「IDやってます」の有効期限

 最近、「インストラクショナルデザイン」という言葉もだいぶ普及してきたようで、「IDやってます」を売り文句に掲げる教育会社や、「高等教育でもIDを導入しよう」と声高に主張される大学人の方も増えてきた感がある。ロジャースのイノベーション普及過程の概念を借りれば、アーリーアダプター(初期採用者)からアーリーマジョリティ(初期多数採用者)の段階に入りつつあるところだろうか。Web上で得られる日本語のID関連情報も私が日本にいた3年前と比べて量的にはずいぶん増えてきたし、教科書類も、片手で数えても指があまるくらいだったのが、今では両手が必要になるほどに増えた。ID学習者の基礎本であるDick & Careyの The Systematic Design of Instructionの訳書もいつの間にか出ていた。こういうのが何冊か出揃うことで、ようやく日本でもIDを学習できる環境が整いつつあると言えるようになる。

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使えるスキルの教え方と身に付け方

 ここ2週間の忙しい時期に、自分がどういう風に仕事をさばいたかを振り返ると、ここぞという時に頼りにしているのは、いずれも自分が積み上げてきた経験やスキルだった。それがどうやって積み上げられたかというと、自分のできるレベルよりも難しいものを締切に迫られながら、半べそかいて必死になってやったものほど血となり肉となっている。筋肉をつけるのと一緒で、軽いものをいくら持ち上げても力はつかなくて、逆に自分の力量からかけ離れているものは持ち上がらないし、下手をすると筋を痛める。つまり、楽な仕事からは新たなスキルは身につかず、難しすぎる仕事は無理をしてやっても、次につながるスキルは身につかない。楽な仕事ばかりやってると、飽きるのでモチベーションが下がる。同様に、無理な仕事をやりすぎると、その仕事に対する拒否感が植えつけられてモチベーションが下がる。

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Radical Thinkers with Dr. Merrill

 今日はインターンの出勤日だったが、Radical Thinkersのセッションがあったので、オフィスを抜け出して参加。今日のスピーカーはインストラクショナルデザイン研究の大家、デビッド・メリル博士。司会のJoshがMonumental, Elder Merrill (記念碑的な大長老メリル)と紹介していたが、まさしくこの分野では並ぶもののいない大学者であり、大実践家のメリル博士である。Instructional Transaction TheoryやFirst Principlesなどのインストラクショナルデザイン理論を編み出すばかりでなく、自分で教育ソフト開発の会社をやったり、大手企業の教育コンサルを数々手がけたりと、たいへんな人である。

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記憶に残る学習体験

 ようやくプログラミングの課題が終了。ゲームの画面に敵の位置を示すレーダーを表示して、あれこれ工夫せよという課題だったのだが、ベクトル計算やら機能の追加やらややこしいことが多くて苦労した。この苦労した、というところが学習体験において結構重要で、スムーズに学べるものは快適だけどもあまり印象に残ってなかったりする。思い起こせば、あとで振り返って記憶に残る学習体験というのは、必ずしも学習支援がきちんとデザインされてなくて、むしろいい加減で、途中で試行錯誤を余儀なくされつつ、どうにかゴールまでたどり着いた、というものであることの方が多い。やってる途中はすごい苦痛なんだけども、最後がうまく行けばいい経験をしたとポジティブな印象が強く残る。でもこのアプローチはリスキーで、最後にうまく行かなかった場合、強烈なマイナスの学習体験として記憶に残る可能性も高い。いわゆる結果オーライに頼った教育手法だが、いい先生といわれている人がやっているのは、この結果オーライ依存型だということが案外多いように思う。

10/29(金) Radical Thinkers with Larry

 今朝はNittany Lion InnでLarryとRadical Thinkersコミッティメンバー3名でホテルビュフェの朝食。プログラム持ちなので役得である。院生有志の主催するディスカッションセッションにこのような大物をセッティングしたJoshはエラい。彼一人でこのグループのスタンダードをあげていてなかなかのものである。私が先日セッションをコーディネートするに至ったのも、このスタンダードの高さの賜物であるので彼には大変感謝である。
 朝食ではニューヨークタイムスの社説を取り上げて、いい教師を増やして、クラス定員を減らせばいい教育になるというのは幻想であって、そんなことは不可能である、という話や、ラーニングサイエンスの分野としての盛り上がりについての話が特に印象深かった。他にもシャンクの最近の活動や、Kurt Squireのゲーム研究の話など、興味のある話が盛りだくさんだった。彼の雑誌は研究論文集ではなく、雑誌として編集されているので、その時々に注目される理論や研究で特集が組まれていたりする。それを40年近くも続けてきていて、教育工学界の成長を支えつつ、ともに成長してきた雑誌である。
 朝食後、いったん仕事に戻ったあと、またキャンパスに戻ってきて、今度はRadical Thinkersのセッションである。いつものようにビデオ収録係をやりながらセッションを聴いた。参加者は20人ほど。数人の教員と、残りは院生である。「Timidity of Educational Technology(教育工学の小心さ)」というテーマで、教育工学研究が幅の狭いメディア・テクノロジー研究に終始しているのでなく、本来は教育システムのデザインの役割を担うべきでないか、という問題提起から議論が進んだ。カリキュラム研究、学習科学、教育心理学、などいろんな関連分野があるが、教育工学がそのかさとなる概念であり、メディア開発やテクノロジー研究の部分にばかり目を向けて、教育工学の概念を狭めてはいけない、教育システムのデザインを志向していくべきであるというようなLarryのコメントを軸に、いろんな立場からの議論がなされた。いつものように1時間はあっという間に過ぎて盛会のうちに終了。

教育工学界の有名編集者来訪

 大学院生有志で運営しているRadical Thinkers Discussion Seriesのゲストで、Educational Technology Magazineの有名編集者Larry Lipsitzが来訪。夜はプログラム長のAliのうちでレセプション。INSYSの教授陣が7人ほど参加してのファカルティのみのレセプションだったが、Larryをホテルからエスコートした私とBrianの院生2名も同席した。Aliのうちは古いアメリカ家屋をリフォームしたもので、天井が高く、あちこちに工夫が施されていて自慢の我が家というところだ。双子と年子のちびちゃん3人にコリー犬と猫もいてにぎやかである。
 60年代の教育工学の黎明期から雑誌の編集者をしてきたLarryは、いかにもニューヨークの編集者らしく、ニューヨーク訛りで声もでかく、話し出すと止まらない。スキナーの頃からこの分野の動向をずっと追っているので、どの研究者が何の研究をしているといった話にはめっぽう明るく、本人の教育工学に関する見識もたいへんなものだ。Aliが「うちのプログラムで誰か雇うとしたらどの分野の研究者がいいと思う?」と意見を求めたりしていたのが興味深かった。ここで行なわれていた会話は、どこを切ってもうらやましいもので、いずれ日本の教育工学分野でもこのような場が実現するように、人も研究も充実させたいものである。話は尽きず、10時半でようやくお開きになり、帰宅した。お土産に同雑誌の最新号をもらった。

3/15(月) ISDの実証研究

 昨日早く寝たので、今日は朝5時から活動開始。アシスタントの仕事で、教授やら他キャンパスの担当者やらに数本メールを書いた。面倒なトラブルになっているのだが、この手の調整業務は慣れている。この仕事、まあ興味はあるし忙しさもほどほどで、来年も続けられそうなのだが、自分としては早く資金を確保して自分の研究を始めたいので悩ましいところだ。
 3時過ぎまであれこれこなして、Dr. Dwyerのリサーチデザインのクラスへ。今日はTAのドクターがリサーチのReliabilityとValidityについての解説をする回だった。どうでもよくないのだけど、自分にとってはReliabilityもValidityもなんか学校の校則みたいなもんで、積極的に学ぶ気にはあまりなれない。変数の多い教育効果の実証研究では、ハードサイエンスのように実験環境を完全にコントロールすることなどできない。実際、研究の過程では妥協も多く、無作為抽出の方法など、これっていい結果が出るかどうかはかなり運任せじゃん、っていうことも多い。しかも再現性を重視してあれこれ科学的手法を用いてやっているのだが、結局は人相手の実験なので、材料や動物を使ってやる実験のようには統制はできない。心理学や認知科学のような人相手の実験と比べても、教育内容や指導方法や学習者のレベルなど、ちょっとしたことに影響を受けやすい変数が存在していて、それらを妥当な形で統制することにかなりのエネルギーをとられる。まだ学んでいる途中なので本質が見えていないだけなのかもしれないが、どうもこういう実験研究は、研究のための研究のような感があって、ここに力を入れても教育の質を高める本質はつかめないんじゃないかという気がしている。
 教育は技術であって、技術化されてなくて特定の人しかできないものはアートだ。そして、普通の人が名人芸レベルに近いパフォーマンスを出すための方法論を確立したり、再現性のある技術にしたりするのが教育研究の目的だと思う。しかし、ISDの実証研究の中には、アニメーションは教育効果を高めるか、とか、メディアは教育効果に影響するか、とか、そんなのやり方次第じゃないか、と言いたくなるような命題を立てて多くの研究者が研究している。たしかにそうした研究から意味のある研究成果も得られるだろう。でもそれだけでは教育の質を高めるための研究は完結しないと思う。この部分が今自分がこの分野の研究に対して感じている違和感の一番大きいところのような気がしている。

シミュレーションとISD

 今日はデザイナーインタビューの課題の提出日でもあった。自分のはインタビュー相手に恵まれたおかげでなかなかいいプロジェクトになった。インタビューをしたクラーク・アルドリッチ氏はもともとe-learning関連のコンサルタントで、e-learningを普及させる立場にいたのだが、普及に値するいい製品がないということで、自分がいっちょお手本になる質の高い製品を作ってやろうということで、コンサル会社をやめて自分の会社を立ち上げて、リーダーシップトレーニングのシミュレーションを3年かけて開発した。彼の努力は実って、昨年のe-learningベストプロダクトに選ばれた。彼の気合は並大抵でなく、リーダーシップモデルも、シミュレーションのエンジンとなるAIも、インターフェースも、すべて一から作り上げた。既存の専門家やコンテンツはすべてリニアなコンテンツのための専門家であって、シミュレーションのような非リニアコンテンツを作るには用を足さなかったからだ。残念ながらISDの専門性も、かなりリニアな教育コンテンツの開発が前提であり、シミュレーションの開発には不十分だ。これからシミュレーションのような非リニアなコンテンツを利用した教育の重要性が増すのは自明であるから、日本で普及すべきISDはそうした非リニア性も取り入れたものにしていくべきだろう。

IDへの違和感

 最近どうもIDを学ぶことに対する違和感があって、それが何だかつかめてなかった。それが今ふと、自分のゴールとIDの分野でやっていることにずれがあるということに気づいて、合点がいった。ID分野の研究は、端折って言えば既存の教育内容を再現可能な形でいかに効果的効率的に教えるかというものだ。そのことに興味を持ったからIDを学び始めたのは確かだ。しかし今の学校で教えられているようなものを同じ形で効果的効率的に教えたところで意味はない。大学受験対策の勉強が1年かかるのを半年でできるようにしたところで、大学受験勉強の効率がよくなるだけで、学ぶ内容自体に意味があるようになるわけではない。そういう無駄な営みを効率よくするための片棒担ぎはしたくないのだ。
 自分のIDの専門性は、より重要で意味のある学習を普及させていくため、あるいはそうした学びを阻害するような余計な教育をなくすするために使われるべきものだ。そのためには現在の学校教育、あるいは学校教育のモデルを模している社会人教育自体を変えていくためのアプローチを取る必要がある。問題解決型アプローチやLearning by Doing(行動による学習)はその一つのあり方であって、この考え方に基づいた教育内容を整備していくことが一つの方向性だろう。日本の大学でも問題解決型学習というのが掲げられるようになったが、やっていることは教科中心型教育の延長線にしかなく、手ぬるい。その手ぬるい教育をへたをするとIDが延命させることも起こりうる。それは避けたい。これから日本で広めるべきIDは、情報化社会以前のアメリカで開発された旧来のIDではなく、今アメリカの研究者たちが苦労して模索している未来のIDだ。
 まだ大半はジャストアイデアだが、かなり自分の中での整合性がとれたのですっきりした。

イベントによる学習促進

 今気に入って見ているテレビ番組はいくつかある。一番楽しんでみているのは、The Apprenticeというリアリティショーだ。前にも日記で書いたが、これは不動産王のドナルドトランプが子会社の社長を探しているという設定で、応募した16人の挑戦者がその社長の座を争って毎週ビジネスゲームに挑戦するという内容だ。男女二チームにわかれて、一週目はニューヨークの街中でのレモネード売り、二週目はチャータージェット機会社の広告企画、三週目は買い物値切り競争、四週目はレストラン運営、などのタスクに挑戦し、勝てば社長生活を垣間見れる豪華なご褒美、負ければ会議室でドナルドトランプに叱られ、負けに最も貢献した人が首になる。そのプロセスの人間模様の面白さが番組の見所となっている。
 視聴者からすれば、MBAホルダーや大企業のマネージャーといった挑戦者たちの使えなさ加減を嘲笑し、彼らが生き残るためにあれこれ駆け引きをする様子を面白おかしく見、またはドナルドトランプという押しの強い芸能人的事業家のキャラクターも楽しめる。娯楽番組のつぼを押さえていて、日本でも人気が取れそうな番組だと思う。日本の「マネーの虎」と近いにおいがする番組だが、The Apprenticeの方が番組の企画や構成がよく練られている。
 で、なにが教育に関係するのかといえば、挑戦者がみんな日常では得られない学習をしているのだ。1日や2日で企画をして、成果を出すことを求められる中で、プロジェクトをうまくまわして相手チームに勝たなければならない。豪華なご褒美や首がかかっているのでみんなマジである。このマジな時間に吸収できることは、日常の同じ長さの時間に得られるものの比ではない。それは試合やテストの前にがんばったり、サービスリリース前に火事場力が出せたりすることを経験した人であれば容易に想像できるだろう。学習を促進するにはイベントのような仕掛けが有効なのだ。The Apprenticeの挑戦者は、勝負に勝ちながらドナルドトランプに認められる人物になろうと頭を働かせるし、マネーの虎の挑戦者も、社長たちから金を出してもらうためのプレゼンをするために一生懸命知恵を絞る。NHKのど自慢大会でも、参加者は優勝するために一生懸命練習する。そういうインセンティブは日常を普通にやっていたのでは引き出すことはできない。これはテレビ番組である必要はなく、人が燃えるような仕掛けであればいい。テレビというのは人に見られるというのが大きな促進効果をもたらす。その効果が重要であれば、ローカル局でも校内放送でもかまわないから、組み込んでしまえばいい。社内コンテストや論文懸賞のようなイベントは恒例行事だからやるのではなく、構成員の学習のためにやるのだ。そうであれば、組織のドメインと関係ないものでなく、参加者がそこでがんばることで、直接でも間接でも組織の力を伸ばすことに関連するものを頻度を上げて実施するのが有効だ(そういう意図がセコく透けて見えるような仕掛けは逆に敬遠される)。教育訓練とイベントを分ける理由はないし、テレビのようなメディアはそのツールとして活用し、戦略的に教育の一環として実施していくべきだろう。テレビ業界の方が先導して今までにない教育的番組を作っていて、教育人が関わるととたんに退屈な教育番組になるのが現状である。そうでなくて、教育の顔をしていなくても学びの多い番組を教育側が先導して提案できるくらいの状態になっていけばよいと思う。