こちらも新年を迎えました。あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
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今日は一年の始まりということもあって、今年はどんな年になるか、どんな年にしたいか考えていた。まずなによりも今年は、5年間の留学生活の総決算の年にしたいと思う。博士論文を書き終えて、日本に帰る、少なくとも帰るメドを立たせることが今年一番の目標だ。論文を書き上げて学位をとり終えるまでは、次の段階には進まない。迂闊に定職についてしまうと、自分の性格や実力的に、博士論文など一生書けるとは思えない。就職しても博士論文を書ける人はエライと思う。自分はそこまでえらくないので、ここは何としても博士論文を最優先で進めて終わらせること。これがまず一つ。
それから、昨年後半でメドの立ってきた「シリアスゲーム3部作出版プロジェクト」を滞りなく完結させること、これが二つ目。なので、基本路線は昨年と変わっていない。昨年から引き続いていることをきっちりやり切ること。これが今年の基本方針となる。
その上で、今年の後半からは、次のキャリアのステップに向けた仕込を具体的に進めることになる。いくつかやりたいことは明確になっていて、今から手を打てることは打ち始めている。今年前半の状況がよい場合、普通の場合、悪い場合、それぞれに動き方のイメージはだいたいできていて、それぞれに楽しい仕事はできると思う。あとは自分の努力で状況をよくできる部分を最大化することに専念するだけという気がしている。
昨年は自分にとっての大きな節目の始まりで、今年はその節目が続いている。昨年の始めには選択肢が定まらない感じがしていたが、一年経ってそのほとんどがそぎ落とされた。世の中にはやりたくないことや、関わりたくないことがたくさんあるし、どんな仕事にも良し悪しある。昨年一年でいろんな人に会い、いろんなことに触れてきたおかげで、自分の選択肢の中で自分に向かないことや今すぐやる必要のないことがいくつもあることがわかった。その辺りを考慮に入れて考えていくと、自然と自分が今向かうべきでない方向というのが見えてきて、向かうべき方向が絞れてくる。
そんなことを引き続き考えていきながら、今は目の前にはっきりしていることをきっちりやり切る、私にとって今年はそんな一年となる。
星占いに叱られる
拙書の校正作業も今日でだいたい終わる。何度も読み返しているが、毎回何らかの直すところが見つかる。だんだん面倒くさくなってきて「もう降参、許して」と思ってネットで息抜きを始めようとした。グーグルのパーソナルページに星占いのコンテンツを登録していて、よほど暇な時しか読まないのだが、この時たまたま目に留まったので読んだ。すると次のようなことが書いてあった。
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Gemini
May 21 – June 21
People should be willing to pay attention to what you have to say right now, so be sure to use this time to try to get your message across. Fine-tune the image that you want to present and then take the opportunity to promote yourself. This should be the key to achieving the greatest success for yourself right now.
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一言で言えば「メッセージが人々にちゃんと伝わるように時間をかけなさい。それはあなたの将来のために大事なことですよ」という内容。図星というかなんというか、今まさにサボろうとしていたところを見られてたようなことが書いてある。これでサボるのはなんだか罰当たりな気がして、少し丁寧に仕事をした。
こうして今したためている大事なメッセージも、来月には世に送り出される。うまく人々に伝われば、わざわざお告げをよこしてくれたお星さまにも感謝しないといけない。などと考えてしまうのは、アメリカでは毎年クリスマスに必ずテレビで、フランク・キャプラの映画「It’s a Wonderful Life (素晴らしき哉、人生)」を何度も放送(しかもケーブル局でなく主要ネットワーク局のゴールデンタイム)していて、何気にテレビをつけてやっていたらつい最後まで見てたりするからかもしれない。紅白を見ないと年越し気分が高まらない日本人がいるように、これを見ないとクリスマスを迎えた気がしないアメリカ人もいるくらいのクリスマス定番映画になっている。在米5年目にもなると、そんな気分を少し共有できてくるのは面白い。
2006年を振り返って
今年も一年無事に過ごすことができました。新たに素晴らしい方々と出会うことができたこと、そして多くの方からさまざまな形でご支援をいただいたおかげで、今年もどうにか乗り切ることができました。心より感謝しております。
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冬の寒さもそれほど厳しくない、穏やかな大晦日の朝を迎えた。朝食のシリアルを食べつつ、今年どんなことがあったか振り返った。ブログを見返したりして、一つ一つの出来事を見直してみると、結構いろんなことをしている。ずいぶん前のことのように思えて、実はこれは今年のことだったのかと思うことも多い。歳を取るにつれて時間の経過が早いような気はするものの、1日24時間365日であることには変わらない。主観的には時間感覚が短く感じたとしても、日々何かを積み重ねていれば、一年という長さは結構いろいろなことができる長さだと思う。
今年の年初には、このようなことを考えていて、目標として次の三つを掲げていた。
・博士課程の修了試験をパスする
・シリアスゲーム本出版
・博士論文研究を仕上げて、来年早々にディフェンスできるようにする
一つ目は、完全達成。これ以上ないくらいに出来過ぎなほどうまく行った。力をあわせて乗り切った同僚たちとは強い結束ができた。試験のコミッティになってくれた教官たちにはそのまま博士論文審査コミッティになってもらうことができ、これ以上望めないような強力な教授陣の力を借りることができることとなった。
二つ目は、9割方達成。年内出版とは行かなかったものの、すでに最終段階まできていて、2月にはリリースできる。それにあと二冊の翻訳書の出版も実現しそうなので文句はない。
三つ目は、よいテーマに出会えたものの、研究を仕上げるどころかまだ計画書も通していない段階で、未達成。秋頃までは計画通りに進めていたが、途中でかなり無理があることを認識して、全体スケジュールを半期延ばした。出版の方が無事に進んだのは、こちらを先送りにしたおかげでもある。
年初に予想していたように、このほかにさまざまな案件をいただいて、一つずつ消化しているうちにボリュームだけはまずまずの量になった。いずれレジュメのアップデートのためにまとめなければいけないので、ついでに今年の成果を整理してみた。
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<論文・報告書>
・藤本徹 (2006). シミュレーション・ゲーム型教材開発の考え方とその方法. 芝浦工業大学大学院「企業との対話による実理融合MOT教材開発」プロジェクトディスカッションペーパー
・藤本徹(2006) 「シリアスゲームと次世代コンテンツ」、財団法人デジタルコンテンツ協会編「デジタルコンテンツの次世代基盤技術に関する調査研究」第四章
https://anotherway.jp/seriousgamesjapan/archives/Fujimoto-SeriousGames.pdf
<講演・発表>
・藤本徹 (2006). 海外におけるシリアスゲームの最先端: エンタテインメント・ゲームの可能性はどこにあるか. 日本シミュレーション&ゲーミング学会2006年度秋期大会記念シンポジウム. 2006年11月11日.
(資料とレポート)
https://anotherway.jp/seriousgamesjapan/archives/000795.html
・Fujimoto, T., Beppu, F. (2006). Games for Health in Japan, presented at Games for Health Conference 2006. 09/29/2006.
・藤本徹 (2006). シリアスゲーム:デジタルゲーム技術を利用した教育課題への取り組み. 熊本大学eラーニング連続セミナー. 2006年8月9日
(発表資料)https://anotherway.jp/seriousgamesjapan/archives/Kumamoto080906-Fujimoto.pdf
・藤本徹 (2006). シリアスゲーム:コンセプト、事例とその展開. 東京大学BEATセミナー. 2006年8月5日
(発表資料)https://anotherway.jp/seriousgamesjapan/archives/BeatSeminar080506-Fujimoto.pdf
(セミナーレポート)http://www.beatiii.jp/seminar/023.html
<ワークショップ、取材その他>
・Fujimoto, T & Almeida, L. (2006). Learning design through playing entertainment games, presented at Learning & Performance Systems Department Student Technology Advisory Committee workshop, April 14th.
・The State Of Serious Games In Japan (Serious Games Source)
http://seriousgamessource.com/features/feature_041806_sg_japan.php
・シリアスゲームジャパン藤本徹氏インタビューと今後の展望(株式会社シナジーWebサイト)
http://syg.co.jp/seriousgame/gfh4_1.html
・GDC2006 シリアスゲームサミットレポート(RBB Today)
http://www.rbbtoday.com/column/seriousgames/20060404/
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こうしてみると、今年は研究者にとっては基本活動たる査読付の研究論文投稿や研究発表から遠ざかっていたのが明らかだ。これも修了試験の時に今年の分の学者的な勤勉さを使い果たしてしまったような感じで、モチベーションがあがらなかったのが大いに影響している。授業を取らなくてよくなった分の自由を謳歌しすぎたということもある。
あと、このような発表や論文の形ではない個別ミーティング、勉強会、コンサルティング的な仕事が今年は目立って数が増えた。日本からの話はもとより、アメリカでも徐々にこの手の案件が出てきているのはうれしい。たいがいは英語力の低さがネックになってうまく行かないのが惜しいところだが、すべて思うように行くものでもないのでぜいたくは言えない。
今になって思えば、もう少し勤勉にやれたのではないかと反省したくなってくる。おそらく日々の生産性向上のための工夫をすれば、消耗せずにもう少し成果をあげられる気がしている。自分の時間の使い方の中で、純粋に無駄に過ごしているなと思う時間はまだ結構あるので、改善の余地は大いにある。
今年もよくテレビを見たし、ゲームもほどほどにやった。多少ながら英語力向上のおかげもあって、テレビからはいろいろと吸収できることが増えた。ゲームの研究をしているといいながら、ゲームの時間が十分に作れていないのがやや情けない。ゲームの方からはまだ吸収し切れていない感じなので、もっとゲームの時間を作っていろいろ試していこうと思う。
こうして振り返っているうちに、日本は新年を迎えたようで、年賀メールが届き始めた。まだこちらは旧年中なので、新年のことはまた明日になってから考えようと思う。なんだかまだ十分に振り返りきれていない気もするが、先のことを考えるにも振り返りは必要なので、続きはまた新年のことを考えながら。
今年も一年おつかれさまでした。
Wii Sportsバンドルの理由
US版のWiiには、Wiiスポーツがバンドルされていて、250ドルの本体を買えばすぐに遊ぶことができる。日本では売っているものをUS版ではなぜオマケにつけているのか、広告を見ている時点ではピンとこなかった。だが先日、友だちのうちに遊びに行ってXavix(ザビックス)をプレイしてみて合点がいった。
Xavixは、任天堂からスピンアウトした技術者たちが立ち上げた、新世代という滋賀県にある会社が出しているエクササイズゲーム機だ。Xavixポートというコンソール機用にテニス、野球、ボーリング、ボクシング、ゴルフのスポーツゲームと、エクササイズ用のエアロステップなどが発売されている。スポーツゲームはそれぞれのスポーツに使うボールやラケットなど形をした専用コントローラーで身体を使って操作する。
このスポーツゲームのラインナップを見てわかるように、Wiiスポーツに入っているものと同じである。専用コントローラーを使っていて、ゲームも作りこんでいる分、Xavixの方が遊べる要素の多いところはあるが、ゲームプレイの感覚はほとんどWiiで十分に代替できてしまう。操作性のよさの点ではWiiの方が勝っている。一本で同じように遊べてしまうのだったらわざわざこっちを買う必要ないね、Wiiだったら他のゲームもいろいろ遊べるし、という感じになる。
Xavixポートは日本ではさほど盛り上がっていない感じで、コンシューマ市場にはなかなか食い込めていない様子である。この会社の製品は、Xavixよりもテレビに直接つないでプレイする子ども向けゲーム専用機の方が普及している。アメリカでも日本よりは少しはましという程度だろう。うちの近所のベストバイなどの家電店では取り扱いをやめていたりして、それほどパッとしていない。だが、アメリカは市場が大きく、ヘルスケアの問題も深刻なので、エクササイズ関連のゲームは大きく化ける可能性がある。
Wiiスポーツはアメリカでも売れば普通に売れると思うのだが、あえてバンドルしたところにはこの辺りの事情があるのだろうと推測できる。家庭用体感型ゲームの最も大きい市場はWiiできっちりおさえに入るという、任天堂の意思表明である。これでXavixは現在のWiiとバッティングする商品ラインナップでは厳しくなったというか、すでに勝ち目は無くなった。このままのやり方では立ち行かず、経営戦略を大幅に見直さないと会社自体が危機に陥るだろう。
立ち上がりは順調だったように見えても、ひとたび業界の巨人が体力と技術力にものを言わせて本気を出してかかると、あっという間に吹き飛ばされてしまうという現実を示す例となりそうである。ベンチャー企業が軌道に乗って、対象とする市場がニッチでなくなる段階や、主要な市場で勝負をしようとする段階になると、経営リスクのレベルが格段にあがる。直接対峙する相手のプレイヤーががらりと変わるのだ。ここで一歩退いて別の市場を開拓することで直接ぶつかるのを避けるか、消耗戦になってもその市場にとどまって勝ち残るまでやっていくか、あるいは他の全く異なる戦略をとるか、新世代にはそんな選択が迫られていると思われる。
いかに人々に楽しさや幸せを与える商品であっても、ビジネスはビジネスであり、組織として存続しなければどんな価値も提供できない。夢や理想を追いたければ、企業体として常に沈着な経営判断をしていく必要がある。Wiiスポーツのような楽しいゲームも、そうしたビジネスの厳しさのなかで生み出され、提供されているということなのだろう。
Wii 初日の様子
Wiiを入手して、さっそく人々とゲームの関係の変化を目の当たりにしている。
箱を開けてセッティングしてみると、ゲーム開始までほとんど混乱する要素が無く、シンプルなインターフェイスでネット接続もすぐにできた。リモコンの感触がよく、魚が釣れた時のようなリアクションが妙に心地よい。同じバイブ機能でもPS2のコントローラーの震えとはだいぶ違う感触だ。
買って来た日の夜にはさっそく30代男が3人で酒を飲みながらWiiスポーツに興じた。タイプ的には私はカジュアルゲーマー、あとの二人はゲーム引退組である。「うぉっ」とか「うはっ」とか叫びながらすっかりハマっている。そのうちMiiで自分の似顔絵キャラクターを作れることに気づいて没頭し始める。あーでもないこーでもないと、お互いの顔を凝視しながら各々のキャラクターを作り合った。そしてゲームを再開してしばらく遊んでいた。テニス、野球、ボーリング、ボクシング、ゴルフとも、すぐ楽しめる上に、ほどよく難しいところがよい。トレーニングモードではまた違ったゲーム体験ができる。リビングに設置して自由にプレイできるようにしたら、ルームメイトはボクシングをやり過ぎて「筋肉痛が痛い」とぼやいていた。
うちでの出来事もそうだが、You TubeでWiiを検索すると、ばあちゃんと孫が遊んでいるところや、奇声を発しながらリモコンを振り回すおねえさんなどたくさん出てきて、みんなWiiでいかに盛り上がっているかを伝えたくなっているようだ。まさにWiiが狙いとするところのゲームをしない人やゲームを引退した人々が手にとって遊んで、その輪が広がっていっている。店に買いに来た人たちも、少し前は子どもに買い与える風な顔をした親ばかりだったが、クリスマス明けの時には親たちもすっかり一緒に遊ぶ気で買いに来ている様子だった。DSの売れ方もすごいが、Wiiは立ち上がりから全く人々の動きが違っていて、すでにDSよりもはるかにすごいことになっている。これからゲームのラインナップが増えていって、1年後ぐらいに人々のゲームに関わる行動がどう変わっているのかがとても楽しみだ。
ついにWii(USA版)入手の顛末
昨日ついにWiiを入手した。日本でもまだ品薄のようだが、アメリカでもまだ品薄。発売以来何度目かの挑戦の末、ようやく手に入った。
Wii入手の挑戦は、日本にいるときに始まった。日本に滞在中にちょうどWiiの発売日に東京に居合わせたので、発売日の早朝、たくさん売っていそうで少しは買える可能性もあるかもと思い当たる店を周ってみた。ところが、いずれも前日のうちに整理券配布終了で全く歯が立たずに撃沈。早朝販売の店で買うには、前日から並ばないと全くダメだったらしい。抽選販売の店に行けばまだ買えたかもしれなかった。一消費者としての気合不足と情報収集不足を痛感した。
買えなかったことを残念に思いつつアメリカに戻ってきてすぐに、気を取り直して再度挑戦。近所の家電店やスーパーを周ってみたが、いつ入荷か店員も全くわかってなくて、いつ行けば買えるのか全くわからなかった。近所のゲーム屋に行ってみると、店員が入荷情報を把握していて、金曜の入荷でWiiが何台か入るかもしれないという情報を得た。
そこで金曜に朝から出直してみると、10時の開店直後から店内にはWiiの入荷を待つ人が待ち構えていた。一人の大学生と思しき客がウェイティングリストを管理していて、私はリストの9番目になった。その後続々とWii目当ての客は押し寄せ、昼前には20人くらいがリストに名を連ねた。平日だったこともあり、客のほとんどはクリスマスに子どもからWiiを頼まれて買いに来たお母さんお父さんたち。こういう時アメリカ人たちは、知らない人とでも気軽に話すので、放っておいてもワイワイと会話の輪が広がっていく。おかげで待つ退屈も紛れる。発売日以来の苦労話や近所の店の入荷情報などあれこれ話しながら過ごした。おかげで、この近辺の購入情報はだいたい把握できた。
待ちリストを管理している大学生は、ただの客にもかかわらず、来る客みんなにWiiを買いに来たのかを聞いて、待ちリストの説明をして店員のように甲斐甲斐しく働いていた。そのうち他の客に彼を店員なのかと勘違いする人も出るようになって、「ボクは店員じゃないよ」と何度も断りを入れていたのには笑えた。
待つこと3時間余りの午後1時半頃、UPSのトラックが店の前に止まり、店内の人々がざわめきたった。入荷のダンボールの数は結構ある。店員が荷物を仕分けた後、9台入荷したとアナウンスした。ちょうど私の番までが購入できることになった。後ろにいた20人以上の客たちは落胆しながら帰っていった。私のすぐ後ろの10番目のおばさんが落胆しながらもまだあきらめきれずに残っていた。近い番号の人たちとは一緒に話していたのでこのおばさんがどういう事情で今日買いに来ているかも聞いていた。余りにがっかりした様子で、もうクリスマス前には買えないと話していたのがつい気の毒になって、ぼくはまたすぐ買いに来れるから、とそのおばさんに自分の番号を譲ってしまった。おばさんはとても喜んでくれて、御礼に50ドルをくれたのは嬉しかったが、結局この日もWiiは買えず、私はもらった50ドルを握り締めて帰宅した。
その後も買い物のついでに、Wiiを取り扱っている店に顔を出しては入荷情報を確認しつつ様子を見ていたところ、「日曜のセールに合わせてこの辺の店にWii入荷する」という情報を得た。そこで日曜の早朝、夜も明けぬうちから各店を周ってみた。すると前夜から並んでいたと思しき人々が店の前で防寒フル装備で座って待っていた。どこも店の入り口の張り紙に、今日入荷しますが台数は・・台です、と書いてあって、その台数分の人がすでに並んでいたのでアウトだった。アメリカ人の購買意欲は、ブラックフライデー(サンクスギビングの早朝大売出し)と、クリスマスにピークになっており、単にWiiがほしいというだけでなく、クリスマスに間に合わせようという気合がすさまじい。今回も完全に気合負けだった。
クリスマスが明けて26日、人々の活動が平常に戻った最初の平日ということで、案外狙い目なのではないかと思って、朝から再びゲーム屋をのぞいてみた。すると店員は、今日からUPSは動いているので入荷の可能性はあるが確実ではない、と言っている。まだ店内にはWii目当ての客は誰もいなかったので、もしかしたら入荷はないかもと思いつつ、とりあえず待ってみた。店員は客からのWii入荷の問い合わせにオウムのように同じ返答をしている。時間が経つにつれてWiiの問い合わせは増えたが、ほとんどの客はすぐにあきらめて帰っていった。
店員の予想よりもだいぶ早い午前11時半、UPSのトラックがやってきて、商品のダンボールがいくつか入荷した。客たちは列を作り始めた。私は一番前に並ぶことができ、レジの店員と話しながら待っていた。もう一人の店員が奥に荷物を運び入れ、仕分けた商品をカウンターに運び入れる。最初に来たのはPS3が2台。PS3も品薄でなかなか買えない人気商品だというのに、客たちはPS3には見向きもせず、なんだよPS3かよ、とがっかりしている。その直後、Wiiは2台だけ入荷、と店員のアナウンスがあり、私と2番目にいた男の子が今回の幸運を手にすることとなった。列の後の客たちは落胆の声を上げながら店を後にしていった。「ここのところいつもこんな感じで、店が混雑していると思ったら、UPSのトラックが来たとたんに、あっという間に閑散とするのよ」とレジの店員は苦笑していた。
ゲームも一緒に買うかと聞かれたが、USA版の本体には「Wii Sports」がおまけでバンドルされているので、とりあえずはそれを試してみることにして、今回はゲームは買わずに済ませた。まず買いたいと思っていた「はじめてのWii」や「おどるメイド・イン・ワリオ」は、米国発売は来年なのでまだおあずけである。リモコンも品薄でなかなか買えないのだが、この時ちょうど在庫があったので、追加でリモコンを一台購入。ヌンチャクはまだ在庫切れで買えなかった。
こうしてついにWiiを購入できた。これだけ苦労すると手にできた喜びも倍増する。すでに世界で何十万人もの人たちが同じようにあれこれ苦労して手に入れているということを思えば、これだけ購買意欲を刺激する商品を作るというのは大変なことだと思う。それに、購買者の意識や購買者の層に変化が起きているようで、従来の子どもに買い与えるという意識から、家族で利用するものを買う、という意識に変わってきている印象がある。テレビか何かの家電品を買うような感覚に近づいているのかもしれない。
今回なんとか買えたのは、アメリカでは発売から1ヶ月余りが経過し、気合の高かった人たちの多くはすでに購入済みということと、クリスマス明けすぐは人々の購買意欲は平常に戻っていることで、かなり買い易くなっていたということもある。XBOX360も最近ようやく普通に在庫がある状態になってきたように、Wiiもあと少し経てばもっと買い易くなるのは間違いない。それがわかっていてもあえて並んで買ってしまおうと私も思わされたという次第である。
今回は一消費者として、今までにない多くの経験をした。列に並んで人気商品を発売後すぐに買おうとする行為自体ほとんどしたことがなかったので、その不慣れさからくる数々の失敗を経験し、「人気商品を買うこと」という領域の知識を身につけたのち、難易度も下がった頃にようやく目的を達成できたという感じである。どんな活動にも専門知識というのがあって、それはバカにしたものではないなと考えさせられた。
型にある良さと演じ手の良さ
先日、徳永英明のカバーアルバム「VOCALIST」、「VOCALIST 2
」のCDをいただいたので、仕事の合間などに聴いている。このアルバムは、女性アーティストのヒット曲を徳永英明がカバーしたもので、「時代」、「異邦人」、「いい日旅立ち」など、私が小学生かもっと幼い頃に耳にしていた懐かしい曲から、「ハナミズキ」「涙そうそう」のようなちょっと最近めの曲まで収録されている。
カバーアルバムにはいくつかのよさがある。すでに他の人が歌ってヒットした曲なので、その曲の持つ良さを楽しめ、さらにそのパフォーマーの持つ表現力やアレンジの部分も楽しめる。少し前にトリビュートアルバムというのが流行って、偉大なアーティストの曲を、そのアーティストに影響を受けた人たちがカバーした曲を集めたものが結構出ていた。これも元の曲をいろんなカラーを持つアーティストたちが料理するのを聴く楽しさがある。さらには演劇で異なる演出家や役者によるものを見比べたり、クラシック曲で異なる演奏者や指揮者をいくつも聞き比べるのも似たような楽しさだと思う。
良い作品というのは、その曲なり戯曲なりの「型」が持つ良さと、それを演じるパフォーマーの持つ良さが組み合わさったものだと思うが、このような関係は芸能的なパフォーマンスに限らないと思う。同じ教科書を使って教える教師、同じ病気を治療する医者、同じ製品を売るセールス、何か一つの結果を求めてパフォーマンスを行う仕事には、いずれも表現の仕方やアプローチの仕方に一つの型があり、それを扱うパフォーマーの創造力や技術によって結果が変わる。
優れて創造的な人は、参考にできるものが少なくても、自分でその型となるものを創ることができ、自分の表現の仕方も工夫して磨き上げることができる。そこまで創造的でない人でも、「あ、こうやればいいのか」というのがピンと来るようなわかりやすい「お手本」があれば、自分なりの工夫をしてアウトプットの質を高めることができる。優れたオリジナルは、そのようなお手本として機能するが、工夫なくただそれを真似るだけでは、ただのコピーになってしまって自分の味は出せない。何かヒット作が出たあとにあふれるフォロワーのほとんどは、表面的なコピーしかできないものが多く、だからその流行が過ぎると行き詰まって消えていく。
ただのコピーから脱却するには、一つのモチーフに対する表現の幅を広げることが必要で、自分の表現の型を持った優れたパフォーマーによるパフォーマンスは、その助けとなる要素が多く含まれている。優れたパフォーマーがオリジナルをどう料理して表現しているかを学んでいけば、ヒントの少ない状態では自分の型を作れない人でも、コピー脱却に向かうことができる。
そのような意味で、よいカバーアルバムは良い教材になる。私は歌手を目指しているわけではないので直接の参考にはならないが、自分の分野にもカバーアルバムのような要素を持つものはあちこちにある。
このアルバムでは、そのような自分の表現の型を持つ徳永英明が、自分の持ち味で良い曲を静かにしっとりと歌っている。そもそも徳永英明自体かなり懐かしい存在になりつつある上に、歌っている曲はどれも昔のヒット曲ばかりなので、さらに懐かしい気分になれる。ついでに「壊れかけのRadio」や「輝きながら」などの昔の徳永英明のヒット曲も引っ張り出してきて聞きたくなる。そんな気分に共感できる人にお勧めのCDである。
Flowers for Seymour
日本から戻ってきて間もなくのこと、MITメディアラボ名誉教授のシーモア・パパート博士が、ベトナムのハノイで交通事故に遭ったという知らせが入った。重傷ながらも快方に向かいつつあるということだった。パパート博士は、プログラミング言語のLogoを開発したことでよく知られていて、学習メディアについて学べば必ず出てくる偉大な研究者である。
昨日、何かのついででたまたまWikipediaのパパートの項を目にしたのだが、するともうこの事故の報が記載されていた。それとパパート博士にお見舞いのバーチャル花束を贈ろうというプロジェクト「Flowers for Seymour」が行われているということがあわせて告知されていた。みんなできれいな花のデジタル画像をFlickrのグループページに集めよういうもので、すでにたくさんの美しい花束が寄せられている。写真自体とても美しいが、人々の思いのこもった花束ということが、見るものへはさらにその美しさを引き立たせていて、回復中のパパート博士にはとてもうれしいお見舞いになると思う。
Iron Chef America
以前書いたことがあるかもしれないが、USA版「料理の鉄人」、「Iron Chef America」がケーブル局のフードネットワークで放送されている。少し前まで、フジテレビでやっていたオリジナル版料理の鉄人を買い付けて放送していたが、昨年から同じフォーマットを使って制作したものを放送するようになった。
この番組、オリジナル版を忠実に完コピしている。おそらくフォーマットを買う時にそういう契約をしているのだと思うが、フォーマットは全くそのままに、演出もオリジナルを尊重したつくりになっている。あと以前にいじりすぎてファンの不評を買って失敗した局があるそうで、その反省もあって現在のスタイルになっているようだ(番組周辺の詳しい情報はWikipediaを参照)。
オリジナル版のテイストを方向付けていた美食アカデミー主宰の鹿賀丈史の代わりは、主宰の甥という設定で若いアクション俳優がつとめている。最初はアクションが空回りして浮いてる感じで違和感があったが、慣れてくるとそれほど気にならなくなってきた。番組自体も、初期はオリジナルを再現するのに躍起になっていた感じだったのが、今は制作側も回数を重ねてやり方を自分のものにしたようで、USA版独自の味が出てきている。
こうしてUSA版を見ていると、オリジナル版の完成度の高さをあらためて感じる。同じ型で別の人がものを作ると、その型のよさの部分と、作り手のよさの部分の輪郭が見えてくる。この辺りをじっくり見ていくことは、何かものを作る技術を向上させたり、パフォーマンスする技を磨いたりする上で重要な知見を与えてくれると思う。
第ニ作目進行中
一冊目の執筆作業は残りが再校だけでだいたい落ち着いたので、第二作目となる翻訳書の作業を本格的に進めている。一日に3~4時間翻訳作業にあてて、それを毎日粛々と続けている。慣れてきたおかげで、だんだんペースが上がってきて、週当たりの作業量が2倍になった。1月いっぱいかかると見積もっていたところを二週間前倒しで作業を終えることができそうだ。
自分が翻訳の作業をしていると、人の訳文に対する見方が変わる。前は気にならなかったような訳し方の拙いところが見えて気になったり、うまい処理の仕方に気づいて参考にしたりと、今までは吸収できなかったことが吸収できるようになる。自分のスキル自体がまだ拙いため、上達の余地が大いにあって、今は何をやっても上達につながるという感じで楽しく仕事ができている。何より、面白い本を選んでよかったとつくづく思う。とりあえず訳していて面白いので、その面白さをうまく表現したいというところがモチベーションになっている。
一作目は2月下旬、二作目は5月、三作目は夏~秋という予定はなんとか維持しつつ進行中。いずれも手ごたえがあり、ワクワクできる内容になっているのでどうぞご期待ください。