5/29(日) 32歳

 3日前に32歳になって、あまりピンと来ないので、今日まで32歳どうよ?と考えてみたけれど、やっぱりあまりピンと来ない。30歳になった時はおー30かー、という気がしたのだが、実は31から34までは、自分の中ではたいした差を認識してないことに気づいた。35になったら少し違うんだろうなという気はしている。
 子どもの頃は、自分の親の年代以上はみんなおっさんやおばさんに見えたし、大人というのは、子どもが抱えているような不安や迷いもなくて、みんな成熟して安定した、「立派な大人」なんだろうな、と思ったものだが、それは違うんだなというのは自分が大人になってみてわかった。夏休みの宿題で簡単な書き取りとか計算の部分だけ先に終わらせて、一番面倒な自由研究とか作文を面倒がって、結局最後のぎりぎりまで残してしまうところは、基本的に20数年たった今でも変わっていない。


 32歳がどういう位置づけにあるかは、その人が身をおく世界によって異なる。普通の会社員や野球選手であれば中堅、サッカーであればベテラン、体操選手ならとっくに引退して別の人生を歩んでいるし、現役生活の長いゴルフであればまだ若手である。40過ぎでも若手なんて言われてる政治家だったらひよっ子か。同じく現役のピークが遅めなアカデミックな世界においても、32歳というのは若手も若手で、世界のごく一部しか見えてないところである。私はこっちのキャリアに進んできたのがやや遅めなので、なおさらそういう感じである。
  年齢に関わらず、大人になったからといって、それだけでできるようになることというのは何もなくて、日々を生きていく中で地道に学習と訓練がされたものだけ発達していく。心身の自然な成長が止まってからは、なおのこと学習と訓練が重要になる。社会に出てから学ぶ必要がないということはありえない。社長も教師も監督も、ナンバーワンもナンバーツーも見習も下っ端も、みんな学び続けることで自らが望むものに近づいていくことができる。今何も手にしてない人は、いずれ手にするためには学んでいくのが一番早道である。ただ口を開けて上を向いて、うまいものが降ってくるのを待っていても、ほんとに降ってくることはごく稀である。たまたま降ってきたとしても、それをうまく口の中に入れるスキルがなければ、ポロリと落っことしてダメにしてしまうこともある。そんな幸運に頼らなくても、学び続けていくことで、自分の得たいものに近づくことはできる。その時に、いつも巨人の星のようなど根性な苦しい学びや、下手くそな教師の退屈な授業のような学びだけでなくて、楽できることは楽したり、楽しんでやれることは楽しんでやれたり、学んでいるとを意識せずに学べるのであればそういうやり方があった方がいい、そう考えてこの道に進んできた。
 
 個人的に今がどういう時期かというと、今はひたすら自分の道を切り開いて前に進むという状態である。前に進むには学習と訓練を根気強く続けないと進めなくて、時々嫌になってぼやぼやと休憩したりしながらも、後戻りしてもわき道にも、自分が理想とするものはないので、ある時は仕方なく、ある時は元気よく前に進む日々である。今はまだぼんやりとした自分の中にあるイメージに沿って、それが何なのかを探りながらこのまま進んで行って、果たしてどこにたどり着くだろうか、32歳になった私の心境はそんなところである。