ボストン・パブリック

 先日から、FOXチャンネルのドラマ「ボストン・パブリック」を見始めた。このドラマは、ボストンの公立高校を舞台に、教師たちの目線から学校で起こるさまざまな出来事を題材にして描かれている。
 脚本、プロデュースは、デビッド・E・ケリー。「アリーmy Love」、「シカゴホープ」、「ザ・プラクティス」、「ボストン・リーガル」などの作品で知られている。複数のエピソードが同時展開する密度の濃いストーリーのなかで、日常のジレンマや社会問題を描き出すスタイルはこの作品でも健在。
 突然の学校予算削減、学校で蔓延するドラッグ、身勝手な親たちからのクレーム、はずみで生徒に体罰を与えたことで解雇の危機にさらされる教師、それぞれのエピソードで描かれる難局と、そのなかで悩みながら乗り越えていく教師たちの様子は見ごたえがある。アメリカだなーという部分もあれば、日本の学校でも共通する問題も多いので、教育問題を考える題材として役に立つ。
 英語学習の観点からいえば、自分の関心のある題材で自然なやり取りを数をこなして聞くことができる。「24」や「プリズン・ブレイク」のようなアクションドラマも悪くはないけど、出てくる表現が必ずしも日常表現でないものも多い(「Drop your weapons!」とか)ので、学校関係者であれば学校の文脈で使われる表現が多用される海外ドラマから吸収する方がなおよい。
 ケーブルテレビ(またはCS)のFOXチャンネルを見られる人で、学校教育に関心があって、英語の勉強もしたい人にはおすすめのドラマ。月~金で毎朝8時からと11時からの2回放送中。先週帰国してから見始めたのだけど、もう最終シーズンに入っていて、あと10話ほどで終了なのが残念。

アメリカのTV番組あれこれ

 日本から戻ってきて以来、毎日論文を読んで、研究計画を書き、頼まれ原稿を書き、メシを食い、また原稿を書き、翻訳を進め、とパソコンに向かって書いてばかりの単調な日々が続く。ブログ書きも以前ほどの息抜き手段にはならなくなってきた。ごくたまに遊ぶゲーム(最近はDDR Super Novaと真・三国無双3。でも最近うちのPS2の調子が悪い)と、不在中にTivoで録りためた番組を食事中に見るのがささやかな息抜きのひと時となっている。
 Tivoのおかげ(過去記事参照)で、以前は長期不在の時は泣く泣く見逃していた番組も見れるようになり、録画管理にのための時間もほとんどゼロに近くなった。

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Tivo導入後の視聴行動の変化

 帰国中のテレビ問題をどう解消しようかと思案した結果、録画時間の制約という根本的な問題の解決を求めてTivoを購入した。Tivoとは、いわゆるデジタルビデオレコーダー(DVR)にネット接続された番組予約システムが提供された商品で、アメリカではDVR市場を席巻している、DVR市場のipodのような商品だ。
 他のDVRデッキが普通のビデオデッキのように製品単品売りで、番組表サービスはオマケのようなものだったのに対し、Tivoは、番組予約システムを主として録画機能を補完的な扱いでサービスを構成して展開した。そのため、セールスアプローチは携帯電話のセールスのように、月額いくらのサービスを売って、ハードは販売奨励金で価格を下げて提供する形をとっている。おかげで、DVRデッキ自体は50ドルほどで買えた。最大80時間録画で、裏番組同時録画ができるデュアルチューナー搭載。

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「プリズン・ブレイク」シーズン2終了、他TVネタ

 シーズンの区切りを迎え、各局のTV番組は一区切りしてきた。「プリズン・ブレイク」は先週でシーズン2のファイナルだった。アメリカのTVドラマは、人気が出ると継続されてストーリーがどんどん引き伸ばされていく。プリズン・ブレイクも人気シリーズとなったおかげで話は続き、マイケルとリンカーンの受難は続く。面白いので次のシーズンが始まってしまえばまた見てしまうとは思うけども、この番組はここで区切りをつけた方がすっきりしてよかった気もする。ちなみに、このTVドラマの現象とは対照的に、映画の方は結構な大作風の作品であってもきっちり2時間以内に抑えているものが多い。このプリズン・ブレイクのように同じような作風でじっくりストーリーを描写するTVドラマを見慣れてしまったせいもあって、その手の映画をたまに見るとストーリーの展開が粗雑な感じに見えてしまうことがある。
 「24」もシーズン6が佳境に入ってきた。話のひっくり返し方はいつも意外なところから出てくるのが面白くて、見ている側もだんだんどこがひっくり返りどころかを探しながら身構えて見るようになる。作り手もそれを意識しているようで、この人ももしかしたら悪役かも、とにおわせるような演出をしている。善から悪、悪から善とひっくり返し方も気分がよいものもあれば嫌な気分になるものもある。結局は引き込まれて毎週見てしまう。
 ドナルド・トランプの「ジ・アプレンティス」はあと2回で終了。「アメリカン・アイドル」はまだベスト8なのでもうしばらくやっている。いずれも人気番組として定着していて、そういえば留学してきてTVを見てついていけるようになった頃(留学当初1年くらいは、どんなものでも30分も見れば眠りに落ちていた)からずっと見ている。
 夏の間は、これらの主力番組はお休みで、その間は別のラインアップになる。これから始まるものの中では、「サバイバー」「ジ・アプレンティス」のプロデューサー、マーク・バーネットがスティーブン・スピルバーグと組んだ、映画監督オーディション番組「On the Lot」が一番面白そう。映画監督版のアメリカンアイドルのような趣向で、毎週若い映画監督の卵たちが撮った映像を放送し、視聴者投票で毎週勝ち残っていって、最後に残った一人がドリームワークスとの大きなディールを獲得できるとのこと。
 あとは昨年の夏に放送されて人気の高かった発明家オーディション番組「アメリカン・インベンター」もシーズン2放送に向けたオーディション中、それとカリスマシェフ、ゴードン・ラムジーのシェフオーディション番組「ヘルズ・キッチン」は3シーズン目が開始されるので、これらも楽しみにしている。日本に帰っている間のビデオ録画をどうしようか迷う。

どこにでもある「あるある」問題

 ここしばらく、日本では「あるある大事典」の捏造問題で大騒ぎになっているのをネット上のニュースでよく目にしている。発端となった納豆だけでなくて、味噌汁もあずきも実験データはインチキだったという話で、今までの放送の信憑性そのものが疑われ始めていて、さらには同様の健康情報番組にも疑惑の目が移っているという状況には、情報源の多い日本の皆さんの方が詳しいと思うので説明の必要はないだろう。
 データの捏造については、実験の方法やデータの集め方をいちいちあげつらえば、いくらでも難癖は付けられる。すでに世の空気がバッシングに傾いているため、今までスルーしてきたことがすべて今明るみに出たような風に取り上げられ、「なんてひどい番組だったんだ」という社会的な評価を下される。実験に参加した人たちや、コメントを取られた専門家たちも、ここぞとばかりに「私はずっと怪しいと思っていた」などと言い出す。これは「不二家の期限切れ原料使用問題」でこれまでの問題が掘り起こされて批判的風潮にさらされているのと状況は酷似している。
 いただけないのは、みんな被害者面をして叩けばいいと思っていることだ。視聴者は「だまされた」と口を揃えて言う。視聴者の問題は多分に情報リテラシーの低さの問題に起因している。むしろこのような極端な情報に影響され過ぎる風潮に水が差されて、こういう話を安易に鵜呑みにしてはだめだという社会的な教訓となってよかったと思う。楽してやせようとか、苦労せずに得しようというような、虫のよい話はインチキだったり裏があったりするのが常なのだし、納豆代程度の被害で教訓を得たのだからありがたいと思うべきだろう。
 さらに根が深いのは、被害者面をしているテレビ局や広告代理店、スポンサーなどの提供者の側だ。彼らもただ制作会社を悪者にして言い逃れをし、今後このようなことが再発しないようにと、おそらくは制作会社をさらに締め付ける方向で社会の関心をそらしてやり過ごすことだろう。
 だがここには、テレビ業界のシステム的な問題があり、さらには他の業界や日本社会全体に共通する問題が内在している。図式としては、強者や支配者による被支配者の締め付け的な構図に起因していて、その中ではいかに成功しようと失敗しようと、最終的には誰も報われない構造になっている。テレビの世界では、番組が当たれば視聴率が上がり、その番組からの収益が上がる。収益が上がれば制作側への期待とプレッシャーは高まる。同じレベルの刺激では視聴者に飽きられてしまうので、さらに刺激の強いものが制作側に要求される。期待の上昇に見合った予算やリソースが提供されるわけではなく、要求だけが高まる。無理をして結果を出すのも長続きはせず、結局は今回のような実験データの帳尻あわせに走り、それが慢性的な不正体質化につながる。中途半端にヒットを飛ばしてしまうと、この構造の中でブレイクダウンを起こすまで消耗させられるため、平凡な仕事しかできない場合よりも、最終的には不幸な結果につながるリスクは大きくなる。
 この構図は、テレビ業界だけでなく、どこにでも見られる。高校の必修科目未履修問題も根は同じだ。大学受験で結果を出すことが評価につながり、行政から降りてきた施策への対応も同時に求められ、現場レベルではパンクする。結果として、現場レベルであまり目立たない形で帳尻を合わせようとして安易なソリューションに走る。隣の高校でそんなことをしていると聞いて、ではうちも、という形で次々に伝播する。暗黙の了解とされていたものが、あるタイミングですべて明るみに出て、学校が悪者となり、批判が集中する。
 まっとうで普通に仕事のできる人間も、ずっと締めつけられて無理を強いられ続ければ、創造性は枯渇して仕事のクオリティは下がるし、限界を超えればどうしようもなくなって不正に走りやすくなる。あるいは精神に異常をきたしてしまうか、最悪なケースでは死を選んでしまう。視聴率だけを追い求めて、制作側にキャパシティを超えた負担をかけ続ければ、このような抜け道を考え出して、間に合わせようとする事態は容易に起こる。スポーツ選手も周りの期待が過度すぎて追い詰められればドーピングで切り抜けられるような気がしてくる。売れっ子の作家も仕事をさばききれないままにプレッシャーだけかけ続ければ、ちょっとだけのつもりで盗作に走って泥沼にはまる。学校で安易に民間校長を呼んで教育委員会と教員組合の間で板ばさみの状態で放置すれば、思い余って死を選びたくもなる。
 どんな組織にも、似たような構造はあって、これを変えていかない限り、このあるある大事典のような問題はあちこちでいくらでも起こる。明るみに出たものだけを批判しても状況は改善せず、監視を強化するという安易な対策は、社会的コスト増と現場レベルの生産性を下げることにつながるだけで、よい結果につながることはまずない。
 問題の根源には、作り手のモチベーションが軽視されていることがあるし、個人も組織も、社会全体が何か魔法のようなお手軽なソリューションを求める風潮もある。期待だけしていれば誰かがすごいことをして助けてくれるのではないかという受身な姿勢や、問題があっても見て見ぬ振りをしてやり過ごす姿勢もある。
 そんな状況ではどんな成果を出そうと、誰も報われないし、むしろ下手に成功してしまうと、そんな破綻へのレールに乗ってしまいやすい。そして問題が顕在化してきた時にはもう手遅れとなっている。これは他人事ではなく、誰の身にも起こり得る。だが、残念ながらこの状況は容易には変わらず、個人はその中で生きていくことを余儀なくされる。個人レベルでできることは多くないが、まず大事なのは、少なくとも自身がそのような状況下に身を置いているということを認識し、不正や破綻への道が目の前に広がって来た時に見えるシグナルを見過ごさないようにすることだろう。

アメリカンアイドルシーズン6開始

 「24」に続き、全米視聴率ナンバー1の歌手オーディション番組「アメリカンアイドル」シーズン6も今週から放送開始された。この番組もこれまでのシーズンと同じフォーマットを踏襲している。最初の数週は全米各都市でのオーディションの模様、次の数週を勝ち残った参加者がハリウッドでの2次予選に進み、上位12人での決勝からは毎週一人ずつ脱落していって優勝者がアメリカンアイドルとなる。
 毎シーズン、優勝者と準優勝者はメジャーデビューしてアルバムをリリースしていて、決勝に残ったうちで人気があったもう一人二人もデビューを果たしている。決勝に残った挑戦者の多くはプロとして十分通用する歌唱力を持っているが、この番組の持つ独特のノリと勢いによって下駄をはいている面が多分にある。番組が終われば熱狂に支えられたマジックは消えてしまい、一発屋で終わろうとしている人たちもいれば、人気を保ってそのままアイドルとしての地位を確立しようとしている人たちもいる。シーズン1優勝のケリー・クラークソンやシーズン2準優勝のクレイ・エイケン、シーズン4優勝のキャリー・アンダーウッドはトップアイドル入りを果たしている。Wikipediaを見ると、他の優勝者やメジャーデビューを果たした上位入賞者の何人かは数十万~100万枚のアルバム売上を挙げている。番組のマジックに依存していた人たちはメジャーデビューは果たしたがCDの売れ行きが伸び悩んでいる。そんな人たちはメジャーでシンガーとしてそのまま生き残るのは厳しそうだが、俳優や司会業、地域のアイドルなどの道を模索する人もいる。なかにはつい先日、映画「ドリームガール」でゴールデングローブ助演女優賞を受賞したジェニファー・ハドソンのような大成功例もある。いずれにしてもオーディションのおかげで開かれた、新たなキャリアの歩を踏み出していることには違いない。

 番組のシーズン後半は、そうしたアイドルの卵たちが毎週競って成長していく様子が番組の売りになるが、シーズン当初の数週の番組の売りは彼らではない。自分の実力を省みずに自分が次のアメリカンアイドルになると信じて疑わず、恥ずかしいパフォーマンスを披露してジャッジに酷評されては消えていく人々の滑稽さである。見ていると、アメリカの広さといろんな人が生きていることをしみじみと考えさせられる。
 自分のことを客観視する力がなく、痛い目に遭う機会もなく公共の電波でネタにされてしまう人たちは、気の毒といえば気の毒だ。あきらかに実力がないのに、家族や音楽の先生に励まされて参加してきて、ジャッジに酷評されて激しく傷ついて帰っていく人たちは見るにいたたまれない。
 競争環境での経験がよい学習の機会となる面はある。だが、競争の中で学べるのはそのための準備のできている人たちだけで、それ以外の人たちにはよい経験どころか逆効果でしかない。歌が好きな人でも、こんなところに出てきてひどい目に遭えば、それがトラウマとなって好きな歌が嫌いになってしまう人も結構いることだろう。
 競争のなかでやっていける人と違って、その準備ができていない人は、次の自分の学習課題を把握する力量もなければ、厳しさに耐える耐性もない。そういう人は、そもそも競争に身をさらそうなどと考えずにカルチャースクール的な平和な環境で気楽に楽しみながら学ぶか、上を目指すのであれば競争環境に放り込んでも大丈夫なだけの準備的な学習機会を提供する必要がある。
 アメリカンアイドル自体は教育番組ではないので、そんなことはお構いなしで視聴率が取れれば問題はないし、自己認識と実力にギャップの激しい人ほど観ていて滑稽で視聴者には受ける。なので番組のスタイルに異論があるわけではない。でも教育的な観点で見ていくと、少し違ったアレンジができる。それにそうした低レベルの参加者を切り出す形でもう一つ二つスピンアウト番組の企画ができる。そんなことを考えつつ、無数に出てくる下手くそな人たちの様子を見ていた。

「24」シーズン6開始

 今週から「24」シーズン6の放送が開始された。2時間の放送を二日連続。これでもう今シーズンも目が離せなくなってしまった。
 内容について書くのはやめておくが、基本的なシナリオの型はこれまでのシーズンと同様で、最悪の選択の中で苦渋の選択をして、結局は大きな犠牲を出したり、絶対いなそうなところに裏切り者がいたり、良かれと思ってやったことがものすごく裏目に出たり、テロリストにも事情があったり、不運なご近所家族が災難に遭ったり、テロリストと政治取引をしたり、過去に犯した罪のしっぺ返しを受けたり、こんなことになったら終わりじゃないか、と思ったらまださらに大変な問題があって話が続いたり。基本的にこの作品で確立した型を踏襲している。

 見ていて力が入るので、肩が凝る。展開が速いので、英語で話を追うのが大変だというのもあるし、ずっと緊張感が続くので見ていて気疲れする。見終わった後に変な気の高ぶりが残った感じで、やや身体に悪い気がする。それでも見てしまう。そして見終わって、なんとも言えないやるせなさが残る。人の業の深さというか、仕方無しに犯してしまう罪に結局は足を取られて、みんなが不幸の連鎖に陥って誰も救われない様子を見続けさせられる。安っぽい勧善懲悪ではなく、善の方もろくでもないことをするし、悪の方もいろいろな事情を抱えている。不運が人の関係をすれ違わせることもある。
 パターンが同じで、スケールが大きくなるにつれて時間感覚がおおざっぱになってきているところはあったとしても、この手のドラマの中では群を抜いて質が高い作品であることは間違いない。前のシーズンでハマった人は、また今シーズンも楽しめるのも間違いないだろう。

The Apprentice LA

 一月も二週目に入り、テレビ番組も通常の編成に戻ってきた。ゴールデンタイムのドラマ番組は、みんなシーズン途中でクリスマス前に一休みしていたのが、徐々に再開している。Friday Night Lights、Boston Legalは今週から始まり、Prison Break、Heroesなどももうすぐ再開する。「24」シーズン6は来週から始まり、アメリカンアイドルも新シーズンの放送が始まる。
 ドナルドトランプの弟子の座を争うリアリティショー「アプレンティス」もLAに舞台を移してのシーズン6放送開始となった。「You’re Fired」が流行語となるくらいに話題となったこの番組も、マンネリ化して新鮮味を失ってきていた。Wikipediaには視聴率の変遷が出ていて、回を追うごとの人気低下がはっきり現れているが、英国をはじめ、世界各国で同じフォーマットの番組が制作されていたりして、影響力は大きいといえる。前にも書いたように、この番組はトランプ自身とスポンサーの大手企業のインフォマーシャル的要素が強いので、営業面の強みが番組の継続につながっている面は大きいことが想像できる。この後のシーズン7もすでに制作が決まっているとのことだ。
 今シーズンは、視聴率回復のために、いくつかのルールを変えて演出のフォーカスを変えることで、刺激を加味している。ロケ地をLAに移したことはまず一つ大きな変更点。それから勝者と敗者の待遇格差を拡大したこと。勝者は豪華マンションに滞在できるが、敗者は庭のテント暮らし。勝った方のプロジェクトマネージャーは翌週もプロジェクトマネージャーを続けることができ、敗者を決めるボードルームでトランプに助言を送ることができる。
 一週目の放送は、これらの変更点がうまく機能して目新しさを出していた。それに加えて、今シーズンから、これまで準レギュラーだったドナルドトランプの娘、イヴァンカがアドバイザーとしてレギュラー出演するようになった。彼女のキャラクターが番組の面白さをかなり盛り上げているところがあって、この辺りは演出の作戦が成功しているように見える。彼女が「トランプの娘」というポジションに期待されるところをよく理解しているのかそれとも素なのか、トランプや前任のキャロリン(先シーズン終了後、彼女自身トランプにクビにされて、今度はビルゲイツのリアリティーショーで雇われたそうだ)以上に激烈なコメントを加えて、いい味を出している。
 毎シーズン、挑戦者は多彩な顔ぶれである。弁護士、ネットベンチャーや不動産会社の経営者、コンサルタントなど、こんなところに出てこなくても十分成功しそうな人たちや、明らか自分のキャリアの歩を誤っていて、トランプの会社にはどう見ても合わなそうな人や、ここでみっともない負けっぷりをさらして、その後のキャリアは大丈夫なのかと心配してしまうような人たちが、毎度毎度懲りずによく出てくるものだと思う。挑戦者の素人さんたちの豊かなキャラクターも、この番組が続いている成功の要因の一つになっている。

Iron Chef America

 以前書いたことがあるかもしれないが、USA版「料理の鉄人」、「Iron Chef America」がケーブル局のフードネットワークで放送されている。少し前まで、フジテレビでやっていたオリジナル版料理の鉄人を買い付けて放送していたが、昨年から同じフォーマットを使って制作したものを放送するようになった。
 この番組、オリジナル版を忠実に完コピしている。おそらくフォーマットを買う時にそういう契約をしているのだと思うが、フォーマットは全くそのままに、演出もオリジナルを尊重したつくりになっている。あと以前にいじりすぎてファンの不評を買って失敗した局があるそうで、その反省もあって現在のスタイルになっているようだ(番組周辺の詳しい情報はWikipediaを参照)。
 オリジナル版のテイストを方向付けていた美食アカデミー主宰の鹿賀丈史の代わりは、主宰の甥という設定で若いアクション俳優がつとめている。最初はアクションが空回りして浮いてる感じで違和感があったが、慣れてくるとそれほど気にならなくなってきた。番組自体も、初期はオリジナルを再現するのに躍起になっていた感じだったのが、今は制作側も回数を重ねてやり方を自分のものにしたようで、USA版独自の味が出てきている。
 こうしてUSA版を見ていると、オリジナル版の完成度の高さをあらためて感じる。同じ型で別の人がものを作ると、その型のよさの部分と、作り手のよさの部分の輪郭が見えてくる。この辺りをじっくり見ていくことは、何かものを作る技術を向上させたり、パフォーマンスする技を磨いたりする上で重要な知見を与えてくれると思う。

日本のテレビもおもしろい

 東京での暮らしもようやく落ち着いてきた。生活用品が揃っていなかったり、机といすの高さがあってなかったり、サブのスペックの低いノートパソコンを使っていたりと、自宅の仕事場ほどには快適ではないのだが、だいたい同じようなペースで仕事ができるようになってきた。今回の滞在は、あちこち出回ることは極力避けて、今目の前にある仕事を進めることに集中している。
 飯を食べながらテレビを見ていて、けっこうおもしろくて、つい長いこと見てしまっている。アメリカでテレビを見るときは、慣れたとはいえ外国語なので、ある部分はがんばって集中してみないと理解できない。それが日本語になるとそのがんばっていた分の負荷がなくなり、自然と頭に入ってくる感じが新鮮でよい。そんなこともあって、テレビを見る時間は結構多い。
 テレビを見ていて思うのは、アメリカのテレビと日本のテレビは、どちらが劣っているというのではなく、単にそれぞれの制約のもとで異なる発達の仕方をしていて強みや弱みが異なる、ということだ。日本のテレビ番組は、特にドキュメンタリー系と情報系のつくりが面白い。番組の表現手法やコンテンツの掘り下げ方は、アメリカのテレビ番組では発達していないノウハウがある。
 昼の情報番組は、辛口の司会や人のよさげなタレントや文化人がぞろぞろといて、健康やグルメ、軽めの社会問題をひとしきりやって、というのをちょっとフォーカスを変えて、同じような感じのを各局でいくつもやっている。フォーマットが画一的で、このタイプの番組ばかり見ているとすぐに飽きてくるが、構成そのものはよくできていると思う。単体ではパワー不足でしゃべりももう一つなタレントでも、多数使うことで、なんとなくにぎやかな感じにして間を持たせている。創造性に欠けるところはややあるものの、制作側も出ている人たちも、毎日毎日よくやっているなあと感服するものがある。
 ドキュメンタリー系は、プロジェクトXやガイアの夜明け辺りから派生したような、見ていると元気になる感じの、普通の人ががんばる様子にスポットをあてたものがずいぶん出てきた感じがする。ディスカバリーチャンネルやヒストリーチャンネルの趣向とはまた違ったものがある。話の掘り下げ方や、展開のさせ方はうまく、30分や45分で見ごたえ感のあるものにするノウハウは相当なものだと思う。
 ドラマも、「24」や「ザ・ホワイトハウス」のような作りこんだ複雑なドラマはないにしても、大河ドラマの「功名が辻」や、マンガ原作の「のだめ」などは違ったよさがあって、毎週その時間が楽しみになってくる。日本のドラマも捨てたものではないと思う。
 最近、テレビのメディアとしての力の低下が問題視されているようだが、それでもテレビの持つメディアとしての力は相当なものがあると思う。これだけの量を日々制作し続けるノウハウと体力というのはものすごいし、この点はネット業界はまだ足元にも及んでいない。テレビ、雑誌、新聞など、日々発行し続けることを求められるメディアは、質を保ちながらその数をこなすことを求められる中でそのノウハウを培ってきた面があると思う。そこには業界特有の過酷さや歪みもあると思うが、数をこなしながら継続する、というのは何事においてもその基盤を作るための基本となる営みなのだろう。数をこなせるキャパシティがなければ普及もしないし継続もできないのであって、新しいメディアでも企業でも、そういう課題を乗り越えていかないと続いていかない。そういう点において、テレビのような確立された既存メディアの業界から学ぶことは多いと思う。