講演のお知らせ(第二弾)

 熊本大学にお招きいただいて、8月9日(水)に開催される「熊本大学eラーニング連続セミナー」にて、シリアスゲームの講演をします。
 このセミナーでは、より「eラーニング、インストラクショナルデザインとシリアスゲーム」に焦点を当てた形で、話をしてみたいと思っています。
 熊本周辺にいらっしゃるシリアスゲームに関心をお持ちの方、どうぞ奮ってご参加ください。
(なお、先日お知らせした、東京大学でのセッションはすでに満員で募集〆切とのことです。その代わりにご参加ください、とお勧めするにはやや遠いですが。)
——–以下、熊本大学eラーニング連続セミナーWebサイトより転載
熊本大学は、特色GPの2年連続採択等、積極的にeラーニングを実践してまいりました。
それらの取り組みの一環として、国内外の著名なeラーニングに関する専門家をお招きして連続セミナーを開催しています。
今回はゲームと教育の関係について取り上げます。
ニンテンドーDSの「大人のトレーニング」の大ヒットに見られるように「ゲームで学ぶ」ことが注目を浴びています。そこで、アメリカで教育用ゲームやインストラクショナル・デザインの研究をされている藤本徹氏をお招きし、ゲーム、教育や学習そしてeラーニングの関係についてご講演いただきます。
第9回セミナー
シリアスゲーム:デジタルゲーム技術を利用した教育課題への取り組み
開催日時:  2006年8月9日(水) 17:00~19:00
場 所:  総合情報基盤センター 3階 実習室
当日参加も可能ですが、できるだけ事前にご登録をお願いします。
(参加申込はこちら:
http://el-lects.kumamoto-u.ac.jp/index.html
講演者:藤本 徹 氏
ペンシルバニア州立大学インストラクショナルシステムズプログラム博士課程
「シリアスゲームジャパン」コーディネーター
教育用ゲームの開発や研究は、以前から取り組まれてきたテーマであるが、ここ数年で急速に、欧米の教育工学者、教授システム学者たちの間で注目度の高いテーマとなってきている。その中心概念となっているのは「シリアスゲーム」という考え方であり、従来のエデュテインメントやゲーミング研究の取り組みを超えた形で、研究・実践が展開されている。その学習環境の捉え方や問題へのアプローチの仕方、開発プロジェクトの組み方は、インストラクショナルデザイナー、eラーニング講座開発者への示唆となる要素が多い。本講演では、シリアスゲームの概念的な解説と、開発事例の紹介を行ないながら、教授システム学の視点から、シリアスゲームプロジェクトの取り組みを考察し、 eラーニング講座デザインのヒントにするための議論を行なう。

アイトーイ・キネティック 6ヶ月経過

 昨年12月から続けていた「EyeToy:Kinetic」の12週間の個人メニューの2クール目を終えた。これで半年間続けたことになる。(なお、始めた時はこんなことを書いていて、3ヶ月経過した時にはこんなことを書いている。)
 運動の習慣化は大いに成功していて、全く運動せずにいると居心地が悪く感じるようになった。体重は2キロダウンした状態でほぼ安定して、2年前の水準に戻った。身体の調子は良い状態で保たれていて、不健康になりがちな生活の中で、かろうじて健康な状態を保つことに貢献してくれている。
 ただ、ゲームパターンが変わらないので、さすがに飽きてきた。さらに難しいレベルができたり、違ったゲームが入ったバージョンがぜひほしいところである。この手のゲームソフト形式の製品は、一度出してよほど大ヒットしないと次が出てこない。この製品がどれだけ売れたのか手元にデータがないのだが、私のようにずっと利用しているユーザーはロイヤルカスタマー化していて、次に何が出ても買う勢いのはずなので、次が出ないのは惜しい。
 次は、Xavix のジャッキーチェンとトレーニングするゲームでも買おうかなと思いつつ、それまではもうしばらく続けてみようと思う。

オンラインゲーム世界で模索の日々

 この週末は、人生でも一番と言っていいほど長時間ゲームをプレイした。疲労がたまった。手もやや痛い。
 今研究フィールドとして取り上げているゲームは、MMOG(Massive Multiplayer Online Game)というジャンルで、何千、何万ものプレイヤーがバーチャルなゲーム世界で同時にプレイしている。プレイヤーたちが形成するコミュニティの中で起こっている学習と、そのゲームのデザインの関係に関心があって、前に別のゲームでやった研究をさらに推し進めるべく、今回は日本の大手ゲーム会社が出している海洋アドベンチャーなMMOG(と言えばどのゲームかわかってしまうけど、別に隠しているわけではないので)を対象にしている。
 この手のテーマの研究は、日本ではほとんど聞かないのだけど、欧米ではだいぶ数が増えてきた。他の研究者がカバーできていることと、できていないことがあって、そこは研究の視点の違いなのだけれども、自分的にはうまくいけば、かなりオリジナルな成果が出せるんじゃないかと期待しつつ準備を進めているところだ。
 熟練研究者の域には程遠いので、毎回研究のセットアップから最後のアウトプットまで試行錯誤が続くのだけど、今回もセットアップのところで難航している。これまで準備的にゲーム世界でテストプレイのようなことはしばらく続けてきたのだけど、ゲーム内での自分の立ち位置があまりに周辺的過ぎて、熟練プレイヤー同士のやり取りの意味が深いところで理解できないで推移していた。
 忙しさもあってプレイ時間も少なく、たまにしかやらないので、人々とのやり取りも少なくなりがちだった。一緒にプレイしている人たちとも、ジョギングしてて公園で出会う顔見知りのような関係でしかなく、「こんちは」「おつかれ」みたいな簡単なやり取りしか発生しなかった。しかも、研究のためにプレイ記録だ振り返りだと、プレイ以外のことにも時間を費やす必要があるので、何かと停滞しがちだった。
 あまりに埒が明かないので、研究作業は全部ほっぽり出して、とにかく他の人がやっているようにプレイしてみることにした。自動的に残るプレイログと、時々面白い場面でスクリーンショットを撮る以外は、完全に一プレイヤーとして、使える時間を全て投入してひたすらプレイしてみることにした。
 このゲームの特徴は、モンスター征伐や冒険ばかりの他のゲームとは違って、地域間交易や、調理、鋳造、縫製などの生産もプレイの主要な位置を占めているところで、ロンドンで仕入れたウィスキーをアムステルダムに持って行って売って、帰りにジンを仕入れてまた他所で売る、といったことを利益が上がるように考えながら進めていく。街の道具屋でレシピを買って、仕入れた材料を使って料理を作り、それをバザーで他のプレイヤーに売ったり、他のものと物々交換することもできる。職業もさまざまあって、軍人と冒険家と商人の3タイプから複雑に枝分かれした職業システムがあり、スキルも前提スキルや必要レベルが複雑に入り組んだシステムが構成されている。プレイヤーたちは、自分のプレイした職業を目指して、一番適切なキャリアパスを見つけて転職を繰り返しながら、効率よくレベルを上げ、必要なスキルを身につけていく。
 知識の蓄積の仕方もとても高度な活動が行なわれている。ネット上には、プレイヤーたちが自発的に制作した、さまざまな知識リソースが提供されている。初心者向けのガイド、交易品や名産品のデータベース、地域別の交易ルートと必要スキル習得場所の一覧、情報交換のための電子掲示板、作業支援ツール、など膨大な量のリソースが日々形成されている。
 それらのゲーム内外の情報は、ある程度その世界に慣れていないと、ありがたみもわからないし、深いところでその意味するところを解釈できない。ちょっとかじった程度で研究しようなどという当初の姿勢は相当に甘かったと反省した。
 ここひと月ほどで、総プレイ時間は100時間以上に達し、レベルもだいぶ上がってきた。最初の探検家から、食品商を経て薬品商になって、調理も工芸もスキルがあがった。個人的に冒険や海事活動よりも生産系の活動が好きで、魚介のピッツァを作ったり、小麦から酒を造ったりする作業を何時間も続けたりしていた。自身のプレイを振り返ると、リアルの自分の行動傾向にかなり重なるところが見えてきた点も興味深かった。
 この週末は、ゲーム内イベントで、月例の大海戦があった。開催時間が日本時間夜で、こちらは早朝からプレイする必要があるため、今までは敬遠していたのだけど、今回はがんばって参加した。最初の集合地点での艦隊結成から反省会まで全てフル参加したら、朝の6時起きで昼過ぎまでかかった。金曜から日曜まで、特に日曜はワールドカップの日本戦の影響で一時間繰り上がったので朝5時起きで参戦したおかげで疲労困憊だったが、面白い現象を山ほど観察できた。
 ここまで突っ込んでプレイしたおかげで、だいぶいろんなことを理解できるようになった。でもまだレベル的には初級からやっと中級に上がった程度なので、上級の熟練プレイヤーたちのやり取りでわからないところは多い。それらをどこまでフォローした上で研究の区切りをつければいいのかはまだわからない。同様のアプローチで行なわれた他の研究は、2年から3年かけてまとめられたものばかりなので、この調子で行くと、自分もそれくらいかかってしまいそうだなとやや途方に暮れつつも、適切な区切りとなる落としどころを模索している。
 部屋にこもって、資料を読み、ゲームをやり過ぎて運動不足になりがちなところを、また別のゲームが運動不足解消を助けてくれて、さらにはテレビを見て気分転換をする、という奇妙なルーチンで、隠遁生活のような日々が続いている。夏が終わる頃には、この模索状態から抜け出して一歩進んでいれば良いなと願うばかりだ。

シリアスゲーム論文公開

 年度末に急に依頼がまわって来た論文寄稿の仕事が一区切りして、最終版が出来上がったので、報告書への掲載とは別に、シリアスゲームジャパンでも公開の運びとなった。
藤本徹(2006) 「シリアスゲームと次世代コンテンツ」、財団法人デジタルコンテンツ協会編「デジタルコンテンツの次世代基盤技術に関する調査研究」第四章(PDFファイル)
https://anotherway.jp/seriousgamesjapan/archives/Fujimoto-SeriousGames.pdf
 現時点での、シリアスゲームの概念的な整理が主な内容で、シリアスゲームっていうのを耳にしたけど、実際にはどんなものなの?という疑問にできるだけ答える形で論じてみた。
 読んでみてまだわからないところとか、ここはどうなのよ?という疑問があれば、次の機会にはフォローしますので、ぜひ感想や質問などお寄せください。

セカンドライフのバーチャルキャンパス

 先週、社会生活シミュレーション「セカンドライフ」のバーチャル世界に、一つキャンパスが開設されて、そのグランドオープニングイベントが開催されたので参加してきた。このキャンパスは、ニューメディアコンソーシアムという非営利機関で、名前の通りに新しいメディア活用の研究プロジェクトに取り組んでいる。
 イベントは、キャンパスツアーとステージでの催し、最後にダンスパーティという流れで行なわれて、昼と夜の2セッションで延べ150人以上が参加したとのこと。私は夜のセッションに参加して、その時は常時20数人はいた感じだった。会場に着くと、みんなステージの方に集まっていた。キャンパスの建物はリアルの大学のようなデザインで、ホールや講義室、ミュージアムに図書館と、とても雰囲気のよいキャンパス環境ができあがっていた。リアルのオープンキャンパスみたいに、キャンパスのスタッフはおそろいのオレンジTシャツを着て、質問に答えたり参加者を誘導したりしていた。そしてお土産の資料が入った手さげ袋やロゴの入ったフリーTシャツまで配布しているところまで、リアルのオープンキャンパスの運営を細かく実践していた。
 イベントでの案内は、セカンドライフの音声配信機能の主に使っていたが、これは一方向なので、フリーの電話会議ツールを使うことで参加者からの質問などを音声でやり取りできる形にして、双方向コミュニケーションを実現していた。ソフトのインストールやマイクの準備とかテクニカルな面倒さもあるため、参加者からはあまり利用されていなかったようだが、ツールの併用の仕方はいい工夫だと思った。

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Age of Empires IIIやってみた

 今週はAERA(全米教育学会)ウィークのため、うちのプログラムの教授陣は半分くらいサンフランシスコへ出払っていることもあり、プロジェクトミーティングがキャンセルになったりして、少しスローペースな平和な週である。それで気が緩んで、先日ベストバイ(大手電器スーパー)に立ち寄った時に、つい魔がさしてリアルタイムストラテジー(RTS)ゲーム「Age of Empires III(AoE3)」をうっかり買ってしまった。通常49ドルのところ39ドルになっていたのに釣られた。日本語版は9000円以上するので、半額以下。すごい安い。
 AoEシリーズはなんだかんだでAoE2以降は結構チェックしていたりする。何せ中学でゲームから引退して以来(ドラクエIIIくらいで引退して、スーファミもPS1もセガサターンもその辺のコンソールは一切触ったことがない)、10年以上もゲームから遠ざかっていたところを引き戻されたきっかけがAoE2で、ゲームとしての面白さよりもむしろ、進化したゲームが持つ教育的な可能性にインパクトを受けた。それは今のシリアスゲームの道に進む最初のきっかけみたいなものだった。初めてAoE2をやった時、なんてすごいゲームなんだろうと感心して、休みの日なんかにかなりの時間を費やした。なかなか飽きなかったので、ある時封印してやめた。
 いつもは買ったその日にソフトウェアをインストールするなんてことはやらないのだけど、自分の中ではAoEシリーズは今も別格なようで、今回も速攻でインストールしてプレイした。やってみるとやはり相当ヤバイ。果てしなくやっていられる。ゲームを丸二日間やり続けて死んだ韓国人がいたけど、このゲームはそんな感じでポックリ死ねるくらいに寝食を忘れて没頭できる。RPGやシューティングにはそんなに熱くならないのだけど、RTS系はかなり自分にとってツボらしい。本作は特に、グラフィックの美しさは尋常ではない。この手のゲームでこれはやり過ぎでしょうと突っ込みたくなるほどの凝り方で、大砲が建物に当たってボコボコになっていったり、兵隊が吹き飛ばされたりするところは、メルギブソンの映画「パトリオット」のよう(公式ウェブサイトのこの辺を見ると少しはイメージがつかめる)。キャンペーンモードは、アメリカ開拓史をベースにしたストーリーで、ネイティブアメリカンとの関係の部分なんかは、政治的な配慮がされた描写がされている(ゲームの詳しい内容は、公式ウェブサイトの他、4Gamerの連載がよくまとまっていて面白い)。
 グラフィックのきれいさとかはあるのだけど、プレイ感自体はAoE2の頃からたいして変わらない。それだけAoE2の完成度が高いということではあるのだけど、ゲームの楽しさと没頭度は、グラフィックやサウンドなどの効果は不可欠なものでもない。ある程度質が高ければ十分機能する。そんな効果は何もない数独のようなパズルゲームをやっている時も同じように没頭できる。ゲームルールの作り方と、デザインのバランス次第なのだと思う。そしてそれは娯楽用のゲームに限らず、学習ゲームのデザインにおいても同じことだ。教育分野で研究されているほとんどのゲームのように、糖衣で不味い薬を包んだような教育ゲームではなくて、学習がゲームプレイに丁寧に埋め込まれていて、自然に没頭できる形で学習できるゲームは、プレイ感が全く違うと思う。そういうゲームを作る技術は、教育学系の研究成果は多少の足しになっても、研究の延長線上からはそうした技術は生まれない。そこはある種、発明の世界みたいなもので、知識をベースに試行錯誤して、ちょうどよいバランスを見つけ出す作業になってくる。飛行機の発明みたいなもので、最初にライト兄弟が飛行機を飛ばすまでは、航空力学や機械工学のような研究をいくらやってもそれだけでは飛行機は飛ぶようにはならなくて、飛行機を実際に設計して微妙な調整をしながらちょうど飛ぶポイントを見出したから飛んだのだ。教育ゲームやオンライン教材は、そういう意味ではまだ空を飛んでいない。手に羽をつけてバタバタやったり、飛ぶ気があるのかわからないような方法で適当にやってお茶を濁していたりする。そういうのにはあまり付き合いたくなくて、自分がこっちだと思う方向で試行錯誤していくことに集中したいと強く思う今日この頃である。でもAoEジャンキーである限りはそれも無理なので、AoE3はそのうち封印の憂き目に合う。短い間だったけど楽しかった。ありがとう。

シリアスゲームサミットレポート掲載

 先日寄稿したシリアスゲームサミットレポートがRBB Todayにて掲載されました。
GDC2006 シリアスゲームサミットレポート(RBB Today)
http://www.rbbtoday.com/column/seriousgames/20060404/
 今回のレポートは、いつものようなメモを貼り付けただけのようなやつではなくて、これまでのシリアスゲームサミットの流れも踏まえた形で考察を加えているのがポイント。サービスしてしっかり書いたので、内容的にはかなりお得感のあるものになっていると思います。ゲーム情報サイト向けにしてはちと文体が硬い感があって読みにくいかもしれませんが、どうぞお楽しみください。

アイトーイ:キネティック12週メニュー終了

 運動不足解消のために12月の後半から続けていた「EyeToy:Kinetic」の12週メニューをめでたくクリアした(キネティックの評価は以前のエントリ参照)。最後のところでごほうびに、インストラクターのお姉さん(またはお兄さん)のお色気サービスカットが。。。あったりはしない。終わったところで、また12週間のメニューを始めるかと聞かれて、はいと答えると少し回数とボリュームが増えたメニューが提供されて、また翌日から新たなメニューで坦々ととエクササイズが続く。この坦々さがキネティックのいいところでもある。おかげで日々のエクササイズが見事に習慣化した。最初は週3日でも面倒な感じだったのが、今では週5日でもへいちゃらで、やらないと何か物足りない気がするくらいである。
 体重は1.5キロくらいしか落ちてないのだが、上体の筋肉のつき方が明らかに変わった。肩の筋肉がモリっとなるくらいになった。もう少しがんばれば、胸筋も動かせるようになるかも。でもお腹周りのコーティングは取れない。。それは運動することで飯が美味くなって、もりもり食べたりしているからだ。やはり食べる量を調整しないとダメらしい。以前は軽くウェイトダウンできていたんだけどね。。これも歳のせいか。。
 エクササイズの習慣化にはかなりの威力を発揮するので、日本でも発売されたら、ぜひお試しあれ。

シリアスゲームと教育学研究の政治性

 昨日の教育工学とシリアスゲームのエントリについて、東大の中原さんからコメントをいただいたので、またそれをネタにしつつ、関連するところを書きます。
 中原さんの記事:ゲームと教育工学
 http://www.nakahara-lab.net/blog/2006/03/post_108.html
> まぁ、僕は学習研究者なので、上記のようなテーマを聞くと、あいかわらず「それは学習だよなぁ」
> と思ってしまいますが(笑)。「箸が転がっても」、「それは学習の問題だよなぁ」と思ってしまう、
> 「学習バカ」の僕は、このさい、放っておきましょう。なるほど、了解しました。
いや、その点では僕も相当なバカものなので、意味するところはわかります。
この場合は、学習も密度の濃さや状況の違いによっていくつかレイヤーがあって、それを「経験」と呼んだり、「認知」や「態度変容」や「動作習得」、あるいは「刷り込み」のようなものもあると思います。それを僕らのような教育研究者の側からすると「学習」と捉えればしっくり来るし、マーケティングの人は「宣伝」だったり、社会活動家のような人からすれば「啓蒙」なのかも知れないですが、そういう形でそれぞれの立場で別のくくり方をしてシリアスゲームを捉えていることも、コミュニティにおける相互の学習にはプラスに作用している面は大きいし、学習という概念についての理解を深める上でもプラスに働くと見ています。
> 要するに、「ポリティカルなもの」をそのまま伝達しても、子どもや大人には獲得できない。だから、
> ゲームという形式をつかって、彼らが楽しんでいる間に、獲得させちゃおう、正当化させちゃおう、
> という開発者のねらいみたいなものを感じます。
これはおっしゃるとおりで、教育的意図で作られたゲームであっても、扱う題材によっては政治的な意図が含まれることを避けられないと思います。シリアスゲームのメーリングリストでも、政治的な意図をユーザーに楽しませながら伝えられるという効果に対して、懸念する意見や慎重論も出ていて、継続的に議論されています。
たとえば、このことを考えるちょうどいい例として、September12というゲームがあります。
September 12th
http://www.newsgaming.com/newsgames.htm
 数分プレイすれば、このゲームが伝えんとするメッセージが伝わってくると思います。これを「テロに対するミサイル攻撃がいかに無意味か」と理解するか、「たちの悪い政府批判だ、けしからん」と理解するかは、それぞれの政治的立場で解釈が変わってきます。また、米陸軍が志願兵のリクルート用に作ったシューティングゲームもあります。これもプレイしているうちに、就職先として軍も悪くないなと若者たちに考えさせることを意図して作られたマーケティングツールです。他にも、中国の政府系機関がスポンサーになって、南京大虐殺のゲームを作ったというあからさまな例もあります。
 こういう微妙なテーマを扱えば扱うほど、そのゲームの持つ政治的な意図が問題になってきます。これは昔からいかなるテクノロジー、メディアにおいても同じような議論がされてきていますが、ゲームもそのインタラクティブな特性によって、他のメディアとは異なるパワーを持ったメディアとして避けられない問題だと思います。そういう意味では、たしかに社会学とかメディアスタディとか、いろんな立場の人が研究テーマとして取り上げて、理解を深めていくのが望ましいと思います。
 僕個人は、この問題については「いかにポジティブや中立であろうとしても、悪意や利己心を持った受け手がメッセージを歪めて捉えようとするのは避けられない」という前提で、そういうセコい悪意など無力化できるくらいにポジティブさを維持していこう、というスタンスを取ります。自分たちのやることが影響力を持てば持つほど、権力やオカネの問題が絡んできて、積極的に自分たちの立場を守らなければ、悪用されてしまうケースも出てくると思います。そう考えた場合に、メディアとしてのゲームの使い方についても、慎重に進んでいくよりは、どんどんトライアルを繰り返して試行錯誤する中で、十分な経験や知識を獲得しておく方向で進む方が、あとあと助かるだろうなと。
 関連する話で、インストラクショナルシステムデザイン(ISD)の研究者達が、教育システム変革論に関心を持つようになった、という流れがあります。ISDは教育現場のデザインが主要な関心なのですが、それをうまくやろうとしたり、学校全体やさらに広範に普及させようと考えた際には、どうしても学校や学区、より上位の教育システムといったマクロなシステムの動きを考慮した取り組みが必要になります。ISD分野きっての理論家であるライゲルースはISD研究における教育システム変革論の第一人者でもあるし、ペンステートのISD研究者カイル・ペックは、地域のチャータースクール開設の際に重要な役割を果たしました。日本で「インストラクショナルデザイン入門」という訳書が出ているウィリアム・リーも、「企業は研修の改革で組織も改革できるような幻想を抱いているけど、ISDのアプローチだけではそういうニーズには応えられない。より上位の教育システムへのアプローチ手法を身につけないといけないことを後になって理解した」と指摘しています。「より上位の教育システムへのアプローチ」には、そのシステムにおける文化的、政治的な状況把握と、それに基づいたある種の政治的な動きというのは当然含まれてきます。政治的動きというと、何やら怪しげな感じがしますが、状況を望ましい状況に持っていくため手段の一つとして捉えればいいと思います。
(建前は政治的でない日本のアカデミックな世界が、その中での各自の行動は、暗黙の政治的配慮とかルールに縛られていて、エライ人ほどすごく政治的だったりするわけですし、その中で研究の中立性を保つには、時には積極的な防御手段も必要になってくるのかなと懸念してます。)

教育工学とシリアスゲーム

 東大の中原さんがフードフォースとシリアスゲームについて書いていて、教育工学とシリアスゲームについてを掘り下げて考えるのにちょうどよいなと思ったので、呼応したエントリを書きます。
 フードフォースについては、シリアスゲームジャパンの方にいくつか関連エントリがあるので、ゲームの内容や開発の経緯などの詳細はこちらを参照のこと。
シリアスゲームサミットDCダイジェスト:フードフォースによって飢餓と闘う国連
https://anotherway.jp/seriousgamesjapan/archives/000641.html
Food Force紹介記事
https://anotherway.jp/seriousgamesjapan/archives/000634.html
 私も教育分野、中でも教育工学の領域で研究をする立場なので、基本的にはシリアスゲームを教育メディア、あるいは教育方法として捉えている。そういう人間がシリアスゲームを語ると、どうしても教育的側面が中心になるが、もともとシリアスゲームは「教育をはじめとする社会の諸領域の問題解決のために利用されるデジタルゲーム」がそのコンセプトになっている。なので、教える・学ぶためのゲームというだけでなく、啓蒙のためのゲーム、広報・宣伝のためのゲーム、政治的メッセージを伝えるためのゲーム、治療のためのゲームなども含まれる。教育工学において、ゲームを使った教育が(すごく小さな)一つの領域であるように、シリアスゲームにおいては、学校で使える教育ゲームの研究は、シリアスゲーム全体の中の一つの領域である。
 中原さんの記事で述べられている中に、二つの興味深い指摘がある。「ゲームを使った教育は、ずいぶん昔から取り組まれてきたテーマだ。」ということと、「教育ゲームを批評したりするのは簡単だけど、開発はすごい大変で、ものすごいエネルギーが要る。」ということだ。
 ゲームを使った教育、教育のためのゲームの開発は、たしかに別に新しいアイデアでもなんでもなく、ずいぶん昔から取り組まれてきている。20年も前に初代ファミコンをプラットフォームに、東京書籍や福武書店(現ベネッセ)が学習ゲームのタイトルを出しているし、エデュテインメントというコンセプトが盛り上がったのも少し前の話で、教育ゲーム自体はずっと世に送り出されている。ただ、そのほとんどは子ども向けのコンテンツだった。「MBAビジネスゲーム」みたいな対象層が上めのコンテンツも中にはあったが、主流は子ども向け。全米教育工学会(AECT)でも、教育ゲームへの関心が高まっているところなのだが、そこでも学校教育でゲームをどう利用していくか、という議論が中心。一方、シリアスゲームのコミュニティにおいては、子ども向けのコンテンツはさほど主流な存在でもなく、むしろマイナーな存在といってよいかもしれない。
 2点目の指摘も涙が出るくらいよくわかる。私も自分で開発プロジェクトをやる時には、毎度鼻血が出そうなしんどい日々を過ごして、やっとできたプロトタイプを他の人にデモして見せたら、こちらの苦労も知らずに容赦なくここが悪い、あそこが変だと注文をつけられる。直したら直したで、受け手もアイデアが刺激されたりして、もっとこうした方が面白くなる、みたいな話になってまた泣く思いをして修正する。概してそんなことの繰り返しである。
 残念なことに、昔から取り組まれ、多くの人の苦労がにじむ歴史を経てきた割には、教育メディアとしてのゲームは、プレゼンスが弱く、研究分野としても定着していない。その大きな理由として、3つほど考えられる。
1.ゲームに関心のある研究者がいろんなコミュニティに分散していて、それぞれの勢力が弱いままで推移してきたこと。
2.しっかりした研究成果がでるまで研究が継続されてこなかったこと。
3.教育デザインのスキルとゲームデザインのスキルは、互換性がありそうで実はそれほどないという点を理解されずにきたこと。
1.については、教育工学研究者のコミュニティだけでなく、他にもたとえばシミュレーション&ゲーミング学会という歴史ある学会があり、教育ゲームの研究の蓄積もあるのだが、デジタルゲームの研究をしている人は多くない。ゲーム学会というゲーム研究者のコミュニティもあるが、そこでも教育のためのゲームというのはマイナーな存在である。医学や経営学やその他それぞれの研究者コミュニティにそれぞれゲームに関心がある人がいたにせよ、一人二人か、せいぜい数人である。
2.については、研究費が尽きたとか、たまたま研究室にいた開発担当の院生が卒業したとか、年度内に成果が出せなかったとか、研究者のモチベーションが下がったとか、さまざまな理由で研究がストップしてしまい、理論や方法論を成果として出す前に終わってしまうことが問題となる。Anchored Instructionを生み出したJasperのようなプロジェクトは、相当な研究費と優れた研究者チームが複数年取り組んだプロジェクトで、あれだけの成果が出せたのである。小額の研究費で、研究室のサブプロジェクト的な規模でやったとしても、後に続くような成果を出すのは難しい。
3.は教育工学者やインストラクショナルデザイナーからよく誤解される点である。テクノロジーの知識があって、教育をわかっていても、アイデアをゲームのメカニズムに落とし込んで、イメージどおりに動作するものを必ずしも開発できるわけではない。教育ゲームといえどゲームなのであって、ゲームとしてのよさを出すためにはそれ相応にゲームデザインについても知識と経験が必要となる。多くの場合、それがないままに開発する状況になってしまうので、苦労の割には成果が出なかったり、途中で疲弊して挫折してしまったりする。
 シリアスゲームのコミュニティは、これまでのエデュテインメントや教育ゲーム研究が乗り越えられなかった上記のような問題点に対応した、研究と実践のコミュニティである。シリアスゲームのコンセプトで、これまで各分野に分散していた研究者や開発者、ユーザーとしての教師、プロジェクトのスポンサーたちが結集し、お互いの知識やリソースを共有して、成果をあげようとしている。今までそれぞれマイナーな存在だった開発会社も研究者も、中心的存在としてモチベーションを高めて活動している。コミュニティを形成することによって、勢力としてプレゼンスが高まり、資金や人材の流れも生まれた。ゲーム開発者が知識を提供するので、教育工学の研究者達もゲームデザインの知識を理解したうえで開発プロジェクトに臨めるようになってきた。欧米においては、こうした流れの中でここ数年のうちに基盤が形成されて、今の盛り上がりに至っている。
 日本のシリアスゲームは、シリアスゲームという言葉自体はここ最近、人の口の端に上るようにはなってきてはいるが、いまだ一つの分野というところまではきておらず、欧米の勢いには程遠い。しかしゲーム業界からの関心は高まっていて、あといくつかのきっかけを作れば、欧米並とはいかずとも、研究やビジネスの領域の一つとして定着するくらいのところまではいけるだろうという手ごたえを、最近感じているところである。