仕事の谷間の至福のひと時

 当面の急ぎの仕事が一通り片付いた。最近のささやかな人生の至福のひと時は、急ぎの仕事が片付いて少し時間の余裕ができた時、さて何をやろうかなと考えながらわくわくしている時間だ。でも仕事の疲れが残っているのであまり集中力を要するものは避けて、録りためたビデオをまとめて見るとか、とりあえず受け身ですむことを選びがちになる。散らかった書類の整理とかやっているとあっという間に一日が過ぎていく。
 ここしばらく忙しい日が続いて、目の前の仕事を消化していたらもう3週間ほど過ぎていた。たぶん忙しくなると部屋の掃除をしたくなる心理状態と根は同じなのだと思うが、締め切りに追われて忙しい時期は、時間ができたらやりたいことや、やらないといけないことがいくつも出てくる。そしてToDoリストの低い優先順位の項目が充実してくる。
 でも、時間ができてもそれらの半分も消化できないし、そもそもその項目の半分以上は、忙しさが過ぎてやる時間ができた時には、既に輝きを失ってしまっている。おそらく目前の忙しさから抜け出したいがために、ほかのことが輝いて見えるのだろう。そして、余裕のあるうちに何をしようかと考えているうちに時間は過ぎていき、次の仕事の締め切りが近づいてくる。この繰り返しだ。
 とにかく忙しかろうと暇ができようと、時間の過ぎゆくペースが速い。これは年のせいなのだろうか。毎日が充実している証であればよいのだが、大事なことで進んでないことがいくつかあるのに、無情にも時間が過ぎていくので、どうしたものかと思ってしまう。
 それに仕事のボリュームとしてカウントしてない細かいやり取りが積もると案外ばかにならない。原稿を書けば校正があるし、仕事が終われば請求書発行したり、といった事務が発生する。将来の仕事のための段取りでメールを送ったりもやれる時にやっておきたい。今の時期は確定申告なんてのもある。そんなことをぼやいているうちに、やらないといけないことがパラパラと思いついて、それらを片付ける。放っておいても頭痛の種になるような雑務は思いついたときにさっさと片付けるに限る。皮肉なことに、何か取りとめのないことをしている時の方が雑務ははかどったりする。
 そういう生活が続いて、たまには仕事から離れないといけないと思って本格的に休んでしまうと、調子を戻すのに時間がかかって逆に非効率だったりする。そうかといって休まないでいると疲れがたまってそれも非効率になる。そういうバランスを考え過ぎると、なんだかリアルで「ザ・シムズ」をやっているような感覚になってくる。そんな風に、ゲームを集中してやると、日々の活動がそのゲームの視点で構造的に見えてくるという効果がある。それを書き出すと長くなるのでまた今度。
 思いつくままに書いていて、だんだんきりがなくなってきたのでこの辺で。

原稿乱取り

 実験授業が終わった後、たまっていた原稿数本を立て続けに消化中。まるで乱取り稽古のように同じテーマ(シリアスゲーム)の原稿を書き続けた。あと1本。早く終わらせて、研究で集めたデータをいじりたい。
 シリアスゲームの概要や動向や、という内容で書くことが多いので、普通にやっていると同じことしか書けなくなってネタが尽きる。書いているこちらも飽きてくる。少しずつ変化を持たせながら、どの原稿にも何か新しいことを入れて対処した。おそらく読む人からすれば、大した違いには見えない内容でも、書き手の側は同じことしか書けないところから一歩抜け出して、だいぶネタの引き出しが増えた。普通の人にはわからない差異を意識できるようになるのは専門性の現れの一つなのだろうと書きながら思った。その境地に達して、書くことが少し楽になって工夫のやりようも増えた。
 それと、「本人の心がけ次第で、同じ仕事でも将来につながる仕事にもなり、その場しのぎのやっつけ仕事にもなる」、「限界を感じたところであっさり降参せず、あと少し粘ったところにブレイクスルーがある」というようなことが教訓になった。こういうことはしばらくすればわすれてしまい、またある時あらためて実感する。そういうものなのだろう。
 
 今回の原稿乱取り稽古の成果は、春から秋にかけて公開される予定なので、出るときまた順次お知らせします。

実験授業その2終了

 先週に引き続き、都内のある女子高で実験授業の2回目を行った。
 今回はゲームそのものは使用せず、シナリオとコンテンツを使って制作したWeb教材で授業を行い、評価データを集めた。
 授業のすぐ直後から、他の仕事のために丸二日間缶詰で作業しなければならなかったため、データの集計や分析はようやくこれから着手できる。まだ集計してみないと正確なことは言えないが、授業をやった感触としてはよい手ごたえがあった。何より、自分で作った仕掛けで生徒が期待通りの反応を示してくれたのがうれしかった。
 ここから得られる研究面の知見は多いのだが、それをデータで説明するにはこれから並々ならぬ試行錯誤が必要になる。いかんせん、自分の研究者としてのスキルが丁稚レベルなので、授業の時のいろんな手際も悪かったし、定量データ分析も大した経験をしていない。それによく考えたら、こういう実証的な研究からは2年以上遠ざかっているのに気づいた。これではとても研究で食っていける気はしない。これから前に学んだことを思い出しつつ、新しいことを学びつつ、付け焼刃でも何でもいいのでここは乗り切ってみようと思う。
 ともかく、これで今回の実験は終了。関係者の皆さま、多大なるご協力に感謝しております。ありがとうございました。

実験授業その1終了

 都内のある女子校で、いま進めている研究の実験授業の1回目を行った。
 無事に終了というところなのだが、課題と知見にあふれていて、まだ消化できてない。やっているのはオンラインゲームを使って歴史を学ぶ授業で、作った2種類の教材を使って実際の授業を行い、成果を評価するというもの。ゲーム会社さんに頼みこんで、教材をオンラインゲームに組み込んでもらい、それを生徒に試してもらった。
 実施時間の短いワンショットの研究で、教師経験の浅い自分が出張って教えないといけない状況で、実践研究というよりも、授業の場を間借りした実験。開発した教材の形成的評価としては意味のあるデータが集まっているものの、授業はたいへんな状況だった。いくつかの先行研究で書かれている混沌状態をそのまま再現した感じになった。生徒たちは楽しんでいたし使用したゲームに引き付けられてはいたが、それを学習とつなぐのは難しい。どの要素がプラスで、ゲームの要素を抜いてみるとどうなるかは、来週の実験からある程度見えてくると思う。
 実際の授業の場で研究をやる場合、いろんな要因の影響を受けるし、制約も大きい。研究に加えたかった要素を実際の環境に合わせて修正したり削ったりしなけれければならなくなるし、十分な実施時間も取れるとは限らない。今になってみれば、あの時こうしておけばとか、早いうちにこんな手を打っておけばとかいろいろと出てくる。
 オンラインゲームなので、一般プレイヤーもゲームの中にいる。徹夜明けで息抜き中の社会人がゲームの中で生徒たちと話し始めたりするような場面が見られるなど、ゲームの中で授業を行うことで、ゲーム世界にも影響がある。そういう社会的要素を取り入れた研究にしたかったが、諸事情で今回は見送らざるを得なかった。
 こういう実践を通して反省したり、自分で作ったものを試したりしながら改善するプロセスが、いまの自分にはもっと必要だなとつくづく思った。作って試す回転が鈍く、その分成長も鈍い。そういうことがわかっただけでも、シリアスゲームサミットをパスしてこちらを選んだ甲斐があった。人の話を聞くのはほどほどでいいし、誰か代わりがいることはほかの人に任せればいい。もっと自分で作ったものを試して、フィールドで自分の手を動かしてデータを集める時間を作らないといけない。
 実験はあともう1回。そのあともまだまだかかりそうだが、とにかく、集まったデータを一度論文にまとめてみたい。
 関係者の皆さま、多大なるご協力にたいへん感謝しております。

メール不具合顛末

 昨日はメインのAnotherwayのメールの不具合のメンテナンスに時間を取られました。原因は、サーバーで提供されているスパムフィルターで仕分けられたスパムが、メールサーバーを圧迫してメール配信が止まってしまったことでした。
 それに加えて、メールの受信状況から判断すると、スパムフィルターに何らかの不具合があり、1月23日~2月3日の間に受信した通常のメールもサーバーに残ったまま配信されていませんでした。そして最悪なことに、スパムメールの削除と共にそれらのメールも消失してしまいました。あらためて、もしこの時期にメールをお送りいただいていましたら、申し訳ないのですが再度ご連絡いただければ幸いです。
 利用しているホスティング会社が提供していたスパムフィルターについては、前から怪しい動きをしていたのを、受け取るスパムの量を大幅に減らしてくれてはいたので、注意してメンテナンスすることでカバーしつつだましだまし使っていたのですが、ここへきて問題が発生してしまいました。今後はスパムメールも含めてすべてGmailで受けとる形にして、Gmailのスパムフィルターで一括処理する形に運用方法そのものを変更しました。これで不安定なシステムへの依存度が下がるので、トラブル自体がかなり解消されると思います。こういう時にはインフラというのは安定度が最優先なのを実感します。
 9割以上はスパムか読まなくても支障のないメルマガ等とはいえ、10日分のメールが受け取れないままに消えてしまったのはかなり痛手で、たまたま何か重要な連絡をもらっていたらどうしようとか、せっかく連絡したのに返事がなくてムカついている人がいたらどうしようとか考えて、へこみました。でも、こういうアクシデントでつながらないのであれば、もともとご縁がなかったとでも思ってあきらめるしかないかと腹をくくりました。
 メールだけでなく何事においても、自分のあずかり知らぬところでなにか機会を失っているのではないかと考えだすときりがなくて、それ以外の自分の幸運を喜べない気持ちになってきます。そういう気持では良い仕事もできません。この一件でつながる機会を失ってしまったかもしれないどなたかにはお詫びしつつ、またつながることができる機会がくることを願いつつ、前に進んでいくことにしたいと思います。

帰国しました&業務連絡

 一昨日帰国して営業開始しました。それから、先ほどAnotherwayのメールアドレスのメール遅配が起きていることを発見して、メンテナンス中です。ただ今大量のスパムメールと共に仕事のメールが届き始めているので一つずつ対応しているところです。
 2週間近く不達状態が続いていたようなので、このアドレス宛てにメールをいただいていた方にはご迷惑をおかけしております。大学やGmailのアドレスは問題なく使えていたので、最近メール減ったなという程度でのん気に過ごしていて発見が遅れました。確認次第すぐお返事差し上げますのでよろしくお願いいたします。
追記:
メールは復旧したのですが、1月23日―2月4日のメールが届かないまま消えてしまった可能性があります。この頃にメール出したけど返事来ないよという方、恐れ入りますが再度ご連絡をいただければ幸いです。ご迷惑をおかけして申し訳ないです。

明後日帰国

 米国ではついさっきスーパーボウルがニューヨーク・ジャイアンツの勝利に終わり、大統領予備選はスーパーチューズデイ直前で盛り上がっているのを尻目に、明日早朝に日本に向けて出発するので、ただいま荷作り中。もう2カ月おきくらいでしょっちゅう帰っているのでたいして珍しくもない感じになりましたが、今回は3月末まで東京にいます。大事な研究や執筆の仕事を一つ一つやっているとまたあっという間の2ヶ月になりそうです。また今回もいろいろな方々とお会いできるのを楽しみにしております。

妻帰国

 先週まで外で立ち話をしていたら命に関わるような寒さだったのに、今週前半は窓を開けも暖かいくらいの初夏のような気候だった。例年は3月中旬くらいにこのような時期が来るのだが、今年はまだ1月上旬。週半ばからだいぶ落ち着いたものの、気温は高めで暖か。
 そんな気候の折、冬休みにこちらに訪ねてきていた妻が帰国。春一番のような強風のなか、ローカルのプロペラ機で飛び立って、ずいぶん揺れたそうだが無事に帰国。また少しの間単身赴任暮らしとなる。
 僕も研究のために来月帰国する。それまではひたすら自分で設定した研究課題に取り組む日々となる。参照できる情報や今までに経験のある作業はスイスイと進むが、調べても使える情報がないことや未経験のことはなかなか進まない。複雑に絡み合った課題を一つずつ解きほぐして個別にやっつけていく作業が続く。時に複雑なものにそのまま立ち往生して時間を浪費することも多々ある。結局のところ、自分の持っているスキルで料理できるサイズ以上のものは料理できないし、レシピが頭に入ってない料理はレシピ片手に作業することになるので時間がかかる。
 このプロセスは自分で試行錯誤することに意味があって、悩む前に正解を教えてくれるような環境で育つと誰も正解を知らない状況で粘って自分で答えを出す力がつかないと思う。かといって、手助け無しに放置していると途中で力尽きてしまうので、程よいタイミングで助け舟を出すことも必要になる。そういう機能としてアドバイザーであり、刺激を受けあう仲間がいる。また精神面での支えとしての家族なのだろう。
 最近ふと思うことだが、自分の力量が追いついてないチャレンジを続けるのはいい加減しんどくなってきたし、やめてもいいのだけど、ここを乗り越えるのと乗り越えずに迂回する人生というのはずいぶん違うような気がしている。いつもの自分は乗り越えずに迂回して、結果的にその壁の向こうにたどり着くような道を選ぶのだけど、ここはそのままこの壁を乗り越える道を意識して選んでいる。
 そういう選択ができるのは、稼ぎも悪いまま遠く離れて暮らすことを許容して支えてくれる妻のおかげだ。感謝。

フィラデルフィア小旅行

 新年早々、夫婦でフィラデルフィアに行ってきた。フィラデルフィアは、ステートカレッジから車で4時間弱。アメリカ独立ゆかりの名所で、ミュージアムやシアター、歴史的建造物が豊富にある。実質一日半の観光で見られるところは限られていたので、今回はフィラデルフィア観光定番のフィラデルフィア美術館、インディペンデンス国立歴史公園などを周って、最後にチャイナタウンで昼飯を食べてきた。天気には恵まれたものの、昼でも氷点下の気温なので、外を歩いていると凍えてきて、時々暖をとりに避難しながらゆっくり周る感じになった。
 フィラデルフィア美術館の前は、「ロッキー・ステップ」と呼ばれる、映画のロッキーのトレーニングシーンででてくる場所として名所になっていて、観光客がにわかロッキー化して階段を駆け上がり、ガッツポーズをしていて、やる人も観る人もみんな楽しそうにしていた。
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「ロッキー・ステップ」からの市街地の風景
 インディペンデンス国立歴史公園は、独立宣言の舞台となった建物のなかを見学できて、ガイドの説明を聞きながら、建国当時の議会やオフィスなどの雰囲気に触れることができる。ただ見ていても古い建物にしか見えないところを、ガイドの説明のおかげでその見所や意味がわかり、そのありがたみとアメリカ政治史への興味が増した。
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独立宣言の内容を吟味した会議室
 ミュージアムや独立記念館でのガイドの話や掲示板には、美術や政治の小ネタや雑学が豊富で興味は尽きない。情報そのものはネットで集まったとしても、なかなか知識として、腹におちるものはそれほど多くない。そうしたものを知識として得るためには何かコンテクストが必要で、実際に現地に行って、見たり聞いたりすることは、そのコンテクストを与えるための効果的な手段になる。コンテクストがなくても吸収できる人は、その分野に興味がもともと高い人か、勉強全般が好きな人だ。仮想的にその状態を提供しようとして、ビデオやコンピュータソフトウェアなどのメディアが利用される。
 だが、このコンテクストを与える上で効果的なメディアの利用の仕方は、メディアのつくりやコンテンツだけで解決できるものではない。ただ与えてもそのままコンテクストが発生することはなく、何かの活動に結びつけることが必要になる。教育的な配慮の元に設計がなされれば、それが学習プログラムとなる。ミュージアムのような場所で提供される学習メディアは、来場者の活動がそこにあって、そこで得られる情報に即して補助的なタメになる情報や手足を動かして経験する機会を提供することで、それらを一連の知識として吸収しやすいようにする形で作られて利用される。メディアの役割がより明確なので、その役割に絞った形で考えることができる。教室や日常生活の中で提供されるメディアは、ミュージアムで提供される強力なコンテクストが不在なので、必要な機能や構造はだいぶ変わってくるものだな、と名所を回りながら考えさせられた。
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昼食をとったチャイナタウンの街並み