頭はからっぽ

 原稿を書き終えて、一夜明けた。頭がからっぽになって、昨日までとは全く精神状態が違う。全部出せるものは出し尽くした感じで、この空っぽ感はとても心地がよい。これからの作業がどうあれ、ここまでたどり着いた達成感は変わりない。
 頭が空っぽになったおかげで、冷静になっていろいろと考えることができた。いくつかここしばらくの計画について重要な意思決定をした。切羽詰って欲張って考えた時の自分の判断は、あまり当てにならないものだと思った。いくつかスケジュールの再構成をしたおかげで、昨日までの生き急ぎ感や、頭痛の種はどこかへ行ってしまった。少なくとも、自分の手がけるものにリスペクトを持って臨むことにして、そのためのリソースをきっちり確保することにした。時に数をこなすことが大事な局面もあるが、今はその時ではない気がしている。この判断のおかげで、またがんばれそうな気がしてきた。これからやること自体は同じなのに、全く気の持ちようが変わるというのは不思議なものだ。
 たぶん個人に限らず、組織のモチベーションがあがったり下がったりするのも、これと似たようなものなのだろうと思う。どれも重要だから全部うまくやれ、というのは経営判断でもなんでもない。組織の向かうべき方向と力量を見極めて、それにあった形で大事なものを選ぶのが、組織の意思決定だと思うし、それは個人レベルの意思決定の延長線上にあると思う。それができない経営者や上司の下で働いていると、果てしなく遠泳をしているような息苦しさが続くし、よい経営判断の仕方など学べない。それに運が悪いと、いつかは力尽きて沈んでしまうかもしれない。
 日本でサラリーマンをやっている頃は、そういう働き方を余儀なくされることばかりだったし、そういう環境で真面目に働いて具合を悪くした友人が何人もいるので、ついそんなことを思うのかもしれない。自分が日本で何かを始めるときは、間違っても自分がそういうデスマーチな組織を作ってはいけないし、流されずに物事を決めていく感覚を大事にしたいと思う。