イベントによる学習促進

 今気に入って見ているテレビ番組はいくつかある。一番楽しんでみているのは、The Apprenticeというリアリティショーだ。前にも日記で書いたが、これは不動産王のドナルドトランプが子会社の社長を探しているという設定で、応募した16人の挑戦者がその社長の座を争って毎週ビジネスゲームに挑戦するという内容だ。男女二チームにわかれて、一週目はニューヨークの街中でのレモネード売り、二週目はチャータージェット機会社の広告企画、三週目は買い物値切り競争、四週目はレストラン運営、などのタスクに挑戦し、勝てば社長生活を垣間見れる豪華なご褒美、負ければ会議室でドナルドトランプに叱られ、負けに最も貢献した人が首になる。そのプロセスの人間模様の面白さが番組の見所となっている。
 視聴者からすれば、MBAホルダーや大企業のマネージャーといった挑戦者たちの使えなさ加減を嘲笑し、彼らが生き残るためにあれこれ駆け引きをする様子を面白おかしく見、またはドナルドトランプという押しの強い芸能人的事業家のキャラクターも楽しめる。娯楽番組のつぼを押さえていて、日本でも人気が取れそうな番組だと思う。日本の「マネーの虎」と近いにおいがする番組だが、The Apprenticeの方が番組の企画や構成がよく練られている。
 で、なにが教育に関係するのかといえば、挑戦者がみんな日常では得られない学習をしているのだ。1日や2日で企画をして、成果を出すことを求められる中で、プロジェクトをうまくまわして相手チームに勝たなければならない。豪華なご褒美や首がかかっているのでみんなマジである。このマジな時間に吸収できることは、日常の同じ長さの時間に得られるものの比ではない。それは試合やテストの前にがんばったり、サービスリリース前に火事場力が出せたりすることを経験した人であれば容易に想像できるだろう。学習を促進するにはイベントのような仕掛けが有効なのだ。The Apprenticeの挑戦者は、勝負に勝ちながらドナルドトランプに認められる人物になろうと頭を働かせるし、マネーの虎の挑戦者も、社長たちから金を出してもらうためのプレゼンをするために一生懸命知恵を絞る。NHKのど自慢大会でも、参加者は優勝するために一生懸命練習する。そういうインセンティブは日常を普通にやっていたのでは引き出すことはできない。これはテレビ番組である必要はなく、人が燃えるような仕掛けであればいい。テレビというのは人に見られるというのが大きな促進効果をもたらす。その効果が重要であれば、ローカル局でも校内放送でもかまわないから、組み込んでしまえばいい。社内コンテストや論文懸賞のようなイベントは恒例行事だからやるのではなく、構成員の学習のためにやるのだ。そうであれば、組織のドメインと関係ないものでなく、参加者がそこでがんばることで、直接でも間接でも組織の力を伸ばすことに関連するものを頻度を上げて実施するのが有効だ(そういう意図がセコく透けて見えるような仕掛けは逆に敬遠される)。教育訓練とイベントを分ける理由はないし、テレビのようなメディアはそのツールとして活用し、戦略的に教育の一環として実施していくべきだろう。テレビ業界の方が先導して今までにない教育的番組を作っていて、教育人が関わるととたんに退屈な教育番組になるのが現状である。そうでなくて、教育の顔をしていなくても学びの多い番組を教育側が先導して提案できるくらいの状態になっていけばよいと思う。

Instructional Designerの専門性

 先月、AECTカンファレンスに参加した収穫の一つは、経験豊かなインストラクショナルデザイナーと話しができたことだ。カンファレンスのプログラムにもレセプションがいくつか組まれていて、交流する機会は結構あるのだが、立食パーティではなかなか込み入った話もできない。今回よかったのは、たまたま大学の同僚と、彼の昔の相棒のIDerとで夕飯を食べる機会があったことだ。ちょうどワールドシリーズの時期だったので、ヤンキースの松井の話や日本のプロ野球界の話など他愛のない話をしたりしつつ、仕事の話をいくつか聞いた。
 印象に残ったのは、インストラクショナルデザイナーは、「どれくらいコンテンツのことを学習するのか」という質問に対して、彼の答えは「想定される学習者が理解する必要のあることは一通り学習するが、それ以上は立ち入らない。ただし、コンテンツの専門家がいない場合は自分で全部やることになる。」プロのインストラクショナルデザイナーはあらゆる分野の講座や教材の開発に教育の専門家として関わるので、必ずしもその分野の知識を持っているわけではない。その際、その分野の知識を身につけることではなく、その分野の知識を持った人と共同作業ができるところにプロとしての付加価値がある。それに関しては、Needs assessmentやSubject matter分析の手法がいろいろあって、それらは専門家から知識を引き出すのに有効だ。インストラクショナルデザイナーはそうしたスキルを駆使しながら、他分野の専門家と協働作業ができなければならない。

Instructional designerの基礎スキル

 IDの専門知識とは、講座や教材開発のための理論やテクニック、モデルであり、それらを必要に応じて使い分けるところに専門家としての付加価値がある。しかし、実際には、そうしたテクニックやモデルの知識は、論理思考力とコミュニケーション力がベースになってないと実際の仕事には役に立たない。言い換えれば、IDの専門知識よりも、その人の論理思考力とコミュニケーション力の方が、仕事の成果に与える影響は大きい。
 大学院でも、論理思考力の高くない院生はいかにIDの手法を学んでも、出せるアウトプットはたいしたことはない。逆に、論理思考力があれば、多少の知識の不足はカバーできる。他分野の専門家と共同作業する場合は、きちんとコミュニケーションができないと、いかにIDを学んでもいい仕事はできない。なのでIDを教えるプログラムでは、この論理思考スキルとコミュニケーションスキルを磨く機会を提供することが必須だと思う。Penn StateのINSYSプログラムでは、そうした講座は設置されていないが、その代わりにリサーチプロジェクトの講座の割合を増やすことでこれに対応している。本格的なリサーチプロジェクトを経験する過程で、そうしたスキルを高める機会を得るという社会構成主義的なアプローチだ。それもいいのだけど、そのアプローチを機能させるためには、必要なときに参照できるリソースが十分に提供されなければならない。残念ながらそこはあまりケアされていないので、学部を出てすぐの若い院生には少々レベルが高すぎるきらいがある。
 もし自分がIDに関するプログラムを組む立場になったら、まず基本に置きたいのは基礎的な論理思考スキルやオーラルコミュニケーションスキルやライティングスキルを補うための講座だ。そうした基礎講座の内容は、当然インストラクショナルデザインの現場と関連付けたものにする。そうした講座を先に履修することで専門知識の習得も効率がよくなる。
 つまるところ、一番そういう講座が必要なのは自分だったりするのだが。いずれ短期のワークショップ案でも作ってみたい。

Dr. William Lee講演

10/15(水)に、”Multimedia-based Instructional Design”(邦訳:「インストラクショナルデザイン入門」)の著者のDr. William Leeの講演があったので参加した。彼はPenn StateのINSYSプログラムの卒業生で、大学からOutstanding Alumniの賞をもらって記念講演をしに来たそうだが、公式行事の前に、INSYSの人々向けに1時間の講演をしてくれた。ちょっと早めに会場に着いたら、Dr. LeeとDr. Dwyerが二人だけで談笑していたので輪に加わった。ぼくが日本人だということを知ると、「インストラクショナルデザイン入門」が出版されたことに触れた。もちろん知っている、日本ではIDの参考書はあまり出ていないのでみんなあなたの本で勉強していると思うよと話すと、シンガポールや中国あたりでも出版されて、他にも数国で翻訳される予定があるとか。
講演の内容は、アメリカン航空の教育コンサルをやった経験を交えつつ、IDだけでは企業の文化の壁を越えた組織改革はできないという話だった。教育研修が解決策にならない場合でも、企業の経営者は研修で組織を変えられると考えている場合があるが、そうでない場合が多い。アメリカン航空は立派な研修施設を持っていたが、オンライン教育の導入は逆にその施設があることで導入が遅れた。デルタは逆に数年前に情報システムの基盤強化に資金投入していたおかげでそのインフラを使ってe-learning導入を低コストで行なえた。すぐにその差が歴然となった。研修に金を使う意欲が経営者にあっても、経営者の考え方が必ずしも合理的でない場合もあり、その場合は教育研修が解決策として機能しない。教育研修の精度を高める方向ではなく、組織変革を主眼にした別のアプローチを取る必要がある、ということだった。
Dr. Leeのような実用的なID書の著者でも、IDよりももっとマクロレベルの変革アプローチが必要という考えを持っているのは興味深かった。IDの研究者でそうした考えから、Instructional System Designだけでなく、よりマクロなEducational System Designにシフトする研究者がけっこういるのだけど(Dr. Reigeluthはその代表格)、Dr. Leeも同じ考えを共有するID者なのだ。
休憩を挟んで、後半はDr. Leeの著書、”Multimedia-based Instructional Design”の改訂版に付録でつくCD-ROMに収録されたID者支援ツールの紹介が中心だった。適切な学習目標を書けない研修担当者が多いので制作したという「Learning Objective Genelator」他いくつかの便利なツールのデモをしてくれた。いずれもフォームに情報を入れると、IDの作業に沿った形で結果を返してくれるというツールだった。本の付録にしてはよくできていて、けっこう使えそうな印象だった。ID者支援ツールの開発というのは、ぼくもとても興味があるので近いうちに一つ作ってみたいと考えているところだ。