研究者とポリティクス

 先日のエントリに対し、さらに東大の中原さんからコメントをいただいたので、こちらもさらにコメントを続けます。
中原さんの記事:研究の場ではたらくポリティクス
http://www.nakahara-lab.net/blog/2006/03/post_110.html
> 「あるものがポジティブなものなのか、ネガティヴなものなのか」ということを、
> 根拠をもって判断する基準はないんじゃないかなと思うんですね。そこでいう
> <ポジティブ>は、「藤本さんの考えるポジティブ」という意味で、まさに藤本さん
> 自身も、政治力学の渦中にいますね。
それはご指摘の通りです。
完全無欠なポジティブとか100%客観的な中立などあり得ないですし、僕自身が政治力学のどこかにプロットされるのは避けられないと思います。良かれと思ってやったことが誰かにとっての不都合になることもあるでしょう。でも、そこは自分の信念やビジョンに基づいて、ベストエフォートでやっていくしかないと思っています。いろいろ考え出してもきりがないので、ごく単純に、お天道様に顔向けできないような仕事の仕方はしないということと、自分の意図に対して常にリフレクティブであり続けながら、自分の判断のブレを抑えていく、くらいで考えています。僕がポリティクスを意識するのは、自分が大事だと思う仕事を、自分の納得のいくレベルでやるために必要な範囲においてで、それを超えることには関心はありません。そうは言っても、間違うことや壁にぶち当たることもあると思います。でも、その時々で全力で考えて最善と思うことをやっていくしかないと思います。中原さんの研究に絡むポリティクスへの考え方にはとても共感しています。
> で、いわゆる「振り付け」をされたり、ポリティカルな悪意をもった人々に利用される
> 可能性が格段にあがる。正直に「自分にわからないことは、データがないのでわからない」
> というべきです。
 これはとても身につまされる話です。自分がどうでもいいと思うことや嫌いな相手に対しては、「そんな話をオレに振るな(怒)」というニュアンスを込めて遠慮なく「わからん」と言えますけど、「これをわからんと言い切ってはちょっと気まずいな」という局面はいろいろ出てきます。気をつけてはいても、その場のノリで言い過ぎてしまうこともあります。たぶんコミュニケーションのとり方の問題で何とかできることが多いだろうと思っていて、僕はこの点はちょうどよい身の処し方を求めて試行錯誤しているところです。
> ともすれば、世に流布する言説は、何でもかんでも、クソミソ一緒にして、教育のせいに
> します、教育が何でも解決出来ると持っている。「教育にできること」「教育にできない
> こと」の線引きは、必要だと思っています。
まったくおっしゃるとおりだと思います。苅谷剛彦先生あたりがずっと前に指摘されていたのを読んで以来、そう考えてきました。大学院のクラスでも、事例を聞いて「そもそもこれは教育問題なのか?」を議論する機会が何度かありました。そういう議論をする機会は必要だと思います。少しずれますが、日本の一般的な風潮は、万能薬か魔法のような解決法を専門家に期待するところがありますよね。あるいは、誰かすごい人が何とかしてくれるよ、オレ負け組だからシラネ、みたいな体のいいあきらめというか。普通の人たちの地道な努力で成果を積み上げていって、状況を変えていくしかない、ということを理解していない。そういう中で自分がどうやっていくべきなのかなと考えています。
> 上位の教育システムのリデザインですか。
> このあたりは、いわゆる学習科学(learning science)でも似たようなところがあって、
> WISEのグループとか、ノースウェスタンのグループとか、もっとマクロレヴェルの教育
> システムのリデザインに着手しているようですね。
学習科学の研究者の方が、Scienceという名前がついていながらも、デザイン重視でアプローチが柔軟なところがあるなと思います。ISD研究者の方が逆にサイエンスを意識しすぎて柔軟さに欠ける(そんなことやって何の足しになるかわからないような)研究をしてたりするのが時に気になったりします。最近では、学習科学とISDの研究者の間のコラボレーションやディベートがやや盛り上がっています。まあ、もはやどちらがどうだという話でもなくて、実質的にはかなりクロスオーバーが進んでいて、お互いの優劣を云々しているのは保守的な人とラディカルな人たちだけのような印象です。その辺の話は前に少し書きました。日本にはそもそもディベートが盛り上がるほどこの分野に人がいないというのが寂しいところですが。
http://www.anotherway.jp/archives/000609.html
> 結論からいうと、大学研究者と現場のあいだをつなぐ媒介的な組織がなければ、
> なかなか教育システムの変革まで手がまわらないと思うのですね。
>  いったん教育学者が普及ということを意識した場合には、どうしたってマンパワーが
> 必要です。でも、そのマンパワーをどう獲得し、どういう仕組みで、その「マンパワー」を
> マネージしていくかについては、議論がナイーブすぎると思っています。
同感です。日本の大学組織だとどうしても、研究者にかかる負荷が大きくて、失敗するか無茶して身体壊すかで、そういうのを避けて大部分は尻込みして動かない、みたいな世界になるのも仕方がないと思います。アメリカの大学組織の強みは、専門教育を受けたスタッフの層が厚いところかなと思います。何かやろうとした時に頼れるスタッフがいる。大学院生も経済的支援があるおかげで、プロジェクトにしっかりコミットできる。そういうところがあります(もちろん、いい面ばかりではないですが)。
アメリカの教育システム変革論では、システム思考をベースとした組織変革のアプローチを中心に教えています。研究者と実践者だけでなく、新しいテクノロジーや教え方を導入する際に、その変化がその組織や周辺に及ぼす影響をシステム的に捉えて、全体のバランスを取って最善の状態に持っていくためには何をしていく必要があるのかをセオリーとして学びます。Hutchinsの「Systemic Thinking」や、Havelock & Zlotolowの「Chenge Agent’s Guide」などは長年、基礎文献として読まれていて、そうした知識を持った人が学区レベルや学校レベルで働いているというのはずいぶん違うだろうなと思います。
> 今度ぜひご帰国なさったときは、ゲームのことならず、ISDの研究動向などご教示
> いただければと思います。ポリティクスについてもお話ししましょう。
それはぜひとも。書き出したらきりがなくて、だいぶはっしょって書いてますので、また続きをじっくり議論できればうれしいです。それにこちらこそ日本の事情をいろいろお伺いできればと思います。
帰国の楽しみが一つ増えました。

大学院生という肩書き

 東大の中原さんが「人は見かけで」というエントリを書いていて、そうだよな、と納得しつつ、人は見かけの次に肩書きで判断するという話で返歌を。
 私の今の肩書きは、あれこれ工夫してつけることはできても、大きな括りでは「大学院生」である。うまくいけば、あとちょっとで「博士課程修了」の身分にはなるのだけども、それでも学位をとることを主目的に大学院にいる限り、とりあえずは大学院生である。
 学会のような仕事とは関係ないところで、日本の主に中高年男性、特に地方の人と話をする機会があると、ありがちなのが、アメリカの大学院で研究している、と聞いて、なんだかエライ先生なのかもしれないがよくわからない人だなと、腫れ物の周りをそっと触るような感じで居心地悪そうに接せられる。そしてどこかのタイミングで、大学院生=学生さん、あぁ学生さんね、とその人の中で腹に落ちた瞬間に、急に態度がえらそうになったり、中には、学生たるもの云々、と説教を始めてくる人がいたりする経験を何度もしている。最初はこちらもその度にムカッとかしていたのだが、最近はそういうものだと思って笑いながら相手をしている。
 この話は、ネット上の方がわかりやすい。Mixiなんかをやっていると、とりあえずプロフィールは「大学院生」とでるだけなので、相手は自分の持っている大学院生のステレオタイプなイメージでもって、こちらと接してくる。多くの場合そのイメージは「学部を出てとりあえず院に進んだ、世の中を知らない未熟な若者」というものなので、相手はこちらがサラリーマン経験のある30過ぎのおっさんいい大人であるということなどまるで想定していない。20代後半くらいの人から偉そうな態度で接してこられることも珍しくない。「大学院生には、ちょっと厳しい突込みを」なんていう態度で無礼なことを言ってくる人もいる。そういうのをいちいち相手にしているときりがないので放置しているのだが、たまにはあまりにムカッときて皮肉のひと言も言いたくなることもある。私は海外にいるのでその被害は少ないが、日本にいて社会人を経て大学院で学ぶ人たちには、この社会的な大学院生に対する未熟者イメージは嫌な感じだろうなと気の毒に思う。
 この問題は、「見た目や年齢や肩書きで相手を判断して、上下関係を決める」という日本の文化的な習慣に対して、大学院生という肩書きが学生という枠の中でしか捉えられていないことから生じていると思う。もちろん、大学院生の側にも社会から低く見られてしまう原因はある。いわゆる学生気分で、プロとして貢献する意識が低かったり、成果に対する甘さがあったりすることが、社会的な「所詮は学生だから」という評価に甘んじる理由であったりもする。社会からの評価が低いので、大学院生もそれに甘んじる、甘んじているから社会からの評価は低いまま、という悪循環が存在する。それは寂しい話で、大学院生は単に学ぶだけの存在ではなく、専門家コミュニティの一員であって、一人の専門家だという認識を社会的に共有できた方がメリットは大きい。
 役割が人を育てるという面はおおいにあって、若くても社長やマネージャーになれば、下っ端社員として扱われるよりもずっと力強い人材に育つし、受け持つ責任の度合いや役割の性質に応じて、成長の仕方や速度も変わる。大学院生は修士一年でも博士3年でも未熟な学生、という扱いでは、後半に行くほどデメリットは大きいし、修士一年でも扱い方によってはうんと育つものが育たない。社会人が大学院で学ぶ際には、今まで育ってきたものを打ち止めにして負の成長を引き起こしてしまうことにつながる。なのでこういった大学院生の肩書きに対する社会的イメージは何らかの形で変えていく必要があるなと思うし、少なくとも自分が日本で大学院生と関わる立場になった場合は、そうした意識を持って臨みたい。
 アメリカの大学院で生活することの気楽さは、見た目や年齢や肩書きに縛られる窮屈さから解放されていることによるところが大きいなとあらためて感じている。大学院生の肩書きがすごいものではないにせよ、専門家の一員であることに対して、敬意を持って接してくれる。この点だけでも、コミュニケーション面での窮屈さを補って余りあるくらいな気がする。
 とまあ、返歌のつもりで書き始めたのだけど、なんだか少し長くなってしまってすみません。超字余りというところで。

現代の科挙試験

 修了試験の合間に、テスト理論の専門家のDr. Suenが中国の科挙試験の歴史についての講義をやっていたので聴きに行ってきた。科挙試験というと、狭い土蔵のようなところに閉じ込められて、数日間ぶっ通しで丸暗記してきた四書五経を解答用紙に書き続けるとか、カンニングのテクニックがすごかったとか、断片的な知識しか持っていなかったが、今回の講義でテストのシステムから会場の作り、テスト社会化の影響など、かなり体系に理解できた。面白かったポイントをいくつかメモしておく。
・隋の7世紀から清の20世紀初頭まで(元の時代に空白あり)、科挙試験は面々と続いて、現在の中国のテスト社会の文化はその流れにある
・科挙試験をモデルにアジア各国はもとより、ヨーロッパ各国でも試験制度が整備された
・各地の試験会場は数千人から数万人収容の施設で、カンニング防止のための厳しい監視体制が施されていた
・省レベルの試験では(科挙試験は大きく分けて県、省、首都レベルの3階層あった)、受験生は9日間に、四書五経、作詩、政治分析の3科目をそれぞれ3日間(それぞれ間に一日休み)受験して小論を書く。
・数千人から提出された小論は、数万枚にものぼるが、各会場の試験官はたったの14人で、15日以内に採点を終えないと罰せられたため、試験官たちは四書五経の試験の結果を残りの科目にも適用した。そのため結局は四書五経の出来が結果を左右した。
・その時々の政権で、答えに書いてはいけないNGワードがあって、それを使った受験生は打ち首になったり、試験資格停止になったりした。問題のあった試験会場の試験官も罰せられた
・試験に受かるかどうかで人生が左右され、受かれば郷里へはパレードで凱旋だったが、落ちればうちに帰る金もなく、落ちぶれた日々を過ごさなければならかなった
・3階層の試験全てにトップ合格した人は三元と呼ばれ、科挙の長い歴史でも十数人しかいなくて、とても稀なことからマージャンの大三元の由来となった
・文官試験と同じく武官試験も整備されたが、受験してきたカンフーマスターたちの多くは字が読めなかったので、実技はできても筆記試験が機能せずに廃れていった
・唐や宋の時代には作詩がテスト科目に入っていたのでみんな詩の勉強をして、その頃に偉大な詩人が多く輩出されたが、元以降には科目から外されたためにその後はさっぱり偉大な詩人が現れなかった
・医療は科挙の初期の頃は、試験に関わらず志される職業だったが、後期は試験でダメだった人が志す職業になった
・工業や商業は卑しいものの仕事だとされたために、長い間停滞した(紙の発明や医療技術などの中国の優れた発明はみんな科挙以前)
・西洋の物語のヒーローは、騎士や戦士などのアクションヒーローが主流だが、中国のヒーローは科挙試験の優等生
・明や清の時代の小説家(三国志、水滸伝、西遊記などの作者)たちは試験でうまく行かなかった人たち
・厳しい対策にもかかわらず、収賄やカンニングが横行してさまざまな事件が起きた
・模範エッセイを小さな字で書き込んだシャツや豆本を作るカンニンググッズの専門会社が繁栄した
・途中で受験をあきらめて地方で家庭教師をやったり、下級官吏で雇ってもらったりする人もいたが、何十年も試験を受け続ける人もいて、「プロ受験生」化したり、受験勉強だけで人生を送る多年浪人生は社会のパラサイト化していた
・科挙試験のおかげで、教育を重んじる文化が形成されたが、試験の準備=教育だった
・科挙試験の文化は現代のテスト社会に色濃く残っており、過度な受験戦争の弊害が続いている
 など、面白いエピソード盛りだくさんで話してくれた。講義を受けているのはみんな大学院の博士課程も後半の人たちなので、Dr. Suenも大学院の試験制度と科挙試験の共通点を引き合いに出しながら、笑いを取っていた。
 もし自分が科挙の時代に生まれていれば、受験もほどほどに、何か適当に金になることをやって過ごしていたかもしれない。自分はテストでうまくやるスキルはあまり高くないし、テストのための勉強は好きな科目でも苦痛でしょうがないので、これで人生の評価が決まる社会では自分はちと厳しい。何の因果か、やむなく科挙試験みたいなのをあくせく受験していたりするわけだが、もうこれ以上は勘弁である。
 講義を聞いていて、テストというのは教育のためではなくて、時の権力を維持するための機能としての意味の方が強いのだなと考えさせられた。中世の日本では中国の文化は何でもCoolなもので、制度や文化と共にこの試験制度も日本に持ち込まれたが、世襲制度が強かったために形骸化して、テストでがんばっても意味ないジャンということですぐに廃れていったそうだ。テストでがんばりさえすれば社会階層をのし上がれるというメリットはあっても、テストですべてが縛られた社会というのは生きづらい。しかも昔も今も同じく、やはり裕福な家の方が有利なのは変わらず、建前で言われているほどには実際には可能性は高くない。そして今の日本は、「いい大学にいけば、人生の成功をつかめる」という幻想も崩れてきており、テスト中心の教育システム自体が機能しなくなっている。しかしその教育システムは、テストで成功した人々が支えており、その人々はそのシステムを維持する方向にしか進めない。今さら自己否定につながることはできないし、基本的には自分がうまくやれる今のシステムが好きだから変えたくないのだと思う。
 Dr. Suenは香港人で、テスト理論研究の分野では優れた実績をもつ研究者だ。アメリカのNo Child Left Behind政策の影響でのアメリカのテスト社会化傾向を危惧して、これまでに進めてきた中国の科挙試験の歴史研究を本にまとめて出版するそうだ。その研究からの今回の講義のポイントは、テストが社会にどのような影響を与えるかということを歴史的に考察することだった。そのための題材を提供してくれつつ、聞きながら大いに楽しんだ。彼のような仕事が学者としての優れた仕事だなと思う。学問をエンターテイメントにもでき、社会問題解決への拠りどころにもできる。そう考えると、自分は研究者たりえても、勉強嫌いが災いして、学者としては厳しいなと思う。まあ、外の世界の人々からすれば、学者も研究者も同じなんだろうけど。

大学人の時間感覚

 今週は学期末の最後の週で、みんなテストやらペーパーやらに追われている。ルームメイトも朝から晩まで青白い顔をしてペーパー書きをしていて、キッチンで会ったりすると「お前は元気そうだな」と声をかけられる。私自身も通常並に課題を抱えているのだが、やる気が出ないのと、段取り的にはある程度目算が立っているので、そんなにあせらなくてもいいので気楽にやっているのが顔に出ているのだろう。気楽にやった挙句にまた少し〆切に間に合わなかったりするのだが、もうそれも慣れたものだ。忙しいことは忙しいのだが、うまい飯を作ってテレビ見ながら食べ、研究に使う予定のMMOGのキャラ育成もやっていられるので、どうしようもなく追われているということではない。仕事の質が高まったのではなく、手を抜く技術が高まっただけのことである。
 ふと考えてみて、思い当たる大学教員で〆切に忠実で、予定の時間をちゃんと守る人というのは、日米いずれもほとんど思い当たらない。みんな一杯一杯に仕事を詰め込んでいて、〆切間際にえいやっと片付ける。そして〆切にちょっと遅れる。約束の時間も努力目標時間でしかない。大容量ファイルを大急ぎで送信できるブロードバンドの普及と、予定に遅れても連絡のできる携帯電話の恩恵を大いに受けている人たちだ。そして、学生や一緒に仕事する人たちから「○○(名前が入る)ルール」とか「○○時間」とか皮肉られながらも、そのオリジナリティや仕事の質の高さのおかげで許されている人々である。
 日本でもアメリカでも、なんで大学人というのはみんなああなんだろうと思っていたが、みんなこういう環境下でその習慣を培っていくのだな、と自分で経験してみてようやく合点がいった。そんなことでいいのだろうか。でももうほとんどその過程を終えて、すっかり行動変容してしまった気もする。会社員とか役人とか、そういうまっとうな職に就くのはもう無理な身体にカスタマイズされてしまった。大学院、特に博士課程とはそういう人間を育てるところなのだろう。

知の源泉

 夏学期のコースは、「定性データ分析」と「イノベーションの普及」の二つを取っていて、この週末から「定性データ分析」の方が始まった。毎週金曜夕方と土曜終日の授業を3週にわたって行なう短期集中コースである。このコースのインストラクターはDr. イアン・バプティスト。うちの学部のお隣の成人教育学科の学科長である。カリブ系の黒人で、見た目は完全にレゲエ兄ちゃんといった雰囲気であまり教授っぽくない定性的研究者である。うちの学部、ラーニング&パフォーマンスシステムズは、定性的研究の研究者の方が勢いがあるのだが、その勢いの源の一人がこのイアンである。

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MOT教育プログラムの調査

 2年ほど前に、三菱総研の技術経営コンソーシアムから受注して手がけた調査の報告書が公開されているのをさっきふと見かけた。ちゃんと世の中の役に立っているようでよかったよかった。
米国大学院における技術経営教育プログラムに関する調査報告書(PDF)
2003年の秋は、まだこっちに来て収入のあてが確保できてなかった頃のことなので、たいへんありがたい仕事でありました。調査期間の3ヶ月ほどはこれにかかりっきりだった気がするが、この調査をやりきった頃は、アシスタントの職が確保できたりしながら生活が軌道に乗り始めた時期で、今思えば一つの節目だったような気がする。今読み返してみると、他の調査者には盛り込めないであろう視点で書こうと努力しているのがにじみでている。この仕事にかける気合、役に立ついいものを書こうという意欲が、知識の少なさやスキルの甘さをカバーしているような印象を受ける。当時は英語もまだぜんぜんダメだったし。
 米国のインストラクショナルデザイン教育について同じような調査をやるとしたら、誰がやるよりもいい調査をする自信があるので、どなたかたっぷり予算を用意して、私に発注してください。

教師のスパーク(2)

 前回のエントリーについて、質問をいただいた。質問の内容は、ここで出てきた二人の熟練教師はどんな質問フレーズをよく使っているか?というものだ。一番よく使っていたのは、受講者がわかりにくい言葉や抽象的な言葉を使った場合にそれを具体的に説明させる質問。それ以外は、特に質問の仕方に特徴があるというわけではなく、彼女たちのうまさは、熟練から来るゆとりによって感じる点が多いように思われた。

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教師のスパーク

 今学期の授業はいずれも面白い。特にAliの定性的研究デザインの授業とBarbaraのID理論とモデルの授業は、いい教師の授業をライブで受けるよさが味わえる。二人とも、専門分野の知識に裏打ちされた授業の構成で、レクチャーのスキルも学生とのやり取りも熟練している。3時間の授業の中で盛り上がりがピークになる時の彼女たちの迫力はすさまじい。Aliはマシンガンのような早口で、重要な論点を圧倒的な情報量で、かつポイントを外さずに話し続ける。Barbaraはファシリテーションが冴え渡り、議論で出てきたネタをふんだんに使って、クラスを理解へと導く。

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アンケート調査のコミュニケーション

 日本でEラーニングの研究をしているグループから、アンケート調査の回答依頼メールが回ってきた。前から何度かメーリングリストなんかで依頼が回っていたのだが、どうも回収状況が芳しくないようで、今回は担当者からのかなり悲痛な様子での依頼だった。前に来ていた依頼内容から、この調査はちょっと厳しい結果に終わりそうだなという印象を受けていたが、案の定の事態に陥っている様子だ。アジア各国での同時調査らしく、条件を同じにするために調査票は英語のものをそのまま使っていたそうだが、回答が集まらないらしく、翻訳して再度の依頼となったらしい。あまりに気の毒なので協力しようと思って調査票のWebサイトをのぞいてみたら、一問目の居住国を聞く設問で、アジア諸国しか選択肢がなかったため、私は対象者でないことがわかって断念した。

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