前回のエントリーについて、質問をいただいた。質問の内容は、ここで出てきた二人の熟練教師はどんな質問フレーズをよく使っているか?というものだ。一番よく使っていたのは、受講者がわかりにくい言葉や抽象的な言葉を使った場合にそれを具体的に説明させる質問。それ以外は、特に質問の仕方に特徴があるというわけではなく、彼女たちのうまさは、熟練から来るゆとりによって感じる点が多いように思われた。
どの分野でもそうだが、達人の域に達すると、教科書に書かれているようなモデル質問や、議論の進め方のガイドラインのような、いわゆるセオリー通りにやっていないことも結構ある。基本はおさえているので大体この通りにやっているなということはわかるのだが、教科書的なお手本と達人の技を照らし合わせてみても、そこから得られることはあまり多くない。
一流のピアノ演奏者の技を見て、すごいなと思ってみても、そこに技術のギャップがあまりに大きければ、どうすればそこにたどり着けるかのイメージを持つことは困難である。ましてや教科書的に標準化するというのはちょっとやそっとのことではできない。近所のピアノの先生の演奏を見た方がまだ自分の位置から何をすればいいかを掴みやすい。
達人の技術の標準化を成功させた例としては、携帯電話の金型設計で躍進したインクスの例があげられる。この会社は、一流の金型職人の技を標準化して、その工程を3DCAD/CAMでアルバイトのオペレーターが同じレベルで作業できるようにしたことで成功した。この例は、達人のすごい部分を抜き出して、普通の人でもできるようにするというのは、巨万の富を得られるほどのイノベーションだということを示している。
一つ重要な視点として、彼女たちのゆとりがどこからくるかというものがある。一つには教えなれた内容であるということで、周到に用意したものを何年も教えているから多少のイレギュラーがあっても対処できるという強みがある。次に、彼女たちはモデル質問や議論の進め方のアウトライン的なものはすでに頭の中でメタ化されているということがあげられる。なので、わざわざ教科書をなぞるように考えなくても、呼吸するようにそれらを使いこなせるレベルに達している。そこに至るまでには、技の習得の基本である反復と省察が、彼女たちのこれまでの経験の中に多く含まれていたのではないかと思われる。
最初の質問に戻って考えると、彼女たちがどんな質問をよく使うかという質問は、言ってみれば将棋の名人がどんな戦法をよく使うか、という質問に近いものであり、居飛車を使う人もいれば振飛車を使う人もいて、その人のスタイルによる面が大きい性質のものである。そこから科学的法則性を抜き出すというのはあまり有意義なことではない、あるいは、有意義なところまでたどり着くのは容易なことではない。むしろ、彼女たちが達人の域に達するまでのプロセスを追った方が有意義な発見につながるのではないか、というのが私の回答である。