名言のストック

 先日、本家のシリアスゲームML上で、「ゲームと学習に関わる名言をシェアしようぜぃ」という呼びかけがあって、何人かが自分のお気に入りの名言ストックを提供していた。
 英語で書かれる著作では、その文章の伝えようとすることを端的に表したり例えたりするような、昔の偉人や専門家の名言がよく引用される。翻訳書などを読むとよく見かけると思う。大学院生なんかでも、ライティングのトレーニングを受けたアメリカ人はそうしたスタイルを身につけていて、見事な引用を駆使するのを目にすることがある。アメリカで作家や学者のような物書きを業とする人にとっては、この引用のスキルは標準装備のようなものだ。この引用の技の切れ具合で、教養の高さの示し、自分の文章の格調の高さを演出するというわけだ。その引用が見事だと、それだけで文章が格調高く見えて印象が良くなる(鼻につき過ぎると、キザっちくて嫌だけど)。そういう文化で育っていない身としては、よくまあこんなのをうまく引っ張ってくるなぁとか、こんなにたくさんよく知っているなぁと感心するばかりだ。
 しかし、みんなどうやってそんなにちょうど良いタイミングでいい名言を引っ張ってこれるのかと言えば、このMLでのやり取りのように、普段から引用ネタのストックを増やす努力をしているのであって、パッと急にできるものではない。何事においてもいい仕事をしている人は、日ごろのネタ仕込の大切さを理解して、地道に実践しているのだから、感心してばかりいてもしょうがない。ただ、そういうことに関心が高い中にいるかどうかというのは大きいなと感じた。
 ゲームとは関係ないけれど、私のお気に入りは、ドラッカーの次の一文で、ネタが少ないのでいつも使いまわしている。
「できない子などありえない。お粗末な学校があるだけである。しかし、そのような学校があるのは、教師が愚かであったり、能力がないからではない。正しい方法と正しい道具が欠けているからである。」
– Peter. F. Drucker
次の言葉は普遍的過ぎてピンポイントには使いにくいけれど、格言としては、同じくらい気に入っている。
‘There is nothing so practical as a good theory’(よい理論ほど実践的なものはない)
– Kurt Lewin
 最近見かけて気に入ったのは次の二つ。
“One does not discover new lands without consenting to lose sight of the shore for a very long time.” (視界に陸が見えない長い長い時間を経る覚悟無しには、新しい大陸を見つけることなどできない) 
– Andre Gide (1869-1951) French Novelist
こちらはシンプルなので、英語のままで(原文は英語じゃないけど)。
“I am always doing what I cannot do yet, in order to learn how to do it.”
– Vincent Van Gogh

博士誕生の季節

 春の穏やかな晴天が続く中、みんな期末の課題に追われている。幸いなことに私は授業を取り終えて、修了試験も終えたABD(All But Dissertation)の身なので、この4年間で最も平和な期末を送っている。とはいえ、手放しで平和なわけでもなく、相変わらず空いた時間は片っ端から埋まっていき、仕掛かり仕事の待ち行列が積みあがっていく。一番厄介なのは、デザインしたゲームのプログラミングで、空いた時間の全てを投入してもさっぱりはかどらない。英語やプログラミングのようなスキルものは若いうちに学んでおくに限るなとつくづく思う。それに博士論文のプロポーザルも手がついていない。油断しているとすぐに時間は過ぎていく。周りにも昨年修了試験を終えたのにまだプロポーザルが通ってない人々が結構いる。
 そんな中、先週から今週にかけて、うちのプログラムから3人の新たな博士が誕生した。来週再来週でもう2人、ディフェンスが入っているので、その2人が無事にパスすれば、今学期は計5人の博士が誕生することになる。みんな一緒に授業をとっていた連中で、台湾人2、中国人1、ドイツ人1、アメリカ人1、アメリカ人だけ男で、あと4人は女性、という内訳である。うちのプログラムは教員も院生も女性が多く、男女比は3:7くらいになっていて、全体でアジア人留学生が6割以上を占めているので、アジア人女性がいちばん目立つ。
 博士研究と並行して、就職活動をすることになるのだが、留学生たちの多くは、米国内のテニュアトラック(テニュア-終身在職権、を取得できる可能性がある)の大学教員職を第一志望にしている。その次に米国内の大学や企業のインストラクショナルデザイナーなどの専門職が人気である。ひも付き奨学金などで留学してきた院生たちや、自分の国の大学などから職のオファーがあった人たちは自分の国に帰る。米国に残る人も国に帰る人も、みんなそれぞれにいい仕事を見つけている。大学院生の就職というのはタイミング次第で、年によってポジションの空きが多かったり少なかったりするし、ぎりぎりになって急にいいポジションがアナウンスされたりする。そんな不安定な中でも幸いなことに、ペンステートのインストラクショナルシステムズは、全米でも評価の高いプログラムで、教員達もこの業界では名の通った人たちなので、就職活動は比較的しやすいらしいのはありがたい。
 私自身も順調に行けば、来年の今頃には博士論文のディフェンスを終えて、なんらかの進路が決まっている状態になっているはずだ。修了試験を終えて以降、身の振り方を考えてきたのだが、自分の能力に対する評価など、軸として考える要素が日々変わっているので、これだ!という形ではまだ定まっていない。数ヶ月前くらいまでは、米国内どこかの大学でポスドクのようなポジションを見つけてもう数年研究修行したいなと思っていたのだが、最近は思うところあって、日本に帰って仕事することを前提に身の振り方をあれこれ思案している。
 でもまずは博士研究をきっちり進めて、終わるめどを立たせないと話が進まない。春の気候のよい時期に卒業したいなぁと強く思う。夏だと暑いし、冬まで引っ張ってしまうとむちゃ寒いし、ビザが切れるので更新するのが面倒だし。

ワークショップ二本終了

 先週と今週、ゲーム関連のミニワークショップを二つやった。一つ目は、「エンターテイメントゲームをプレイして学ぶ学習デザイン」と題して、Learning & Performance Systemsの院生を対象にした75分のゲームプレイセッション。教育ゲームの話題が増えていく中で、関心はあるけど自分ではゲームをやらない院生たちのために、学習の視点でエンターテイメントゲームを見ていく際にどこに焦点を当てればよいかという解説と、そのポイントごとに例として一つずつゲームをプレイしてもらって、最後に振り返りディスカッションを軽くやる、という流れ。
 この手のゲームセッションは、ゲーム経験の浅い人が対象だと、ゲームがどんなものかをつかむのに時間がかかったり、つかめないままだったりして散漫になりがちなのだが、今回は参加者の中にゲーマーが一名混ざっていたおかげで、ファシリテーションのきっかけがつかめて何とかポイントをおさえた形でまとまった。教育系の研究者は自分ではゲームやらない人が多いので、ゲーム研究にせっかく興味があっても、なかなか踏み出せなかったり、踏み出したはいいけど微妙に的を外していたりするので、こういう機会を通して、リテラシーを高めつつ、よくできたゲームからインスパイアされることが必要になってくる。
 もう一つは、私の博士研究コミッティの一人であるMagyが提供しているゲームデザインセミナーの時間に、私が自主研究でここしばらくデザインワークを続けてきた自作ゲームのプロトタイプのお披露目とユーザーテストのセッションをやった。今開発中のゲームは、選挙をテーマにした政治的なパズルゲームで、ゲームのコンセプトとメカニックは出来たので、それをペーパープロトタイプ化して、ボードゲームの形でみんなにプレイしてもらった。ボードゲームの盤とかコマを半日かけて工作した。こういうものつくりの作業は楽しくて、果てしなくやっていられる。そして自分の作ったものをみんなに試してもらうのも、また楽しい。今回のゲームが実質的に私の初シリアスゲーム作品で、デザインが意図通りに機能するかやや不安だったのだが、ルールを一通り理解させるのに手間がかかった以外は、みんなコンピュータが処理するところの面倒な計算も、手で計算しながら熱心にやりながら遊んでくれた。
 紙のプロトタイプがうまくいったので、今度はプログラムを組んでコンピュータ上で動くプロトタイプを作ることになるが、そこは自分の手には負えない。デザイン上の工夫をすればするほど、書くべきコードが複雑になり、ますます手に負えなくなる。Magyはハードコアなプログラマなので「フラッシュなんかより、C#でやった方が断然簡単だわよ」みたいなことを笑顔でのたまう。プログラマにすればそうかもしれないが、こちらはあいにくノンプログラマである。どうしたものか。
 ともあれ、自分で立てたコンセプトをもとに、プレイアブルなプロトタイプが作れるところまで来たので、ノウハウ的にはあと何種類か違ったタイプのシリアスゲームをデザインすれば、少しはものになるかなという気がしてきた。軽めのワークショップであればそんなに負担なくやれるということがわかったことも、今回の成果だった。

シリアスゲームサミットGDC終了

 サンノゼで開催されたシリアスゲームサミットGDCに参加。もうシリアスゲームサミットも5回目。昨年のGDCはちょうど春休みと重なっていたし、スピーカーパスでGDCのセッション全部見れたので最後まで参加したが、今年はシリアスゲームパスしかなかったのと休みではなかったのもあって、シリアスゲームサミットのみ。もともとGDCでのシリアスゲームサミットは、ゲーム開発者向けの内容になっていることもあるが、今回は研究面での発表はやや物足りない感じがした。その代わり、ビジネス関連のセッションは活気があった。ゲームの事例も増えてきて、ビジネスとして成功する企業や新たに挑戦する企業が出てきたことで、自信と重みが出てきた感がある。詳しくはシリアスゲームサミットレポートで後日。今回はゲームニュースサイトのSlash gamesへ寄稿予定です。
 サミットが終わって、帰宅したところでスクエニと学研がシリアスゲームの会社を立ち上げるというニュースが入ってきた。
スク・エニと学研、学習・職業訓練ソフト開発で提携(Nikkei NET)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060322AT1D200DA21032006.html
今までのシリアスゲームのニュースはゲーム関連メディアにとどまっていたが、今回はこの日経や毎日のような一般メディアでも取り上げられていて、「シリアスゲーム」がこうした形で日本の一般メディアのニュースとして広く取り上げられたのはおそらくこれが最初だと思う。次の普及段階へ進むには、何かを仕掛ける必要があると思っていたが、その必要はなくなった。こちらから流す情報も、今までよりずいぶん伝わりやすくなると思う。
 タイミングというのは、その兆候は読めても、実際にいつやってくるかわからないものだとつくづく思った。そしてそのタイミングをチャンスとして活かせるかどうかは、それまでに準備ができているかどうかにかかっていて、幸運なことに今回はその準備ができている。今やっていることのペースを少し速めて、計画通りに仕事を進めれば、かなり面白いことになる。来年はどういう状況になっているかとても楽しみだ。少しゆっくりクラゲのように緩んでいようと思っていたが、そんな気分でもなくなってきた。

試験終了!

 無事パスしました。しかもコンディションなしの完全合格。
 会場の予約がなぜかできてなくて、途中で部屋を移動するハプニングもあったけど、試験自体はとてもいい雰囲気で終始した。コミッティーの教授たちのコメントとかアドバイスとかいろいろうれしかった。何も追加課題なしでパスできたのは、コミッティーに恵まれたおかげ。その場で引き続き博士論文のコミッティーになってくれと頼んで快諾をもらえた。いい流れになってきた。
 さあ次は論文のプロポーザル。とりあえず力抜けたので、週末のサンノゼ出張まではちょっとクラゲのように浮遊していようと思ったら、この間受けた仕事の原稿があった。。なのでクラゲはとりあえず来週末までお預け。

土壇場の集中力

 修了試験の口答試験が明後日に迫ってきたので、論述試験の時に自分が書いた回答を読みながら、最終調整をしている。読んでてやれやれと思う部分もあるのだが、ところどころにどうやってこんな言い回しを思いついたんだろうというような、素の自分では思いつかないことを書いていたりする。時間制限のある中で持てる知識を総動員して必死になって書いているので、火事場力というか、土壇場の集中力のなせる業なのだろう。試験であれ舞台であれスポーツの試合であれ、成功をかけた勝負の場というのは、よく言われるように水ものである。その場面でタイミングよく力を出し切れるように心身を調整して、コンディションをちょうどよいところに持っていかないといけない。運も作用する。たまたま出掛けに階段で躓いてこけたとか、朝のコーヒーで口の中をヤケドしたとか、そんな些細なことで集中力というのは簡単に削がれてしまう。その誤差というのが結構大きい。テンションの差一つで結果は大きく変わる。実力十分と思ったのに結果が芳しくないこともあれば、望み薄だったのが結果は大金星となったりする。
 この試験の結果で、今後の予定がうんと変わってしまうので、なんとか一発でパスしたいものだが、こればかりはなんとも言えない。自分自身の感触としては、実は知識的にはあまり足りてなくて、その場のテンションとか、土壇場の集中力に頼らないといけないところがかなりある。論述試験の時はそれがある程度うまく行っていたのだなと、自分の回答を読んで理解したが、さて今度はどうだろう。

試験長引く

 修了試験の口答試験のコミッティーたちのスケジュールが合わなくて、なかなか試験の日を設定できず、あと一ヶ月は先になりそうな状況になってきた。集中力がだんだん途切れてきて、厭戦ムードになってきた中、スタディグループで集まって試験対策ミーティングを開いた。論述試験で書いたそれぞれの回答を読んで、質問しあいながら、準備の必要なところを洗い出した。他のメンバーに様子を聞いたら、みんな同じような状況で結構くたびれていたので、今回はあまり根を詰めず、夕飯を食べて、談笑して、息抜きの合間に作業するような感じで進めた。論述試験が終わった後しばらく燃え尽きていて何もする気がしなかったとか、他の連中の就職活動の様子がどうだとか、そんな近況を伝え合うだけでもずいぶんとモチベーションが回復した。
 最近なんか昼はダルいし、夜は眠いんだか眠くないんだかわからない状況で、ぼやぼやと遅くまで作業する日がここしばらく続いた。時々頭がさえて仕事がざくざくはかどることもあるのだが、それ以外の時間は何が仕上がるわけでもなく、無為に過ぎていく。いつからこんなムラのあるワークスタイルになったのかなと思いつつ、試行錯誤の日々が続く。早く試験終われ。

敵を欺くには..

 修了試験の最後の課題だったサポーティングフィールドのペーパーをまとめあげて、提出した。提出した時にスタッフアシスタントに「あんたが一番最初だわよ」みたいなことを言われたので、おかしいなと思いつつ、一緒に受けてる同僚と連絡を取ったら、実は〆切はその翌日だということがわかった。
 私は〆切ものに遅れないように、一日早めに自分の中での〆切を設定するようにしているのだが、時々本物の〆切を忘れて、その一日早い〆切を本物だと思い込んでしまうことがある。今回がそのパターンで、「敵を欺くにはまず味方から」ならぬ「敵を欺くにはまず自分から」という状況になってしまっている。自分が欺かれてしまっているので、本人はその偽の〆切を守ろうと必死になる。それで一日早く仕事が仕上がるので、あまった一日でブラッシュアップすればいいじゃないかと思うのだが、それがうまくやれるかやれないかが、一流の仕事人とそれ以下の分かれ目である。自分は残念ながら後者で、いったん自分の中で終わったものは、書いてる途中でダメなところが見えていたとしても、書き上げたとたんに輝き始め、直すモチベーションが非常に下がってしまう。ぐずぐずしているうちに一日が過ぎてしまって、結局は一日短い〆切に合わせてできたものがほとんど最終アウトプットになってしまう。今回は非常に重要な課題だっただけに、その一日を有効に使いきれなかった自分のふがいなさへの憤りもまたひとしおである。
 不満はあれ、まあとりあえず終わった!あとは口頭試験を残すのみ。早くパスして、博士論文研究に進みたい。

論述試験終了

 16時間にわたる論述試験は無事終了。4科目中一つだけ、問題選択を誤って、やたらできの悪いものになってしまったけども、書いたものが今の自分の実力であって、それ以上のものを期待してもしようがない。そもそも短時間に英語でこんなものを書けるようになっただけでも上出来だし、今できる以上のものを求められていれば、それはそれで仕方がない。いろいろ考え出すと欲が出て、もっとできたのにとか、もしこうだったらどうしようとか、自分の至らなさに気の滅入る思いがしてくるが、これ以上は逆さにして振っても出てこないのだし、自分のできるものでやっていくしかない。
 とりあえず解放されることをしようと、論述を一緒に受けたスタディグループの連中と一緒に、映画を観に行ってきた。映画はブロークバック・マウンテン。ゲイのカウボーイのラブストーリー。お祝い気分で観る映画ではなかったが、なかなかいい映画だった。夜中に帰ってきてさあたっぷり寝るぞーと思っても、神経が疲れすぎてて逆に眠れない。かといって生産的なことをする気にはなれないので、やりかけのバトルフィールド2をひたすらやって、疲れたところで寝た。
 翌朝(昼)起きて、朝飯を食おうとしてキッチンに行ったら、ルームメイトの奥さんの手作り餃子が置いてあった。そういえば今週末は旧正月で、日本人以外のアジアンはみんなお祝い気分で過ごしてるのだった。中国人はみんなで餃子作って食べて年越しを祝うそうだ。きっとあちこちの家に集まってみんなパーティしていることだろう。そういうアジアの隣国の人々の様子を見るにつけ、日本人は不思議なほど旧正月って祝わないよなと思う。ともかく、美味い餃子を分けてもらったのだし、テストの終わった土曜の午後だし、ということで天気のよい外の景色を眺めながら、昼間から餃子をつまみつつビール飲み、くつろいだ至福のひとときを過ごした。

あと二日

 最初の試験の日まであと残り二日を切った。今日寝て明日寝て起きたら、二日間で計16時間の論述試験が待っている。今まで読みきれなかった論文の中で重要そうなものを読み漁っているのだが、いかんせんスピードが遅くてはかどらない。息抜きにやっているバトルフィールド2の方がよっぽどはかどっているというのは、我ながらどうかと思う。でもアイトーイキネティックのおかげで、不健康な生活の中、運動はコンスタントにできていたりする。
 今回は、一緒に試験を受ける仲間たちとスタディグループを組んでいて、過去問をやったり、一緒に議論しながらノート作ったりしている。同じ頃に博士課程に入った連中で、インド人、中国人、台湾人、ガイアナ人、と日本人の多国籍部隊だ。みんなそれぞれ得意分野が違うので、準備を分担しつつ、知識を共有して、お互いにカバーし合っている。そのおかげで独りで準備するよりも格段に質の高い準備ができつつある。もしうまく一回でパスできたら、このスタディグループのおかげだと思う。学習コミュニティの重要性を改めて認識した。