東京大学現代GP国際シンポジウム「ICTを活用したアクティブラーニング」に参加してきた。午後いっぱいの盛りだくさんのシンポジウムで、MIT、スタンフォード大、公立はこだて未来大の事例が紹介された後、東大で進められている各プロジェクトが紹介された。
学習環境デザインや活動におけるICTの利用の仕方や組み込み方にそれぞれ特徴があり、アクティブラーニングという趣旨に合った、そつのない良い構成のシンポジウムだった。各セッションとも聴きどころが豊富で、冒頭の永田先生による導入から、ラストのスピーカー全員が参加してのパネルディスカッションまで、いろいろと考えさせられるところが多かった。駒場アクティブラーニングスタジオの見学でもとても面白いものを見せてもらえた。
MITとスタンフォードの事例は、今では個別に見ていけば米国各地の大学でも類似の取り組みは見られるが、成果が出るように細部を詰めるノウハウやプロジェクトマネジメントの部分は一日の長がある印象を受けた。新しい取り組みというのは、蓄積がないところでやれば企画倒れになったり、やりっぱなしになったり、評価が雑になったりするところがあるのは米国の大学でも同じこと。古くから先端的な取り組みをしている両大学だからこそできている部分とそうでもない部分もあるのだろうと思った。
これらの海外事例がそんなにかけ離れた先進事例に見えないほど、東大とはこだて未来大の事例も優れた内容だった。はこだて未来大学の美馬先生のセッションは、同大学の学習環境の施設デザイン面と利用面の特徴の解説と、ファカルティ・デベロップメント(FD)活動の取り組みを紹介された。FDは学習共同体の構築であって、お互いに教員がお互いに学び合って影響しあう関係を作り出すことが重要だという指摘はもっともだと思ったが、今までの日本の大学のFD論議の中でこのような考え方は共有されているのだろうか。おそらくあまり共有されていないから、東大の山内先生から「日本の大学のFDへの幻想を取り払わないといけない」といった指摘がされたのかなと思った。変わりたくない人々を新しい試みに巻き込むのは大変なことで、はこだて未来大学のように新しい大学の方が、新しい組織文化を作りやすく、新たな試みに人を巻き込みやすいという側面はあるのだろう。それでも、コンセプトを共有して人々を方向づけるリーダーやファシリテーター的な存在が継続的にチャレンジを続けてようやく成功するのだろう。
MITやスタンフォードや東大や、という有名校の事例に、はこだてのような新設大学の取り組みばかりが並ぶと、「潤沢な資金が集められてや人材がいる東大さんはいいですよね、はこだてさんは新しいからいいですよね、うちなんて云々・・」という話になりがちなのではないかと思う。でも、スタンフォード大のスピーカーが発表の冒頭で、マキャベリの「君主論」から「新しいことを始めるのは大変なことで、古いやり方に利益を得る強大な敵と、新しいやり方に利益を得る生ぬるい支持者のなかで改革を進めなければならない」というようなことを言っている部分を引用していたように、どんなところであれ、新しいことを進めるのは大変で、大変さの性質が違うだけなのではないかと思う。スタンフォードでも抵抗勢力はいるだろうし、東大でもそうだろう。
そういえば以前、スタンフォードの院生と話した時に「スタンフォードはYou TubeやFacebookみたいなクールなベンチャーを起こせるような研究をやらないといけないという雰囲気があって、そういうプレッシャーのなかで研究をやるのは結構タイヘン」みたいな話をしていた。東大も日本ではプロ野球でいえば巨人みたいなもので、常勝で、さすが東大、と言われるような成果を出し続けないと周囲の人々はすぐに叩こうとするような状況にあるのだろうと思う。大企業や公的な研究資金が集まっても、これだけ金出すんだからすごい成果だせよ、みたいなプレッシャーがあって、それはそれで大変だし、金が集まらない苦労の方がまだ気楽なところがある。東大という看板が重荷になることだってあるだろう。それにもし制約だらけの資金だけあって、人手もリソースもなく、後はよろしく、みたいなはしごを外された状況になってしまうと目も当てられない。
外部の人には見えない苦労やプレッシャーがある中で、こうして着実に成果を出し続けることは尋常でなくすごいことだと思う。プロデューサー的な存在がいて、理解ある支援者がいて、責任感と熱意ある担当者がいて、という形で一つ一つのプロジェクトの成果が蓄積していって、ほかの大学が追い付けないところまで格差が広がっていく。格差というと最近は、持てるものが持たざるものに批判される構図があるが、少なくとも持てるものが道を示せないと持たざるものは前に進めない。東大は権威主義だ優遇され過ぎだと批判されることも多いが、いいものはいいと正当な評価をしないと、みんなで批判し合って足を引っ張り合っているうちに停滞してしまう。
そういう意味でも、この現代GPや一連の取り組みは、教育工学系の研究者(と各分野の人々のコラボレーション)による優れた実践活動として評価されていくべきものだろう。美馬先生がコメントしていたように、今日のどの大学の事例も、事前に取り組んできた活動の中で知見を蓄積していたおかげで今日の事例の話のような成果を生んでいるという側面を見落としてはいけないと思う。いきなり大きなプロジェクトがうまくいくのではなく、小さなプロジェクトから成果を積み上げて蓄積を続けることで、大きなプロジェクトを回せるようになるのはどこの世界でも同じだ。
教育学の分野にも、裏に隠れた苦労への想像力を欠いたまま、単に人をけなせばエライような風潮や、「同じて和せず」的な、まさにマキャベリのいう生ぬるい当てにならない支持者ばかりの風潮はあると思うので、そのような中で活動を続ける先生方やスタッフの方々に心から敬意を表しつつ、自分もしっかりやらんといかんなと思いつつ会場を後にした。