5/29(日) 32歳

 3日前に32歳になって、あまりピンと来ないので、今日まで32歳どうよ?と考えてみたけれど、やっぱりあまりピンと来ない。30歳になった時はおー30かー、という気がしたのだが、実は31から34までは、自分の中ではたいした差を認識してないことに気づいた。35になったら少し違うんだろうなという気はしている。
 子どもの頃は、自分の親の年代以上はみんなおっさんやおばさんに見えたし、大人というのは、子どもが抱えているような不安や迷いもなくて、みんな成熟して安定した、「立派な大人」なんだろうな、と思ったものだが、それは違うんだなというのは自分が大人になってみてわかった。夏休みの宿題で簡単な書き取りとか計算の部分だけ先に終わらせて、一番面倒な自由研究とか作文を面倒がって、結局最後のぎりぎりまで残してしまうところは、基本的に20数年たった今でも変わっていない。

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潮目の一日

 昨夜から明け方近くまでかかって、ようやくオンラインゲーム研究のペーパーを書き終えた。ペーパーと並行して、今日はID理論の授業の最終課題で、デザインコンペ形式のプレゼンがあって、それも無事に終わった。この二つの課題と、先週までかかりっきりだったゲームデザインの授業の作品もよい具合に仕上がった。ここ二週間ほどは、資料の山に囲まれて生活していて、紙束が積まれたベッドの上に倒れこんでそのまま寝るような毎日だったが、ようやくそれも一息ついた。いつもなら途中で妥協して手抜きして、7割くらいの出来で終わるのだけれども、今回は最後まで粘って、持っている力の9割、ほぼ全力を出し切った。きっちりやりきって、今朝ペーパーを出し終えたところで、何かのスイッチが切り替わったようで、自分を取り巻く状況が変わる節目というか、潮目の変化が見えたような一日だった。

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2004年の目標と計画

今年をどんな一年にしたいかを考えてみたい。いわゆる「今年の抱負」というやつだ。昨年一年で、自分のやりたいこととキャリアを直結した状態を創り出せた。また、組織に縛られないワークスタイルも実現できた。しかし、収入面の安定につなげることについてはまだ開発途上だ。今年は自分の研究で食っていける状態を実現することが一番の課題になってくる。公平に見て、自分にはまだそこまでの実力はない。なので、「研究で人から認められる実力をつけ、やりたい研究で食っていける状態になる」というのが今年の大目標だ。その実現のための小目標と活動計画は次のような感じになる。
・健康増進
 月並みだが、これが基本中の基本だということが身にしみている。昨年は年の後半でかなりへたってしまった。理由ははっきりしている。夏の間の体力づくりをなまけたからだ。幸い、食生活がよいことと、異国の地で病気になると大変だというプレッシャーもあって、特に病気を患うこともなく今まできているが、運動不足からくる体力低下が進んでいる。体力がないと、研究のための集中力も落ちて、根気が続かない。心身を鍛えることで、困難な研究を継続するためのパワーをつけたい。 具体的には、最低週1回のジムトレーニング、毎日寝る前のストレッチと簡単な筋トレ。あと、よい機会があれば何か新しいスポーツを経験してみたい。
・研究資金の獲得
 5月まではアシスタントのポジションが確保されているが、夏以降はどうなるかわからない。できれば新たなスポンサーを見つけてきて、自分で新しいポジションを作り出したい。研究プロジェクトの計画書を書いて、それを持って回ってスポンサーを確保したい。自分の研究分野の発展に寄与する研究と、日本語教育の教材開発の二つのプロジェクトを提案して回って、最低どちらかのプロジェクトのスポンサーを見つけることを目指したい。
・論文執筆
 今度の夏で2年目を終えるので、夏の間に自分の研究分野で最低1本は学術論文を執筆しし、学会誌へ投稿したい。
・プレゼン力の強化
 英語力全般の強化、ということでもあるのだが、特に英語でのプレゼン力の強化に力を入れたい。今のレベルは、ど下手のカラオケを毎回皆に我慢して聞かせているようなもので、お互いに気の毒なものである。今年のうちに、せめて聞き苦しくない程度のプレゼンができるようにしたい。これにより、日本語でのプレゼン力も必然的に高まるので一石二鳥である。
・開発力の強化
 昨年の夏にPHPの勉強をしたが、実用には程遠いレベルにとどまっている。別にプログラミングである必要はなく、何らかのコンテンツ開発につながるスキルを高めたい。技術面で一番実用的なのは、Flashコンテンツの制作だと思うので、まずは今年前半のうちにFlashでひとつ教材を作ることを目標としたい。技術だけではよいコンテンツは作れないので、コンテンツ開発の基盤として、ゴールドラットのビジネス小説や、Tycoonシリーズのシミュレーションゲームのようなところで使われている手法から、コンテンツ開発につながる知見を得たい。今はまだ経験しているだけの段階だが、これを一歩進めて、自らコンテンツを作るためのスキルを生み出したい。

2003年を振り返って

 留学してきて1年4ヶ月ほどが経った。2003年は、留学後の適応の時期を終えて、新しいことを始めようと試行錯誤してきた1年だった。年の初めにやりたいなと考えていたことは、大方達成できて、新しいことを始める萌芽が見えてきた気がする。しかし、すべてが順調というわけでもない。今年一年の方針を考えるためにも、少しここまでの経過を振り返ってみることにする。
・博士課程に移り、コースワークを順調に消化
 2003年初めに博士課程に移り、大学院在籍期間を2年から5年に延長。移籍手続きはスムーズにでき、10月のCandidacy Examも問題なくパスできた。コースワークもこれまでに10コース終えて、今のところは計画通りに進んでいる。2年目に入って、授業で理解できることがだいぶ増えたと同時に、最初はいかにわかっていなかったかを痛感した。クラス討論で意見をまともに聞いてもらえるようになった。これまでに受けたコースの講師からはよい評価を得た。10月にはAECTのカンファレンスに初参加して、研究分野での知見を広げることができた。
・大学の仕事を経験
 昨年中盤は、アシスタントのポジションを確保するのにいろいろと苦労した。PHP/MySQLデータベースメンテナンスの短期アシスタントや、教育政策研究科のホームページ更新といった小さい仕事をこなした後、10月からペンシルバニア州のK-12教員向けの認定プログラムのアシスタントとして雇ってもらった。いずれの仕事も、アドバイザーのDr. Peckに世話してもらった。英語力の不足から、他の教員には敬遠されるところを、彼は私をあれこれ引き立ててくれて、ことあるごとに声をかけてくれる。足を向けて眠れない存在とは彼のことだ。
・「ゲーム&シミュレーションによる学習」という研究テーマを得た
 来た時は、漠然と「インストラクショナルデザインを日本でもっと普及させるための研究をやりたい」という考えだったが、いろいろ勉強するうちに、構成主義の学習理論に興味を持つようになり、さらにはケース教材を用いた学習、ゲームやシミュレーション型の教材開発というテーマにたどり着いた。まだ興味を持って調べている程度に過ぎないが、これらの教育方法を発達させることで、退屈な教育を減らして、教育の場をより意味のあるものにするための有効なツールにしていきたいと考えるようになった。
・日本の研究機関からの仕事を受注、完了
 学部在籍時からずっとお世話になっている東大先端研の妹尾堅一郎教授の紹介で、三菱総研から、日本の大学院における技術経営教育プログラム開発のための米国大学院調査の仕事を受注、3ヶ月間の作業期間の後、無事に調査報告書を納品した。以前に日本でもいくつかこの手の仕事をやってきた経験があったので、仕事自体はさほど難しくなかったが、大学院での活動と並行したので苦労した。結果的には調査研究の仕事の幅を広げることができたし、自分の研究を進める上でのヒントを得ることもできたよいプロジェクトだった。妹尾先生は、私にとってのもう一人の足を向けて眠れない存在だ。
・日本のインストラクショナルデザイン研究・実践者とのネットワーク形成
 海上自衛隊の君島さんの紹介で、sigeduというグループのメーリングリストに加えてもらった。日本のID研究の第一人者の鈴木克明教授とも知り合いになるなど、この分野に関心のある日本の人とのつながりができた。
・日本語教育に進出
 夏休みに地元の高校生ベンの日本語の家庭教師を引き受けたのをきっかけに、大学の日本語プログラムで週1回基礎クラスを教えるなど、日本語教育という活動の場を得ることができた。基礎クラスの学生の個人教師や、上級クラスの学生の会話パートナーをやったり、コースのプロジェクトで、日本語プログラムのニーズ調査を行なったりした。プログラムのインストラクターたちともつながりができた。日本語教育にかかわることは年初想定していなかったが、思いがけず活動の選択肢を広げることができた。
・英語力アップ
 大学院で活動するための基礎的な英語力もあやしい状態から、読み書き主体であれば、英語でも日本でやっていたくらいの仕事はできるようになった。英語の文献も小説や新聞程度のないようであればスラスラ読めるようになった。とはいえ、会話力はあまり伸びていないので、意思伝達には相変わらず不自由が伴う。会話力の低さは日本語であっても同じで、英語のせいではない面が大きいので、英語力とともに会話力そのものをあげていかないと、今後もさほど伸びていかない気がする。
・車を手に入れ、免許を取得
 8月に小さな古い車を譲ってもらい、ペンシルバニア州の運転免許を取得した。車の運転は不得意な方で、最初はあまり楽しくものなかったが、近所の運転くらいは気楽にいけるようになった。普通はたいしたことでもないのだろうが、車の不要な首都圏で10年生活し、車の運転に関してはまったく能力が開発されてなかった身には、けっこうな挑戦だった。
・あちこち見聞
 夏休みのノースカロライナのサウスポート旅行、10月のカリフォルニア学会旅行、サンクスギビングのニューヨークドライブ旅行など、アメリカ内をあちこち見て回る機会があった。いずれも楽しく、忘れられない経験となった。

12/2(火) 型を崩す

 サンクスギビングの連休を利用して、ニューヨークへドライブ旅行に行ってきた。セントラルパークを歩き、サンクスギビングのパレードや、ブロードウェイのミュージカルを観て、うまい刺身を食べ、あちこち歩き回って久しぶりに都会の空気に触れて、気分転換になった。楽しい旅行というだけでなくて、あれこれ苦労もした。アメリカに来て生活を始めて1年になるが、住み慣れた街を出ると日々新しいことだらけだ。
 留学せずに日本で普通に仕事をしていれば、当然変化もあるが、これだけ大きな変化は日々味わうことはなかっただろう。30歳前後にもなれば、社会人としての経験もついて、自分の型というものができて、それをうまく使えば、仕事は一通りこなせる。収入的にも安定してきて、生活にも不自由はさほど感じなくなる。1年前の自分はまさにそんな状態だった。それが留学してきて、言葉は通じない、生活スタイルも一から組み立てなおす必要があり、何事も思うようにならない、そんな中で過ごすことを余儀なくされた。
 大学時代に演劇をかじったことがあるのだが、その時に「型を崩す」ことの重要性を学んだ。練習を繰り返して苦労して作った演技を、あるタイミングで演出家がダメ出しして、一からやり直すのだ。せっかく覚えたのに何てことを、と怒りを覚えるものだが、再び試行錯誤するうちに、前のものよりもはるかによいものが出来上がるのだ。何が違うのかというと、一度できた型というのは、成長前の自分が基点となってできたものであって、型ができる頃には自分はいくぶん成長している。その成長した自分を基点にして演技を組み立てると、質は当然高くなる。これは演技に限ったものではなくて、他のアートでも学術研究でも、人間がやることなら同じことが言える。苦労して作った型だからこそ、それを崩すことでさらなる成長へのドライブがかかるということだ。
 日本で仕事を続けていても、転職したり、新たなことへの挑戦を続けることで、型を崩す機会は得られただろう。だが、多くの場合は自分の型を守る方向で動けるので、新たな成長につながるような大きな機会は少ないかもしれない。現に、留学してきたことで、この型を崩すということを改めて考えさせられたのだ。何も吸収していない若いうちに留学して一から海外で経験を積むのも有益なのはもちろんだが、ある程度経験を積んだ大人が、生活の基本から不自由を味わい、自分の型を崩される経験をするのは、それと同等か、それ以上に有益だと思う。そうした経験ができるのは、留学の大きなメリットの一つだろう。
 ただ、一般的に歳を取れば取るほど、変化に対する適応力や柔軟性は下がる場合が多いので、無理は禁物だろう。型というのはしっかりしたものであればあるほど自負心を生み、アイデンティティとの関係も強いものになるので、それを崩されるようなチャレンジは負荷も大きい。新しいことにはストレスも伴うし、異国で大学院生や研究員などやっていると、孤独を味わう時間も長くなる。ストレスを和らげる工夫や、休養をきちんととることを考えないと、型だけでなく、自分自身も壊れてしまうような危険も隣りあわせだということを知っておく必要がある。

アナザーウェイのコンセプト

 以下は当サイトのプロフィールページに掲載していた文章ですが、アップデートに伴いこちらに移動しました。
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 「アナザーウェイ」という屋号には次のような私の考えが託されています。
 一つは、私が仕事の中で提示したい価値です。どんなささやかなことで良いので、何か意志を持ってやりたいと考えている人をお手伝いしたい。「こういうことをやりたいんだがどうしたらよいだろうか」と考えている人に対して、「だったら、こういうやり方がありますよ」と、アイデアを示しつつ、適切な案を一緒に考えていく。そうした仕事を一つずつ積み重ねていきたいと考えています。
 もう一つの意味として、私個人のキャリアについての想いが込められています。 私が会社勤めをやめて、独立することに決めたのは2000年の6月、27歳になってすぐの頃でした。当時は次に勤める予定だった会社との契約面を考えて、形式的に独立しようという程度の意識で始めたものであって、何か売りにできる技術やノウハウがあるわけではありませんでした。そのような状態であっても、独立して得られることは大きく、個人の価値観に合った新たなワークスタイルを模索することは重要であると考えました。そして、自分が進んでいくキャリアがそのまま道となって、後に続く人がキャリアを考えていく上でのヒントとなっていけたら、と考えました。
 活動はまだまだこれからですが、見守っていただければ幸いです。
2002年7月
藤本 徹