サンクスギビングの連休を利用して、ニューヨークへドライブ旅行に行ってきた。セントラルパークを歩き、サンクスギビングのパレードや、ブロードウェイのミュージカルを観て、うまい刺身を食べ、あちこち歩き回って久しぶりに都会の空気に触れて、気分転換になった。楽しい旅行というだけでなくて、あれこれ苦労もした。アメリカに来て生活を始めて1年になるが、住み慣れた街を出ると日々新しいことだらけだ。
留学せずに日本で普通に仕事をしていれば、当然変化もあるが、これだけ大きな変化は日々味わうことはなかっただろう。30歳前後にもなれば、社会人としての経験もついて、自分の型というものができて、それをうまく使えば、仕事は一通りこなせる。収入的にも安定してきて、生活にも不自由はさほど感じなくなる。1年前の自分はまさにそんな状態だった。それが留学してきて、言葉は通じない、生活スタイルも一から組み立てなおす必要があり、何事も思うようにならない、そんな中で過ごすことを余儀なくされた。
大学時代に演劇をかじったことがあるのだが、その時に「型を崩す」ことの重要性を学んだ。練習を繰り返して苦労して作った演技を、あるタイミングで演出家がダメ出しして、一からやり直すのだ。せっかく覚えたのに何てことを、と怒りを覚えるものだが、再び試行錯誤するうちに、前のものよりもはるかによいものが出来上がるのだ。何が違うのかというと、一度できた型というのは、成長前の自分が基点となってできたものであって、型ができる頃には自分はいくぶん成長している。その成長した自分を基点にして演技を組み立てると、質は当然高くなる。これは演技に限ったものではなくて、他のアートでも学術研究でも、人間がやることなら同じことが言える。苦労して作った型だからこそ、それを崩すことでさらなる成長へのドライブがかかるということだ。
日本で仕事を続けていても、転職したり、新たなことへの挑戦を続けることで、型を崩す機会は得られただろう。だが、多くの場合は自分の型を守る方向で動けるので、新たな成長につながるような大きな機会は少ないかもしれない。現に、留学してきたことで、この型を崩すということを改めて考えさせられたのだ。何も吸収していない若いうちに留学して一から海外で経験を積むのも有益なのはもちろんだが、ある程度経験を積んだ大人が、生活の基本から不自由を味わい、自分の型を崩される経験をするのは、それと同等か、それ以上に有益だと思う。そうした経験ができるのは、留学の大きなメリットの一つだろう。
ただ、一般的に歳を取れば取るほど、変化に対する適応力や柔軟性は下がる場合が多いので、無理は禁物だろう。型というのはしっかりしたものであればあるほど自負心を生み、アイデンティティとの関係も強いものになるので、それを崩されるようなチャレンジは負荷も大きい。新しいことにはストレスも伴うし、異国で大学院生や研究員などやっていると、孤独を味わう時間も長くなる。ストレスを和らげる工夫や、休養をきちんととることを考えないと、型だけでなく、自分自身も壊れてしまうような危険も隣りあわせだということを知っておく必要がある。