ゲーム&シミュレーションを研究する身としては、今日本で話題にされている「ゲーム脳」について触れておかねばならない。この「ゲーム脳」森昭雄「ゲーム脳の恐怖」(NHK出版)の出版をきっかけにかなりの話題を呼んでいて、ネットで調べると賛否の意見が大量に出てくる。趣旨はゲームを長時間やると、脳の機能が低下し、キレやすくなったり、脳の発達に悪影響を及ぼしたりするということだそうだ。書籍をあたっていないので、書籍自体の論評は置いておくが、この「ゲーム脳」にまつわる議論について、気づいたことをまとめておく。
この問題は賛否がはっきり分かれている。日ごろから子どもたちがゲームに没頭するのを面白く思っていなかった親や教師は、ゲーム批判の強力な論点を得て、やっぱりゲームはダメ、という主張をする。ゲーム世代より上の親や教師がその中心勢力となる。一方で反対するのは当然ながらゲーム業界やゲーム愛好者である。たいがい「ゲーム脳はある、ない」という論点だ。著者の論理に矛盾があるとか、そういう例を実際に見たとか、そういう話だ。しかし、これだと水掛け論になってしまって何も話は進まない。感情的に反応するのでなくて、次のようなことを考えるべきではないか。
(1)ゲームにもいろいろある
この「ゲーム脳の恐怖」で問題としてされているのは、単純なアクションゲームやパズルゲームなど、慣れれば思考せずに反射神経だけで長時間プレイできるゲームであって、これにあてはまらないゲームはたくさん存在する。何でもゲームと名の付くものを否定したがっている人は、たいていゲームをろくにやったことがない。そういう人たちは「バカの壁」に阻まれて、適切な思考ができていないのだろう。
(2)何ごともやり過ぎはよくない
ゲーム脳のあるなしにかかわらず、毎日長時間ぶっ通しでゲームをやるのは、普通に考えれば身体に悪い。働きすぎも食べすぎも飲みすぎもタバコの吸い過ぎも、全部過度なことは身体に悪い。言ってみればこのゲーム脳が問題にしているレベルは、ケーキを丸ごと一日一個食べるとか、タバコを一日3箱吸うとか、ウィスキーのボトルを一人で一日一本空けるとか、そういうレベルの話だ。ゲーム脳があろうとなかろうと、身体に悪いのは当たり前のレベルで、それを身体に悪いことですよというのは当たり前のことだ。ただ、だからといって頭ごなしにゲームを全否定する根拠にはならない。
(3)同様な事例で、他にも問題にすべきことは多い
ゲーム脳を問題にする前に、何で「パチンコ脳」を問題にしないのかとつくづく思う。長時間のゲームが脳に悪いとすれば、いい大人が朝から晩までパチンコの玉やスロットの回転を眺めている方が脳にはずっと悪そうだ。依存性もゲームより高くて、借金や子どもの放置死などの社会問題も起きている。親からの仕送りをパチンコにつぎ込む学生の話はありふれている。いい大人がパチンコに没頭するおかげで生じている文化的、経済的な損失は大きいはずだ。田舎に行くと、パチンコ屋だけが栄えていて、文化が育たない。こんなことを放置しておいて、ゲームはいかんというのは、問題をきちんと捉えているようには思えない(パチンコ脳で検索すると似たようなことを言っている人は結構いた)。
(4)ゲームの効能は無視できない
上の3つは論点としてネット上でよく言われているようだが、この点はあまり取り上げられていない。教育や福祉へゲームが貢献する余地は大いにある。タイピング学習ゲームはゲームが学習を促進している身近な例である。また、フライトシミュレータは実際の飛行訓練に利用されている(関連記事)。米軍は巨額を投じて、新兵訓練や下士官の判断技術の訓練用のゲームを開発して実際に利用している(関連記事)。福祉の例では、ゲームメーカーのナムコはリハビリ用のゲームを老人ホームなど向けに販売している。ゲームというものを頭ごなしに否定してしまうと、こうした効能までも見逃してしまう。特にこの点は親や教育者に理解してもらいたい。ネットで調べたらこういうひどい授業例を見つけた。これでは教育というより洗脳である。たぶんこれをひどいと思わない教師がいるからこういうものを提供する業者がいるのだろう。教育者側がゲームを否定的に捉えているうちは、子どもとゲームの関係はよくならない。ゲームの長所と短所を積極的に捉えなおせば、今行なわれているような浅薄な議論になることはないし、子どもとのコミュニケーションのポイントは広がるはずである。
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「道路の権力」
猪瀬直樹の 「道路の権力」を読了。息抜きに読むつもりが、とまらず一気に読んでしまった。猪瀬直樹は少し前からじっくり読みたいと思っていたのを、今回の新刊と冬休みが重なったおかげで読むことができた。この本は、著者の意図通り、「剣はペンよりも強し」を体現した力作であり、言葉や論理を武器に仕事をする人にはぜひ勧めたい。道路公団民営化推進委員会のやり取りの中での、合意形成と対立のプロセスが詳細に記されている。猪瀬氏がデータと論理で官僚組織に立ち向かっていく過程には迫力があり、言論で仕事をするということがどういうことなのかを知ることができる。また、システムに変化を起こす時に立ちはだかる障壁がどのようなものかを知ることもできる。
委員会の場では、意見書の文言を決めるのに大変な時間を割いていることがわかる。合意も対立も、意見の文言をどうするかという点が焦点になっている。意見書の項目の順番を決めることで大議論をやり、「凍結する」を「凍結を含めて検討する」という表現に変えることで合意を取り付ける、といったやり取りが続く。その文言のニュアンスの捉え方ひとつで、言葉が伝えるコンセプトが変わり、政策がまったく意図しないものになることもあるため、一字一句を見逃すことができない仕事だったということがわかる。そうやって委員が苦労して練り上げた意見書も、結局は政治の力関係で強い方に都合よく解釈されて利用されてしまう。そうした現実はこうした委員会方式の限界を示しているが、それでも猪瀬氏の主張のように、獲得できたことを評価すべきだろうと思う。政治力がない中で、理詰めでここまで立ち向かって成果を勝ち取ることは普通は期待できない。猪瀬氏が相当無理をしたのであって、無理をせざるを得なかったのは、政治力を発揮して彼を支えるべき存在が機能していなかったためだろう。
この本から、社会組織を変えていこうとすると、こういう利害対立に必ず遭遇する、ということをあらためて認識させられた。今の自分のキャリアをそのまま行けば、きっと少なからず似たケースに出会うと思うので、その時にはこの本を読んだことが何かの役に立つかもしれない。
2004年の目標と計画
今年をどんな一年にしたいかを考えてみたい。いわゆる「今年の抱負」というやつだ。昨年一年で、自分のやりたいこととキャリアを直結した状態を創り出せた。また、組織に縛られないワークスタイルも実現できた。しかし、収入面の安定につなげることについてはまだ開発途上だ。今年は自分の研究で食っていける状態を実現することが一番の課題になってくる。公平に見て、自分にはまだそこまでの実力はない。なので、「研究で人から認められる実力をつけ、やりたい研究で食っていける状態になる」というのが今年の大目標だ。その実現のための小目標と活動計画は次のような感じになる。
・健康増進
月並みだが、これが基本中の基本だということが身にしみている。昨年は年の後半でかなりへたってしまった。理由ははっきりしている。夏の間の体力づくりをなまけたからだ。幸い、食生活がよいことと、異国の地で病気になると大変だというプレッシャーもあって、特に病気を患うこともなく今まできているが、運動不足からくる体力低下が進んでいる。体力がないと、研究のための集中力も落ちて、根気が続かない。心身を鍛えることで、困難な研究を継続するためのパワーをつけたい。 具体的には、最低週1回のジムトレーニング、毎日寝る前のストレッチと簡単な筋トレ。あと、よい機会があれば何か新しいスポーツを経験してみたい。
・研究資金の獲得
5月まではアシスタントのポジションが確保されているが、夏以降はどうなるかわからない。できれば新たなスポンサーを見つけてきて、自分で新しいポジションを作り出したい。研究プロジェクトの計画書を書いて、それを持って回ってスポンサーを確保したい。自分の研究分野の発展に寄与する研究と、日本語教育の教材開発の二つのプロジェクトを提案して回って、最低どちらかのプロジェクトのスポンサーを見つけることを目指したい。
・論文執筆
今度の夏で2年目を終えるので、夏の間に自分の研究分野で最低1本は学術論文を執筆しし、学会誌へ投稿したい。
・プレゼン力の強化
英語力全般の強化、ということでもあるのだが、特に英語でのプレゼン力の強化に力を入れたい。今のレベルは、ど下手のカラオケを毎回皆に我慢して聞かせているようなもので、お互いに気の毒なものである。今年のうちに、せめて聞き苦しくない程度のプレゼンができるようにしたい。これにより、日本語でのプレゼン力も必然的に高まるので一石二鳥である。
・開発力の強化
昨年の夏にPHPの勉強をしたが、実用には程遠いレベルにとどまっている。別にプログラミングである必要はなく、何らかのコンテンツ開発につながるスキルを高めたい。技術面で一番実用的なのは、Flashコンテンツの制作だと思うので、まずは今年前半のうちにFlashでひとつ教材を作ることを目標としたい。技術だけではよいコンテンツは作れないので、コンテンツ開発の基盤として、ゴールドラットのビジネス小説や、Tycoonシリーズのシミュレーションゲームのようなところで使われている手法から、コンテンツ開発につながる知見を得たい。今はまだ経験しているだけの段階だが、これを一歩進めて、自らコンテンツを作るためのスキルを生み出したい。
2003年を振り返って
留学してきて1年4ヶ月ほどが経った。2003年は、留学後の適応の時期を終えて、新しいことを始めようと試行錯誤してきた1年だった。年の初めにやりたいなと考えていたことは、大方達成できて、新しいことを始める萌芽が見えてきた気がする。しかし、すべてが順調というわけでもない。今年一年の方針を考えるためにも、少しここまでの経過を振り返ってみることにする。
・博士課程に移り、コースワークを順調に消化
2003年初めに博士課程に移り、大学院在籍期間を2年から5年に延長。移籍手続きはスムーズにでき、10月のCandidacy Examも問題なくパスできた。コースワークもこれまでに10コース終えて、今のところは計画通りに進んでいる。2年目に入って、授業で理解できることがだいぶ増えたと同時に、最初はいかにわかっていなかったかを痛感した。クラス討論で意見をまともに聞いてもらえるようになった。これまでに受けたコースの講師からはよい評価を得た。10月にはAECTのカンファレンスに初参加して、研究分野での知見を広げることができた。
・大学の仕事を経験
昨年中盤は、アシスタントのポジションを確保するのにいろいろと苦労した。PHP/MySQLデータベースメンテナンスの短期アシスタントや、教育政策研究科のホームページ更新といった小さい仕事をこなした後、10月からペンシルバニア州のK-12教員向けの認定プログラムのアシスタントとして雇ってもらった。いずれの仕事も、アドバイザーのDr. Peckに世話してもらった。英語力の不足から、他の教員には敬遠されるところを、彼は私をあれこれ引き立ててくれて、ことあるごとに声をかけてくれる。足を向けて眠れない存在とは彼のことだ。
・「ゲーム&シミュレーションによる学習」という研究テーマを得た
来た時は、漠然と「インストラクショナルデザインを日本でもっと普及させるための研究をやりたい」という考えだったが、いろいろ勉強するうちに、構成主義の学習理論に興味を持つようになり、さらにはケース教材を用いた学習、ゲームやシミュレーション型の教材開発というテーマにたどり着いた。まだ興味を持って調べている程度に過ぎないが、これらの教育方法を発達させることで、退屈な教育を減らして、教育の場をより意味のあるものにするための有効なツールにしていきたいと考えるようになった。
・日本の研究機関からの仕事を受注、完了
学部在籍時からずっとお世話になっている東大先端研の妹尾堅一郎教授の紹介で、三菱総研から、日本の大学院における技術経営教育プログラム開発のための米国大学院調査の仕事を受注、3ヶ月間の作業期間の後、無事に調査報告書を納品した。以前に日本でもいくつかこの手の仕事をやってきた経験があったので、仕事自体はさほど難しくなかったが、大学院での活動と並行したので苦労した。結果的には調査研究の仕事の幅を広げることができたし、自分の研究を進める上でのヒントを得ることもできたよいプロジェクトだった。妹尾先生は、私にとってのもう一人の足を向けて眠れない存在だ。
・日本のインストラクショナルデザイン研究・実践者とのネットワーク形成
海上自衛隊の君島さんの紹介で、sigeduというグループのメーリングリストに加えてもらった。日本のID研究の第一人者の鈴木克明教授とも知り合いになるなど、この分野に関心のある日本の人とのつながりができた。
・日本語教育に進出
夏休みに地元の高校生ベンの日本語の家庭教師を引き受けたのをきっかけに、大学の日本語プログラムで週1回基礎クラスを教えるなど、日本語教育という活動の場を得ることができた。基礎クラスの学生の個人教師や、上級クラスの学生の会話パートナーをやったり、コースのプロジェクトで、日本語プログラムのニーズ調査を行なったりした。プログラムのインストラクターたちともつながりができた。日本語教育にかかわることは年初想定していなかったが、思いがけず活動の選択肢を広げることができた。
・英語力アップ
大学院で活動するための基礎的な英語力もあやしい状態から、読み書き主体であれば、英語でも日本でやっていたくらいの仕事はできるようになった。英語の文献も小説や新聞程度のないようであればスラスラ読めるようになった。とはいえ、会話力はあまり伸びていないので、意思伝達には相変わらず不自由が伴う。会話力の低さは日本語であっても同じで、英語のせいではない面が大きいので、英語力とともに会話力そのものをあげていかないと、今後もさほど伸びていかない気がする。
・車を手に入れ、免許を取得
8月に小さな古い車を譲ってもらい、ペンシルバニア州の運転免許を取得した。車の運転は不得意な方で、最初はあまり楽しくものなかったが、近所の運転くらいは気楽にいけるようになった。普通はたいしたことでもないのだろうが、車の不要な首都圏で10年生活し、車の運転に関してはまったく能力が開発されてなかった身には、けっこうな挑戦だった。
・あちこち見聞
夏休みのノースカロライナのサウスポート旅行、10月のカリフォルニア学会旅行、サンクスギビングのニューヨークドライブ旅行など、アメリカ内をあちこち見て回る機会があった。いずれも楽しく、忘れられない経験となった。
Instructional Designerの専門性
先月、AECTカンファレンスに参加した収穫の一つは、経験豊かなインストラクショナルデザイナーと話しができたことだ。カンファレンスのプログラムにもレセプションがいくつか組まれていて、交流する機会は結構あるのだが、立食パーティではなかなか込み入った話もできない。今回よかったのは、たまたま大学の同僚と、彼の昔の相棒のIDerとで夕飯を食べる機会があったことだ。ちょうどワールドシリーズの時期だったので、ヤンキースの松井の話や日本のプロ野球界の話など他愛のない話をしたりしつつ、仕事の話をいくつか聞いた。
印象に残ったのは、インストラクショナルデザイナーは、「どれくらいコンテンツのことを学習するのか」という質問に対して、彼の答えは「想定される学習者が理解する必要のあることは一通り学習するが、それ以上は立ち入らない。ただし、コンテンツの専門家がいない場合は自分で全部やることになる。」プロのインストラクショナルデザイナーはあらゆる分野の講座や教材の開発に教育の専門家として関わるので、必ずしもその分野の知識を持っているわけではない。その際、その分野の知識を身につけることではなく、その分野の知識を持った人と共同作業ができるところにプロとしての付加価値がある。それに関しては、Needs assessmentやSubject matter分析の手法がいろいろあって、それらは専門家から知識を引き出すのに有効だ。インストラクショナルデザイナーはそうしたスキルを駆使しながら、他分野の専門家と協働作業ができなければならない。
Instructional designerの基礎スキル
IDの専門知識とは、講座や教材開発のための理論やテクニック、モデルであり、それらを必要に応じて使い分けるところに専門家としての付加価値がある。しかし、実際には、そうしたテクニックやモデルの知識は、論理思考力とコミュニケーション力がベースになってないと実際の仕事には役に立たない。言い換えれば、IDの専門知識よりも、その人の論理思考力とコミュニケーション力の方が、仕事の成果に与える影響は大きい。
大学院でも、論理思考力の高くない院生はいかにIDの手法を学んでも、出せるアウトプットはたいしたことはない。逆に、論理思考力があれば、多少の知識の不足はカバーできる。他分野の専門家と共同作業する場合は、きちんとコミュニケーションができないと、いかにIDを学んでもいい仕事はできない。なのでIDを教えるプログラムでは、この論理思考スキルとコミュニケーションスキルを磨く機会を提供することが必須だと思う。Penn StateのINSYSプログラムでは、そうした講座は設置されていないが、その代わりにリサーチプロジェクトの講座の割合を増やすことでこれに対応している。本格的なリサーチプロジェクトを経験する過程で、そうしたスキルを高める機会を得るという社会構成主義的なアプローチだ。それもいいのだけど、そのアプローチを機能させるためには、必要なときに参照できるリソースが十分に提供されなければならない。残念ながらそこはあまりケアされていないので、学部を出てすぐの若い院生には少々レベルが高すぎるきらいがある。
もし自分がIDに関するプログラムを組む立場になったら、まず基本に置きたいのは基礎的な論理思考スキルやオーラルコミュニケーションスキルやライティングスキルを補うための講座だ。そうした基礎講座の内容は、当然インストラクショナルデザインの現場と関連付けたものにする。そうした講座を先に履修することで専門知識の習得も効率がよくなる。
つまるところ、一番そういう講座が必要なのは自分だったりするのだが。いずれ短期のワークショップ案でも作ってみたい。
12/2(火) 型を崩す
サンクスギビングの連休を利用して、ニューヨークへドライブ旅行に行ってきた。セントラルパークを歩き、サンクスギビングのパレードや、ブロードウェイのミュージカルを観て、うまい刺身を食べ、あちこち歩き回って久しぶりに都会の空気に触れて、気分転換になった。楽しい旅行というだけでなくて、あれこれ苦労もした。アメリカに来て生活を始めて1年になるが、住み慣れた街を出ると日々新しいことだらけだ。
留学せずに日本で普通に仕事をしていれば、当然変化もあるが、これだけ大きな変化は日々味わうことはなかっただろう。30歳前後にもなれば、社会人としての経験もついて、自分の型というものができて、それをうまく使えば、仕事は一通りこなせる。収入的にも安定してきて、生活にも不自由はさほど感じなくなる。1年前の自分はまさにそんな状態だった。それが留学してきて、言葉は通じない、生活スタイルも一から組み立てなおす必要があり、何事も思うようにならない、そんな中で過ごすことを余儀なくされた。
大学時代に演劇をかじったことがあるのだが、その時に「型を崩す」ことの重要性を学んだ。練習を繰り返して苦労して作った演技を、あるタイミングで演出家がダメ出しして、一からやり直すのだ。せっかく覚えたのに何てことを、と怒りを覚えるものだが、再び試行錯誤するうちに、前のものよりもはるかによいものが出来上がるのだ。何が違うのかというと、一度できた型というのは、成長前の自分が基点となってできたものであって、型ができる頃には自分はいくぶん成長している。その成長した自分を基点にして演技を組み立てると、質は当然高くなる。これは演技に限ったものではなくて、他のアートでも学術研究でも、人間がやることなら同じことが言える。苦労して作った型だからこそ、それを崩すことでさらなる成長へのドライブがかかるということだ。
日本で仕事を続けていても、転職したり、新たなことへの挑戦を続けることで、型を崩す機会は得られただろう。だが、多くの場合は自分の型を守る方向で動けるので、新たな成長につながるような大きな機会は少ないかもしれない。現に、留学してきたことで、この型を崩すということを改めて考えさせられたのだ。何も吸収していない若いうちに留学して一から海外で経験を積むのも有益なのはもちろんだが、ある程度経験を積んだ大人が、生活の基本から不自由を味わい、自分の型を崩される経験をするのは、それと同等か、それ以上に有益だと思う。そうした経験ができるのは、留学の大きなメリットの一つだろう。
ただ、一般的に歳を取れば取るほど、変化に対する適応力や柔軟性は下がる場合が多いので、無理は禁物だろう。型というのはしっかりしたものであればあるほど自負心を生み、アイデンティティとの関係も強いものになるので、それを崩されるようなチャレンジは負荷も大きい。新しいことにはストレスも伴うし、異国で大学院生や研究員などやっていると、孤独を味わう時間も長くなる。ストレスを和らげる工夫や、休養をきちんととることを考えないと、型だけでなく、自分自身も壊れてしまうような危険も隣りあわせだということを知っておく必要がある。
Dr. William Lee講演
10/15(水)に、”Multimedia-based Instructional Design”(邦訳:「インストラクショナルデザイン入門」)の著者のDr. William Leeの講演があったので参加した。彼はPenn StateのINSYSプログラムの卒業生で、大学からOutstanding Alumniの賞をもらって記念講演をしに来たそうだが、公式行事の前に、INSYSの人々向けに1時間の講演をしてくれた。ちょっと早めに会場に着いたら、Dr. LeeとDr. Dwyerが二人だけで談笑していたので輪に加わった。ぼくが日本人だということを知ると、「インストラクショナルデザイン入門」が出版されたことに触れた。もちろん知っている、日本ではIDの参考書はあまり出ていないのでみんなあなたの本で勉強していると思うよと話すと、シンガポールや中国あたりでも出版されて、他にも数国で翻訳される予定があるとか。
講演の内容は、アメリカン航空の教育コンサルをやった経験を交えつつ、IDだけでは企業の文化の壁を越えた組織改革はできないという話だった。教育研修が解決策にならない場合でも、企業の経営者は研修で組織を変えられると考えている場合があるが、そうでない場合が多い。アメリカン航空は立派な研修施設を持っていたが、オンライン教育の導入は逆にその施設があることで導入が遅れた。デルタは逆に数年前に情報システムの基盤強化に資金投入していたおかげでそのインフラを使ってe-learning導入を低コストで行なえた。すぐにその差が歴然となった。研修に金を使う意欲が経営者にあっても、経営者の考え方が必ずしも合理的でない場合もあり、その場合は教育研修が解決策として機能しない。教育研修の精度を高める方向ではなく、組織変革を主眼にした別のアプローチを取る必要がある、ということだった。
Dr. Leeのような実用的なID書の著者でも、IDよりももっとマクロレベルの変革アプローチが必要という考えを持っているのは興味深かった。IDの研究者でそうした考えから、Instructional System Designだけでなく、よりマクロなEducational System Designにシフトする研究者がけっこういるのだけど(Dr. Reigeluthはその代表格)、Dr. Leeも同じ考えを共有するID者なのだ。
休憩を挟んで、後半はDr. Leeの著書、”Multimedia-based Instructional Design”の改訂版に付録でつくCD-ROMに収録されたID者支援ツールの紹介が中心だった。適切な学習目標を書けない研修担当者が多いので制作したという「Learning Objective Genelator」他いくつかの便利なツールのデモをしてくれた。いずれもフォームに情報を入れると、IDの作業に沿った形で結果を返してくれるというツールだった。本の付録にしてはよくできていて、けっこう使えそうな印象だった。ID者支援ツールの開発というのは、ぼくもとても興味があるので近いうちに一つ作ってみたいと考えているところだ。
11/1(土) 刺身ディナー
今朝は12時起床。夫婦とも疲れがたまっていたようだ。
朝食は軽くシリアルで済ませて、午後はWeblogの更新中にシステムの不具合に引っかかり、その手直しに時間をとられた。夕方、ダウンタウンにある日本料理&韓国料理レストランのSay Sushiへ出かけていって、刺身定食と焼き鳥を食べた。ちょっと高かったし、魚がもう一つだったのだが、たまに食う刺身は美味い。最近すっかり刺身欠乏症になっている。
夜は、プロジェクトの作業と、調査報告の仕事の資料整理。夜更けまでかかったが、資料整理は終了。これでさらに一区切りついて、余力が増してきた。運動不足で身体はなまっているが、仕事のペースは悪くないので、この調子で来週のプロジェクトの山場も乗り越えたいものだ。
10/31(金) ハロウィンパーティ
今朝は起きると9時前。統計の授業は少し遅れて出席。前回のテストの結果をもらったら満点だった。統計クラスの講師のJonnaと少しだけ話をする時間が持てた。
11時過ぎにINSYS521プロジェクトメンバーのYihuaiと打ち合わせ。彼女は仕事ができるので話が早い。20分程度段取りについて話をして解散。
午後はプロジェクトのドキュメント作成。来週調査実施なので今やっておかないといけないものが多い。ちょっと昼寝して疲れを取ってさらに仕事を進めた。
夜はDr. Peck邸のハロウィンパーティに参加。キムチチャーハンを山盛り作ってもって行った。パーティは仮装した人であふれていた。教授も学生もみんな変な格好やら楽しげな格好で盛り上がっている。Dr. Peckはスターウォーズに出てくる金持ち宇宙人のような格好で、マスクしているので誰だかわからなかった。INSYSの教授や卒業生で作ったバンド演奏もやっていた。こういうところでさらっと楽器ができるとなかなかかっちょよい。屋外では、スクリーンとプロジェクタが設置され、編集した古いホラー映画が流されている。キムチチャーハンは予想以上の大好評。みんなうまいうまいと食べて、あっという間に売り切れ。レシピをくれと言われたり、賛辞の声を多数受けた。本場韓国人からも賞賛された。仮装はしなかったが、違った形でパーティを盛り立てることができたようだ。ほどほど社交したところで、10時ごろには失礼した。