帰宅しました:よかったことと少し残念なこと

 約3週間の東京滞在も終わり、ステートカレッジの自宅に帰宅した。こちらでは暖かい方といっても、気温は一ケタ台、夜更けからの雨が夜明けに雪にかわり、寒さは増してきた。でもこれくらい寒くてようやく冬の感じがする。東京は暖かかった。
 執筆中の著書は初校を終えて、発売予定日も2月20日頃ということで確定しつつある。今回の東京滞在では、この本の仕事と、某大学の教材開発プロジェクトの仕事をしてきた。後は来年後半以降の日本での活動のための、いくつかの仕込的な活動をしてきた。それ以外はかなり骨休めというか、自分のための豊かな時間を過ごすことができて、心身とも癒されてきた感じになった。自分でコントロールできる時間が増えたために見落としがちになっているが、やろうとしている仕事の量や求められる質はあがってきているので、これからのチャレンジを続けるためにとても貴重な充電になった。
 うちに帰ると、残念なことに飼っている金魚のうち一匹が亡くなっていた。一番小さなオレンジの金魚だが、うちに来た当初は白地にオレンジ模様の金魚だったので、そのオレンジの見た目にもかかわらず「ちびシロ」と呼んでいたやつだった。他の金魚がちびとかミニとか呼べないほど育っていく中で、こいつだけ発育が良くなくて、いつまでたってもちびのままだった。なのでこれでもよく生きたほうなのかもしれない。うちに来て二年半ほど、のんきな顔で日々の疲れを癒してくれていたので、いなくなってしまうとなんとも寂しい気持ちになる。雪の降る朝、少し眺めのよいところに埋葬してその死を弔った。
 こうしてみると、葬式や追悼の儀式の類は、その亡くなった者のためではなく、その後も生き続けないといけない人たちのためにあるのだなと思う。立派な葬式を出したり、花を贈ったりしても、本当に亡くなったその人に届いているかどうかは実際にはわからない。ただの気休めだったとしても、少なくともそうしてその人のために何かをやっている人たち自身には大事なひと時である。でも、本当にその人のために何かをしたいのであれば、生きている間にすべきだと思う。

ちょっとだけ帰省

 こまごまとした仕事の合間に時間を作って、ちょっとだけ大分の実家に帰省してきた。わずかな時間だったが、美味いものを食べて、温泉に入って骨休めしてきた。今回はパソコンも持たずに帰ったのがよかった。パソコンがあってネットがつながると、あれこれ気にしだして大して気が休まらないので、あえてネットも一切無しで過ごしてきた。今回はあまり余裕もないし、夏に帰省したばかりだから帰らなくてもいいやとか思っていたが、やはりそういうのはよくないなと反省した。ちょっと無理やりだったが、時間を作って帰ってきてよかった。
 もう日本滞在も残り数日となってしまった。原稿の修正はほぼ終わったが、追加原稿があまり書けていない。後は残りの滞在を楽しみつつ、書けるだけ書いて帰ることにする。

スーパーエッシャー展のDS Lite鑑賞ガイド

 Bunkamuraのスーパーエッシャー展に行ってきた。行った日がちょうど土曜の夕方だったこともあり、えらく混んでいて個人的には観るのがたいへんだったけども、こういう美術展にたくさん人が集まることは良いことだと思った。入り口から出口までずーっと人の群れが途切れず、有名作品の前では、作品を見るというよりも、その前に群れている見ている人を見ている感じになっていた。
 このイベントでは、ニンテンドーDSLiteを鑑賞ガイドに使っていた。話に聞いてちょっと楽しみにしつつも、どうせ台数が足りなかったりするんだろうと、あまり期待していなかったのだが、余裕で貸してもらえた。この混雑に十分対応できるだけの台数を用意していて、それを追加料金無しで利用できるのはえらい。
 使ってみると、結構良く作ってあって、このガイドのおかげで鑑賞の楽しみが増した。インターフェイスはDSのシンプルさをうまく活かしていて、使いやすいガイドになっていた。基本的な内容は、主要作品の解説と、順路の指示が音声とビジュアルで提供されるというもの。作品の細部を拡大して見つつ、音声で解説が聞けるので、これ単体でも十分楽しいくらい。変にゴテゴテと機能を盛り込まず、誰でも使える範囲でできることをシンプルに、きっちり作っていたのが好感が持てた。
 この鑑賞ガイドは、混雑した状況下ではさらに効果を発揮していた。列の動きが遅くて待ち時間がちょくちょく発生するので、次の作品を見るまでに予習や退屈しのぎができた。それに美術の教科書に出ているような有名なだまし絵の作品のところは細部を見れるほどには近づけなかったりしたので、そこではDSの方で解説を聞きながら拡大してみることで、十分に楽しむこともできた。音声のみのガイドにはない強みがあって、それは混雑時にはその強みはさらに活きていた。
 この鑑賞ガイドの難点をあげれば、音声を聞くためのヘッドフォンが煩わしかったこと。コードがぶら下がっていると機動力が下がって快適度が下がる。今回は誘ってくれた人と一緒に二人用ヘッドフォンというのを使っていたのだが、迷子ロープでつながって二人三脚をしているような状態だった。カップルで利用するにはこれはこれでよいのだろうし、たぶん対象ユーザーとしてカップルが想定されたものなのだと思うけど、子どもと親とか、ペースの違うカップルとか、孫とばあちゃんだったりすると結構面倒かもしれない。ヘッドフォンの煩わしさでユビキタスという感じを損なってはいたが、最近出始めているブルートゥースのワイヤレスヘッドフォンがこなれてコストが下がってくれば、かなり解消できる問題ではある。
 それとこの手のミュージアムで利用されるメディアの共通の課題として、どうしても独りでの利用が前提になり、来場者同士のコミュニケーションは阻害されてしまうことだ。おしゃべりせずに独りで静かに作品と向き合いなさい、という発想であれば利用者をそう方向付けるという点で優れているとは思うが、普通は一緒に行った人と作品を媒介にコミュニケーションがあった方が楽しみが増す。このDS鑑賞ガイドは、一緒に覗き込みながらいじったりできて、今までのメディアにないインタラクションが見えてきている。この部分の遊ばせ方を工夫すれば、ミュージアムでの教育メディアの新しい形になると思う。
 鑑賞ガイドだけでなく、もちろんエッシャーの作品もとても楽しめた。完成した作品だけでなくて、その準備中の下書きみたいなものも豊富に展示されてあったのがよかった。方眼紙やトレース紙のようなものに描かれた綿密な下書きを見ていると、こうしたアート作品も感性だけでなくシステムとして組まれているんだということに気づかされる。個人的には有名作品よりも、寓話絵や少年マガジンの特集の紹介、若い頃や有名作品の合間に作られた小ネタ作品をたくさん見れたのがよかった。展示が豊富なおかげで、エッシャーのマンガ家っぽいところや、職人っぽいところも見ることができたのもよかった。
 混雑にもかかわらず、これだけ楽しんで、良い経験ができたのはDSの鑑賞ガイドが力を発揮していたおかげも大きいと思う。このような場のための教育メディアを開発する際の目標の一つは、混雑やら何やらの阻害要因を軽減しながら、鑑賞経験を豊かにするためのサポートをすることなのだというのがよくわかった。

初校作業中

 執筆中の「シリアスゲーム」の初校ゲラが先日届き、現在校正作業を進めている。出版社から戻ってきた原稿は、さすがプロの編集者の仕事で、表記のブレやおかしなところは確実に赤を入れてくれている。おかげで細かい修正作業がかなり楽になった。
 何人かの方たちに原稿の試読をお願いしたところ、反応はとてもよく、手ごたえを感じている。これが世に出てどんなことになるか、さらに楽しみが高まってきている。ページ数的に予想よりも少なめだったので、修正作業と並行して、少し詳しく解説が必要な部分や時間が足りなくて書ききれなかった分を追加する原稿を書いている。これらの作業が一通り済めば仕上がりとしてはもう一段階完成度が高まる。ソロ執筆はたいへんだったが、いろんな方々のご協力のおかげで、どうにか世に送り出せるめどは立ってきた。刊行予定は、どうも当初目標の1月には残念ながら難しくなってきたものの、2月には出せそうな状況。どうにか九合目まできた感じ。あともう一息がんばります。

日本のテレビもおもしろい

 東京での暮らしもようやく落ち着いてきた。生活用品が揃っていなかったり、机といすの高さがあってなかったり、サブのスペックの低いノートパソコンを使っていたりと、自宅の仕事場ほどには快適ではないのだが、だいたい同じようなペースで仕事ができるようになってきた。今回の滞在は、あちこち出回ることは極力避けて、今目の前にある仕事を進めることに集中している。
 飯を食べながらテレビを見ていて、けっこうおもしろくて、つい長いこと見てしまっている。アメリカでテレビを見るときは、慣れたとはいえ外国語なので、ある部分はがんばって集中してみないと理解できない。それが日本語になるとそのがんばっていた分の負荷がなくなり、自然と頭に入ってくる感じが新鮮でよい。そんなこともあって、テレビを見る時間は結構多い。
 テレビを見ていて思うのは、アメリカのテレビと日本のテレビは、どちらが劣っているというのではなく、単にそれぞれの制約のもとで異なる発達の仕方をしていて強みや弱みが異なる、ということだ。日本のテレビ番組は、特にドキュメンタリー系と情報系のつくりが面白い。番組の表現手法やコンテンツの掘り下げ方は、アメリカのテレビ番組では発達していないノウハウがある。
 昼の情報番組は、辛口の司会や人のよさげなタレントや文化人がぞろぞろといて、健康やグルメ、軽めの社会問題をひとしきりやって、というのをちょっとフォーカスを変えて、同じような感じのを各局でいくつもやっている。フォーマットが画一的で、このタイプの番組ばかり見ているとすぐに飽きてくるが、構成そのものはよくできていると思う。単体ではパワー不足でしゃべりももう一つなタレントでも、多数使うことで、なんとなくにぎやかな感じにして間を持たせている。創造性に欠けるところはややあるものの、制作側も出ている人たちも、毎日毎日よくやっているなあと感服するものがある。
 ドキュメンタリー系は、プロジェクトXやガイアの夜明け辺りから派生したような、見ていると元気になる感じの、普通の人ががんばる様子にスポットをあてたものがずいぶん出てきた感じがする。ディスカバリーチャンネルやヒストリーチャンネルの趣向とはまた違ったものがある。話の掘り下げ方や、展開のさせ方はうまく、30分や45分で見ごたえ感のあるものにするノウハウは相当なものだと思う。
 ドラマも、「24」や「ザ・ホワイトハウス」のような作りこんだ複雑なドラマはないにしても、大河ドラマの「功名が辻」や、マンガ原作の「のだめ」などは違ったよさがあって、毎週その時間が楽しみになってくる。日本のドラマも捨てたものではないと思う。
 最近、テレビのメディアとしての力の低下が問題視されているようだが、それでもテレビの持つメディアとしての力は相当なものがあると思う。これだけの量を日々制作し続けるノウハウと体力というのはものすごいし、この点はネット業界はまだ足元にも及んでいない。テレビ、雑誌、新聞など、日々発行し続けることを求められるメディアは、質を保ちながらその数をこなすことを求められる中でそのノウハウを培ってきた面があると思う。そこには業界特有の過酷さや歪みもあると思うが、数をこなしながら継続する、というのは何事においてもその基盤を作るための基本となる営みなのだろう。数をこなせるキャパシティがなければ普及もしないし継続もできないのであって、新しいメディアでも企業でも、そういう課題を乗り越えていかないと続いていかない。そういう点において、テレビのような確立された既存メディアの業界から学ぶことは多いと思う。

Jasagレポート

 怠けていてお知らせが遅くなりましたが、先日の立命館大学での日本シミュレーション&ゲーミング学会記念シンポジウムでの模様がメディアで紹介されています。ついでに発表資料も公開していますのであわせてご覧ください。
日本シミュレーション&ゲーミング学会シンポジウム(資料とレポート)
https://anotherway.jp/seriousgamesjapan/archives/000795.html

東京に移動しました

 午後、大阪から新幹線で東京に移動。駅弁食べてビール飲んで、モーニング読みながらウトウトしていたら、もう着いてしまった。
 今回の宿は両国。エリア的には少し目先を変えたところにしてみようと思って選んで、しばらく滞在するし、物書き系の仕事が多く、家で作業する時間が結構必要なので、キッチンがあって、ある程度快適に過ごせそうなところを選んだ。快適度は合格だったのだが、自炊して過ごすには想像していたよりも結構難があった。まず、周囲には食べ物屋が豊富にあって、自炊のモチベーションがとても下がる。アメリカでの生活は、自炊した方が美味いものが食べられるし安いので、がんばってやる気にもなったが、日本ではその辺りの状況がずいぶん変わる。しかも調理器具とか生活用品を一式揃えないといけないので、それも結構な出費になって本格的にはなかなかできない。しばらく滞在するといっても3週間である。とりあえず100円ショップで調達できるものを調達して、あとはどうしようかなと少し悩みつつ東京での初日を過ごした。

三十三間堂でプロジェクトについて考える

 せっかく観光名所に来ているのに学会だけではもったいないと思い、一日観光をすることにした。宿は大津で琵琶湖の近くだったので、午前中は琵琶湖を散策、午後は京都を見て回ることにした。琵琶湖の畔を散歩して和んだ後、京都に移動した。数時間しかないので、たくさんは見て回れない。そこで、蓮華王院三十三間堂と清水寺の二つに絞って見に行くことにした。どちらも中学の修学旅行で一度だけ行ったことがあって、当時はあまりありがたみを感じた気がしなかったが、今それをどう感じるかを確かめてみたいと思った。
 三十三間堂は、数ある京都の名所の中でも個人的に一番好きなところである。あの大量の仏像が並ぶ姿は壮観であり、心静かに歩きながら、一体一体をじっくり見たり、全体を概観したり、視点を切り替えながらいくらでも楽しめる。120メートルという長さもちょうど良い。何か人が滞留するポイントが少なく、写真撮影が出来ないために人の流れが循環しており、人が多くてもストレスは他の名所よりも少なくてよい。
 一方で、清水寺は個人的にそれほど好きな名所ではない。土産物屋の通りは見ていて楽しいが、商業的に過ぎており、人も多くてそのうち疲れてくる。写真撮影やら何やらであちこちに人が立ち止まり、人の流れが悪くてストレスになる要素が多い。折りしも清水寺が新世界七不思議の最終選考に残ったことが話題になっており、清水寺周辺にもキャンペーンの幟が目立っていたが、個人的には他の世界の名所に比べると不思議度としては劣るんじゃないかとやや思う。まあ、この手の名所認定は、観光キャンペーンの一環という面が大きいので、こうして地元が盛り立てたりしてうまく利用したいところがやればいいという気もする。
 清水寺も三十三間堂も、20年近く前に一度見たきりだったのにも関わらず、意外によく覚えていた。もしかしたら高校の修学旅行の時にも見ているかもしれないとも思ったが、私は京都でのグループ観光をサボって一人で商店街で買い物や中古レコード屋巡りをしていて、京都の名所見物は全くしなかったはずなので、おそらく中学以降は一度も見に行っていない。なのに周囲の情景も、どこに何があったかもくっきり印象が蘇ってきた。不思議なものである。
 清水寺もまあよかったのだが、三十三間堂からはなぜかものすごくインスパイアされるものがあった。それがなぜなのかをずっと考えていたが、おそらく自分の持つものづくり志向の中でも、コンテンツ作りを志向する琴線に触れるものが多かったからだと感じた。端的に言えば、こういう仏像のようなものを自分も作りたいと、思わせるものがここにはある。といっても、別に仏師になりたくなったということではなく、この仏像を作るような精神でものを作りたいということである。個々の仏像の細部に、作り手の気合がこもっており、そこに神ならぬ仏が宿っている。こういうコンテンツの細部にこだわった仕事にロマンを感じる。
 他の名所と同様、三十三間堂は、その歴史の過程で様々なプロジェクトを経てきて今日に至っている。建物の建築、仏像づくり、庭や塀のデザイン、通し矢ブームや焼失と修理を経てきた歴史、それぞれの出来事にはそれぞれに大規模なプロジェクトがある。
 最初の建立時の構想立案、資金確保や建築家の選定、コンテンツとなる仏像を作る仏師の手配など、それは今日で言うところの開発プロジェクトであり、全体のコーディネーションはプロデューサーの仕事である。そしてそのプロジェクトの中で、建築ディレクターやアートディレクター、景観ディレクター、イベントディレクターなど、さまざまなディレクターが働き、その下でそれぞれの分野のデザイナーやエンジニアが働く。一つ一つが大きなプロジェクトであり、いずれもさぞやりがいのある仕事だっただろうと想像できる。
 後白河法皇のようなイニシアチブを取る親分がいて、平清盛のようなリーダーがいて、その下には全体を統括プロデュースする誰かがいたのだろうし、寄付金集めのプロもいただろうし、納めた仏像を保護するメンテナンスのプロもいたことだろう。後に火事で焼失した際には、その火事場から仏像を運び出す消防団のリーダーのような人もいただろうし、江戸時代に流行った、建物の端から端まで弓矢を通すスポーツイベントの「通し矢」も、その仕掛け人がいたことだろう。歴史の中で、さまざまなリーダーがいて、プランナーやデザイナーが活躍して、それが歴史となっているのである。
 そういう三十三間堂の歴史にまつわる様々なプロジェクトの中で、自分だったらどういうプロジェクトにロマンを感じるか、ということが自分のキャリアを考える上でのヒントになると思った。大金を動かして新たな歴史を始める道筋を作ることやそういうことができる権力を持つことにロマンを感じるのか、建築物のようなシステム的なデザインに興味を持つのか、仏像のようなコンテンツのデザインがしたいのか、大勢の仏師をアレンジする編集者的な仕事が好きなのか、通し矢のようなみんなでワイワイやるイベントを企画するのが好きなのか、通し矢に選手として参加し、記録を塗り替えることに燃えるのか、お守りや破魔矢のような三十三間堂ブランドを活かした商品開発に興味があるか、建物や仏像のメンテナンスのような地味だが重要な仕事にしびれるのか。自分はどれが一番好きなのか。
 そう考えたときに私自身が最もひかれるのは、仏像のようなコンテンツのデザインなのではないかと思う。あるいは、一つの部屋に千体の仏像を一つの部屋に置いて壮観さを演出するというコンセプトのデザインの方かもしれない。大規模チームのマネジメントよりも個人または少数のチームでの創造性追求に関心があり、規模の大きさや表面的な派手さよりも、一つ一つの仕事の質と他にない価値を追求することに意味を感じる。自分の関心はおおよそそんなところだろうと思う。逆に言うと、それとかかわりの無いことは、いかに規模が大きかろうと、人々の注目を集めようと、自分には向いていないことが多いし、そもそもあまり関心が無い。それぞれの仕事には必要な能力や知識は異なり、その人の向き不向きも関係する。
 これは世の中で必要とされているから、世のトレンドに合っているから、安定しているから、成功しやすそうだから、と頭の中だけで考えてキャリアを選んでも、途中で息切れしやすいし、そんなに思うようにはいかない。また、世にある職業のラインナップだけを眺めてみても、しっくり感じるものが見当たらないこともあるだろう。その時に、自分がどういうものにしびれたりロマンを感じたりするか、どういうことが嫌いでやりたいとも思わないか、そういう身体の内側からくる感情的な反応に耳を傾けることが一つのヒントを得るきっかけになるかもしれない。
 私の二度目の三十三間堂体験はまさにそんな機会だったと思う。中学の時の自分は何を想ったのかは思い出せないが、今回については以前に一度見ていることの意味は大きかったと思う。なのでありがたみもわからないうちであっても、修学旅行で子どもたちに寺や仏像を見せておくこともあながち悪いことではないなと思った。

Jasagとシリアスゲームの違い

 日本シミュレーション&ゲーミング学会の最終日のセッションに参加してきた。理論研究あり、デモあり、その中で参加者の人々の熱心さやこの分野へのこだわり、さまざまなものを見てきた。
 この学会のよいところは、実践志向が強く、研究発表であっても参加型のデモがあって実際に試せるセッションが用意されていることだ。メリハリがあって終日参加していても疲れを感じずに楽しめた。東工大の出口先生の研究グループの発表は、開発したシミュレーションツールについてだったが、実際にその場で来場者のPCをLANで同時接続してのゲーム大会となった。まだこの学会コミュニティの全体が見えてないので違っているかもしれないが、こういう作業を厭わずにデモをやってのけるフットワークのよさは、この学会のカルチャーなのかなという気がした。
 セッションに参加しながら、この学会とシリアスゲームのこれほどの接点の無さ加減の理由は一体どこにあるのかを考えていた。シミュレーション・ゲーミングを教育に利用するという関心は共通だし、コンピュータを使った取り組みもこの学会でも行なわれている。なのになぜここまで接点がなかったのか。まだ完全な答えではないが、一番大きいのは、関心の向いている方向や開発するゲームの前提にかなり明確な違いがあって、そこに起因している気がしている。
 一つには、このJasagコミュニティの「自分たちで作り、実践することへのこだわり」がある気がする。Jasagコミュニティは手作り志向が強く、各科目や分野の教師や専門家が自らの手でゲームを作り、それを現場で実践することにその熱意が向けられている。シリアスゲームコミュニティには、そうした手作り志向は弱く、各分野の教師や専門家はエンタテインメントゲーム開発者のプロの力を借り、そのゲームに意味を見出すスポンサーからの資金提供を受けたりして開発を行なう。汎用性の高いゲームを開発して、普及させるための体制を作るか、という関心が強い。ある発表者の「開発したゲームのデジタル化も考えたが、手に負えないので進んでない」というコメントがこの点を端的に示していて、自分で手に負えない部分をどう扱うか、という点にJasagとシリアスゲームの志向の違いが一つ明確があるように思われた。
 また、このJasagコミュニティのシミュレーションやゲームは、インストラクター・ファシリテーター主導型で利用されるものが中心で、シリアスゲームにおいては教室で利用するタイプのゲームもあるが、コンシューマが個別にプレイすることを想定したゲームの方が割合としては多い。
 この点を端的に言えば、シリアスゲームとJasagの違いは、フルグラフィックなエンターテインメントゲームのプレイヤーと、テーブルトークRPGやボードゲーム、あるいはMUDのようなテキストベースのゲームのプレイヤーの違いに近い。シリアスゲームはエンターテインメントゲームで発達した技術をどう利用するかに関心があり、JasagはテーブルトークゲームやMUDの良さにこだわり、ワイワイとテーブルを囲むのが好きで、そのゲームのロジックを自分で作ることを志向している。ゲームの性質に違いがあるのであって、両者の関心が片方に集約されるということはない。
 それと、Jasag会長の市川先生の講演を聞いていて、このJasagのエンターテインメントゲームとの距離は、「ゲームがシリアスでないもの」だという社会的な認識と闘うことを余儀なくされた反作用として生じている面があるという印象を持った。昔のエンターテインメントゲームは、シリアスなものと呼ぶには厳しい単純なものが多かったわけで、そういうものを教育に利用しようというのはあまり意味のある話にはならなかった。そういうエンターテインメントゲームもJasagのゲームも、同じゲームという言葉を使っているので、いかにゲームのシリアスさを主張しても社会的には誤解される面が大きかった。なのでゲーミングという言葉に変えて区別しようとしてみたりとか、さまざまな苦闘をするなかで、エンターテインメントゲームとの距離が広がり続けたのだろうと思われる。しかし、エンターテインメントゲームも最近になって状況が変わり、ゲームの持つ複雑さや、その複雑なシステムにプレイヤーを取り込んでいくノウハウへの関心がシリアスゲームの動きにつながった。ここに両者の歴史的な経緯の違いがある。
 これまでのこのJasagコミュニティが蓄積しているゲーム作りや教育実践のノウハウは相当なものである。特に教育実践についてはシリアスゲームの分野では未発達なところが多く、このコミュニティから学ばない手はない。一方で、シリアスゲームの開発プロジェクトの組み方や普及させ方については、Jasagコミュニティが参考にできるところが大いにあると思う。
 参加してとても楽しかったし、今まで疑問に思っていた点が、実際に参加してみたおかげでかなり解消できてすっきりした。多くの熱心な人々と知り合うことができたことも収穫だった。

Jasag初日の個人的な出来事

 日本シミュレーション&ゲーミング学会に参加してきた。出番は朝一のシンポジウム。会場にコーエーのファウンダーご夫妻がいて、開始直前にご挨拶した。あのシブサワ・コウ氏である。握手してもらうんだった。後で話すチャンスがなかったのがとても残念。
 先日レーザーポインタ付のペンを入手したので、それをプレゼン中に使おうと思って胸ポケットから取り出したら、なんと同じ色の普通のボールペンと間違えて持ってきていて、発表しながら愕然とした。当然普通のペンからはレーザーは出ず、モデレータの細井先生が様子を察してレーザーポインタを貸してくれたので、ポインタ自体は使えたのだが、自分の間抜けさ加減にかなり萎えた。
 今日はあいにくの雨模様で全体的に時間が押し気味だったこともあって、時間を気にしつつだったのと、帰国翌日の出番だといつものことで発表用の言葉が出にくく、全体的にしゃべりがすべり気味。帰国後すぐの発表はいつもこんな感じなので、ここは少し何とかしないといけない。
 話のネタ的に、今回は新しいものを3分の一ほど追加したのだが、その部分が今ひとつなじんでなかった。スライドにビデオのキューを入れ忘れて、タイミングを通り過ぎてしまってビデオも流し損ねた。
 そんなこんなで、あたふたとしながら出番は無事終了(本日の発表資料はこちら)。会場の反応としては、これまでにやったセッションの中では最も面白くなさそうな人やむかついている人が多かったという印象を受けた。物議を醸せること自体は悪いことではないが、もうちょっとアレンジの工夫が必要だなと反省した。開発者向けや一般向けにはそのままでOKだとしても、研究者向けの仕様になっていなかったというのをやった後に気づいた。私の発表の後、立命館大の稲葉先生の事例発表があって、その後ディスカッションに移ったのだが、もうほとんど時間は残っておらず、たくさん言いたいことがある人がたくさんいるのに、会場との質疑応答の時間は取れずに終了。全体的にやや消化不良な感があったのは残念だったが、個人的にはいろんな意味でよい経験ができた。
 今日はシブサワ・コウ氏に会えたことに加えて、よかったことが2つあった。一つは、一緒にプロジェクトをしている立命館の中村先生のグループと打ち合わせする時間が持てたこと。オンラインでは連絡が取れても、やはり顔を合わせて話せると意思疎通の度合いが違うし、その機会が持てたおかげでやりやすくなった。
 もう一つは、同門の先輩である産能の長岡先生と慶應の加藤先生にものすごく久しぶりにお会いできたこと。私から見て、二人とも伯父弟子とでもいうような存在で、いずれもとんがった研究者である。シンポジウムのディスカッションの時間に、私は場を気遣った当たり障りのない発言をしたのだが、その当たり障りのなさをこの二人にはすっかり見抜かれていた。それじゃあダメだろうと叱られた。「学習」についての理解も、この二人にはまだ私は遠く及ばないことがよくわかったし、言われて気づいたことがたくさんあったので、今日一番の学びの機会となったと言ってもよい。
 他にも、シンポジウムで稲葉先生のカリフォルニアでのゲーム利用事例から大いに得るところがあったし、午後のシミュレーション体験セッションで、リアルのシミュレーションに触れたことからもインスパイアされることがあった。シリアスゲームの中で蓄積されてないノウハウがこの学会を中心に積みあがっていて、うまく交流を進めていくことで得られることが多いことがよくわかった。セッションを運営していた若い学部生たちがよく働いていたことにも大いに感銘を受けた。
 こういう場でシリアスゲームについて話すたびに、「シリアスゲームとわざわざ言う必要はあるのか」、「そんなことは昔からとっくにやっている」という意見を耳にする。そういう意味では、シリアスゲームとわざわざ言う必要はないし、昔からやっているのはこちらも承知している。ただ、その中でシリアスゲームがこれだけ注目されていることには意味があるのであって、大事なのはその意味をどう捉えて、どう対応するかである。使えるものはうまく使えばよいし、問題のあるところはきちんと議論していけばよい話である。個別に話が出来た人たちはその辺りの認識は共有していたのでよかったが、それを共有できてない人たちもたぶん結構いるだろう。これからもいろいろと気を遣いそうな局面が多そうである。