も当てられない。
 外部の人には見えない苦労やプレッシャーがある中で、こうして着実に成果を出し続けることは尋常でなくすごいことだと思う。プロデューサー的な存在がいて、理解ある支援者がいて、責任感と熱意ある担当者がいて、という形で一つ一つのプロジェクトの成果が蓄積していって、ほかの大学が追い付けないところまで格差が広がっていく。格差というと最近は、持てるものが持たざるものに批判される構図があるが、少なくとも持てるものが道を示せないと持たざるものは前に進めない。東大は権威主義だ優遇され過ぎだと批判されることも多いが、いいものはいいと正当な評価をしないと、みんなで批判し合って足を引っ張り合っているうちに停滞してしまう。
 そういう意味でも、この現代GPや一連の取り組みは、教育工学系の研究者(と各分野の人々のコラボレーション)による優れた実践活動として評価されていくべきものだろう。美馬先生がコメントしていたように、今日のどの大学の事例も、事前に取り組んできた活動の中で知見を蓄積していたおかげで今日の事例の話のような成果を生んでいるという側面を見落としてはいけないと思う。いきなり大きなプロジェクトがうまくいくのではなく、小さなプロジェクトから成果を積み上げて蓄積を続けることで、大きなプロジェクトを回せるようになるのはどこの世界でも同じだ。
 教育学の分野にも、裏に隠れた苦労への想像力を欠いたまま、単に人をけなせばエライような風潮や、「同じて和せず」的な、まさにマキャベリのいう生ぬるい当てにならない支持者ばかりの風潮はあると思うので、そのような中で活動を続ける先生方やスタッフの方々に心から敬意を表しつつ、自分もしっかりやらんといかんなと思いつつ会場を後にした。

仕事の谷間の至福のひと時

 当面の急ぎの仕事が一通り片付いた。最近のささやかな人生の至福のひと時は、急ぎの仕事が片付いて少し時間の余裕ができた時、さて何をやろうかなと考えながらわくわくしている時間だ。でも仕事の疲れが残っているのであまり集中力を要するものは避けて、録りためたビデオをまとめて見るとか、とりあえず受け身ですむことを選びがちになる。散らかった書類の整理とかやっているとあっという間に一日が過ぎていく。
 ここしばらく忙しい日が続いて、目の前の仕事を消化していたらもう3週間ほど過ぎていた。たぶん忙しくなると部屋の掃除をしたくなる心理状態と根は同じなのだと思うが、締め切りに追われて忙しい時期は、時間ができたらやりたいことや、やらないといけないことがいくつも出てくる。そしてToDoリストの低い優先順位の項目が充実してくる。
 でも、時間ができてもそれらの半分も消化できないし、そもそもその項目の半分以上は、忙しさが過ぎてやる時間ができた時には、既に輝きを失ってしまっている。おそらく目前の忙しさから抜け出したいがために、ほかのことが輝いて見えるのだろう。そして、余裕のあるうちに何をしようかと考えているうちに時間は過ぎていき、次の仕事の締め切りが近づいてくる。この繰り返しだ。
 とにかく忙しかろうと暇ができようと、時間の過ぎゆくペースが速い。これは年のせいなのだろうか。毎日が充実している証であればよいのだが、大事なことで進んでないことがいくつかあるのに、無情にも時間が過ぎていくので、どうしたものかと思ってしまう。
 それに仕事のボリュームとしてカウントしてない細かいやり取りが積もると案外ばかにならない。原稿を書けば校正があるし、仕事が終われば請求書発行したり、といった事務が発生する。将来の仕事のための段取りでメールを送ったりもやれる時にやっておきたい。今の時期は確定申告なんてのもある。そんなことをぼやいているうちに、やらないといけないことがパラパラと思いついて、それらを片付ける。放っておいても頭痛の種になるような雑務は思いついたときにさっさと片付けるに限る。皮肉なことに、何か取りとめのないことをしている時の方が雑務ははかどったりする。
 そういう生活が続いて、たまには仕事から離れないといけないと思って本格的に休んでしまうと、調子を戻すのに時間がかかって逆に非効率だったりする。そうかといって休まないでいると疲れがたまってそれも非効率になる。そういうバランスを考え過ぎると、なんだかリアルで「ザ・シムズ」をやっているような感覚になってくる。そんな風に、ゲームを集中してやると、日々の活動がそのゲームの視点で構造的に見えてくるという効果がある。それを書き出すと長くなるのでまた今度。
 思いつくままに書いていて、だんだんきりがなくなってきたのでこの辺で。

原稿乱取り

 実験授業が終わった後、たまっていた原稿数本を立て続けに消化中。まるで乱取り稽古のように同じテーマ(シリアスゲーム)の原稿を書き続けた。あと1本。早く終わらせて、研究で集めたデータをいじりたい。
 シリアスゲームの概要や動向や、という内容で書くことが多いので、普通にやっていると同じことしか書けなくなってネタが尽きる。書いているこちらも飽きてくる。少しずつ変化を持たせながら、どの原稿にも何か新しいことを入れて対処した。おそらく読む人からすれば、大した違いには見えない内容でも、書き手の側は同じことしか書けないところから一歩抜け出して、だいぶネタの引き出しが増えた。普通の人にはわからない差異を意識できるようになるのは専門性の現れの一つなのだろうと書きながら思った。その境地に達して、書くことが少し楽になって工夫のやりようも増えた。
 それと、「本人の心がけ次第で、同じ仕事でも将来につながる仕事にもなり、その場しのぎのやっつけ仕事にもなる」、「限界を感じたところであっさり降参せず、あと少し粘ったところにブレイクスルーがある」というようなことが教訓になった。こういうことはしばらくすればわすれてしまい、またある時あらためて実感する。そういうものなのだろう。
 
 今回の原稿乱取り稽古の成果は、春から秋にかけて公開される予定なので、出るときまた順次お知らせします。