ニンテンドッグス

 昨年夏に日本に帰った時、ニンテンドーDSを購入して一緒に「ニンテンドッグス」の「チワワ」を入手した。なにも考えずに秋葉原の中古屋で買ったのだが(任天堂の皆さん、ごめんなさい)、実はこのソフトの中古版には新品にはない楽しみがあることを知らされた。どの犬飼おうかな♪とソフトを立ち上げてみると、チワワに出迎えられた。あれ?と思って情報を見てみると、前の持ち主の飼ってたチワワ「ゆきの(メス)」だった。最初は、えーどうしよう、、とか思っていたが、5分もたわむれていたらもう情が移ってしまってデータを消すのが気の毒になり、そのまま愛犬「ジョーイ(ビーグル・オス)」と一緒に飼うことにした。

 しばらく二匹を適当に世話しながら飼っていて、ある日あれこれ機能を見ていて、ドッグホテルを見てみたら、なぜか一匹預けられていた。引き取ってみると、それも前の持ち主の犬「インメルマン(ラブラドールレトリバー・オス)」だった。なんだかでかくてあまりかわいくないなぁとか思いつつ、他の二匹と遊ばせていたら、やっぱり情が移ってかわいくなってしまって、そのまま世話することにした。中古版を買ったおかげで、思いがけずして二匹の犬たちを養子に引き受けることになったのだ。

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バトルフィールド2

  ところで、何でそんなにバトルフィールド2をやっているかというと、以前スウェーデンのゲーム研究者とメールをやり取りしてて、「北欧はそんなにゲーム作ってないのに何でゲーム研究が盛んなのか」と聞いたところ、「日本やアメリカほどではないが、いいゲーム出してる会社は結構あるよ」と言って示された例がダイスという会社。この会社の代表作にはバトルフィールド1942があり、最近リリースされたのがバトルフィールド2。せっかくなので北欧産のゲームも試してみようと思ってやってみたところ、かなり面白くてハマっているという次第。
 題材はよくある戦争シューティングゲームなのだが、設定がカザフの油田をめぐるNATO軍と中国軍の紛争という現代的なものになっていて、出てくる兵器は多岐でハイテク。徒歩だけでなく、ヘリや戦車や揚陸ボートも駆使する。特徴的なのは、プレイするキャラクターの切り替えができて、途中で他の場所にいるキャラクターに切り替えて、そのままそいつをプレイできるというゲームシステムになっている。他のシューティングゲームのように、単独のキャラクターを操作して、そいつが死んだら振り出しに戻る、というのではなく、一人が死んでも、他のキャラクターに切り替えてミッションを継続できる。視点切り替え、という感じではなく、魂が転移して、乗り移るようなプレイ感覚なのが新鮮。オンライン対戦はまだ試してないが、やってみるとまた違ったものが見えてくるだろうと思う。こういうゲームを幼い頃からやって育つと、世界の見方が違うだろうなと思う。
 メダルオブオナーをやったときは、ノルマンディ上陸作戦の(あるいはプライベートライアンの)兵士の視点でゲームをプレイする感覚が新鮮だったが、このゲームの新鮮さはこのゲームシステムから来ている。中国軍とNATO軍の両方を交互に進めるシナリオもよくできてるし、シナリオごとの目的も、敵掃討に、基地爆破に、司令官暗殺と、多岐にわたっている。そんなところにいちいち感心しながらプレイしている。ゲームデザイナーの創造性と、そのアイデアを実現するゲーム会社の開発力には驚かされるばかりである。

アイトーイ・キネティック

 冬休みの運動不足解消にと思って買ってきたアイトーイ・キネティック、思った以上によくできていて、とても活躍している。アイトーイ・キネティックは、PS2用のカメラの前で身体を動かしてコントロールするタイプのゲームシリーズ「アイトーイ」を使った、エクササイズツールだ。他のアイトーイ製品と一緒にゲーム売り場で売っているが、ゲーム的な要素は限りなく薄めてあって、あくまでもマジメにエクササイズをやるためにデザインされているので、ゲームではなくエクササイズツールとでも呼んだ方がしっくりくる。
 このツールのメイン機能であるパーソナルトレーナーを選択すると、年齢や普段の運動量などの簡単な質問に答えて、自分のプロファイルを作成する。トレーニングに進むと、ウォーミングアップに始まり、カーディオゾーン(ボクササイズ系の有酸素運動)、コンバットゾーン(やや激しめの打撃系運動)、マインド&ボディゾーン(ヨガと太極拳っぽいバランス運動)のそれぞれの用途でデザインされたミニゲームが日替わりで提供される。最初の週は二つでだんだん増えて行って、最終12週目には4、5つのゲームが課される。ミニゲームの後はトーニングゾーン(筋トレ系とヨガ・太極拳系)の運動、最後にストレッチ、という流れの個人メニューが12週分作成される。毎回アクセスするたびに個人トレーナーが現れて、今日はこれこれをやりましょう、と指示をもらいながら、流れに沿ってエクササイズができる構成になっている。
 デザインがいろんな面から見てとても優れていて、この手の独習教材としての完成度は群を抜いているんじゃないかと思う。まず、「ゲーム機を使って運動する」という、何となくイケてない印象を払拭するために、徹底したスタイリッシュ路線でデザインされている。ナイキブランド、本格的なフィットネスメニュー、フィットネスジムっぽいグラフィックデザインを駆使していて、ゲームというよりは、インタラクティブなフィットネスビデオ教材に仕上がっている。マーケティングをきっちりやって、ターゲットとなるユーザー層を明確に捉えていることがうかがえる。
 個人的には、淡々としたペースなのがとても気に入っている。この手のフィットネス教材にありがちな、過度なハイテンションさがない。ひたすらブリティッシュアクセントの女性トレーナー(男性トレーナーも選べる)が落ち着いたトーンでフィードバックしてくれるので、うるさくなくてちょうどいい感じでトレーニングできる(個人的にブリティッシュアクセントで話す女性に弱いのも好感度に若干影響してる気もするが)。
 プレイするゲーム自体は、アイトーイ・プレイのゲームと基本的には大差ないのだが、ゲーム技術を使ったインタラクティブ教材のようになっていて、デザイン次第でプレイ感がまるで変わることが実感できる。また、インストラクターのデモ部分は、この部分だけ見るとビデオやDVDの教材みたいなのだが、ゲームのインタラクション、カメラで自分の姿を見ながら調整できること、それにトレーニングの履歴に応じてメニュー内容やレベルの調整がされること、それらの組み合わせのバランスの良さによって、ビデオ教材以上の付加価値を生み出している。
 このアイトーイ・キネティックが向いている人は、独習OKな人。たとえば、フィットネスクラブ行って下手なインストラクターや周りに合わせたりするくらいなら、独りでやるわ、という人。あるいは、あまり運動してるところを人に見られたくなくてこっそりやりたい人。逆に、エクササイズに人との交流やコミュニティを求める人、フィットネスは仲間と一緒でなくちゃ、という人には向いていない。あと、ある程度のスペースが必要なので、テレビの前にすぐソファがあったりベットがあったりする部屋では物理的にプレイできないのが難点。広いリビングでプレイするか、これをプレイするために部屋のレイアウト変更が可能な人でないと使えない。ちなみにうちはベッドルームに設置してあって狭いのだが、少しレイアウトを変更することでかろうじて最低限のスペースが確保できた。
 そういう向き不向きや物理的制約はあるが、指示に沿ってエクササイズすれば、ペースが保てるし、やってることは本格的なので効果は高い。飽きっぽい性格な自分がいいペースで続けられている。最初はあちこち痛くなって仕方なかったが、今では鈍りのとれた筋肉が身体をサポートする心地よい感じを得られるくらいにエクササイズできているので、このためにPS2買ってもいいくらいお勧め。それにインストラクショナルメディアデザインのよい例でもあるので、マルチメディア教材の研究や開発をしている人は、デザインを見るためだけに試してみても損はない。

ギターヒーロー続報

 難しくて挫折気味だったギターヒーローもちょっとずつやっていたら少し上達の兆しが見えてきた。プリングオフや中指と小指のコード押さえがもともと弱かったのだが、ハードレベルからそういう曲が増えてきたので行き詰まっていた。それでも粘って繰り返しやっていたら指が動くようになってきた。まだ完璧ではないけれども何とか完奏までたどり着くことができるようになってきた。
 中級レベルの学習支援が導入に比べてよくデザインされてないとは前のエントリーで書いたけど、それでも徐々に難易度をあげるバランス調整は非常によく考えられている。前の曲で習得したことが次の曲で役に立つようになっている。途中でやや楽めな曲が入ってモチベーション維持にもつながっている。何よりも、苦手部分を短時間に反復練習できる独習教材としての完成度はとても高い。
 ゲームは簡単にクリアしてもらっては困るという発想が前提にあるため、ゲームを楽しむのに必要なこと以上の学習支援的な機能は、おそらくゲームデザインの発想からは出てこない。苦手なところだけ切り出して練習できる機能のようなものは、なるべく長く遊んでもらうことが重要な世界観では余計なことでしかない。シリアスゲームのデザイン発想では、そこをもう一歩踏み込んで、長く遊んでもらうことよりも技術習得や学習を優先して考えてデザインすることになる。早く上級レベルに達するようになる分は、そのレベルで楽しめるテーマを提供する方向で陳腐化を防ぐことになるだろう。それはまだ誰もやってない領域なので、まだ理論的な方向性でしかない。
 教育分野で作られるものがまるで実用レベルに耐えないものしか出てこない中で、ゲームの世界では具体的な形になり、普及品として提供されている。そうした技術として完成しているものを、少しデザインの発想を変えるだけで教育的効果の高い製品ができるのは間違いない。そうすることで、教育分野だけでこのままがんばっているよりも教育技術の進展は格段に早まる。これもシリアスゲームの重要な意義の一つである。

ギターヒーローのつづき

 ギターヒーロー、引き続き楽しんでおります。
最近、ドライブ中に聴くFMラジオで、ギターヒーロー収録曲がよくかかるのを耳にする。特にジューダスプリーストの「You’ve got another thing comin」とメガデスの「Symphony of destruction」。みんなこれで遊んで、聴きたくなってるんだなあと、ついニヤニヤしてしまう。このゲーム、マーケティング的に非常に有効だと思うので、もっと積極的にタイアップとかするといいと思う。ゲーム用のよく知らないオリジナル曲をやるよりも、自分の好きな曲をプレイできた方が楽しさ倍増だし、これでプレイしたせいで聴いてみたくなる曲も確実に出てくる。昔のヒット曲のリバイバルと、新人の売り出しとを組み合わせたりして、意図的にマーケティングツールとして使うとかなり使えると思う。カラオケレボリューションみたいな売り方でいけば、コンスタントに数字を出せるソフトになるし、各国の人気曲を使ったバージョンを国ごとにリリースして世界的に横展開すれば、世界制覇も夢ではない。単純な話、CD屋やiTunesのようなダウンロード販売で、ギターヒーロー収録バンドのコーナーを作ったりして、軽くキャンペーンを組むだけで売上アップに貢献するのは間違いない。
 さて、ゲームプレイの方は、ハードレベルの最後の曲、オジーの「Bark at the moon」のソロが難しすぎて次に進めず。ハードレベルはソロがタフすぎ。ソロのところだけ練習したいんだけど、始めから全曲通しでプレイしないといけないので、そこがちょっと面倒で最近挫折気味。やっぱりちゃんとできるようになるには練習が必要だが、その際に、ゲームの作り次第で練習のしやすさはかなり改善できる。このゲームに限らず最近のゲームは、導入部のチュートリアルはすごくよくできているのだけど、途中の上達をサポートするという発想があまりなくて、途中の難易度バランスが粗くなるのが気になる。その辺はゲームデザインの発想のフォーカスの違いや、ノウハウの強みと弱みの部分なのだろうと思う。

ギターヒーロー(音ゲー)

 日本では有名な音ゲー「ギターフリークス」の米国PS2版「ギターヒーロー」が今月リリースされた(レビューの日本語訳が出てた)。相当に人気を博しているようで、発売日には街のゲーム屋ではあっという間に完売。しばらくは品切れという状況が続いているが、メーカーのオンラインショップで買ったらすぐ届いた。このゲームは久々に個人的な楽しみのために買って、純粋にエンターテイメントとして遊んでいる。何が楽しいかというと、収録曲はロック系のヒット曲ばかりで、ハードロック・へビィメタル系の曲も豊富に入っていて。オジーやメガデス、クイーン、ボストン、といった古めのバンドの名曲から、最近の若いバンドのヒット曲までプレイできる。こういう選曲で売れるというのはさすがロックの国だ。
 このギターヒーローもそうだが、太鼓の達人もDDRも、その他音ゲー全般はいずれも音楽の文字通り、「音を楽しむ」ことをどんなツールよりも実現している。楽器を楽しめるようになるには、ある程度の練習が必要で、自分の弾きたい曲を思うように弾けるようになるにはさらに練習しないといけない。カラオケでも自分の歌唱力が制約になって、難しい曲では気持ちよくならなかったりするが、このゲームはリズムにあわせて正確に操作すれば、いい音でフィードバックされるので、とても心地がよい。音ゲーはそうした楽器のスキルの部分をカットして、リズムの部分だけに焦点を当てることで、その楽器の楽しさ、演奏する気分を味あわせてくれる。これほどの音楽への導入ツールは存在しないと言ってよいと思う。ギターヒーローが上手になったからといって、ギターが弾けるようになるわけではないけれど、ギターを弾く楽しみの一部分は十分に味わえる。その楽しさがきっかけで、本物のギターを弾きたくなる人や、出てくるバンドの曲をさらに聴いてみようという人も少なくないはずだ。
 実際、先日Mixiで音ゲープレイヤーとリアルのドラマーに「音ゲーで楽器のスキルが身につきますか?」と質問を投げてみたところ、たいへんに面白い反応があった。高度なスキルは身につかないけど、リズムパターンの習得や興味をわかせるための導入として有効な一方で、セッティングが違うことや受身にリズムを刻むことのデメリットがあるようだということがわかった。ドラマーとしての経験があってドラムマニア未経験の人は、概してうまくプレイできなくて、自分への期待と結果のギャップにフラストレーションを感じる人は多いようで、経験あるドラマーほど「こんなのはドラムではない」という印象を持つようである。ゲームでの興味が高じて本物のドラムを始めた人も少なからずいた。音ゲー好きが高じて、音楽キャリアに進んだ人もいた。学校の音楽教育が子ども達に何の影響も与えないばかりか、逆に音楽嫌いを生むような機能不全な状況にある中、音ゲーはインフォーマルな音楽教育ツールとして機能している側面があることが見えてくる。ではこれを意図的に音楽教育の中に取り入れるとしたらどんなことになるだろうか、というのはとても楽しい研究テーマだ。もはやたかがゲームではなくて、個別学習支援ツールとしての機能は、ゲームとして扱うだけではもったいないクオリティである。技術は普及レベルでそこにあるので、あとは目先を変えた用途開発だけで、かなりすごいことができると思う。

シリアスゲームサミットDC二日目

 引き続きシリアスゲームサミット二日目。今日はなんと行ってもメインは自分の発表。今年はすでに日米あわせてこれで6本目の発表なので、発表自体も慣れてきた。前日によく寝ないとパフォーマンスが大幅に低下することも前回のAECTで痛感したので、今回はしっかり寝た。AECTでは満員だったので調子に乗って、今回もどれくらい客が入るかなと期待していたら、30人そこそこといったところ。3月のGDCでも似たような感じだったのを思い出して、まあこんなもんかなとややがっかりしながら開始した。でもとにかく話すネタは豊富にあって、しかも優れた日本のゲームの話ばかりなので、聴衆の反応もとてもいい。前日よく寝たおかげもあって、話のテンポも崩さずに話すことができた。後で聞いたら、プレゼンはすべて収録されていて、MP3でネット上で公開されるらしい。ひー。プレゼン終了後、何人もの人がステージに詰め掛けてきてあれこれ問い合わせしてきた。プレゼン中に「ニンテンドッグ持ってきてる人いたらデータ交換しようね」とネタで言ったら、ほんとに持ってる人がいて、データ交換しようとしたが、残念ながら日米のDSは違う周波数を使っているか何かのせいで通信ができなかった。ショック。でも日本のDSで米国版のDSソフトを走らせることはできるということはわかった。
 今日のセッションのハイライトは、カーネギーメロン大で開発された消防士訓練用ゲーム「ハズマット」のセッションだった。ステージにはニューヨーク消防署のえらい人から消防士がずらっと並んでいて、ハズマットを使った訓練デモを見せてくれた。こうやって使うんだというのを実際に見せられるとなかなか迫力があった。消防署のえらい人たちがこのゲームへの期待を述べるなど、このゲームがシリアスゲームの中でも一番の目玉として今も健在なことをアピールしていた。
 もう一つのハイライトは、二日目の一番最後のセッションで「インストラクショナルデザインはシリアスゲーム開発に必要か?」といった趣旨のディベートだった。不要派のマークプレンスキーと必要派の大学の研究者がそれぞれに議論を戦わせ、超満員の場内は大いに盛り上がっていた。個人的には結論の出ているテーマで、議論もその範囲を超えてはいなかったので、余興として楽しんだ。
 セッション終了後は、オープンスペースに場所を移してのゲームスタジオ各社のシリアスゲームショーケースをやっていた。フリードリンクだったが、帰りの運転があったのでやむなくクラブソーダなど飲みながら、参加者たちと情報交換した。カンファレンスディレクターのジャミールがいたので挨拶した。何気ない彼の振る舞いにとても感銘を受けた。普通にニコニコしたインド人といった風貌なのだが、他の人に話を振るタイミングとか、話を終わらせるタイミングとか、いちいち彼の振る舞いは洗練されていて、さすが大舞台を仕切るディレクタだなと納得した。
 帰りも遅くなるので、早めに会場を後にして、ステートカレッジに向けて車を走らせた。DCエリアを抜ける前に案の定、道に迷って一時間くらいロスした。しかもいきなり隣の車線から車が突っ込んできて、危うく大事故になるところを間一髪無傷で済んだ。性能のよいレンタカーだったおかげで助かった。奥様2名を載せて事故ったのでは、だんな様たちに八つ裂きにされてしまうところだ。ともあれ、あとは何事もなく12時前に帰宅。今回の遠征も無事に終わった。

シリアスゲームサミットDC初日

 シリアスゲームサミットの第一日目。サミットの内容的なレポートはシリアスゲームジャパンの方で書くので、こちらは個人的な感想中心で。
 参加者は500人を越えているそうで、出展企業も十数社、運営も専門会社のCMPがやっていて、GDC(ゲームデベロッパーズカンファレンス)のように組織的でずいぶんと洗練されたカンファレンスになった。前回までは会場を走り回っていた主催者のベン・ソーヤーも、今回は運営は完全に手を離れたようで、ゆったりと会場を見て回っている。胴回りが巨大化したせいもあって、ずいぶん貫禄ある感じになった。最近の彼は、シリアスゲームイニシアティブの人というよりも、自分の会社デジタルミルの社長として、ゲーム開発プロジェクトの方に力を入れている感じだ。シリアスゲームコミュニティはすでに彼のファシリテーションの力を借りなくても自らの引力で動き始めている。ベンの偉いところは、シリアスゲームというマーケット一つを開拓して、そこで何も偉ぶらず、変な政治力に頼ろうとせずに、いちプレイヤーとして自分の会社のビジネスをやろうとしているところである。自分のやりたいビジネスができるマーケットを丸ごと作り出してしまうその豪快さは立派だと思う。
 今回も昨年同様、夜はアメリカズアーミーがスポンサーのレセプション。会場にはバズーカ砲のシミュレータや、各種射撃シミュレータ、アメリカズアーミーのデモなどが所狭しと並んでいて、その中でみんな酒を飲みながら軽食や会話を楽しんでいた。こうしたデモを見るたび、ゲーム技術とシミュレータ技術の境界というのはなくなってきているのだなと思わされる。
 同じくペンステートから来た台湾人のハイチュンと合流し、一緒に来たトルコ人のゴクヌーアと3人で近くの寿司バーで夕飯を食べ、招待されていた企業のプライベートパーティに参加した。行ってみるとそのパーティは、フロリダをベースにシリアスゲーム系のカンファレンスを企画している会社主催のもので、カンファレンスのプロモーションとネットワーキングを兼ねたパーティだった。会場内の雰囲気、それにこのパーティを見るにつけ、昨今のシリアスゲームを取り巻く状況はやや加熱気味な感があるのはやや懸念されるところである。技術的なものは新しいのが出てくるが、研究はそんなにさくさく進むものではなく、発表で見るものはほとんど前回に比べて目新しいものは出てきていない。新規参入者にとっては新鮮かもしれないが、このアプローチでこのハイペースを続けるのは厳しいかもしれない。そういう感想をシリアスゲームコミッティメンバーの一人であるイアン・ボゴストに述べたら、彼はすでにそのことを危惧していて、何か手を打たないといけないと言っていた。おそらく次回以降に向けて、コミッティ側でも何らかの手を打ってくる様子である。

ゲームで英語を学ぶ

 先日シリアスゲームジャパンで告知した「シリアスゲームワークショップ:コンピュータゲームで英語を学ぶ」も、参加希望をいただいて、来週より実施の運びとなった。約6週間の間に何をやるか、いろいろとアイデアを練っているところで、参加者の皆さん以上に、私の方もどんなことになるかとても楽しみにしている。

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