大学人の時間感覚

 今週は学期末の最後の週で、みんなテストやらペーパーやらに追われている。ルームメイトも朝から晩まで青白い顔をしてペーパー書きをしていて、キッチンで会ったりすると「お前は元気そうだな」と声をかけられる。私自身も通常並に課題を抱えているのだが、やる気が出ないのと、段取り的にはある程度目算が立っているので、そんなにあせらなくてもいいので気楽にやっているのが顔に出ているのだろう。気楽にやった挙句にまた少し〆切に間に合わなかったりするのだが、もうそれも慣れたものだ。忙しいことは忙しいのだが、うまい飯を作ってテレビ見ながら食べ、研究に使う予定のMMOGのキャラ育成もやっていられるので、どうしようもなく追われているということではない。仕事の質が高まったのではなく、手を抜く技術が高まっただけのことである。
 ふと考えてみて、思い当たる大学教員で〆切に忠実で、予定の時間をちゃんと守る人というのは、日米いずれもほとんど思い当たらない。みんな一杯一杯に仕事を詰め込んでいて、〆切間際にえいやっと片付ける。そして〆切にちょっと遅れる。約束の時間も努力目標時間でしかない。大容量ファイルを大急ぎで送信できるブロードバンドの普及と、予定に遅れても連絡のできる携帯電話の恩恵を大いに受けている人たちだ。そして、学生や一緒に仕事する人たちから「○○(名前が入る)ルール」とか「○○時間」とか皮肉られながらも、そのオリジナリティや仕事の質の高さのおかげで許されている人々である。
 日本でもアメリカでも、なんで大学人というのはみんなああなんだろうと思っていたが、みんなこういう環境下でその習慣を培っていくのだな、と自分で経験してみてようやく合点がいった。そんなことでいいのだろうか。でももうほとんどその過程を終えて、すっかり行動変容してしまった気もする。会社員とか役人とか、そういうまっとうな職に就くのはもう無理な身体にカスタマイズされてしまった。大学院、特に博士課程とはそういう人間を育てるところなのだろう。