3/15(月) ISDの実証研究

 昨日早く寝たので、今日は朝5時から活動開始。アシスタントの仕事で、教授やら他キャンパスの担当者やらに数本メールを書いた。面倒なトラブルになっているのだが、この手の調整業務は慣れている。この仕事、まあ興味はあるし忙しさもほどほどで、来年も続けられそうなのだが、自分としては早く資金を確保して自分の研究を始めたいので悩ましいところだ。
 3時過ぎまであれこれこなして、Dr. Dwyerのリサーチデザインのクラスへ。今日はTAのドクターがリサーチのReliabilityとValidityについての解説をする回だった。どうでもよくないのだけど、自分にとってはReliabilityもValidityもなんか学校の校則みたいなもんで、積極的に学ぶ気にはあまりなれない。変数の多い教育効果の実証研究では、ハードサイエンスのように実験環境を完全にコントロールすることなどできない。実際、研究の過程では妥協も多く、無作為抽出の方法など、これっていい結果が出るかどうかはかなり運任せじゃん、っていうことも多い。しかも再現性を重視してあれこれ科学的手法を用いてやっているのだが、結局は人相手の実験なので、材料や動物を使ってやる実験のようには統制はできない。心理学や認知科学のような人相手の実験と比べても、教育内容や指導方法や学習者のレベルなど、ちょっとしたことに影響を受けやすい変数が存在していて、それらを妥当な形で統制することにかなりのエネルギーをとられる。まだ学んでいる途中なので本質が見えていないだけなのかもしれないが、どうもこういう実験研究は、研究のための研究のような感があって、ここに力を入れても教育の質を高める本質はつかめないんじゃないかという気がしている。
 教育は技術であって、技術化されてなくて特定の人しかできないものはアートだ。そして、普通の人が名人芸レベルに近いパフォーマンスを出すための方法論を確立したり、再現性のある技術にしたりするのが教育研究の目的だと思う。しかし、ISDの実証研究の中には、アニメーションは教育効果を高めるか、とか、メディアは教育効果に影響するか、とか、そんなのやり方次第じゃないか、と言いたくなるような命題を立てて多くの研究者が研究している。たしかにそうした研究から意味のある研究成果も得られるだろう。でもそれだけでは教育の質を高めるための研究は完結しないと思う。この部分が今自分がこの分野の研究に対して感じている違和感の一番大きいところのような気がしている。

3/15(月) ISDの実証研究」への2件のフィードバック

  1. また来ました。あさってからPennStateへ行きます。寒い、とは聞いているのですが、やっぱり寒いんでしょうか、、、教育学がご専門なんですね。私は心理学です。心理学なんですが、もしPennStateにいくことになれば、Human Development & Family studiesになりそうです。

  2. 今日は雪です。真冬ほどではないですが、寒いです。暖かくして来られるとよいですよ。昨年の例からすると、この雪が解けたら春が来るという感じです。

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