Don’t bother me, son

 「デジタルゲームベースド・ラーニング」の著者、マーク・プレンスキー氏の新刊「Don’t Bother me, mom – I’m learning (ママ、勉強してるんだからジャマしないでよ)」の翻訳作業を日々進めている。翻訳というのは日々坦々と続けていくことが求められる。少しサボると、夏休みの絵日記や英単語の暗記ノルマのように、ノルマばかりが日々膨れ上がって、そのうち非現実的な計画になってしまって、果ては挫折の道をたどる。今はそうならないように、継続は力なりを念頭に、日々坦々と続けている。自分が好きで選んだ本なので、作業が楽しいのが救いである。
 この本は、ゲームに対して否定的な論調が強い中で、実はゲームで遊ぶ子どもたちは、将来をよりよく生きていくために必要なことを学んでいるんだ、ということを書いた本である。来年春の刊行を目指して準備を進めている。
 子どもの頃にゲームで遊んだ人は、親からゲームを取り上げられたり、小言を言われたりという経験をほとんどの人が持っているだろう。私も、小学生高学年の頃は学校から走って帰って、食事もそこそこにドラクエを夜中までやったり、中学になってパソコンを買ってもらったら、ウィザードリィやブラックオニキスのようなRPGを暇さえあればやっていたし、信長の野望や三国志ももちろんハマった。うちは比較的うるさく言われない方だったので、そんなにゲームやりすぎで叱られた記憶はないけれど、それでも度が過ぎれば注意された。きっと当時ガミガミ言われていたら、今やっているような研究にもたどり着けなかったことだろうと思うので、子どもには大人の理屈で頭ごなしにガミガミ言わないことが大事なのだなと思う。
 先日実家に帰った時、オカンが自分のパソコンに向かって、ソリティアで遊んでいた。もうソリティアはやり飽きたとかで、スパイダーソリティアだかなんだか、私の弟がインストールしてくれたソリティアの派生版のゲームをやっていた。他にも学習ゲームで、都道府県をピースとして日本地図を完成させていくパズルゲームとか、簡単に遊べるゲームをいくつか楽しんでいるという話を聞いた。オカンのソリティアの腕前はかなり上級レベルで、私はとても太刀打ちできない。勝率はかなりのものだった。最近テレビやゲームや書籍など、いろんな形で広まっている「脳トレ」ブームの影響で、中高年層もゲームに親しむようになってきていることを身近な例で感じた次第である。
 うちの母も数年前に全国的に展開されたIT講習事業のおかげもあって、ワープロやメールやネットサーフィンのような簡単なことはできるようになっている。以前から、ネットをもっと活用して何か面白いことをやってみたいと言っているが、たまにしか帰らないので、あまり力にもなってやれていない。年賀状ソフトのデータのメンテのような簡単なことはやるものの、ブログを始めるとか、そういう教えるのに根気がいることは、残念ながら手がついていない。
 そんな状況なのだが、何かネットで新しいことを覚えたいと言っているわりには、いつもソリティアばかりやっているので、ふと「ソリティアやってる時間の何割かでも使って、少しずつネットサーフィンでもしたら?」と言ってみた。するとオカンは「この時間は私の頭の中を整理する時間なのよ。」と言っている。人それぞれ、ジョギングや水泳や編み物や料理などの単純作業をしながら考えを整理する方法は様々だが、うちのオカンにとっては、ソリティアを無心でやる時間が、ある種のリラクゼーションとして機能しているのである。「ママ、勉強してるんだからジャマしないでよ」ならぬ、「息子よ、ジャマしないでおくれ。遊んでるんじゃないんだから。」といった状況である。
 先日、「ゲームの処方箋」プロジェクトを行なっている早稲田大学の河合先生と研究室の皆さん、それにナムコの方々にお会いして話を聞いてきた。ゲームの効能を明らかにする研究をいくつか進めておられて、少し前にシンポジウムの場で中間報告を行なっている。その中で、ゲームをプレイすることによる心理的効果を活かして、サプリメント的にゲームを利用するための研究についての話を詳しく伺った。
 ゲームのタイプやプレイヤーの嗜好によってストレス値や情動反応などに違いがあって、その傾向を上手く利用すれば、短時間のゲームプレイによって「ストレス解消」「疲労回復」「気分晴れ晴れ」「頭スッキリ」といった効能が得られるということがわかった。そしてさらにそのようなゲームの作用や副作用を詳しく研究して、将来は「ゲームの処方箋」を出して、薬のようにゲームを使えるくらいまで、ゲームの効能を詳しく知ろうということだそうだ。
 うちのオカンにとってのソリティアもそういうゲームの効能の一つと言えそうで、本人もそれをある種自覚して使っていた。ゲームをボーっとやっているからと言って、一概に時間を無駄にしているわけではないのである。電車の中でケータイゲームやDSで遊んでる人たちにも、何かそんな効果もあったりするわけなので、頭ごなしに否定するのはよくない。子どもでも大人でも、ゲームばかりやっているのを惰性で叱りつけるんでなくて、ゲームを上手く活かしながらコミュニケーションを深める方向で考える方が望ましい。だんだんとそういう世の中に向かいつつある。