10/23(木) 本屋でボランティア

朝は7時過ぎ起床。ボランティアの詰め所に行くと、あいにく食べ物はほとんど残ってなくて、かろうじて最後のパンとコーヒーをゲット。今日の仕事も各部屋のプロジェクタセッティングなど。出たいセッションには出れるので、いくつか興味のあるセッションに参加した。今日のハイライトはQuestioning Merillというセッションで、インストラクショナルデザイン分野の重鎮のDr. Merillに、Dr. ReigeluthやDr. Jonassenといったこの分野のリーダーや第一線の研究者たちが質問をする形のセッションだった。「単なる情報伝達はインストラクションではない」「オーサリングソフトウェアを使うのはインストラクショナルデザインとは違う」「おもちゃ(テクノロジー)をもてあそんでいても教育はよくならない」といった重鎮ならではのメッセージや、質問者のたちの研究について、自身の見解を述べたりしていた。こういうセッションを生で観れるのがカンファレンスの醍醐味だろう。隣にDr. Grapouskiが座って、「今日の話を理解しているかComprehensive Examに出すからしっかりと聞きなさい」とおどされながらだったが、ほんとにしっかり聞くに値する内容だった。惜しむらくは英語力のなさと不勉強のせいで、理論的な細かい話がちんぷんかんぷんだったことだ。来年はわかるようになっていたいものだ。
セッションの後、AECTの本屋のブースの手伝いをすることになった。ただの店番で、客の質問に答えたり、在庫を並べたりするだけの仕事なのだが、これが楽しい。前から本屋か図書館で働きたいと思っていたのだが、なんということもない仕事なのに楽しさが湧き上がってくる感じがした。これは生まれ持ったものなのだろう。一つ夢がかなったような気がして、会う友だちみんなにそのことを話した。本屋担当のAECT事務局のおばちゃんも喜んでくれた。あまりに熱心に働いて、閉店時に在庫を数えようとかがんだとたんにズボンの股が裂けて穴が開いてしまった。目立たないからそのまま閉店まで働いたが、レセプションの前に着替えに帰らなければならなかった。
ズボンを替えて、参加したのは大学主催のレセプション。各大学の名前で部屋が予約されてあって、その大学の教員と学生、卒業生や関係のある人たちの交流会だ。うまいものが食べられると期待していたのだが、並んでいるのは簡単なオードブルだけ。飲物はまたしても有料のバーで買わないといけない。他の大学の会場にローストビーフなどならんでいたのでそこで食べ物を調達し、飲物はワインを買った。教員も院生も飲物なしで食べている人が多い。もともと酒を飲まない人もいるのだから、水くらい置いておけばいいのだが。
食べ物のことはともかく、レセプションではPenn Stateの教員や卒業生たちと話ができた。このカンファレンスに参加している日本人はぼくともう一人オクラホマ大の院生だけらしいので珍しがられた。前から話したいと思っていたDr. Geとも話ができた。後半になると、他の会場から顔を出してくる人たちが増えて、Dr. JonassenやDr. Reigeluth、Dr. Merillの三人が、Penn State部屋に顔をそろえた。この三人にはしごして挨拶して回るというのはなんともぜいたくなことだ。惜しくもDr. Reigeluthはつかまえることができなかったが、Dr. Merillには今日のセッションの感想など聞けた。他の院生たちは自分の研究テーマを説明して、アドバイスを求めたりしている。自分も早く研究を掘り下げていって、そういう話が出来るようになりたいものだ。レセプション終了後は、Dr. Dwyerと話をしながら、他大学主催のデザートレセプションに顔を出して、うまいコーヒーとケーキを食べてホテルに帰った。帰って調査報告の仕上げ。あとちょっとで完成というところまで来たが、今日は終えることはできなかった。

10/22(水) AECTカンファレンス初日

朝6時過ぎに起床、7時にボランティアの詰め所へ。同じプログラムの顔見知りにも何人か会った。普段話す機会もなかなかないので、情報交換などするにはよい機会だ。今日のボランティアの仕事は、プロジェクタ等のセッティング。今日のセッションはわずかなので、たいしてやることもない。ボランティアコーディネーターのおばちゃんもばたばたしていてなかなかつかまらず、詰め所でフリーのパンやフルーツをつまんでコーヒー飲んで待っている時間が多かった。食べ物がでるのはありがたかったが、貧乏大学院生ばかりなので、みんなむしゃむしゃ食べて、あっという間になくなってしまった。
どうやら今日は会場につめてなくても平気そうなので、ホテルにいったん戻ることにした。ランチはホテルの向かいにあるチャイニーズ。4ドルの牛肉さやえんどう炒め定食は結構美味かった。ちょっとホテルの部屋で休憩して、午後の初参加者向けオリエンテーションに出席。AECTの各部会のリーダーがそれぞれ自分の部会の宣伝をしていた。あとはカンファレンスの見所紹介など。最後に賞品つきの自己紹介ゲームで、参加者同士の交流。賞品は残念ながら当たらなかったが、参加賞のガニェ講演CDをもらった。
その後は特別講演に参加。どこかの教育コンサル会社の副社長の講演だった。勢いよくまくしたてる典型的なコンサルタントトークだった。教育のマスカスタマイゼーションとかテクノロジーが牽引する教育の未来像といった、日本でもシステムベンダーのセミナーとかで数年前からされているような話が大部分で、それほど目新しい話でもない気はしたが、まあ面白く聞いた。
講演の後は交流レセプションに参加。食べ物はプレッツェルしかなく、飲物は有料のバーがあるだけ。ほとんどの人は何も飲まずに話をしている。腹も減ってきたので表に出たら、同じプログラムのMikeやBradたちも同じだったらしく、Dr. Peck夫妻も合流して一緒に夕飯へ。ホテルの向かいのシーフードレストランで、屋外の席に座った。暑くも寒くもないよい気候だ。えびのブロイルとビールを頼んだ。えびは大量に盛られていて、ここぞとばかりにたらふく食べた。このレストランでは1時間に音楽がかかってウェイターたちが全員で踊りだす。土地柄なのか、陽気なもんだ。
ホテルに戻って、少し仕事を進めたが、あまりに眠くて早めに切り上げた。

10/21(火) 学会旅行

昨夜は仕事をできるところまでやって、旅支度を済ませたらもう明け方で、結局1時間ほど仮眠を取っただけで出発。Greyhoundに乗ってボルチモアへ。平日なのでバスはガラガラ。秋の紅葉を楽しむまもなく爆睡。気づいたら乗り換え地のハリスバーグに到着。次のバスまで1時間ほどあったので、近くのモールのフードコートに行って、ソーセージエッグサンドとコーヒーで軽く朝食。またバスに乗り込んで、すぐに爆睡、1時過ぎにボルチモアに到着。タクシーをつかまえようとホテルの前に行こうとしたら、黒人のタクシー運ちゃんから声をかけられた。のんきに運転手仲間と客を取りあってじゃれあっている。黄色のキャブなのでぼられはしないだろうと思って、空港まで頼んだ。
空港についたのは2時ごろで、出発まで2時間半ほどあったので、バーでビールを飲んで休憩。ふと、ワイヤレスネットワークが利用できるというサインを見つけて、さっそくトライ。ネットにつなぐと、プロバイダ会社のWebサイトにつながって、そこで料金プランを選んで申し込む仕組みになっている。試しに一回接続で1ドル25セントのプランを利用。メールの送受信だけやる分には、電話をかけるくらいの気分で利用できる価格なので、まあ悪くない。この間ワイヤレスLANカードを買っておいてよかった。
空港の搭乗ロビーには、パソコン用の電源のついた作業机があって、待ち時間はそこで仕事が出来るようになっている。腹が減っていたので、出掛けに急いで作った不恰好なおにぎりとハムをつまみながら、やり残していた仕事を進めた。アメリカに来て以来、このように独りで移動することはあまりなかったので、なんだかやることなすこと新鮮な気がする。それにいつの間にか英語を話すのも聞くのもずいぶん楽になっていて、以前の旅行の時に感じていたコミュニケーションのストレスもまるで軽くなっている。日本国内の移動ほどは気楽ではないが、旅行の過程を楽しむ余裕を自分が持っていることに気づいた。つい2ヶ月前までは何をやるにも不自由でしょうがないと感じていたのだが、ここしばらく、仕事のやり取りなど、真剣に英語を使う機会が増えていたので、それが集中トレーニングになったのだろう。やはり本物の実践に勝る学習はないということだ。
デンバー経由で、オレンジカウンティ空港についたのが夜9時半ごろ。シャトルバス乗り場に行くと、ハイアットのシャトルがいたので、運転手に頼んで乗せてもらった。しめしめと思ったのもつかの間、空港からすぐ近くのハイアットのシャトルで、アナハイム行きではなかった。あえなく同じシャトルで空港へ戻るはめに。でも運ちゃんがアナハイム行きのシャトルバスを教えてくれて、すんなり乗れた。ホテルに到着したのが10時半ごろ。そこらにフェニックスなど南国の植物が生えている。荷物を解く間もなく、まずはカンファレンスの会場のハイアットホテルへ。自分の泊まるホテルからすぐ隣で、徒歩3分で来れるのは便利だ。ボランティアの詰め所に立ち寄り、明日の予定を確認した。腹が減っていたので、帰り道に食べ物屋を探した。11時過ぎにやっている店もあまりなかったのだが、かろうじてピザハットを見つけて、チーズピザとビールを8ドルちょっとで購入。部屋に帰って食べた。チーズだけのシンプルなピザだが、休み気分で食べるとうまい。荷物を開けたら、髭剃りローションがこぼれて荷物が部分的に大惨事になっていた。その処分を済ませて一息ついたところで、なんか眠いなと思ったら、こちらは12時過ぎでもペンシルバニアは3時過ぎ。前の晩ほとんど寝ずに作業してきて、もう3時過ぎなら眠いわけだ。ということで明日も早いので今日は終了。

ゲームを使った学習支援(2)米国陸軍の例

今回は、世界で最もコンピュータゲームを派手に活用している機関といってもよさそうな、U.S. Army(アメリカ陸軍)の事例を取り上げる。
アメリカ陸軍では、ゲームが教育に使えることに注目した人たちが、本気でゲーム開発に金をかけて、新兵募集や教育訓練に活用している。
昨年、米陸軍は700万ドルもの巨額を投じ、パソコンゲーム「America’s Army」を開発した。これは、入隊者が経験する射撃等の軍事訓練を疑似体験できるシミュレーションゲームで、新規入隊希望者を増やすためのリクルーティング活動の一環として開発された。専用Webサイトで無償ダウンロードできるほか、陸軍の事務所でCD-ROMを配布したり、ゲーム雑誌の付録としても配布された。民間のゲーム制作会社が開発に参加しており、ゲームとしてのクオリティも類似のシューティングゲームに引けを取らない。ゲーム雑誌等の各種メディアで取り上げられて注目された。(Hot Wired,2002) 「ゲームをやって陸軍に入ろう」
この試みはどうやら成功だったらしく、今度は、分隊長養成のためのゲームを開発している。(Hot Wired, 2003)「米陸軍、「分隊長養成」ビデオゲームを導入」
このゲームは、2004年にXboxのソフトとして市販される。教育用のソフトウェアは、どこかつくりが中途半端で、一般利用に耐えないことが多いが、このゲームに関しては市販できる氷ティまできちんと作りこんでいるようだ。マニュアルで「市街戦では、こことここに注意すること」とチェックリストのようなものを読むだけではイメージできないことが、リアルタイムゲームを使えば、感覚的に理解できる。もちろん、ゲームだけですべてが訓練できることを期待すべきではないが、より現実に近い状況をシミュレートできることで、単なる知識よりも実用性の高い身体知の獲得が可能である。実地訓練の次に有効な教育手段として活用されれば、教育訓練の提供手段に多様性が増す。どの分野でも、現在座学でやっているからといって、座学が最適の教育手段ではない場合が多いだろう。それらをこのようなゲームを活用したトレーニングにおきかえることで、教育の質の向上につなげることができる。中途半端なゲーム教材は逆効果なのでやめた方がよいが、学習目標の達成を活動の過程にきちんと埋め込んだ教材を利用すれば、教育効果はかなり高まる。アメリカ陸軍だけでなく、ゲームの教育効果に着目する企業や教育機関は増えてきている。

教育専門家の拠点

MLに流れていたお知らせをたどって、何気なくメディア教育開発センター(NIME)のファカルティ・デベロップメント研修のWebサイトをのぞいて見た。短期セミナーが中心だが、結構なラインナップ。日本の高等教育のe-learning展開を引っ張っている印象を受けて、とても好感が持てた。真面目にバリバリ仕事をしている人が中心になっているんだろうなと思って、もうちょっとたどってみたら、助手の中原淳さんのサイトを見て合点がいった。若いのにすごい研究業績だ。こういう人たちが前面に出て仕事をする組織は勢いがにじみ出るということだろう。「オンライン・コースの手法と戦略」担当の吉田文教授は、最近「アメリカ高等教育におけるeラーニング―日本への教訓」という本を出していて、アメリカのオンライン教育動向にも理解が深いようだ。
以前から、日本の教育改革がうまく行かないのは、仕事のできる教育研究者の層の薄さが問題だと感じていた。アメリカはとにかく研究者の数は断然多くて、数をこなしているうちに質の高い人も輩出される、という構造になっている。ドラッカーが「断絶の時代」で述べた、「質の高い人材を出すには、エリート教育ではなくて、ハイレベルの教育を幅広く数多くの人に提供する必要がある」というのを実践している。そのため、修士レベルの教育を受けた専門家を、地方の教育委員会のようなところにもいきわたらせることが可能になる。アメリカの教育は今頃ブッシュが「No Child Left Behind」なんてキャンペーンをやっているように、ダメなところはほんとにダメダメなままほったらかしてきた面もある。しかし、何か教育改革をやろうという時に、お題目だけ唱えるのでなくて、行動レベルの計画を立てて実行できる専門家の層が厚い。かたや日本では、きちんと現場レベルで仕事ができる専門家が少ない上、準専門家的な立場の人の専門性も低い。そのため、政策決定の場でも実証データに基づいて判断されるのではなく、有識者の感覚的な意見の方が尊重されて政策が決められる。そして現場レベルできちんと管理できる専門家がいないために現場が振り回される、というようなことが繰り返されている。教育の専門家として社会に影響力を持っている集団は、自分の知るところでは、佐藤学教授や苅谷剛彦教授らのいる、東大の教育学研究科の教授陣くらいだった。この東大教育学のような教育専門家の拠点が増えていくことが、日本の教育専門家の層を厚くしていくには不可欠だろうと思う。
そういう意味では、このNIMEは一つの教育専門家の拠点となって来ているように見える。ちょっと前まで、このNIMEのWebサイトはなんか垢抜けなくてぱっとしないなと思っていたが、サイトデザインも洗練されて、研究活動も厚みが出てきている様子。ずいぶん日本に帰ったらこういうところで働けたらよいなと思ったりした。

ゲームを使った学習支援(1)ゲームのチュートリアル

昔、自分が無邪気なゲーマーだった幼少期(小5~中3)は考えもしなかったが、今の自分の主要な研究関心は、「ゲームを使って学習する、という営みが、形骸化した学校教育や社会人教育を変えていく上でかなり強力なツールになるのではないか」ということだ。同じ意味でマンガやテレビも捉えることはできるが、双方向性があるというの点でゲームはそれらよりも有効なので、特にゲームに着目している。
実際、そういうことを研究している研究者は日本にもいて、シミュレーション&ゲーミング学会という学会を中心に活動しているらしい。ゲーム業界の人たちも参加しているようだが、コンピュータゲームをばりばりと学習活動に使う研究よりは、シミュレーションやゲーミングそのものの原理を研究したり、カードゲームや研修ゲームなどの研究の方が中心になっているように見える(ちゃんと調べたらそうじゃないのかもしれないが)。コンピュータゲームを教育現場に持ち込んで活用する研究は、アメリカではかなり盛んなようだ。この学会の国際版ではコンピュータゲームの研究部会が活発に活動しているようだし、他にいくつも研究団体や大学のリサーチセンターなどがある。
かねてからこの件について、まとめておこうと思いつつ手が回ってなかったのだが、後からどんどんネタが増えてくるし、古いネタは鮮度が下がってしまうので、今回は、自分の今までの知識の整理もかねて、いくつか事例をまとめておくことにした。思いつくままあげるので、順不同。ネタは多いので、しばらく連載になる。ではいってみよう。
まずはゲームのチュートリアルだ。これを初めて体験したときは、結構感動した。
エイジオブエンパイア」「エンパイアアース」等のリアルタイムストラテジーと呼ばれるゲームや、厳密に言うとちょっとジャンルは違うが「ウォークラフトIII」のようなゲームは、たいてい入門レベルのシナリオがチュートリアルになっていて、ステップバイステップで操作をマスターできるようになっている。この手のゲームは、覚えないといけない操作が多く、複雑でマニュアルを読んでも操作が覚えられない。実際、ついてくるマニュアルは操作からシナリオの背景、キャラクターのデータなど細かく書いてあってかなり分厚く、読んでいたらいつまでたってもゲームを始められない。操作を覚えることに時間がかかって楽しめないんでは、ユーザー層を広げる上で敷居が高くなってしまう。そこでなるべくそうした敷居を感じなくてすむように、最初は超簡単なシナリオを用意して、そのシナリオをクリアする間にゲームを楽しめる程度に操作を覚えてもらってから、次のシナリオに進むようなつくりになっている。最初のシナリオは、こちらの目印からこちらの目印に進みなさい、とか、向こうにいる敵を攻撃しろ、といった指示をいちいち細かく与えてくれる。時間もゆっくりかけられるので、飲み込みの悪い人も時間をかけて操作を習得できる。
実は、こういうチュートリアルは輸入物のゲームの方がきちんと作られている。この間XBOXでコナミのメタルギアソリッド2をやったら、チュートリアルモードがなくて、分厚いマニュアル片手に、操作を覚えるまで面倒な思いをした。「ザ・コンビニ」も試してみたが、これもヘルプがマニュアルをデータ化しただけで、全部読む必要があって面倒かった(ザ・コンビニ3はチュートリアルモードがあるらしい)。マニュアルやテキストのヘルプを提供しただけでいいと思っていたら大間違いだ。ゲームを楽しめるようになるまでの時間は、チュートリアルをきちんと用意しているかどうかでずいぶん変わってくる。この学習効率を研究している人もたぶんいるだろうから、いずれ探してみようと思う。
このマニュアル学習と、チュートリアル学習の効率の違い、ゲームの例で見れば一目瞭然だったのだが、実は学校で行なわれている教育は、ほとんどがこのマニュアル学習だ。企業での研修にはOJTなんてのがあって、チュートリアル学習的なものもあるのだけど、ステップバイステップではなく、いきなり現場に放り込んで苦労させるだけ、という場合も結構ある。
教育分野で、このチュートリアル学習的な考え方を持っているのは、Constructivist(構成主義)の研究者たちだ。たとえば、Roger Schankという研究者は、Goal Based Scenariosという手法を開発し、実践のために会社をおこし、数多くの企業や大学の教育コンテンツを開発している。彼の開発したコンテンツでは、あるシナリオの中で実際に問題に直面し、失敗しつつその問題を解決するのに必要なスキルを身につける構造になっていて、ゲームのチュートリアルと共通点が多い。
他にもConstructivistの例を出し始めたらたくさんあるので、それはまたの機会として、今日のところはここまでにしておこう。とにかく、最近のゲームはバカにはできない。これからしばらくゲームについて書く中で、そのバカにできないという認識をみんなと共有したい。

国立大学の行政法人化について

  国立大学行政法人化の話はたしか来年からスタートだったと思うが、最近どうなっているのだろうと思っていたら、面白い記事を見つけた。ジャーナリストの櫻井よしこさんのウェブサイトに、国立大学行政法人化の問題点を批判するコラムがあった。それによると、文科省は法案が可決されるまえから、あれこれと国立大学に対して通達を出していて、人件費の基準までも細かく規定しているのだそうだ。学長や理事の年収は1700~1900万で、教授は850~950万円だとか。監事とかいうお目付け役のポストが新たに付け加わって、1300~1500万円ももらうんだそうだ。監事ってどういう人がなるのか、というと大学行政の専門性に長けた人、ということなのだろうが、日本の大学における大学行政の専門性というものが確立されていないことから、たいては学内政治の中枢にいる人か、そうでなければ官僚出身者というのが主要な候補になってくる。監事なんて、真面目にやれば高い給料払う価値のある大事なポストだが、専門性も意欲もない人がやれば、たいした仕事をしなくても文句も言われない、体のいい閑職になってしまう。学長に権限を与えて、企業のような組織体にした場合、監事のような目付が必要だというのは正論だが、役所文化のままでやっても形骸化するだけだろう。道路公団等の特殊法人問題なんかを見てしまうと、ここでもそういう正論を振りかざしつつ、自分たちの方へ利益誘導しているように見えてしまう。
  こんなことまで文科省が細かく決めるんだったら、以前と何が違うのか。国立大学の教職員の身分が国家公務員でなくなることくらいか?中期計画なんて今まで作らなくてよくなったものを作らされて、しかも内容が気に入らなければ修正できる権限を文科省に握られてしまっている。自治を望むといいながら、国立大学もよくまあこんなに抵抗なく素直に通してしまったものだ。教職員の反対グループが署名だ抗議だと活動していたようだが、結局、大学内でも政治力のない人たちが集まってやめろというだけで、効果はなかったか。民主主義だなんだと大義名分を押し出しても、自分の身分保全のための活動だというのが透けて見えてしまう。安全なところから出てきて、しっかりリスクをとってやればもっと賛同を得られただろうに、国立大学にはそこまでのガッツがある人はあまりいなかったらしい。
  これで、この法案に沿って行政法人化が動き出したらどうなるか。あまりよくはならないけど、言われているほどたいして悪くもならないのではないか。今までも社会的に不可欠な機能を果たしていたというわけでもないのだから、社会における大勢にはさほど影響はないじゃないか、という考え方もできる。国の予算の重点配分に与れない大学にしてみれば、予算は減るし、官僚に細かく指導されるわで、いい迷惑だろう。しかしこの点は、行政法人化賛成論者の言うように、自助努力を求められていた時にぼんやりしていたんだから仕方がない。
  この件は、推進側も反対側もどっちもどっちで、日本の教育をよくするというのを建前に、結局は自分のことばかり考えているようでならない。もし本気なら、学生も市民も企業も、周りはみんなこんなしらけムードでいられるはずはない。もっと身体張って、しっかりリスクとってやれ、といいたい。

8/17(日) 断絶の時代

今日は11時に起床。どうもここ数日寝起きが悪い。運動不足もあるな、これは。
朝はシリアル、昼はサンドイッチと、いつもの定番でとりあえず飢えをしのぎつつ、昨日の作業の続き。
Position Paperへの引用を探している途中で、ドラッカーの「断絶の時代」を読み返した。この本は、教育の仕事に携わる人は第4部「知識の時代」だけでも一度読んだ方がいいと思う。1969年に書かれているが、教育の問題は今も当時から何も改善されていないということがよくわかる。教師はみんな、この本で述べられている認識を共有して、もう一度自分たちのキャリアのあり方を見直したほうがいいんじゃないか。
「今日学生は、いたるところで学校に反旗を翻している。そもそも教室で教えていることが無意味であるとしている・・・。小さな子どもたちまでが、学校に飽き飽きしている。彼らは、学校を占拠したり、バリケードを築いたりはしない。もっと強力な武器を持つ。勉強をしなくなる。これが今日の子どもたちのしていることである。彼らは最高レベルのコミュニケーションに慣れており、教師の生産性の低さには耐えられない (pp.365)」
30年前に書かれたこの記述よりも、今の教育の状況がよくなっているといえる人はいないだろう。もう普通に現在の教育システムを維持するための仕事をするんじゃなくて、システムを変えるための仕事をしていかないとだめでしょう。おそらくみんな、自分がやることとは思ってないのだろう。やれることはたくさんあるのに。

Law school ウェブ調査

日本の大学から依頼を受けて、アメリカのロースクールとMBAスクールの調査をしている。日本では各大学でプロフェッショナルスクール開設の動きがようやく具体化し始めたというところだが、アメリカの大学院で提供されているプログラムの数は膨大なので、とにかく全体像を把握することを優先して、駆け足で各校のサイトをレビューしている。その中で感じたことをいくつか。
・ロースクールの教員プロフィールに載っている教員の顔写真は、美醜に関わらず、みんないい面構えをしている。日本の大学のWebサイトには、何もそんなのを載せんでも、と言いたくなるようなお粗末な写真をたまに見かける(写真がないことのほうが多いが)。人前でものを教えるプロの教員としては、外向けに公開された教員紹介の写真くらいはきちんとしたものを載せるのがマナーだろう。この点はアメリカの大学を見習ってもなんら不都合はない。
・アメリカのトップクラスのロースクールは教員層が厚い。日本でも来年からロースクールがスタートするそうだが、今まで教員を育てる教育機関がなかったのだから、最初の数年は教員不足で苦労するだろう。教育の質もばらばらで、卒業生の質も法曹界からクレームが出たりするだろう。だからといって、質を高めるべく、意図的に校数を絞って、エリート教育化するような対応は望ましくない。日本の専門家教育の最大の課題は層の薄さをどうやって解消するか、ということだ。層が薄い限りは、いかに質を高めようとしてもすぐに頭打ちになる。少数の専門家ががんばったところで、実際には専門家の言うことを理解できる準専門家層が増えないことには、社会へ十分な影響を与えることはできない。その意味では、量が質を凌駕するということを意識して、とにかく初めは法曹教育の裾野を広げることに重点を絞るべきだろう。
・日本の学校でよく見られる、「ごく数人の意欲の高い教員がいるかどうかでオンラインリソースの充実度が変わる」という事実は、アメリカのロースクールでも同様だ。シラバスや授業用のマテリアルを載せている教員は各校に数人いて、彼(女)らの提供しているリソースのおかげで、ロースクールのプログラムでどんな教育をしているのかが理解できる。組織として立派なWebサイトを構築しているところは多いが、組織として、教育内容まで載せるというインセンティブは持ちにくい。それをやるかどうかは教員個人の意欲に依存する。たまたまそういう意欲のある人がWebコンテンツの構築に関わっているところはしっかりしたリソース集などを提供していたりする。アメリカの大学がオンラインで提供している学術情報は膨大なものがあり、言葉の壁を乗り越えられない日本の大学が抱えるハンディの大きさを意識させられる。

おすすめの本:留学関連・その他

研究計画書の考え方―大学院を目指す人のために」 妹尾堅一郎(著)
 私の師匠妹尾先生による、大学院入試の研究計画書ガイドのベストセラー。多くの大学院で教科書として採用されており、早くも名著の風格が出てきています。大学院を目指す人には必読の一冊です。私も研究計画書のサンプルを執筆で協力しました。
The Goal: A Process of Ongoing Improvement(英語CD版)」 Eliyahu, M. Goldratt (著)
 この本の書籍版は日本でもベストセラーになっているので紹介するまでもないのですが、このCD版は書籍版を忠実にCD化していて、英語のリスニングにとても役立ちました。英語の勉強が必要なビジネスパーソンにおすすめです。(スクリプト付属ではないので、書籍版もあわせて購入した方がよいでしょう。)
アメリカ留学 公式ガイドブック〈2007〉」 日米教育委員会 (著), フルブライトプログラム= (著)
 アメリカ留学の準備から渡航後の必要情報が細かく紹介されていて、とても役に立ちます。後半は同じ内容の英語訳が載っているので、渡航後に使うときに、日本語での知識をいちいち英語に訳す手間が省けて便利です。これが一冊あれば、中途半歩な留学情報本にあれこれ手を出す必要はありません。

断絶の時代―いま起こっていることの本質」 P.F. ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳)
 1969年に刊行されたドラッカー著作の新版。書かれてから30年以上経っているとは思えないほど、指摘されている内容は新しさを失っていない。教育に関してもかなりのページを使って言及されていて、基本的に30年前からほとんど進歩していないことがよくわかります。教育関係者は普段あまり手に取らない類の本ですが、読むと得られることが多いと思います。
組織の不条理―なぜ企業は日本陸軍の轍を踏みつづけるのか」 菊沢研宗 (著)
 太平洋戦争での日本陸軍の不条理な行動はなぜ起こったのかを、「組織の経済学」の枠組みを用いてわかりやすく分析した本です。理論的枠組を用いて社会の現象を分析するという点からもよい手本といける研究です。古典「失敗の本質」が掘り下げ切れなかったテーマをさらに掘り下げて分析しています。戦史研究や組織論に興味のある人にはもちろんのこと、日本の企業や官僚組織がなぜ愚かな過ちを繰り返すのかという疑問を持っている人にも良い知見を与えてくれると思います。