2007年を迎えて

 こちらも新年を迎えました。あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。

 今日は一年の始まりということもあって、今年はどんな年になるか、どんな年にしたいか考えていた。まずなによりも今年は、5年間の留学生活の総決算の年にしたいと思う。博士論文を書き終えて、日本に帰る、少なくとも帰るメドを立たせることが今年一番の目標だ。論文を書き上げて学位をとり終えるまでは、次の段階には進まない。迂闊に定職についてしまうと、自分の性格や実力的に、博士論文など一生書けるとは思えない。就職しても博士論文を書ける人はエライと思う。自分はそこまでえらくないので、ここは何としても博士論文を最優先で進めて終わらせること。これがまず一つ。
 それから、昨年後半でメドの立ってきた「シリアスゲーム3部作出版プロジェクト」を滞りなく完結させること、これが二つ目。なので、基本路線は昨年と変わっていない。昨年から引き続いていることをきっちりやり切ること。これが今年の基本方針となる。
 その上で、今年の後半からは、次のキャリアのステップに向けた仕込を具体的に進めることになる。いくつかやりたいことは明確になっていて、今から手を打てることは打ち始めている。今年前半の状況がよい場合、普通の場合、悪い場合、それぞれに動き方のイメージはだいたいできていて、それぞれに楽しい仕事はできると思う。あとは自分の努力で状況をよくできる部分を最大化することに専念するだけという気がしている。
 昨年は自分にとっての大きな節目の始まりで、今年はその節目が続いている。昨年の始めには選択肢が定まらない感じがしていたが、一年経ってそのほとんどがそぎ落とされた。世の中にはやりたくないことや、関わりたくないことがたくさんあるし、どんな仕事にも良し悪しある。昨年一年でいろんな人に会い、いろんなことに触れてきたおかげで、自分の選択肢の中で自分に向かないことや今すぐやる必要のないことがいくつもあることがわかった。その辺りを考慮に入れて考えていくと、自然と自分が今向かうべきでない方向というのが見えてきて、向かうべき方向が絞れてくる。
 そんなことを引き続き考えていきながら、今は目の前にはっきりしていることをきっちりやり切る、私にとって今年はそんな一年となる。

2006年を振り返って

 今年も一年無事に過ごすことができました。新たに素晴らしい方々と出会うことができたこと、そして多くの方からさまざまな形でご支援をいただいたおかげで、今年もどうにか乗り切ることができました。心より感謝しております。

 冬の寒さもそれほど厳しくない、穏やかな大晦日の朝を迎えた。朝食のシリアルを食べつつ、今年どんなことがあったか振り返った。ブログを見返したりして、一つ一つの出来事を見直してみると、結構いろんなことをしている。ずいぶん前のことのように思えて、実はこれは今年のことだったのかと思うことも多い。歳を取るにつれて時間の経過が早いような気はするものの、1日24時間365日であることには変わらない。主観的には時間感覚が短く感じたとしても、日々何かを積み重ねていれば、一年という長さは結構いろいろなことができる長さだと思う。
 今年の年初には、このようなことを考えていて、目標として次の三つを掲げていた。
・博士課程の修了試験をパスする
・シリアスゲーム本出版
・博士論文研究を仕上げて、来年早々にディフェンスできるようにする
一つ目は、完全達成。これ以上ないくらいに出来過ぎなほどうまく行った。力をあわせて乗り切った同僚たちとは強い結束ができた。試験のコミッティになってくれた教官たちにはそのまま博士論文審査コミッティになってもらうことができ、これ以上望めないような強力な教授陣の力を借りることができることとなった。
二つ目は、9割方達成。年内出版とは行かなかったものの、すでに最終段階まできていて、2月にはリリースできる。それにあと二冊の翻訳書の出版も実現しそうなので文句はない。
三つ目は、よいテーマに出会えたものの、研究を仕上げるどころかまだ計画書も通していない段階で、未達成。秋頃までは計画通りに進めていたが、途中でかなり無理があることを認識して、全体スケジュールを半期延ばした。出版の方が無事に進んだのは、こちらを先送りにしたおかげでもある。
 年初に予想していたように、このほかにさまざまな案件をいただいて、一つずつ消化しているうちにボリュームだけはまずまずの量になった。いずれレジュメのアップデートのためにまとめなければいけないので、ついでに今年の成果を整理してみた。

<論文・報告書>
・藤本徹 (2006). シミュレーション・ゲーム型教材開発の考え方とその方法. 芝浦工業大学大学院「企業との対話による実理融合MOT教材開発」プロジェクトディスカッションペーパー
藤本徹(2006) 「シリアスゲームと次世代コンテンツ」、財団法人デジタルコンテンツ協会編「デジタルコンテンツの次世代基盤技術に関する調査研究」第四章
https://anotherway.jp/seriousgamesjapan/archives/Fujimoto-SeriousGames.pdf
<講演・発表>
・藤本徹 (2006). 海外におけるシリアスゲームの最先端: エンタテインメント・ゲームの可能性はどこにあるか. 日本シミュレーション&ゲーミング学会2006年度秋期大会記念シンポジウム. 2006年11月11日.
(資料とレポート)
https://anotherway.jp/seriousgamesjapan/archives/000795.html
・Fujimoto, T., Beppu, F. (2006). Games for Health in Japan, presented at Games for Health Conference 2006. 09/29/2006.
・藤本徹 (2006). シリアスゲーム:デジタルゲーム技術を利用した教育課題への取り組み. 熊本大学eラーニング連続セミナー. 2006年8月9日
(発表資料)https://anotherway.jp/seriousgamesjapan/archives/Kumamoto080906-Fujimoto.pdf
・藤本徹 (2006). シリアスゲーム:コンセプト、事例とその展開. 東京大学BEATセミナー. 2006年8月5日
(発表資料)https://anotherway.jp/seriousgamesjapan/archives/BeatSeminar080506-Fujimoto.pdf
(セミナーレポート)http://www.beatiii.jp/seminar/023.html
<ワークショップ、取材その他>
・Fujimoto, T & Almeida, L. (2006). Learning design through playing entertainment games, presented at Learning & Performance Systems Department Student Technology Advisory Committee workshop, April 14th.
The State Of Serious Games In Japan (Serious Games Source)
http://seriousgamessource.com/features/feature_041806_sg_japan.php
シリアスゲームジャパン藤本徹氏インタビューと今後の展望(株式会社シナジーWebサイト)
http://syg.co.jp/seriousgame/gfh4_1.html
GDC2006 シリアスゲームサミットレポート(RBB Today)
http://www.rbbtoday.com/column/seriousgames/20060404/

 こうしてみると、今年は研究者にとっては基本活動たる査読付の研究論文投稿や研究発表から遠ざかっていたのが明らかだ。これも修了試験の時に今年の分の学者的な勤勉さを使い果たしてしまったような感じで、モチベーションがあがらなかったのが大いに影響している。授業を取らなくてよくなった分の自由を謳歌しすぎたということもある。
 あと、このような発表や論文の形ではない個別ミーティング、勉強会、コンサルティング的な仕事が今年は目立って数が増えた。日本からの話はもとより、アメリカでも徐々にこの手の案件が出てきているのはうれしい。たいがいは英語力の低さがネックになってうまく行かないのが惜しいところだが、すべて思うように行くものでもないのでぜいたくは言えない。
 今になって思えば、もう少し勤勉にやれたのではないかと反省したくなってくる。おそらく日々の生産性向上のための工夫をすれば、消耗せずにもう少し成果をあげられる気がしている。自分の時間の使い方の中で、純粋に無駄に過ごしているなと思う時間はまだ結構あるので、改善の余地は大いにある。
 今年もよくテレビを見たし、ゲームもほどほどにやった。多少ながら英語力向上のおかげもあって、テレビからはいろいろと吸収できることが増えた。ゲームの研究をしているといいながら、ゲームの時間が十分に作れていないのがやや情けない。ゲームの方からはまだ吸収し切れていない感じなので、もっとゲームの時間を作っていろいろ試していこうと思う。
 こうして振り返っているうちに、日本は新年を迎えたようで、年賀メールが届き始めた。まだこちらは旧年中なので、新年のことはまた明日になってから考えようと思う。なんだかまだ十分に振り返りきれていない気もするが、先のことを考えるにも振り返りは必要なので、続きはまた新年のことを考えながら。
 今年も一年おつかれさまでした。

三十三間堂でプロジェクトについて考える

 せっかく観光名所に来ているのに学会だけではもったいないと思い、一日観光をすることにした。宿は大津で琵琶湖の近くだったので、午前中は琵琶湖を散策、午後は京都を見て回ることにした。琵琶湖の畔を散歩して和んだ後、京都に移動した。数時間しかないので、たくさんは見て回れない。そこで、蓮華王院三十三間堂と清水寺の二つに絞って見に行くことにした。どちらも中学の修学旅行で一度だけ行ったことがあって、当時はあまりありがたみを感じた気がしなかったが、今それをどう感じるかを確かめてみたいと思った。
 三十三間堂は、数ある京都の名所の中でも個人的に一番好きなところである。あの大量の仏像が並ぶ姿は壮観であり、心静かに歩きながら、一体一体をじっくり見たり、全体を概観したり、視点を切り替えながらいくらでも楽しめる。120メートルという長さもちょうど良い。何か人が滞留するポイントが少なく、写真撮影が出来ないために人の流れが循環しており、人が多くてもストレスは他の名所よりも少なくてよい。
 一方で、清水寺は個人的にそれほど好きな名所ではない。土産物屋の通りは見ていて楽しいが、商業的に過ぎており、人も多くてそのうち疲れてくる。写真撮影やら何やらであちこちに人が立ち止まり、人の流れが悪くてストレスになる要素が多い。折りしも清水寺が新世界七不思議の最終選考に残ったことが話題になっており、清水寺周辺にもキャンペーンの幟が目立っていたが、個人的には他の世界の名所に比べると不思議度としては劣るんじゃないかとやや思う。まあ、この手の名所認定は、観光キャンペーンの一環という面が大きいので、こうして地元が盛り立てたりしてうまく利用したいところがやればいいという気もする。
 清水寺も三十三間堂も、20年近く前に一度見たきりだったのにも関わらず、意外によく覚えていた。もしかしたら高校の修学旅行の時にも見ているかもしれないとも思ったが、私は京都でのグループ観光をサボって一人で商店街で買い物や中古レコード屋巡りをしていて、京都の名所見物は全くしなかったはずなので、おそらく中学以降は一度も見に行っていない。なのに周囲の情景も、どこに何があったかもくっきり印象が蘇ってきた。不思議なものである。
 清水寺もまあよかったのだが、三十三間堂からはなぜかものすごくインスパイアされるものがあった。それがなぜなのかをずっと考えていたが、おそらく自分の持つものづくり志向の中でも、コンテンツ作りを志向する琴線に触れるものが多かったからだと感じた。端的に言えば、こういう仏像のようなものを自分も作りたいと、思わせるものがここにはある。といっても、別に仏師になりたくなったということではなく、この仏像を作るような精神でものを作りたいということである。個々の仏像の細部に、作り手の気合がこもっており、そこに神ならぬ仏が宿っている。こういうコンテンツの細部にこだわった仕事にロマンを感じる。
 他の名所と同様、三十三間堂は、その歴史の過程で様々なプロジェクトを経てきて今日に至っている。建物の建築、仏像づくり、庭や塀のデザイン、通し矢ブームや焼失と修理を経てきた歴史、それぞれの出来事にはそれぞれに大規模なプロジェクトがある。
 最初の建立時の構想立案、資金確保や建築家の選定、コンテンツとなる仏像を作る仏師の手配など、それは今日で言うところの開発プロジェクトであり、全体のコーディネーションはプロデューサーの仕事である。そしてそのプロジェクトの中で、建築ディレクターやアートディレクター、景観ディレクター、イベントディレクターなど、さまざまなディレクターが働き、その下でそれぞれの分野のデザイナーやエンジニアが働く。一つ一つが大きなプロジェクトであり、いずれもさぞやりがいのある仕事だっただろうと想像できる。
 後白河法皇のようなイニシアチブを取る親分がいて、平清盛のようなリーダーがいて、その下には全体を統括プロデュースする誰かがいたのだろうし、寄付金集めのプロもいただろうし、納めた仏像を保護するメンテナンスのプロもいたことだろう。後に火事で焼失した際には、その火事場から仏像を運び出す消防団のリーダーのような人もいただろうし、江戸時代に流行った、建物の端から端まで弓矢を通すスポーツイベントの「通し矢」も、その仕掛け人がいたことだろう。歴史の中で、さまざまなリーダーがいて、プランナーやデザイナーが活躍して、それが歴史となっているのである。
 そういう三十三間堂の歴史にまつわる様々なプロジェクトの中で、自分だったらどういうプロジェクトにロマンを感じるか、ということが自分のキャリアを考える上でのヒントになると思った。大金を動かして新たな歴史を始める道筋を作ることやそういうことができる権力を持つことにロマンを感じるのか、建築物のようなシステム的なデザインに興味を持つのか、仏像のようなコンテンツのデザインがしたいのか、大勢の仏師をアレンジする編集者的な仕事が好きなのか、通し矢のようなみんなでワイワイやるイベントを企画するのが好きなのか、通し矢に選手として参加し、記録を塗り替えることに燃えるのか、お守りや破魔矢のような三十三間堂ブランドを活かした商品開発に興味があるか、建物や仏像のメンテナンスのような地味だが重要な仕事にしびれるのか。自分はどれが一番好きなのか。
 そう考えたときに私自身が最もひかれるのは、仏像のようなコンテンツのデザインなのではないかと思う。あるいは、一つの部屋に千体の仏像を一つの部屋に置いて壮観さを演出するというコンセプトのデザインの方かもしれない。大規模チームのマネジメントよりも個人または少数のチームでの創造性追求に関心があり、規模の大きさや表面的な派手さよりも、一つ一つの仕事の質と他にない価値を追求することに意味を感じる。自分の関心はおおよそそんなところだろうと思う。逆に言うと、それとかかわりの無いことは、いかに規模が大きかろうと、人々の注目を集めようと、自分には向いていないことが多いし、そもそもあまり関心が無い。それぞれの仕事には必要な能力や知識は異なり、その人の向き不向きも関係する。
 これは世の中で必要とされているから、世のトレンドに合っているから、安定しているから、成功しやすそうだから、と頭の中だけで考えてキャリアを選んでも、途中で息切れしやすいし、そんなに思うようにはいかない。また、世にある職業のラインナップだけを眺めてみても、しっくり感じるものが見当たらないこともあるだろう。その時に、自分がどういうものにしびれたりロマンを感じたりするか、どういうことが嫌いでやりたいとも思わないか、そういう身体の内側からくる感情的な反応に耳を傾けることが一つのヒントを得るきっかけになるかもしれない。
 私の二度目の三十三間堂体験はまさにそんな機会だったと思う。中学の時の自分は何を想ったのかは思い出せないが、今回については以前に一度見ていることの意味は大きかったと思う。なのでありがたみもわからないうちであっても、修学旅行で子どもたちに寺や仏像を見せておくこともあながち悪いことではないなと思った。

好きな仕事に掛ける時間

 帰国の日程も近づいてきた。木曜の早朝には出発だ。一つ目の仕事は学会のシンポジウムで発表するのでその準備もあるのだが、もう一つ今回の日本での別の仕事でeラーニングとシミュレーション教材開発についての論文を書いている。自分の専門分野の発表のスライド作成や論文を書く作業は、とても楽しくてストレスが少ない。楽しいのは、自分の興味のあることを仕事としているおかげであり、ストレスが少ないのは、自分の力量に合っていてしかも時間的にも追われていないおかげだろう。
 たとえ好きな仕事であっても、自分の納得行く形でやれなければ楽しくないし、自分の力量を大幅に越えていたり、時間が十分に掛けられなかったりして、満足のいくものができないのは非常にストレスを感じる。今のところはそうしたストレスなく、楽しく仕事ができているし、ワークスタイル的にも気に入っているので、実は今はとても恵まれている状態にあるのだなということをあらためて思う。
 最近、本や論文の執筆作業をしていて、当然書いている途中ではすごく苦労しているし、まだ力不足な点は意識しているものの、少なくとも自分で意味があると思えるアウトプットが出せている手ごたえがある。少し前はこの感覚はなかった。いつの間にかできるようになっていたのだが、それがいつなのかはわからない。知識のインプットや必要なスキルの修得がある時点で閾値に達したようだ。
 身につけた力で対応できて、しかもほどよいチャレンジがあるという仕事はとても楽しめる。しかしそれを楽しむには必要な時間を掛けられるという前提があってのことだ。組織で仕事をしているとなかなかそれが思うようにいかないし、必要な時間を掛けられるというのはある意味贅沢なことだ。だからこそ、自分の好きな仕事に必要な時間を掛けられるというのは尊重すべき条件の一つである。特に創造的な仕事を志向していく上では重要な要素となると思う。

頭はからっぽ

 原稿を書き終えて、一夜明けた。頭がからっぽになって、昨日までとは全く精神状態が違う。全部出せるものは出し尽くした感じで、この空っぽ感はとても心地がよい。これからの作業がどうあれ、ここまでたどり着いた達成感は変わりない。
 頭が空っぽになったおかげで、冷静になっていろいろと考えることができた。いくつかここしばらくの計画について重要な意思決定をした。切羽詰って欲張って考えた時の自分の判断は、あまり当てにならないものだと思った。いくつかスケジュールの再構成をしたおかげで、昨日までの生き急ぎ感や、頭痛の種はどこかへ行ってしまった。少なくとも、自分の手がけるものにリスペクトを持って臨むことにして、そのためのリソースをきっちり確保することにした。時に数をこなすことが大事な局面もあるが、今はその時ではない気がしている。この判断のおかげで、またがんばれそうな気がしてきた。これからやること自体は同じなのに、全く気の持ちようが変わるというのは不思議なものだ。
 たぶん個人に限らず、組織のモチベーションがあがったり下がったりするのも、これと似たようなものなのだろうと思う。どれも重要だから全部うまくやれ、というのは経営判断でもなんでもない。組織の向かうべき方向と力量を見極めて、それにあった形で大事なものを選ぶのが、組織の意思決定だと思うし、それは個人レベルの意思決定の延長線上にあると思う。それができない経営者や上司の下で働いていると、果てしなく遠泳をしているような息苦しさが続くし、よい経営判断の仕方など学べない。それに運が悪いと、いつかは力尽きて沈んでしまうかもしれない。
 日本でサラリーマンをやっている頃は、そういう働き方を余儀なくされることばかりだったし、そういう環境で真面目に働いて具合を悪くした友人が何人もいるので、ついそんなことを思うのかもしれない。自分が日本で何かを始めるときは、間違っても自分がそういうデスマーチな組織を作ってはいけないし、流されずに物事を決めていく感覚を大事にしたいと思う。

難局を乗り切る経験

 原稿自体は9割方まで書き上げた。あとは最終章の残り半分と、おわりに、を書いたら、全体の調整と、雑然とした参考文献コーナーを整理するだけとなった。何だかほぼ予定通りに終わりそうな気配。でもそれは他の仕事を放り出して、このプロジェクトに全精力を投入してやっているからなだけで、全体で見ると、他のプロジェクトが大変なことになっている状況なので、あまり偉くない。
 こうして、かなり俗世から隔離されたような生活を送っていながらも、ネットがあるおかげで世の中とはつながっていられる。それはとてもいいことではあるけれども、弊害ももちろんある。いい知らせやうれしいメッセージを受け取って励まされることもある中で、頭の痛い話や、無理難題が飛び込んでくることもある。それもしょっちゅうある。人様が落としたボールを拾う役割や、大暴投が返ってきて、それを拾いに行くような余計なことが日々起こる。疲れた時にそういうものが飛び込んでくると、それが結構こたえる。
 数年前だったら、そういう頭の痛い話にずっと気をとられて、いろんなことに影響が出てしまっていたものだが、ずっとそういうことに付き合い続けてきたおかげで、今はこれまでに得た知識や経験に頼れば何とかなることが多い。そういうストックが多少はできたのだなと、時々ふと思う。話がこじれかけた時の応対のような微妙なさじ加減が必要な性質のものは、時間を経ないとなかなか身につかない。歳を重ねるにつれて、そういう難局を乗り切る知恵や経験に助けられることが多くなって、年々生き易くなっている気がする。なので、歳を取るのもあながち悪いことではない。
 一つ思うことは、難局を乗り切る知恵や経験というのは、面倒なことから逃げずに向き合って自分なりの答えを出せたときにだけ身につくもので、逃げ腰な時にはまったく身につかない性質のものだろうということだ。面倒なことからはよく逃げ出す自分の性格上、身についているものとついていないもののバランスの悪さを感じる。それでも身についたものを頼りに生きていけるし、そのバランスの悪さも含めて自分なのだと考えるしかない。どこかのタイミングでおそらく年齢による衰えとか、今は想像もできないような苦悩を感じることもあるのかもしれないが、その時はその時で自分に向き合って考えていくしかないと思う。それでまた何らかの身の処し方も考えつくことだろう。

執筆はかどる

 今日はひたすら本の原稿を書いていた。昼頃開始して、食事やうちの金魚の水槽の掃除などして息抜きしながら、約12時間、正味7時間くらいひたすら書いた。だいぶはかどって、一つの章をほぼ書き上げた。これで全体の4分の一くらい。こういう日があと4回くらいあれば、計画通りに初稿があがる可能性もでてきた。
 本を書いて出版するというのは、音楽活動で言えば、曲を作ってアルバムを出すのに近い気がする。部屋にこもって物書きが本を書いているのは、ミュージシャンにすれば曲を書いてレコーディングしているようなものである。一冊の本を書こうとすれば、本はおそらく二百数十ページくらい、音楽のアルバムは50~60分くらいがだいたいの量的な目安で、それくらいのところを目指して創作活動を進める。
 量的なものは創作の結果であって、表現したいものに合わせて決まっていく性質のものだが、それでもだいたいの世の中の相場というものがある。CDの容量以上は物理的に入れられないし、それ以上になると、2枚組仕様ということになって、扱いが変わってしまう。逆に40分以下のアルバムは、買う側側にすればあまりお得感が無い。かといって、相場に合わせて適当に詰め込めばいいというものでもない。無理して曲数を増やしても捨て曲ばかりでは、アルバムとしての全体の価値が下がってしまう。
 これは書籍についても同じである。だいたいの世の中の相場があり、その枠を意識しながら創作活動は進む。一章の区切りが一つの曲で、一章、一曲当たりの長さはまちまちで、全体のボリュームの枠の中で何章、何曲入るかが決まる。今のところ7章立てで進めているので、オリジナルで全7曲。
 ネタ的にこのボリュームに到達しない場合、対談形式の章を入れて厚みを出すという手がよく使われる。企画として面白いものはそうする価値があるが、やり方が拙いと単なる埋め草原稿になるし、かなりうまくやっても、読者の思考にシンクロしにくいので、読みづらいものになってしまうことが多い。巻末に資料的なものを詰め込んで量を増すということもよくある。これも便利なこともあるが、実際にはあまり利用されない。著名なゲストに序文や解説を書いてもらうという手もある。これは音楽アルバムのボーナストラック的なお得感を高める場合もあるので、ベターな手段ではある。
 それから、一番多いのが、過去に雑誌や何かで書いたものや講演の内容に加筆修正して原稿化するという方法である。音楽であれば、シングルやミニアルバムとして出したものをアレンジし直して収録するようなもので、これは蓄積があれば一番確実な方法である。
 今回の執筆作業では、過去に発表した小論や講演をもとにして、一部アレンジし直しながら、あとはリフだけ使って曲全体は全て書き直すような形で進めている。過去に書いた時にはそれがいいと思って書いたものであっても、今見たら何じゃこりゃという感じのものも結構あって、ボツ原稿置き場には結構な量が溜まっている。一方で、調子が出てくると、ものすごくいいフレーズに転化できることも出てくる。この辺りの感覚はとても創作をしているという感じがする。
 最初は、一部のトピックを切り出して別の論文に仕立てて、懸賞論文に出したりしようかなどと欲張って考えていたが、実力のない新人がそんな余計な色気を出しても二つヘボい作品ができるだけだろうと思って、この作品の精度を上げることに集中することにした。すると余計な雑念が減って、おかげでペースが上がった。力の無いものが下手に欲張るもんじゃないなとつくづく思った。
 オールジャンルでアピールしてビッグヒットを飛ばせる本は書けない。でもこのジャンルに興味がある人にしてみれば、捨て曲無しのしっかりしたコンセプトアルバムとして気持ちよく楽しんでもらえて、さらにはこのジャンルの市場を少しは拡げるようなものに仕上げたい。それくらいのネタはあるし、多少の下積みもしてるはずで、よけいな色気を出さずに集中すればきっとできるだろうと願いつつ。

仕事に復帰

 東京に戻り、仕事に復帰。友人に会ったりする楽しい時間もある一方で、今後の仕事の進め方を左右する重要な打ち合わせもいくつか入っている。緩みきった盆休みを過ごしたので、頭のねじを締めなおすのに若干タイムラグが発生。思考の切れが悪い。休んで十分に充電したつもりだったが、休み過ぎて漏電したかも。日ごろオンとオフの切れ目のない生活を送っていると、急にオフを意識して休んでも、ちょうどよく休むということができない。
 微妙なダルさを感じているが、このダルさは夏バテや疲れから来るものではなく、「これくらいできるはず」という自分の感覚と、実際の自分の状態のズレをダルさとして認識しているという感じである。しばらく運動してない状態で、急にスポーツをやった時などに感じる鈍った感じと同じ性質のものだ。
 そもそも私は根が勤勉ではないため、ほんとうに勤勉な人と勤勉さで勝負をしてもかなわない。そのためいかに省エネで仕事をこなすかが鍵になってくる。そんな中で、自分の状態を振り返って気になったのは、力を抜く加減をわかっていないことだ。
 最近は、自分の拠って立つことのできる知識が、あるまとまりで出来てきたおかげで、それを軸に仕事の幅を出せるようになった。ただ、自分の中で一般化できた知識というのは、そのまま各論の仕事に持ち込んでも、それだけでは素晴らしい成果にはつながらない。いかにコンテクストを一般化した知識に合わせるか、ではなく、そのコンテクストに一般化した知識を合わせるか、ということが重要になってくる。微妙な違いで、自分の持っているものと個別のコンテクストの間のギャップを修正する作業という点では同じでも、やろうとする方向性が全く異なる。
 自分の拠って経つ知識に依存しすぎると、ありきたりな知識で済ませようとしてしまうので、そこからはいい仕事は生まれにくい。省エネ志向であっても、ここは力の抜き方を間違えてはいけない部分である。この部分をきっちりできた仕事とできなかった仕事は、手ごたえが違う。その手ごたえこそが、仕事の楽しさであって、それを得られない仕事は次に続かない。自分のモチベーションが下がるか、仕事の相手がこちらに愛想を尽かすかのどちらかが、その先にある末路となる。
 どんな状態でもある程度のパフォーマンスが出せるようにするには、そのための技術を高める必要がある。その点、仕事師としての私は大いに開発途上にある。野球であれば、打率の低い代打要員のようなもので、技術の低さをカバーして結果を出すには、一打席ごとの気合と集中力が不可欠になる。ミュージシャンであれば、せいぜい1,2曲聴くに値する曲が書けるようになった程度の存在である。レンタルで済ますか、とりあえず買って聴いてみるか、といった扱いで、常に捨て曲無しのアルバムを出せるミュージシャンとはポジションがまるで異なる。買って手元に置きたいと思ってもらえるような曲を書けるようになり、そんな曲を一枚のアルバムに複数入れられるようにするのが当面の課題だ。

インターン最終日

 博士論文研究に集中するため、大学の近くにある統計ソフトウェア会社、ミニタブ社でこれまで続けていたインターンも、この夏までで辞めることにしていた。昨日がその最後の勤務日だった。
 2年前の夏に、日本語版の開発を手伝うためにインターンとして働くことになり、最初はその夏だけの話だったのだが、秋以降もうちの研究科とのプロジェクトという形をとって引き続きお世話になった。気がついたら2年が過ぎていて、ここまでの留学生活の半分はこの会社に通っていたことになる。
 最初からずっと品質管理部で働いていて、当初関わっていた日本語版がリリースされた後も、英語版の次のバージョンのテストをずっとやっていて、最近はフランス版の品質テストのプロジェクトで仕事をしていた。
 この仕事をやってきて、ソフトウェア開発の品質管理業務の流れをじっくり見れたことは収穫だった。半年やそこらの期間、見習いのように働いていても、じっくりと腹に落ちることというのはそれほど多くないものだが、2年もその場にいれば、「門前の小僧が経を読む」ようになることもいろいろと出てくるものである。
  だが、品質管理に関すること以上に、この会社のコーポレートカルチャーに触れてきたことで、とても勉強になることが多かった。というのも、この会社は、一般的なソフトウェア会社のイメージとは全くかけ離れた環境を持っていて、その文化のあちこちに、考えさせられるところがいろいろと含まれていたからだ。

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Friday Night Freedom

 この夏は平日も週末もないような生活をしているが、人に雇われての勤めが終わるという意味では、金曜日は一週間の終わりの開放感がある。
 日本で働いていた頃は、金曜の夜でも10時や11時まで働くことが多かったので、この金曜の開放感を感じる時間は、ほんの何時間かだけだった。飲みに行くかレンタルビデオを一本借りて見ればもうおしまい。土曜は土曜で気分が違うので、金曜の夜のありがたみを享受することは少なかった。飲み屋でよくやっている5時から7時のハッピーアワーなんてまったく縁がない生活をしていた。
 それが今は、仕事は5時に終わり、外は9時頃まで明るい。夕方から寝る時まで、自由な時間はたっぷりある。そこにめがけて、事前に予定を入れておくのも一案だが、そうすると自分の中ではそこは「空いていない時間」なので、同じ楽しい時間であっても、まったく何の予定も入っていない空いた時間とはまた気分が違う。先週の金曜の夜は、そんな何の予定も入っていない100%自由な時間だった。
 早めの夕飯を食べた後も、まだ外は明るい。映画でも行こうか、積んでて手のついてないゲームでもやろうか、そんな元気があるなら読もうと思って読んでない研究用の本でも読んだ方がいいんじゃないか、でもそれじゃ休みにならないし、どうしようか。今から友だちに連絡してもあれだしな。何か一人で楽しめる面白いことないかな、せっかくの時間だから、なんか能動的なことやりたいような、でもやっぱりだらっと受身なことやりたいような・・。という感じで、いろいろ考えていてもなかなか決まらない。決まらないまま、何もしないうちに時間は過ぎていく。
 思い余ってとりあえずテレビをつけてみると、「24」の再放送をやっていて、なんとなくそれを見始めた。思った以上に疲れていたようで、ゴロゴロしているうちに、そのまま寝てしまって、目が覚めたら夜中の2時を過ぎてて、まだ眠いので布団かぶって引き続き寝た。結局、何をするということもなく、楽しい金曜の夜はそれで終わってしまった。
 自由な時間があって、あれもできるしこれもできるが、どれにしようか、とボヤボヤ考えている時間は楽しい。でもその自由な時間が手に入ってから何をやろうか考え始めても、その時点でできることの選択肢は限られてしまっている。残された選択肢にしても、これをやれるなら、こっちができる、でもそれはそんなにやりたくない、と「やりたいことリスト」にあるはずの選択肢が、お互いを打ち消しあって、結局どれにも決まらない。決まらないままでいると、楽しかった悩みが、時間が過ぎていくにつれて嫌な感じになっていく。
 週末のたった数時間のことなので、うまく使えなくてもまあいいやという気もするが、これは自分のキャリアや人生の時間、といったスケールでも同じ状況なんじゃないかという気がした。まだ若いし、いろんなことができる、あんなこともこんなこともやってみたい、これをやるにはまずあれをやらないといけない、でもあれをやるのはしんどいからどうしようか・・と考えながら、とりあえず目の前のことをこなしているうちに、やっぱり時間は過ぎていってしまって、ふと気がつくともう最初の頃に考えていたような選択肢は消えている、ということが起きる。
 まあ、「人生至るところに青山あり」というやつで、何かを思い立った時がいつでもスタートラインになるし、最初に自分がいいと思っていたことは、後になってみればそうでもなかった、ということはよくある。なのであせる必要もないのだけど、自分がしっかりしてさえいれば手が届きそうなことを、みすみす逃すようなことが起きるのはやや寂しい気がする。かといって、計画でガチガチにし過ぎて「無駄な時間を費やす贅沢」がないのも、つまらないし、逆に計画がなさ過ぎて、いつまでたっても時間の遣い方が下手くそなのも、なんだかさえない。
 翌日の土曜日、そんなことを考えつつ昼飯を食べていた。その日も特に予定が入ってなかったこともあって、このまま週末が無為に過ぎていくのはマズイ、まずは外に出よう、と思って、とりあえず買い物に出た。
 すると、このようなさえない週末を送っているのを、天のお星さまが見ていて情けなく思ったのか、運のめぐり合わせがちょうどそういう流れだったのかは知らないが、スーパーで3人の別々の友だちに偶然出会って、食事やら何やらの翌週の予定が次々と入った。うちに帰ると、これまた遊びの誘いとか、日本に帰った時の飲みの誘いとかのメールが数件入っていた。子どもが生まれたというめでたい知らせまで入っていた。
 不思議なこともあるものだと思いつつも、こうやって受動的に予定が入るのを手をこまねいてばかりではダメで、何か自分からも仕掛けるべきだなと反省しつつ、土曜の夜も静かに過ぎていった。