Learning by doing

 シリアスゲームワークショップ「コンピュータゲームで英語を学ぶ」も二週目に入り、参加者の皆さんとのやり取りも順調に続いている。参加者の方々が熱心に取り組んでいただいているおかげもあり、自分としては期待以上の手ごたえを感じている。学習の場をデザインする専門性を磨くには、実際にやってみるのが一番力がつくということをあらためて実感した。
 インターネットラジオステーション「ライフロングメタル」も2回目の更新を行なった。選曲時にそのバンドの出身地を確認したり、ラジオのシステムの機能を使いこなせるようになったり、いろいろと学ぶことが多い。アメリカと日本だけでなく、ノルウェーやスウェーデン、ブラジルやペルーにまでリスナーがいる。聴取時間も述べ100時間を超えた。アメリカの片田舎にいる日本人がかけているスカンジナビアンメタルやジャーマンメタルの曲を、その本場の国の人々がわざわざ聴いてくれているというのは、なんとも素敵な経験である。
 肝心の論文とか学会発表の準備がはかどらなくて、自分の好きでやっていることばかりはかどっているのは、ややマネジメント上の問題はあるが、やはり何事も実践を絡めていかないといけないなということを実感している。大学院に身をおいていると、読書で吸収することが中心になって、実践といっても教室でのディスカッションや小プロジェクト程度の日々が続く。学習の場をデザインする勉強をしていて、理屈の勉強ばかりでデザインする回数は多くはない。デザインの練習だけでなく、デザインしたものを実際に導入するところまでやった方が、断然身につくものが多い。IDの講座で、評価の部分が弱くなりがちなのは、本気で導入のところをやらせてないからである。形成的評価も総括的評価も、理論の表面をなぞっただけでおしまい、ということになりがちだ。分野は違うが、高校日本史で、原始時代や中世はしっかり教えるのに、近現代は駆け足で終わらせがちなのに似ている。理屈に沿って教えるとそうなる。実践を通して教えれば、実践の中で一番重要なことから学ぶことができるし、理論の吸収もよい。教室や単位数という学校的な枠組は、実践には障壁となる面が大きい。IDも実践重視で教えれば、早いサイクルで形成的評価までたどり着いた方が、タスク分析や学習者分析の質が上がるし、インターフェースの調整の手間も減るということが身にしみてよくわかる。教室でテキストに沿って、分析フェーズから丁寧に教えていくと、事前の分析から手順を追ってきちんと進めるのが大事です、みたいな話になって、時代遅れのウォーターフォールなインストラクショナルデザイナーばかりが育ってしまう。熟練デザイナーはADDIEのようなIDモデルをメタ知識化していて、いちいち参照して手順どおりに進めていたりはしない。その熟練の域に近づくためには、デザインの数をこなしながら足りない知識を補足していくトレーニングをどこかに織り込んでいなければならない。座学で知識を得てから、演習科目や教育実習をやったのでは、演習の頃には座学で学んだことなど忘れてしまっていて、学び直すことになって効率が悪い。何を教えるにしても、学んだことをきちんと使いこなせるようにすることを考えれば、実践の機会は不可欠であるし、それができているところはまだ少ない。