DDRとWiiでエクサゲーミング

 普段は大学のプールに通って泳ぐのを日々の運動の中心にしているが、冬休みの間は休業中なので泳げない。たまに外を歩いてくることもあるが、それほど運動量は高くないし、天気が悪いと行えない。そういう時には身体を動かす系のゲームが重宝する。
 昨年の冬はEyetoy: Kineticが威力を発揮したが、最近はすっかり飽きてしまって、たまに筋トレのガイド(インストラクターが指示を出してくれるのに合わせてやると、良いペーシングになる。でもこれではフィットネスDVDとなんら変わらない)として使うだけになってしまった。
 この冬は我が家にもWiiスポーツが新たに投入され、結構良い運動機会を提供してくれている。ボーリングやゴルフは大して運動にならないが、ボクシングはちゃんと振らないと勝てないので懸命に振り回しているうちに汗だくになり、結構な運動量になる。運動不足がたたり、今話題のWii痛も経験した。
 ただ、これは上半身の運動にはなるものの、下半身はほとんど使わない。なので下半身の運動用にと、使わなくなっていたDDRを再登場させることにした。
 部屋で一人でDDRをやっているのもやや微妙な気もするが、まあぶら下がり健康器でもゆりっこでもなんでも、家庭用フィットネス器具を一人で使っている姿はどれも微妙だし、別に人様に見せるものでもない。フィットネスクラブで他の人と一緒にエアロビをやる煩わしさと比べれば、私は個人的にこちらの方がまだましである。自分のペースでやれて、運動量という結果が伴いさえすれば、他者との交流をここには求めていない。このあたりのゲームでエクササイズすることにまつわる個人的な葛藤は、まだエクサゲームのマイナーさを物語っているところで、これもいったん普及してしまえば気にならなくなるのだろう。
 さて、DDRを久々に使ってみるといろいろと良いところを再認識した。「ワークアウトモード」というのがあって、エクササイズ用に利用するために、体重や運動量の履歴が残せるようになっている。最初に使ったのは2年以上前で、当時からの体重やその後の利用動向の変遷を見ることができた。体重の増え具合に愕然とさせられた。
 すでにDDRもそこそここなしていたこともあって、ハードレベルでもだいたいすべて制覇した気がして、もう飽きてきたのでそろそろ違うバージョンでも買ってこようかなと思い始めていた。ふとワークアウトモードのステップ調整をオンになっているのに気づいて、オフにしてみた。するとそれまでのハードレベルは何だったのかというくらいに難度が上がり、スタンダードレベルでもついていけなくなった。
 ステップ調整とは、有酸素運動に適するように半拍以下のステップを出さないようにするオプション機能だった。そのためにハードレベルでも格段に易しくなっていた。それに気づかずにもうすっかり極めたような気分になっていたのだった。言ってみれば、補助輪をつけて自転車を乗り回して、自転車の世界を知り尽くしたような顔をしている子どもみたいなものだ。補助輪を外されて、転びまくって自転車の難しさを再認識したのと同じように、DDRの難しさを思い知らされた。
 それと同時に、You Tubeとかネット上で出回っているような超絶ハイテクなDDRプレイができるプレイヤーたちは、ハードレベルでもこれくらいしか激しくないのに、どうやってあそこまでたどり着けるんだろう、とラーニングカーブのイメージが湧かずに今まで不思議に思っていた。
 ところが、いったんステップ調整を外してしまえば、ものすごく難度の高いところまで細かくレベル調整ができることがわかった。これを繰り返しやっていけばスキル的にはそのレベルまでいけるというのがわかった。あと、彼らはゲーセンでプレイしているので、他のプレイヤーの動きがモデルとなって速習できるという面もある。ゲームが提供するスキル独習の支援と、社会的な学習の効果で非常に高度なレベルまで達することができるということがある程度イメージできた。ただ、自分にはそこまでの根性はないので自分ではそこまで試せない。
 ぐうたらになりがちな年末年始も、WiiとDDRのおかげで毎日1時間ほど運動できた。運動すると食欲が出てつい食べてしまうせいで、体重はあまり変動がないものの、これらが無ければ増加の一途をたどっていたことだろう。
 ここまで使えるのだから、EyeToy:Kineticのようなコンセプトで、もっと本格的にエクササイズを意識してきっちり作られたゲームが出てきてほしい。フィットネスビデオの市場はすぐに取り込むことが出来るし、ゲーマー層にもアピールできると思う。Wiiがかなりユーザーの行動を変化させているので、受け入れられやすさは高まっていると思う。あとは誰が本気を出して作るか、というところだろう。

Wii あれこれ

 Wiiをプレイしての反応をいろんなところで目にするようになった。「Wiiスポーツのボクシングをクリスマス休暇中やっていたら2キロやせた」とか「うちの子はWiiで遊んで疲れて夜はよく寝てくれる」のような、コメントを見かける。YouTubeには、家族でWiiを楽しむ様子のビデオが山のようにアップされている。
Wiiで遊ぶ人々
お母さん編
お父さん編
 Wiiを開発した人々へのインタビューが任天堂のWii公式ウェブサイトに出ていて、英語版ウェブサイトにもその英語訳が出ている。日英読み比べたりすると、英語ではこう言うのか、というのがあったりして、英語の勉強にもなるでしょう。
Iwata asks
http://wii.nintendo.com/iwataasks.jsp
社長が訊くWiiプロジェクト
http://www.nintendo.co.jp/wii/topics/interview/vol1/index.html
最後に、Appleの「マックとPC」TVコマーシャルのパロディで「PS3 vs Wii」というビデオが出ているのでおまけ。G4TVというゲーム情報ケーブル局の番組で作られたらしい。YouTubeにはコピーが大量に出回る人気コンテンツになっている。
職場や家族で見るにはやや不適切なので見る時はお気をつけください。
PS3 vs Wii
http://www.youtube.com/watch?v=ysRpcn6s4mQ

Wii Sportsバンドルの理由

 US版のWiiには、Wiiスポーツがバンドルされていて、250ドルの本体を買えばすぐに遊ぶことができる。日本では売っているものをUS版ではなぜオマケにつけているのか、広告を見ている時点ではピンとこなかった。だが先日、友だちのうちに遊びに行ってXavix(ザビックス)をプレイしてみて合点がいった。
 Xavixは、任天堂からスピンアウトした技術者たちが立ち上げた、新世代という滋賀県にある会社が出しているエクササイズゲーム機だ。Xavixポートというコンソール機用にテニス、野球、ボーリング、ボクシング、ゴルフのスポーツゲームと、エクササイズ用のエアロステップなどが発売されている。スポーツゲームはそれぞれのスポーツに使うボールやラケットなど形をした専用コントローラーで身体を使って操作する。
 このスポーツゲームのラインナップを見てわかるように、Wiiスポーツに入っているものと同じである。専用コントローラーを使っていて、ゲームも作りこんでいる分、Xavixの方が遊べる要素の多いところはあるが、ゲームプレイの感覚はほとんどWiiで十分に代替できてしまう。操作性のよさの点ではWiiの方が勝っている。一本で同じように遊べてしまうのだったらわざわざこっちを買う必要ないね、Wiiだったら他のゲームもいろいろ遊べるし、という感じになる。
 Xavixポートは日本ではさほど盛り上がっていない感じで、コンシューマ市場にはなかなか食い込めていない様子である。この会社の製品は、Xavixよりもテレビに直接つないでプレイする子ども向けゲーム専用機の方が普及している。アメリカでも日本よりは少しはましという程度だろう。うちの近所のベストバイなどの家電店では取り扱いをやめていたりして、それほどパッとしていない。だが、アメリカは市場が大きく、ヘルスケアの問題も深刻なので、エクササイズ関連のゲームは大きく化ける可能性がある。
 Wiiスポーツはアメリカでも売れば普通に売れると思うのだが、あえてバンドルしたところにはこの辺りの事情があるのだろうと推測できる。家庭用体感型ゲームの最も大きい市場はWiiできっちりおさえに入るという、任天堂の意思表明である。これでXavixは現在のWiiとバッティングする商品ラインナップでは厳しくなったというか、すでに勝ち目は無くなった。このままのやり方では立ち行かず、経営戦略を大幅に見直さないと会社自体が危機に陥るだろう。
 立ち上がりは順調だったように見えても、ひとたび業界の巨人が体力と技術力にものを言わせて本気を出してかかると、あっという間に吹き飛ばされてしまうという現実を示す例となりそうである。ベンチャー企業が軌道に乗って、対象とする市場がニッチでなくなる段階や、主要な市場で勝負をしようとする段階になると、経営リスクのレベルが格段にあがる。直接対峙する相手のプレイヤーががらりと変わるのだ。ここで一歩退いて別の市場を開拓することで直接ぶつかるのを避けるか、消耗戦になってもその市場にとどまって勝ち残るまでやっていくか、あるいは他の全く異なる戦略をとるか、新世代にはそんな選択が迫られていると思われる。
 いかに人々に楽しさや幸せを与える商品であっても、ビジネスはビジネスであり、組織として存続しなければどんな価値も提供できない。夢や理想を追いたければ、企業体として常に沈着な経営判断をしていく必要がある。Wiiスポーツのような楽しいゲームも、そうしたビジネスの厳しさのなかで生み出され、提供されているということなのだろう。

Wii 初日の様子

 Wiiを入手して、さっそく人々とゲームの関係の変化を目の当たりにしている。
 箱を開けてセッティングしてみると、ゲーム開始までほとんど混乱する要素が無く、シンプルなインターフェイスでネット接続もすぐにできた。リモコンの感触がよく、魚が釣れた時のようなリアクションが妙に心地よい。同じバイブ機能でもPS2のコントローラーの震えとはだいぶ違う感触だ。
 買って来た日の夜にはさっそく30代男が3人で酒を飲みながらWiiスポーツに興じた。タイプ的には私はカジュアルゲーマー、あとの二人はゲーム引退組である。「うぉっ」とか「うはっ」とか叫びながらすっかりハマっている。そのうちMiiで自分の似顔絵キャラクターを作れることに気づいて没頭し始める。あーでもないこーでもないと、お互いの顔を凝視しながら各々のキャラクターを作り合った。そしてゲームを再開してしばらく遊んでいた。テニス、野球、ボーリング、ボクシング、ゴルフとも、すぐ楽しめる上に、ほどよく難しいところがよい。トレーニングモードではまた違ったゲーム体験ができる。リビングに設置して自由にプレイできるようにしたら、ルームメイトはボクシングをやり過ぎて「筋肉痛が痛い」とぼやいていた。
 うちでの出来事もそうだが、You TubeでWiiを検索すると、ばあちゃんと孫が遊んでいるところや、奇声を発しながらリモコンを振り回すおねえさんなどたくさん出てきて、みんなWiiでいかに盛り上がっているかを伝えたくなっているようだ。まさにWiiが狙いとするところのゲームをしない人やゲームを引退した人々が手にとって遊んで、その輪が広がっていっている。店に買いに来た人たちも、少し前は子どもに買い与える風な顔をした親ばかりだったが、クリスマス明けの時には親たちもすっかり一緒に遊ぶ気で買いに来ている様子だった。DSの売れ方もすごいが、Wiiは立ち上がりから全く人々の動きが違っていて、すでにDSよりもはるかにすごいことになっている。これからゲームのラインナップが増えていって、1年後ぐらいに人々のゲームに関わる行動がどう変わっているのかがとても楽しみだ。

ギターヒーロー2の学習支援機能

 Guitar Hero II が11月上旬に発売された。前作Guitar Heroの発売時はものすごい売れ行きで、しばらくは在庫無しの状態で推移していたが、今回は豊富に流通しており、店側もギターコントローラーのでかい箱を置くためのスペースをわざわざ用意しているおかげで、クリスマス商戦の販売機会損失は免れているようだ。
 私も日本から戻ってきてさっそく入手して、暇をみつけては遊んでいる。続編の宿命で、初めてプレイした時の強烈なインパクトはないものの、プレイ感覚の良さは前作と同じで、さらにいろんな曲を楽しめるところがよい。今回もMegadeth、Rush、Heart、Motley Crue、Gun’s N’ Roses、Danzig、Avenged Sevenfoldなど、かなり濃いところが選曲されている。個人的には前作よりも馴染みのない曲が多いなと思ったりしたが、ボーナス曲でVoivodが入っていたりするところに心奪われた。こんな選曲では日本で受けないと思うが、これで十分にマーケットにアピールして、売上ランキング上位に入るというところがさすがアメリカである。床屋でVan HalenどころかOzzyまでかかっている国だけのことはある。デトロイトタイガースの若いピッチャーが右腕の炎症で故障扱いになっていたのが、よくよく調べてみると単にこのゲームをやり過ぎただけだったという話も出ていたりする。FMラジオを聞いていても話題にのぼっていたりするし、このゲームの収録曲はよく耳にする。
 前作から新たに追加された機能に「プラクティス」モードがある。このプラクティスモードはすごい。プレイしていてクリアできない曲が出たときなどに、このモードを利用すれば、自分の苦手なパートだけを選んで、スピードを落として反復練習できる。次々とクリアして、だんだんレベルが上がってくると、ある段階でどうしても弾きこなせないパートのある曲が出てくる。そういうときにこのプラクティスモードは真価を発揮する。前作では曲の始めから最後までプレイする必要があったが、今作はギターソロならギターソロ、コーラスパートが苦手ならコーラスパートだけを選んで集中特訓できる。できないことをできるようになるには根気が要るが、このモードはその負担を軽減して、上達するのを支援してくれる、優れたパフォーマンスサポートシステムになっている。また、前作から新たに追加された要素として、結果表示の際に、パートごとの達成率がフィードバックされるようになった。これを見ると、自分がどのパートができていないかも数字で把握できるので、プラクティスモードと合わせて参照するとさらに学習効率が良くなる。
 この機能を使って反復練習をしていると、自分ひとりではできないレベルまで練習に没頭できる。それを続けていると、少しメタな認識として、広く物事の上達の仕方への認識が変わってくる。今まで挫折していたいろんなこともこんな感じで捉えれば、もう少し上達できるんじゃないかという気になってくる。何か一つのことに打ち込んでやることの効能には、こうした物事への取り組み方のメタな認識が高まることにあると思う。このギターヒーローはそうした一つのものに打ち込む支援をしてくれ、結果として密かにプレイヤーの学習そのものへの認識に作用している面があるように思う。
 技能獲得のためのいわゆるEPSS、エレクトリック・パフォーマンス・サポート・システムの優れたモデルの一つとしても参考になるので、音楽好きで学習支援テクノロジーに関心のある人にはぜひ試してもらいたいゲームである(ギターヒーローはUS版のみしか出てないのだけど、日本ではコナミの「GuitarFreaks V2 & DrumMania V2」にもプラクティスモードが追加されているそうなので、おそらくだいたいのところはイメージできるはず)。

Jasagレポート

 怠けていてお知らせが遅くなりましたが、先日の立命館大学での日本シミュレーション&ゲーミング学会記念シンポジウムでの模様がメディアで紹介されています。ついでに発表資料も公開していますのであわせてご覧ください。
日本シミュレーション&ゲーミング学会シンポジウム(資料とレポート)
https://anotherway.jp/seriousgamesjapan/archives/000795.html

Jasagとシリアスゲームの違い

 日本シミュレーション&ゲーミング学会の最終日のセッションに参加してきた。理論研究あり、デモあり、その中で参加者の人々の熱心さやこの分野へのこだわり、さまざまなものを見てきた。
 この学会のよいところは、実践志向が強く、研究発表であっても参加型のデモがあって実際に試せるセッションが用意されていることだ。メリハリがあって終日参加していても疲れを感じずに楽しめた。東工大の出口先生の研究グループの発表は、開発したシミュレーションツールについてだったが、実際にその場で来場者のPCをLANで同時接続してのゲーム大会となった。まだこの学会コミュニティの全体が見えてないので違っているかもしれないが、こういう作業を厭わずにデモをやってのけるフットワークのよさは、この学会のカルチャーなのかなという気がした。
 セッションに参加しながら、この学会とシリアスゲームのこれほどの接点の無さ加減の理由は一体どこにあるのかを考えていた。シミュレーション・ゲーミングを教育に利用するという関心は共通だし、コンピュータを使った取り組みもこの学会でも行なわれている。なのになぜここまで接点がなかったのか。まだ完全な答えではないが、一番大きいのは、関心の向いている方向や開発するゲームの前提にかなり明確な違いがあって、そこに起因している気がしている。
 一つには、このJasagコミュニティの「自分たちで作り、実践することへのこだわり」がある気がする。Jasagコミュニティは手作り志向が強く、各科目や分野の教師や専門家が自らの手でゲームを作り、それを現場で実践することにその熱意が向けられている。シリアスゲームコミュニティには、そうした手作り志向は弱く、各分野の教師や専門家はエンタテインメントゲーム開発者のプロの力を借り、そのゲームに意味を見出すスポンサーからの資金提供を受けたりして開発を行なう。汎用性の高いゲームを開発して、普及させるための体制を作るか、という関心が強い。ある発表者の「開発したゲームのデジタル化も考えたが、手に負えないので進んでない」というコメントがこの点を端的に示していて、自分で手に負えない部分をどう扱うか、という点にJasagとシリアスゲームの志向の違いが一つ明確があるように思われた。
 また、このJasagコミュニティのシミュレーションやゲームは、インストラクター・ファシリテーター主導型で利用されるものが中心で、シリアスゲームにおいては教室で利用するタイプのゲームもあるが、コンシューマが個別にプレイすることを想定したゲームの方が割合としては多い。
 この点を端的に言えば、シリアスゲームとJasagの違いは、フルグラフィックなエンターテインメントゲームのプレイヤーと、テーブルトークRPGやボードゲーム、あるいはMUDのようなテキストベースのゲームのプレイヤーの違いに近い。シリアスゲームはエンターテインメントゲームで発達した技術をどう利用するかに関心があり、JasagはテーブルトークゲームやMUDの良さにこだわり、ワイワイとテーブルを囲むのが好きで、そのゲームのロジックを自分で作ることを志向している。ゲームの性質に違いがあるのであって、両者の関心が片方に集約されるということはない。
 それと、Jasag会長の市川先生の講演を聞いていて、このJasagのエンターテインメントゲームとの距離は、「ゲームがシリアスでないもの」だという社会的な認識と闘うことを余儀なくされた反作用として生じている面があるという印象を持った。昔のエンターテインメントゲームは、シリアスなものと呼ぶには厳しい単純なものが多かったわけで、そういうものを教育に利用しようというのはあまり意味のある話にはならなかった。そういうエンターテインメントゲームもJasagのゲームも、同じゲームという言葉を使っているので、いかにゲームのシリアスさを主張しても社会的には誤解される面が大きかった。なのでゲーミングという言葉に変えて区別しようとしてみたりとか、さまざまな苦闘をするなかで、エンターテインメントゲームとの距離が広がり続けたのだろうと思われる。しかし、エンターテインメントゲームも最近になって状況が変わり、ゲームの持つ複雑さや、その複雑なシステムにプレイヤーを取り込んでいくノウハウへの関心がシリアスゲームの動きにつながった。ここに両者の歴史的な経緯の違いがある。
 これまでのこのJasagコミュニティが蓄積しているゲーム作りや教育実践のノウハウは相当なものである。特に教育実践についてはシリアスゲームの分野では未発達なところが多く、このコミュニティから学ばない手はない。一方で、シリアスゲームの開発プロジェクトの組み方や普及させ方については、Jasagコミュニティが参考にできるところが大いにあると思う。
 参加してとても楽しかったし、今まで疑問に思っていた点が、実際に参加してみたおかげでかなり解消できてすっきりした。多くの熱心な人々と知り合うことができたことも収穫だった。

ギターヒーロー2がまもなくリリース

 米国で大人気の音ゲー「ギターヒーロー」の続編、「ギターヒーロー2」のリリースが11月7日に決まったそうだ。つい釣られてアマゾンで予約購入してしまった。わざわざ予約したり並んだりしてゲーム買うかよ、とか普段は思っているのに、このゲームだけは別格。私がこのゲームをどんなに愛しているかは、以前にも少し書いたが、前作にはとにかくハマった。このゲームに関しては、実際のギターのテクニックが身につくかどうかなどという野暮なことは言わない。このゲーム自体が、音楽を楽しむツールとして完結しているからだ。もうこの歳になると何かの発売前にわくわくするようなこともすっかり無くなってしまったが、この発売のニュースには久々にわくわくさせられている。
 先日、文献を漁りに図書館に行って帰ろうとしたところ、ふと雑誌のコーナーにゲーム雑誌があるのを見つけて、表紙がギターヒーローだったので手にとって見てみた。するとギターヒーロー続編の特集で、今回のリリースの話が詳しく書いてあった。このゲームは、人気のハードロックナンバーを弾けるのが大きな売りとなっていて、収録曲リストを見たら、今度はさらにパワーアップしている。ファンの心をよくわかっている。FMラジオのロックステーションを聴いていても、今度のギターヒーローにはこの曲絶対入れろとかいう話をしてたりするくらい、みんな楽しみにしている。そんなファンの期待を裏切らないレベルの選曲になっている。
 前作の一番の課題だったのは、中級から上級に移行する時のラーニングカーブが高すぎるということだったが、今回は練習モードが追加されていて、一番苦手なところだけを集中練習できるようになっているそうだ。なにせ前作ではオジーオズボーンの「バーク・アット・ザ・ムーン」で、ハードレベルになるとソロが超人的に難しすぎてクリアできなかった。この悩みを解消する機能が追加されたということで、どこまで上達に貢献できるかを試してみたい。これがうまく行っていたら、パフォーマンスサポートとしては相当高度なものになるはずだ。
 このゲームは、ギターコントローラーを二台つなげて、友達を集めてワイワイやりながら楽しめるので、若い学部生たちにはすこぶる人気なゲームだ。だが私のような大学院生で、しかも教育系の専攻だと、周りに一緒に楽しんで遊んでくれる人はほとんどいないのが寂しい。かといって、学部生たちに交じって遊べるかというとそれもやや違和感がある。でも、独りで遊んでいても十分に楽しいので、自分の部屋でこっそり遊ぶ分には問題ない。冬休みの間、論文書きで疲れた時の気分転換には最適だ。でも遊びすぎて手を痛めないように気をつけないと。

Don’t bother me, son

 「デジタルゲームベースド・ラーニング」の著者、マーク・プレンスキー氏の新刊「Don’t Bother me, mom – I’m learning (ママ、勉強してるんだからジャマしないでよ)」の翻訳作業を日々進めている。翻訳というのは日々坦々と続けていくことが求められる。少しサボると、夏休みの絵日記や英単語の暗記ノルマのように、ノルマばかりが日々膨れ上がって、そのうち非現実的な計画になってしまって、果ては挫折の道をたどる。今はそうならないように、継続は力なりを念頭に、日々坦々と続けている。自分が好きで選んだ本なので、作業が楽しいのが救いである。
 この本は、ゲームに対して否定的な論調が強い中で、実はゲームで遊ぶ子どもたちは、将来をよりよく生きていくために必要なことを学んでいるんだ、ということを書いた本である。来年春の刊行を目指して準備を進めている。
 子どもの頃にゲームで遊んだ人は、親からゲームを取り上げられたり、小言を言われたりという経験をほとんどの人が持っているだろう。私も、小学生高学年の頃は学校から走って帰って、食事もそこそこにドラクエを夜中までやったり、中学になってパソコンを買ってもらったら、ウィザードリィやブラックオニキスのようなRPGを暇さえあればやっていたし、信長の野望や三国志ももちろんハマった。うちは比較的うるさく言われない方だったので、そんなにゲームやりすぎで叱られた記憶はないけれど、それでも度が過ぎれば注意された。きっと当時ガミガミ言われていたら、今やっているような研究にもたどり着けなかったことだろうと思うので、子どもには大人の理屈で頭ごなしにガミガミ言わないことが大事なのだなと思う。
 先日実家に帰った時、オカンが自分のパソコンに向かって、ソリティアで遊んでいた。もうソリティアはやり飽きたとかで、スパイダーソリティアだかなんだか、私の弟がインストールしてくれたソリティアの派生版のゲームをやっていた。他にも学習ゲームで、都道府県をピースとして日本地図を完成させていくパズルゲームとか、簡単に遊べるゲームをいくつか楽しんでいるという話を聞いた。オカンのソリティアの腕前はかなり上級レベルで、私はとても太刀打ちできない。勝率はかなりのものだった。最近テレビやゲームや書籍など、いろんな形で広まっている「脳トレ」ブームの影響で、中高年層もゲームに親しむようになってきていることを身近な例で感じた次第である。
 うちの母も数年前に全国的に展開されたIT講習事業のおかげもあって、ワープロやメールやネットサーフィンのような簡単なことはできるようになっている。以前から、ネットをもっと活用して何か面白いことをやってみたいと言っているが、たまにしか帰らないので、あまり力にもなってやれていない。年賀状ソフトのデータのメンテのような簡単なことはやるものの、ブログを始めるとか、そういう教えるのに根気がいることは、残念ながら手がついていない。
 そんな状況なのだが、何かネットで新しいことを覚えたいと言っているわりには、いつもソリティアばかりやっているので、ふと「ソリティアやってる時間の何割かでも使って、少しずつネットサーフィンでもしたら?」と言ってみた。するとオカンは「この時間は私の頭の中を整理する時間なのよ。」と言っている。人それぞれ、ジョギングや水泳や編み物や料理などの単純作業をしながら考えを整理する方法は様々だが、うちのオカンにとっては、ソリティアを無心でやる時間が、ある種のリラクゼーションとして機能しているのである。「ママ、勉強してるんだからジャマしないでよ」ならぬ、「息子よ、ジャマしないでおくれ。遊んでるんじゃないんだから。」といった状況である。
 先日、「ゲームの処方箋」プロジェクトを行なっている早稲田大学の河合先生と研究室の皆さん、それにナムコの方々にお会いして話を聞いてきた。ゲームの効能を明らかにする研究をいくつか進めておられて、少し前にシンポジウムの場で中間報告を行なっている。その中で、ゲームをプレイすることによる心理的効果を活かして、サプリメント的にゲームを利用するための研究についての話を詳しく伺った。
 ゲームのタイプやプレイヤーの嗜好によってストレス値や情動反応などに違いがあって、その傾向を上手く利用すれば、短時間のゲームプレイによって「ストレス解消」「疲労回復」「気分晴れ晴れ」「頭スッキリ」といった効能が得られるということがわかった。そしてさらにそのようなゲームの作用や副作用を詳しく研究して、将来は「ゲームの処方箋」を出して、薬のようにゲームを使えるくらいまで、ゲームの効能を詳しく知ろうということだそうだ。
 うちのオカンにとってのソリティアもそういうゲームの効能の一つと言えそうで、本人もそれをある種自覚して使っていた。ゲームをボーっとやっているからと言って、一概に時間を無駄にしているわけではないのである。電車の中でケータイゲームやDSで遊んでる人たちにも、何かそんな効果もあったりするわけなので、頭ごなしに否定するのはよくない。子どもでも大人でも、ゲームばかりやっているのを惰性で叱りつけるんでなくて、ゲームを上手く活かしながらコミュニケーションを深める方向で考える方が望ましい。だんだんとそういう世の中に向かいつつある。

東大BEATセミナーレポート

 シリアスゲームジャパンWebでもお知らせしてますが、去る8月5日に開催された東京大学BEATセミナー「ゲーム・ルネッサンス:いつか来た道、これからの道」のレポートが公開されていますのでこちらでもご紹介します。
http://www.beatiii.jp/seminar/023.html
 当日の会場で行なわれた、スピーカーによる講演の概要と、参加者とのディスカッションの様子が紹介されています。