シリアスゲームサミットDC初日

 シリアスゲームサミットの第一日目。サミットの内容的なレポートはシリアスゲームジャパンの方で書くので、こちらは個人的な感想中心で。
 参加者は500人を越えているそうで、出展企業も十数社、運営も専門会社のCMPがやっていて、GDC(ゲームデベロッパーズカンファレンス)のように組織的でずいぶんと洗練されたカンファレンスになった。前回までは会場を走り回っていた主催者のベン・ソーヤーも、今回は運営は完全に手を離れたようで、ゆったりと会場を見て回っている。胴回りが巨大化したせいもあって、ずいぶん貫禄ある感じになった。最近の彼は、シリアスゲームイニシアティブの人というよりも、自分の会社デジタルミルの社長として、ゲーム開発プロジェクトの方に力を入れている感じだ。シリアスゲームコミュニティはすでに彼のファシリテーションの力を借りなくても自らの引力で動き始めている。ベンの偉いところは、シリアスゲームというマーケット一つを開拓して、そこで何も偉ぶらず、変な政治力に頼ろうとせずに、いちプレイヤーとして自分の会社のビジネスをやろうとしているところである。自分のやりたいビジネスができるマーケットを丸ごと作り出してしまうその豪快さは立派だと思う。
 今回も昨年同様、夜はアメリカズアーミーがスポンサーのレセプション。会場にはバズーカ砲のシミュレータや、各種射撃シミュレータ、アメリカズアーミーのデモなどが所狭しと並んでいて、その中でみんな酒を飲みながら軽食や会話を楽しんでいた。こうしたデモを見るたび、ゲーム技術とシミュレータ技術の境界というのはなくなってきているのだなと思わされる。
 同じくペンステートから来た台湾人のハイチュンと合流し、一緒に来たトルコ人のゴクヌーアと3人で近くの寿司バーで夕飯を食べ、招待されていた企業のプライベートパーティに参加した。行ってみるとそのパーティは、フロリダをベースにシリアスゲーム系のカンファレンスを企画している会社主催のもので、カンファレンスのプロモーションとネットワーキングを兼ねたパーティだった。会場内の雰囲気、それにこのパーティを見るにつけ、昨今のシリアスゲームを取り巻く状況はやや加熱気味な感があるのはやや懸念されるところである。技術的なものは新しいのが出てくるが、研究はそんなにさくさく進むものではなく、発表で見るものはほとんど前回に比べて目新しいものは出てきていない。新規参入者にとっては新鮮かもしれないが、このアプローチでこのハイペースを続けるのは厳しいかもしれない。そういう感想をシリアスゲームコミッティメンバーの一人であるイアン・ボゴストに述べたら、彼はすでにそのことを危惧していて、何か手を打たないといけないと言っていた。おそらく次回以降に向けて、コミッティ側でも何らかの手を打ってくる様子である。

ピッツバーグ-ワシントンDC

 この週末は授業のフィールドトリップでオペラ鑑賞と、その足でそのままシリアスゲームサミット参加のためにワシントンDCへ出張。二日前に車が故障してしまい、やむなくレンタカーでの旅行となった。オペラを観にピッツバーグへ移動。朝っぱらから4時間も運転して行って、英語字幕つきのドイツ語オペラなんて観たら絶対寝るなーと思っていたら、案の定、一幕目は半分くらい寝てた。二幕目はちゃんと起きてた。プロットは三谷幸喜の作品みたい(三谷幸喜の方がこの作品より後なんだけど)で面白かったし、会場は全米でもトップクラスのオペラホールで、しかもバックステージツアーつきだったのでいろいろ見れて楽しかった。でもどうもオペラという形態自体が個人的に性に合わないらしく、オペラ自体はそんなにときめくものではなかった。ラストに花火の演出があるというので楽しみにしてたが、花火はモトリーとかキッスなどのロックコンサートの方が屋内でもすごいのをやっているのを知ってるので、それに比べればとてもおとなしくて物足りなかった。(まあそもそもそんなのと比べんなよって、話だろうけど。)オペラのような高尚な芸術にはあまり縁がないのですみません、という感じ。でも12ドルでこんな立派なのを観れるのはさすがと感心した。
 オペラホールを後に、ワシントンDCへ向けて移動。今回の旅行は同じプログラムのトルコ人の新入生が終始同行しているので、あれこれ話して退屈はしなかった。自分も後輩にいろいろ情報をシェアするような立場になったのだなと思った。5時間ほどかかって、夜も11時半を回っていたが、とりあえず無事にホテルに到着。

無事帰宅

 学会出張も最終日。ルームメートはもう一日滞在するので、自分だけ一足先に帰途に着いた。ピッツバーグまでは問題なくたどり着いて、ピッツバーグ在住の友人が迎えに来てくれて、久しぶりに近況など話しつつ、出身のカーネギーメロン大のツアーをしてくれつつ、グレイハウンドのターミナルまで送ってくれた。ターミナルは場所が変わっていて、自分だけで探していたらきっと間に合わずにまたバスを逃しているところだった。無事にバスに乗って、3時間でステートカレッジに到着。乾いた冷たい空気を感じて、蒸し暑いフロリダから戻ってきたことを実感した。
 来週はワシントンDCでプレゼンがあり、授業のパイロット研究の教材作りは今週が山場である。何をどうやって終わらせればよいのかわからないカオス状態のまま、年末へ向けて突進している。蹴散らかして前に進むのでなく、一つずつ片付けながら進みたいものだ。

ディズニーもちょっと見学

 オーランド4日目。AECTはもう一日あったが、今日はオフ日にあてた。ハリケーンがずっと話題になっていて、心配で早く切り上げる人もいたが、どうやら日曜のフライトまでは問題なさそうなので、ディズニーをちょっと見てくることにした。ルームメート達と一緒にまわろうと話していたところが、あえなく寝坊してシャトルバスを逃した。仕方ないので、一人で定番のマジックキングダムを半日見て回った。一人でテーマパークを回るのもなんとも言えない感じだなとさえない気分になりつつも、オーランド気分を味わうくらいにはアトラクションを試して回った。夕方は土砂降りに見舞われ、その余波で帰りのバスを逃した。仕方なく、同じ方向の市バスに乗ったら、途中から逆方向に向かい始めたのであわてて飛び降りて、別の路線に乗換え、何とかホテルに到着。
 今回の旅行は、寝坊したり道に迷ったり、バス逃したりと、歯車が微妙に狂っている。こういう時は多くを期待しても仕方ないので、ケガせずに帰れればいいいやと開き直った。無事これ名馬、である。

AECT二日目

 オーランド三日目で、AECTは二日目。ルームメートは発表が済むや否や、奥さんを連れてディズニーへ向かい、今日も朝から気合を込めて出かけて行ったようだ。すでに丸4日間で4つのテーマパークを回るつもりらしい。彼の気合は今回は発表ではなく、ディズニーに100%向かっている。テーマパークの飯は高いからと、奥さんは出発前日の夜中まで、まんじゅうやら煮物やら、ずっと料理をしていて、6日分の食料を準備していた。こちらに着いたら着いたで、レンタカーをしたのだが、駐車場代がバカらしいと無料シャトルバスを使い倒してテーマパークめぐりをしている。節約にかける彼らの熱意は並大抵でない。その辺は国の経済状況の違いからくる文化の違いがあるんだなと思わされる。
 昨日で発表も終わり、気が抜けて朝はややゆっくり目に学会会場へ向けてレンタカーで移動。会場に着いて、ゲーム系のセッションを中心に、面白そうなセッションをいくつか見て回った。空き時間に、子ども達のビデオコンペの授賞式をやっていたのでのぞいて見た。ニュースとか音楽ビデオとか部門別に表彰されていたが、どれもレベルが高くて楽しかった。こういうのは教える方も学ぶ方も楽しいそうでとてもよい。最後に、一人の中学生ビデオアーティストの、自身のガン闘病記録をドキュメンタリー化した作品が流されていた。幹細胞移植に入る前のところまでの未完の作品で、幹細胞移植のあとその少年は亡くなってしまい、その追悼での作品公開だった。会場の子ども達にはどんなメッセージとして伝わったのだろうか。
 夕方、AECTの功労者や論文賞の受賞式典が行なわれた。式典のみだと参加者も少なくなることもあり、例年はパーティと組み合わせたりしているが、今年は軽食で来場者を引き寄せる作戦だった。ねらい通り、拍手が賑やかになるには十分な人が食べ物に引き寄せられて集まっていた。学会のレセプションは産業系のカンファレンスと違って貧しくて、アルコールはキャッシュバーが通常であるため、この会場に用意されたワインバーに集まる人も少なかった。しかし実はワインも無料だったというのが後でわかり、後半はみんなでワインを傾けながらの歓談となった。
 夜はプログラムの仲間と酒でも飲みに行こうということになり、いったんホテルへ戻ることにしたが、大いに道に迷った。実は前日の夜、韓国人の同僚にホテルまで送ってもらったのだが、誤った方向を指示してしまい、30分ほど余計にドライブ。またそれと全く同じ間違いをして、同じように30分余計にドライブしてようやく帰り着いた。今回の旅行はどうも方向感覚が悪く、こっちだと思った方向に行くとまず間違っていた。
 ホテルに戻り、しばらくして落ち合い、近所のバーレストランへ。集まった顔ぶれはアメリカ人、ブラジル人、ロシア人、ベトナム人、インド人、それと日本人、と全く多国籍なのがゆかいだった。研究を離れての素の状態で接する機会というのは案外少ないので、こういう場はなかなか貴重だ。飲みニケーションではないが、何か利害の関係ないことを共有して楽しむことは、どこの国の人でも、いわゆる潤滑油になる。

AECTで発表

 オーランド二日目。とりあえず寝坊せずに6時半に起きて朝食。朝食と無線インターネット無料のホテルにしておいたので、メールは読めて、朝飯にもあぶれずに済む。自分の発表は昼前だが、ルームメートは朝一の発表で、一緒にレンタカーを借りているので、早いほうの彼のスケジュールに合わせて早めに移動。二人とも10年物のパワー不足な車に乗っているので、ピカピカのレンタカーのパワーに感動しながら移動した。途中若干道に迷ったが、遅れずに無事会場入り。AECT参加はおととしのサンディエゴ以来2年ぶり。サンディエゴもオーランドも、ディズニーがあって、AECTの偉い人たちはよほどディズニー好きなのかと思ったが、AECTでは学会と併催でスチューデントメディアフェスティバルというのをやっていて、小学校から高校までの生徒たちが制作したビデオ作品コンペの授賞式をやっている。なのでたぶん子ども達が来たくなるようなところが選ばれやすいのだろう。
 学会の会場では、ペンステートの同僚たちにちょくちょく顔をあわせた。ペンステートはAECT参加大学の中でも大勢力な方で、大学院では年次が進むとたまにしか会えなくなる友人も多いので、久しぶりにあって近況報告をする場面が多かった。
 一本目の発表はラウンドテーブルで、2年前にやった日本語教育プログラムのニーズ調査プロジェクトの事例報告。ちょうど昼飯時に、あまり人気の無いインターナショナル部門のラウンドテーブルとあって、来場者はみんなお昼を食べる時間にあてているようで(ランチタイムは設定されてない)、ほんとに人が来ない。どこのテーブルも閑古鳥状態で、まばらに来る人をつかまえながらセッションをやるという感じだった。全部で4人を相手に説明したが、みんなアジア人だった。まあトピックがトピックだけにそんなところか。
 二本目の発表は30分のプレゼン。「ゲームとオンライン学習」というスロットに入れられて、「多人数参加型オンラインゲームにおける社会的相互作用:オンライン学習開発への知見」というタイトルで発表した。会場には30人以上が入り、満員状態で、用意した論文のコピーは足りそうに無いので最後に配ることにした。内容的には日本の教育システム情報学会でやったものをバージョンアップしたものであり、発表自体は練習も含めて何度かやっていてプレッシャーは少なかった。ただ、やはり寝てないと頭の回転がやたらに鈍く、普段は出てくるものが出てこない。最初はよいテンポで話し始めたものの、たちまちかみまくり、もたついた感じになった。途中で何人か抜ける人がいて、「あーあ」と思いながらも何とか最後まで話しきって終わったところ、いい感じの拍手。何かいまいちだから論文はイラね、という人もいるかと思ったら、みんな持って行ってくれて、即座に売り切れ。説明がまずくても内容には関心を持ってもらえたようだった。
 自分の発表以外にも、教育用ゲームに関連した発表は十数件あって、ゲームへの教育工学分野での関心の高まりがはっきりと示されていた。他の発表の多くはまだ関心のもち始めといった感があって、「ゲームってすごい可能性があるんです、でも詳しくは今後がんばります」系の発表だったが、中には本格的な研究プロジェクトの成果を発表しているものもあった。自分の発表も、いちおうは質的研究の論文発表であり、テーマのユニークさもあって、注目されたらしい。おかげであちこちの研究者と知り合った。教育用ゲームはAECTでも主要なテーマとして認識され、今後も盛り上がっていきそうな状況だ。

オーランド初日

 AECT(全米教育工学会)参加のため、フロリダ州はオーランドへ向けて早朝に出発。ルームメートの中国人夫婦とピッツバーグ空港へ移動。ピッツバーグは行ったことあるし迷わないだろうと高をくくっていたら、途中で反対方向へ行ってしまったらしく、気づいた時には120マイル彼方のメリーランドの街にいた。せっかく早くにうちを出た甲斐も無く、フライトを逃してしまった。4時間後の次の便に乗れたので事なきを得たが、結局到着は夜中の2時半。初日にはオーランドに入れずじまい。翌日発表が2本あるのに、やれやれという感じでホテルでテレビをつけたらラストサムライをやっていて、うっかり最後まで観てしまった。寝たのは朝4時半。今までで一番でかい学会発表なのにやる気あんのか、という状況。とりあえず寝た。

Learning by doing

 シリアスゲームワークショップ「コンピュータゲームで英語を学ぶ」も二週目に入り、参加者の皆さんとのやり取りも順調に続いている。参加者の方々が熱心に取り組んでいただいているおかげもあり、自分としては期待以上の手ごたえを感じている。学習の場をデザインする専門性を磨くには、実際にやってみるのが一番力がつくということをあらためて実感した。
 インターネットラジオステーション「ライフロングメタル」も2回目の更新を行なった。選曲時にそのバンドの出身地を確認したり、ラジオのシステムの機能を使いこなせるようになったり、いろいろと学ぶことが多い。アメリカと日本だけでなく、ノルウェーやスウェーデン、ブラジルやペルーにまでリスナーがいる。聴取時間も述べ100時間を超えた。アメリカの片田舎にいる日本人がかけているスカンジナビアンメタルやジャーマンメタルの曲を、その本場の国の人々がわざわざ聴いてくれているというのは、なんとも素敵な経験である。
 肝心の論文とか学会発表の準備がはかどらなくて、自分の好きでやっていることばかりはかどっているのは、ややマネジメント上の問題はあるが、やはり何事も実践を絡めていかないといけないなということを実感している。大学院に身をおいていると、読書で吸収することが中心になって、実践といっても教室でのディスカッションや小プロジェクト程度の日々が続く。学習の場をデザインする勉強をしていて、理屈の勉強ばかりでデザインする回数は多くはない。デザインの練習だけでなく、デザインしたものを実際に導入するところまでやった方が、断然身につくものが多い。IDの講座で、評価の部分が弱くなりがちなのは、本気で導入のところをやらせてないからである。形成的評価も総括的評価も、理論の表面をなぞっただけでおしまい、ということになりがちだ。分野は違うが、高校日本史で、原始時代や中世はしっかり教えるのに、近現代は駆け足で終わらせがちなのに似ている。理屈に沿って教えるとそうなる。実践を通して教えれば、実践の中で一番重要なことから学ぶことができるし、理論の吸収もよい。教室や単位数という学校的な枠組は、実践には障壁となる面が大きい。IDも実践重視で教えれば、早いサイクルで形成的評価までたどり着いた方が、タスク分析や学習者分析の質が上がるし、インターフェースの調整の手間も減るということが身にしみてよくわかる。教室でテキストに沿って、分析フェーズから丁寧に教えていくと、事前の分析から手順を追ってきちんと進めるのが大事です、みたいな話になって、時代遅れのウォーターフォールなインストラクショナルデザイナーばかりが育ってしまう。熟練デザイナーはADDIEのようなIDモデルをメタ知識化していて、いちいち参照して手順どおりに進めていたりはしない。その熟練の域に近づくためには、デザインの数をこなしながら足りない知識を補足していくトレーニングをどこかに織り込んでいなければならない。座学で知識を得てから、演習科目や教育実習をやったのでは、演習の頃には座学で学んだことなど忘れてしまっていて、学び直すことになって効率が悪い。何を教えるにしても、学んだことをきちんと使いこなせるようにすることを考えれば、実践の機会は不可欠であるし、それができているところはまだ少ない。