仕事に復帰

 東京に戻り、仕事に復帰。友人に会ったりする楽しい時間もある一方で、今後の仕事の進め方を左右する重要な打ち合わせもいくつか入っている。緩みきった盆休みを過ごしたので、頭のねじを締めなおすのに若干タイムラグが発生。思考の切れが悪い。休んで十分に充電したつもりだったが、休み過ぎて漏電したかも。日ごろオンとオフの切れ目のない生活を送っていると、急にオフを意識して休んでも、ちょうどよく休むということができない。
 微妙なダルさを感じているが、このダルさは夏バテや疲れから来るものではなく、「これくらいできるはず」という自分の感覚と、実際の自分の状態のズレをダルさとして認識しているという感じである。しばらく運動してない状態で、急にスポーツをやった時などに感じる鈍った感じと同じ性質のものだ。
 そもそも私は根が勤勉ではないため、ほんとうに勤勉な人と勤勉さで勝負をしてもかなわない。そのためいかに省エネで仕事をこなすかが鍵になってくる。そんな中で、自分の状態を振り返って気になったのは、力を抜く加減をわかっていないことだ。
 最近は、自分の拠って立つことのできる知識が、あるまとまりで出来てきたおかげで、それを軸に仕事の幅を出せるようになった。ただ、自分の中で一般化できた知識というのは、そのまま各論の仕事に持ち込んでも、それだけでは素晴らしい成果にはつながらない。いかにコンテクストを一般化した知識に合わせるか、ではなく、そのコンテクストに一般化した知識を合わせるか、ということが重要になってくる。微妙な違いで、自分の持っているものと個別のコンテクストの間のギャップを修正する作業という点では同じでも、やろうとする方向性が全く異なる。
 自分の拠って経つ知識に依存しすぎると、ありきたりな知識で済ませようとしてしまうので、そこからはいい仕事は生まれにくい。省エネ志向であっても、ここは力の抜き方を間違えてはいけない部分である。この部分をきっちりできた仕事とできなかった仕事は、手ごたえが違う。その手ごたえこそが、仕事の楽しさであって、それを得られない仕事は次に続かない。自分のモチベーションが下がるか、仕事の相手がこちらに愛想を尽かすかのどちらかが、その先にある末路となる。
 どんな状態でもある程度のパフォーマンスが出せるようにするには、そのための技術を高める必要がある。その点、仕事師としての私は大いに開発途上にある。野球であれば、打率の低い代打要員のようなもので、技術の低さをカバーして結果を出すには、一打席ごとの気合と集中力が不可欠になる。ミュージシャンであれば、せいぜい1,2曲聴くに値する曲が書けるようになった程度の存在である。レンタルで済ますか、とりあえず買って聴いてみるか、といった扱いで、常に捨て曲無しのアルバムを出せるミュージシャンとはポジションがまるで異なる。買って手元に置きたいと思ってもらえるような曲を書けるようになり、そんな曲を一枚のアルバムに複数入れられるようにするのが当面の課題だ。

仕事に復帰」への1件のフィードバック

  1. 非常に共感するエントリでした。
    1回ごとの気合、重要ですよね。
    僕も自戒しつつ精進したいと思います。
    残りの滞在を楽しんでください。

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