Jasagとシリアスゲームの違い

 日本シミュレーション&ゲーミング学会の最終日のセッションに参加してきた。理論研究あり、デモあり、その中で参加者の人々の熱心さやこの分野へのこだわり、さまざまなものを見てきた。
 この学会のよいところは、実践志向が強く、研究発表であっても参加型のデモがあって実際に試せるセッションが用意されていることだ。メリハリがあって終日参加していても疲れを感じずに楽しめた。東工大の出口先生の研究グループの発表は、開発したシミュレーションツールについてだったが、実際にその場で来場者のPCをLANで同時接続してのゲーム大会となった。まだこの学会コミュニティの全体が見えてないので違っているかもしれないが、こういう作業を厭わずにデモをやってのけるフットワークのよさは、この学会のカルチャーなのかなという気がした。
 セッションに参加しながら、この学会とシリアスゲームのこれほどの接点の無さ加減の理由は一体どこにあるのかを考えていた。シミュレーション・ゲーミングを教育に利用するという関心は共通だし、コンピュータを使った取り組みもこの学会でも行なわれている。なのになぜここまで接点がなかったのか。まだ完全な答えではないが、一番大きいのは、関心の向いている方向や開発するゲームの前提にかなり明確な違いがあって、そこに起因している気がしている。
 一つには、このJasagコミュニティの「自分たちで作り、実践することへのこだわり」がある気がする。Jasagコミュニティは手作り志向が強く、各科目や分野の教師や専門家が自らの手でゲームを作り、それを現場で実践することにその熱意が向けられている。シリアスゲームコミュニティには、そうした手作り志向は弱く、各分野の教師や専門家はエンタテインメントゲーム開発者のプロの力を借り、そのゲームに意味を見出すスポンサーからの資金提供を受けたりして開発を行なう。汎用性の高いゲームを開発して、普及させるための体制を作るか、という関心が強い。ある発表者の「開発したゲームのデジタル化も考えたが、手に負えないので進んでない」というコメントがこの点を端的に示していて、自分で手に負えない部分をどう扱うか、という点にJasagとシリアスゲームの志向の違いが一つ明確があるように思われた。
 また、このJasagコミュニティのシミュレーションやゲームは、インストラクター・ファシリテーター主導型で利用されるものが中心で、シリアスゲームにおいては教室で利用するタイプのゲームもあるが、コンシューマが個別にプレイすることを想定したゲームの方が割合としては多い。
 この点を端的に言えば、シリアスゲームとJasagの違いは、フルグラフィックなエンターテインメントゲームのプレイヤーと、テーブルトークRPGやボードゲーム、あるいはMUDのようなテキストベースのゲームのプレイヤーの違いに近い。シリアスゲームはエンターテインメントゲームで発達した技術をどう利用するかに関心があり、JasagはテーブルトークゲームやMUDの良さにこだわり、ワイワイとテーブルを囲むのが好きで、そのゲームのロジックを自分で作ることを志向している。ゲームの性質に違いがあるのであって、両者の関心が片方に集約されるということはない。
 それと、Jasag会長の市川先生の講演を聞いていて、このJasagのエンターテインメントゲームとの距離は、「ゲームがシリアスでないもの」だという社会的な認識と闘うことを余儀なくされた反作用として生じている面があるという印象を持った。昔のエンターテインメントゲームは、シリアスなものと呼ぶには厳しい単純なものが多かったわけで、そういうものを教育に利用しようというのはあまり意味のある話にはならなかった。そういうエンターテインメントゲームもJasagのゲームも、同じゲームという言葉を使っているので、いかにゲームのシリアスさを主張しても社会的には誤解される面が大きかった。なのでゲーミングという言葉に変えて区別しようとしてみたりとか、さまざまな苦闘をするなかで、エンターテインメントゲームとの距離が広がり続けたのだろうと思われる。しかし、エンターテインメントゲームも最近になって状況が変わり、ゲームの持つ複雑さや、その複雑なシステムにプレイヤーを取り込んでいくノウハウへの関心がシリアスゲームの動きにつながった。ここに両者の歴史的な経緯の違いがある。
 これまでのこのJasagコミュニティが蓄積しているゲーム作りや教育実践のノウハウは相当なものである。特に教育実践についてはシリアスゲームの分野では未発達なところが多く、このコミュニティから学ばない手はない。一方で、シリアスゲームの開発プロジェクトの組み方や普及させ方については、Jasagコミュニティが参考にできるところが大いにあると思う。
 参加してとても楽しかったし、今まで疑問に思っていた点が、実際に参加してみたおかげでかなり解消できてすっきりした。多くの熱心な人々と知り合うことができたことも収穫だった。

Jasagとシリアスゲームの違い」への3件のフィードバック

  1. 学会の雰囲気が違うという感想が興味深いです。Jasag行事の発表主題を見ると、社会学系と教育現場系が多いですね。この分野は事例に始まり、事例に終わるという感じを私は持っています。理論や一般化に興味を持つ雰囲気が少ないのではないか、というのが私の仮説です。11日のブログ記事で会場との質疑応答時間が取れなかったというのは、私の所属するソフトウエア技術者協会では最悪の事態です。そうなった原因は明白だと思います。

  2. > 学会の雰囲気が違うという感想が興味深いです
    雰囲気という捉え方をされると、読み違えてしまうと思います。
    > というのが私の仮説です
    雰囲気や印象に基づいた想像は、仮説ではなくて予見と呼ぶと思います。
    > そうなった原因は明白だと思います。
    何を指してそうおっしゃっているのかわかりませんが、
    念のために申し上げておくと、質疑応答の時間が
    とれなかったのは、スケジュールにそもそも
    無理があった上に、開始が15分遅れたのが原因です。

  3.  接点のなさのことを、雰囲気の差異と称して、書き進めてしまいました。ごめんなさい。
     「会場との質疑応答」はプログラムに記載されているので、仕様項目に相当すると思います。時間の不足は、しばしば起きることだからこそ、何とかして会場用の時間をひねり出せないものかと思いました。
     11月13日付で、藤本さんの記事が写真入りでウエブに載っています。
    http://www.rbbtoday.com/news/20061113/35820.html

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