新年早々、夫婦でフィラデルフィアに行ってきた。フィラデルフィアは、ステートカレッジから車で4時間弱。アメリカ独立ゆかりの名所で、ミュージアムやシアター、歴史的建造物が豊富にある。実質一日半の観光で見られるところは限られていたので、今回はフィラデルフィア観光定番のフィラデルフィア美術館、インディペンデンス国立歴史公園などを周って、最後にチャイナタウンで昼飯を食べてきた。天気には恵まれたものの、昼でも氷点下の気温なので、外を歩いていると凍えてきて、時々暖をとりに避難しながらゆっくり周る感じになった。
フィラデルフィア美術館の前は、「ロッキー・ステップ」と呼ばれる、映画のロッキーのトレーニングシーンででてくる場所として名所になっていて、観光客がにわかロッキー化して階段を駆け上がり、ガッツポーズをしていて、やる人も観る人もみんな楽しそうにしていた。
「ロッキー・ステップ」からの市街地の風景
インディペンデンス国立歴史公園は、独立宣言の舞台となった建物のなかを見学できて、ガイドの説明を聞きながら、建国当時の議会やオフィスなどの雰囲気に触れることができる。ただ見ていても古い建物にしか見えないところを、ガイドの説明のおかげでその見所や意味がわかり、そのありがたみとアメリカ政治史への興味が増した。
独立宣言の内容を吟味した会議室
ミュージアムや独立記念館でのガイドの話や掲示板には、美術や政治の小ネタや雑学が豊富で興味は尽きない。情報そのものはネットで集まったとしても、なかなか知識として、腹におちるものはそれほど多くない。そうしたものを知識として得るためには何かコンテクストが必要で、実際に現地に行って、見たり聞いたりすることは、そのコンテクストを与えるための効果的な手段になる。コンテクストがなくても吸収できる人は、その分野に興味がもともと高い人か、勉強全般が好きな人だ。仮想的にその状態を提供しようとして、ビデオやコンピュータソフトウェアなどのメディアが利用される。
だが、このコンテクストを与える上で効果的なメディアの利用の仕方は、メディアのつくりやコンテンツだけで解決できるものではない。ただ与えてもそのままコンテクストが発生することはなく、何かの活動に結びつけることが必要になる。教育的な配慮の元に設計がなされれば、それが学習プログラムとなる。ミュージアムのような場所で提供される学習メディアは、来場者の活動がそこにあって、そこで得られる情報に即して補助的なタメになる情報や手足を動かして経験する機会を提供することで、それらを一連の知識として吸収しやすいようにする形で作られて利用される。メディアの役割がより明確なので、その役割に絞った形で考えることができる。教室や日常生活の中で提供されるメディアは、ミュージアムで提供される強力なコンテクストが不在なので、必要な機能や構造はだいぶ変わってくるものだな、と名所を回りながら考えさせられた。
昼食をとったチャイナタウンの街並み