「ゲーム脳」騒動の問題点

 ゲーム&シミュレーションを研究する身としては、今日本で話題にされている「ゲーム脳」について触れておかねばならない。この「ゲーム脳」森昭雄「ゲーム脳の恐怖」(NHK出版)の出版をきっかけにかなりの話題を呼んでいて、ネットで調べると賛否の意見が大量に出てくる。趣旨はゲームを長時間やると、脳の機能が低下し、キレやすくなったり、脳の発達に悪影響を及ぼしたりするということだそうだ。書籍をあたっていないので、書籍自体の論評は置いておくが、この「ゲーム脳」にまつわる議論について、気づいたことをまとめておく。
 この問題は賛否がはっきり分かれている。日ごろから子どもたちがゲームに没頭するのを面白く思っていなかった親や教師は、ゲーム批判の強力な論点を得て、やっぱりゲームはダメ、という主張をする。ゲーム世代より上の親や教師がその中心勢力となる。一方で反対するのは当然ながらゲーム業界やゲーム愛好者である。たいがい「ゲーム脳はある、ない」という論点だ。著者の論理に矛盾があるとか、そういう例を実際に見たとか、そういう話だ。しかし、これだと水掛け論になってしまって何も話は進まない。感情的に反応するのでなくて、次のようなことを考えるべきではないか。
 (1)ゲームにもいろいろある
 この「ゲーム脳の恐怖」で問題としてされているのは、単純なアクションゲームやパズルゲームなど、慣れれば思考せずに反射神経だけで長時間プレイできるゲームであって、これにあてはまらないゲームはたくさん存在する。何でもゲームと名の付くものを否定したがっている人は、たいていゲームをろくにやったことがない。そういう人たちは「バカの壁」に阻まれて、適切な思考ができていないのだろう。
 (2)何ごともやり過ぎはよくない
 ゲーム脳のあるなしにかかわらず、毎日長時間ぶっ通しでゲームをやるのは、普通に考えれば身体に悪い。働きすぎも食べすぎも飲みすぎもタバコの吸い過ぎも、全部過度なことは身体に悪い。言ってみればこのゲーム脳が問題にしているレベルは、ケーキを丸ごと一日一個食べるとか、タバコを一日3箱吸うとか、ウィスキーのボトルを一人で一日一本空けるとか、そういうレベルの話だ。ゲーム脳があろうとなかろうと、身体に悪いのは当たり前のレベルで、それを身体に悪いことですよというのは当たり前のことだ。ただ、だからといって頭ごなしにゲームを全否定する根拠にはならない。
 (3)同様な事例で、他にも問題にすべきことは多い
 ゲーム脳を問題にする前に、何で「パチンコ脳」を問題にしないのかとつくづく思う。長時間のゲームが脳に悪いとすれば、いい大人が朝から晩までパチンコの玉やスロットの回転を眺めている方が脳にはずっと悪そうだ。依存性もゲームより高くて、借金や子どもの放置死などの社会問題も起きている。親からの仕送りをパチンコにつぎ込む学生の話はありふれている。いい大人がパチンコに没頭するおかげで生じている文化的、経済的な損失は大きいはずだ。田舎に行くと、パチンコ屋だけが栄えていて、文化が育たない。こんなことを放置しておいて、ゲームはいかんというのは、問題をきちんと捉えているようには思えない(パチンコ脳で検索すると似たようなことを言っている人は結構いた)。
 (4)ゲームの効能は無視できない
 上の3つは論点としてネット上でよく言われているようだが、この点はあまり取り上げられていない。教育や福祉へゲームが貢献する余地は大いにある。タイピング学習ゲームはゲームが学習を促進している身近な例である。また、フライトシミュレータは実際の飛行訓練に利用されている(関連記事)。米軍は巨額を投じて、新兵訓練や下士官の判断技術の訓練用のゲームを開発して実際に利用している(関連記事)。福祉の例では、ゲームメーカーのナムコはリハビリ用のゲームを老人ホームなど向けに販売している。ゲームというものを頭ごなしに否定してしまうと、こうした効能までも見逃してしまう。特にこの点は親や教育者に理解してもらいたい。ネットで調べたらこういうひどい授業例を見つけた。これでは教育というより洗脳である。たぶんこれをひどいと思わない教師がいるからこういうものを提供する業者がいるのだろう。教育者側がゲームを否定的に捉えているうちは、子どもとゲームの関係はよくならない。ゲームの長所と短所を積極的に捉えなおせば、今行なわれているような浅薄な議論になることはないし、子どもとのコミュニケーションのポイントは広がるはずである。