日本でEラーニングの研究をしているグループから、アンケート調査の回答依頼メールが回ってきた。前から何度かメーリングリストなんかで依頼が回っていたのだが、どうも回収状況が芳しくないようで、今回は担当者からのかなり悲痛な様子での依頼だった。前に来ていた依頼内容から、この調査はちょっと厳しい結果に終わりそうだなという印象を受けていたが、案の定の事態に陥っている様子だ。アジア各国での同時調査らしく、条件を同じにするために調査票は英語のものをそのまま使っていたそうだが、回答が集まらないらしく、翻訳して再度の依頼となったらしい。あまりに気の毒なので協力しようと思って調査票のWebサイトをのぞいてみたら、一問目の居住国を聞く設問で、アジア諸国しか選択肢がなかったため、私は対象者でないことがわかって断念した。
研究メンバーに知り合いもいるようなので、あまり感じの悪いことは言いたくないのだが、この道も10年近くやっているので、気づくところはたくさんあって、調査設計の初歩的な問題が多い。調査票をざっと見た感じでは、基礎データを集める内容のようなのだが、調査票の構成の問題もあって、結構濃い目の調査に見えて、これだとそんなに回答数は集まらないだろうという気がしてくる。しかも英語だとこれはみんな二の足を踏むだろうなと思うのだが、そういうことは調査者側は思わないのだろうか。どうも実施したアジア諸国の中でシンガポールはよく回答が集まっているそうなのだが、それはシンガポールがEラーニング先進国だからではなく、単に英語圏の国だからではないでしょうか、と思ってしまったりする。英語で実施することが各国の条件を同じにすると考えている時点でそれはどうなんでしょうか、と思ってしまうわけである。
これ以上言うとかどが立ちそうなのでこれくらいにしておくが、一般的な話として、国の予算でやっている研究プロジェクトには、よくまあ安易にアンケート調査をやってるなという例をよく見かける。とりあえずアンケート、という姿勢がにじみ出ているので、調査の設計も悪ければ、データの使い方も拙い、というのが多い。要はそもそもそんな読みにくくて長ったらしい調査をあんた、自分が頼まれたら喜んで協力しますか?という話である。ひどい調査になると、調査者側の聞きたいことをあれもこれも詰め込んで、回答時間40分とかになってしまう。その時点でその調査が終わっているは目に見えている。私が昔アシスタントした学部生向けの社会調査法の授業では、そういう調査はやっちゃだめよ、という悪い例として出されてたし、受講者がそういう調査をやろうとしているのを見つけたら、私はいつも全力でつぶしていた。でも社会に出ると、そういう悪い例にしたくなるような調査があふれているというのは残念なことである。これは日本に限った話ではないということをこちらに来て知った。そのことは以前に少し書いたのでそちらを参照。
だいぶ前、新入社員として教育会社の企画部門で働いていた時、ある総研から教育産業の実態調査のようなアンケート依頼が来ていた。この総研は、業界情報なんかをまとめて、1部10数万円とかで売っているところである。さすがに調査の専門会社の作ったものなので、アンケートはある程度丁寧に設計されていて答えやすくなっていたけれど、クソ忙しい時に誰もそんな調査に時間を割く気にはなれない。そう思う矢先に私の上司から、手が空いてるならそれ適当に答えといて、と指示があった。まあ、会社の基礎データなんかは調べれば正確に答えられるが、事業展開や将来展望なんかはよくわからないので適当である。こんな新入社員が適当に答えたデータを基に作成された報告書を10万円とかで売って、それをいそいそと買う会社があって、世の中でマーケティングデータとしてもっともらしく使われているのか、と社会の仕組みを心寒く感じたものである。
そんな感じで、アンケート調査というのは、調査の専門会社がやっている調査でもまともなデータが集まるとは言いがたい状況に容易に陥る。まして調査票設計のトレーニングも受けてない素人が設計した調査は、調査のプロセスにある落とし穴にはまりやすい。重要な研究であれば重要なりに、実施段階のケアをしっかりやらないとろくな結果にならない。一番いいのは、とりあえずアンケート、という発想はまずやめること。国民の税金や株主資本を使ってそういうことをやろうとする経営者や研究者や役人は手討ちにする。あるいは、とりあえずのアンケートなら、とりあえずなりの軽いものにして、安くて手軽にすませて、データとしても参考程度に使う。最近はネットサーベイも普及してきたので、そのためのツールには困らない。変に本格調査のつもりで、アンケート調査をメインにやるつもりであれば、回答にぶれが出ないための実施方法を盛り込む。途中でめんどくさくなって選択肢を123123と適当に選ばれるようではダメである。基本は、これを自分が頼まれたら喜んで答えるか?と自分の胸に聞くことである。それでちょっとでもめんどくさいと思ったら、そう思う要素を極限まで減らす。めんどくさい調査でも答えてもらわなければならなくなったら、そのめんどくささをどこかで消化しなければならない。その時には報酬かそれに協力する必然性を高めることである。最低限それくらいのことを考えないのであれば、その調査は本格的調査の名に値しない。国の補助金でそんな調査をやっているのであれば、国民の皆さんにごめんなさいしないといけない。
とはいえ、調査実施側の研究者の皆さんの多くは、善意と熱意を持ってやっているのであって、その善意と熱意には敬意を持って暖かく見守りたい。その善意と熱意に加えて、少しだけアンケート調査の難しさへの留意と、調査設計のスキルも持って実施に当たってくださることを願ってやまない。