週末の夕食後の息抜きに軽い話題で、Pennsylvaniaの日本語表記は、「ペンシルベニア」か「ペンシルベニア」か、という話。
僕が留学してきた2002年頃は、表記としてはペンシルバニアの方が一般的だったような気がしたのだが、最近のネット上の大手メディアのニュース記事などでは、ペンシルべニアに統一しているような感じで、ペンシルベニア、の方の表記が目立つようになってきた気がする。
昔ペンステートやペン大に留学した人の略歴などを見ると、たいがいはペンシルバニア州立大学、ペンシルバニア大学、という表記を使用している。州政府の日本代表事務所というのがあって、ここでも以前はペンシルバニアという表記をしていた。なので慣用的な表記はペンシルベニアで、固有名詞化しているものにはペンシルバニアが標準かなと思いつつ使っていた。まあ、どちらでもいい感じで特に気にしてなかったのだが、この話、変化の動きがある様子。
まず上記の日本代表事務所は、サイトリニューアルか何かのタイミングで、いつの間にか「ペンシルベニア州政府日本代表事務所」になっていた。それと、Wikipediaでも以前から「ペンシルバニア」の表記を採用しているのだが、よく見てみるとペンシルベニアへの表記変更提案がまさに現在形で進行していたらしい。そして、どうやら表記変更が採用されたようで、今見たら主だったページはペンシルベニアに変更されている(このWikipediaの件は、ごく一部のこのテーマに関心のある人たち、あるいは表記を統一しないと気持ち悪いと感じる人たちが議論に参加して、それで決定してしまうという意思決定プロセスが別の意味で興味深い)。
発音がどちらかと言えばペンシルベニアの方が近い、というのはそうなんだけども、べかバかよりは、音的に正確に表記しようとすると「ペンシルヴェィニア」という感じで、間にある「ィ」の発音の方が大事だったりするので、話し言葉の時はこっちの方を気をつけた方がよい。基本的にはペンシルバィニア(イギリス英語風)でもペンシルベィニア(アメリカ英語風)でも普通に通じる。そういえばConference の表記が「カンファレンス(アメリカ英語風)」と「コンファレンス(イギリス英語風)」で以前は並存していた気がするけども、最近は「カンファレンス」の表記が主流になってきたのと似たようなもんかなと思う。
まあそんなわけで、最近は「べ」派が勢いがあるのかなと思いつつ、じゃあそっちに切り替えようかなとも思ったのだけど、グーグル検索してみると、66万件対1万3800件で、実は「バ」派が圧倒しているという状況をどうするかという問題が残る。戦艦ペンシルバニアやペンシルバニアホテルなど、昔から使われている固有名詞はみんなペンシルバニア表記なのだからそれもそうかという気もしてくる。
で、結局のところは振り出しに戻って、日常の慣用表記はペンシルベニアで、大学名とか固有名称にはペンシルバニアをしばらく使っておくかという結論で、とりあえずはこのままにしておくことにした(変えるのが面倒くさいだけという話もある)。
ついでに話題にしておくと、ペンシルバ(べ)ニア大学とペンシルバ(べ)ニア州立大学、というのも普通の人には紛らわしい。前者はUniversity of Pennsylvaniaでこちらは私立大学、後者はPennsylvania State Universityで州立大学。全く系列違い。いろんな機会によく間違われて「ペンシルベニア大学」と書かれることが多いのだが、国内に置き換えれば県名を付けた○○大学というのと、○○県立大学を一緒くたにしているようなものでで、べとバの話よりは州立が入ってるかどうかの間違いの方がむしろ大きかったりする。自分もこの大学と関係ない人だったらたぶん間違えるだろうなと思うので、間違えられてもしれっと直してるだけで普段はたいして気にしない。
こういうまどろっこしくて面倒な話は、小ネタにしてもやっぱりまどろっこしくて書いててもすっきりしない。それに疲れてるときの方がこういうのはつい悪ノリして長くなってしまうので、今日はこの辺で。
月別アーカイブ: 2009年3月
チャレンジする苦しさ
渡米後4週間経って、帰国まであと3週間を切った。ほとんど娯楽もなく生活する毎日で、食事とテレビと、ジョギングの時の外の景色を楽しむ程度で、あとはひたすら研究者強化合宿のような毎日が続いている。幸い、WBCの日本チームの優勝シーンは目にすることができた。普段プロ野球など全く見ない妻も影響されてブログに書いているほどなので、国内では相当に幅広い層で盛り上がったのだろうなと思う。
イチロー選手が出しているコメントを見ると、不振の時には相当に苦しい思いをして、気持ちも折れかけたというようなことも率直に口にしていた。日本のプロ野球選手には、紋切り型のコメントでお茶を濁したり適当にやり過ごして、苦しい時の自分の心情にあまり踏み込まないような印象があるが、メジャーリーグの選手たちはみんな丁寧にコメントするのでその影響もあるのか、イチロー選手は年々自分の状況や感情を言葉で説明しようとするようになった感がある。今回もここまで不振が続いて弱った気持ちも素直に表現してきたことで、最後の活躍とそのコメントがドラマを盛り上げた側面はあるだろう。
誰しもつねに成長を志向して生きていれば、思うように行かない苦しい局面に必ず遭遇する。イチロー選手のようなレベルで誰もが注目する場面での苦労でないにせよ、何かの壁にぶち当たって、切羽詰った状況でもがく苦しい状況というのは、その人にとっては特別で比較しようのないものだろう。メジャーリーグであれルーキーリーグであれ、社会人草野球であれ、どの段階にいても自分の目の前の壁を乗り越えようとチャレンジする個人にすればどんな状況にあっても苦しいものだ。客観的に見ればなんてことはないような些細なことかもしれないし、成長した自分が振り返ってみれば何でそんなことに苦労していたのか理解できないようなちっぽけなことだったりするかもしれなくても、その苦しいタイミングにいる時には相対化できない当人にとってはMAXな苦しさがそこにある。
そういう苦しみの真っ只中にいて気持ちが折れてくると、なんて自分はダメなんだ、何であの時こうしなかったのか、何でこんなことを始めたのか、何で自分はこんな仕事を選んだのか、とだんだんと悩みが大きくなっていって、果てには何で自分は生まれてきたんだろうと、自分の存在意義まで疑い始めてしまうほどに悩みは大きくなる。その途中でつらくなってくると、人のせいにしたり、社会のせいにしたり、運のせいにしたりと、逃避的な思考も沸きあがってくる。
そういう厳しい状況の中で壁を乗り越える糸口になるのは、日々の鍛錬だったり、経験だったり、外からの何かの刺激やきっかけだったり、その組み合わせだったりする。客観的な難易度のようなものは全く違えども、乗り越えられない状態があって、そこから抜け出すまでのプロセスには、どれだけ成長してもそこから次のレベルにチャレンジする限りは終わることがない。でもそこを乗り越えた時の達成感もまた相対化しようのない最大級の喜びが待っているからこそチャレンジし続けるのだろう。
このような見方は、学習や上達のようなことを日々考えている人間の職業病のような見方かもしれないけれども、イチロー選手が今回日本の多くの人たちに見せてくれたことには、そういう側面があるのではないかという感想を持った。
最近の食生活の変化
渡米して2週間が過ぎた。今週は大学が春休みで街は静かなもの。先週末ちょうど買い物に出たら休み前の大移動が始まっていて、車に友達同士で乗り合わせてどこかへ旅行に出ようとしている学生たちをたくさん見かけた。
もう今回の渡米期間の3分の1を消化したことになるが、あっという間だった。日米間の移動もたびたびなので、時差調整も含め生活のセットアップがはやくなって、すぐにペースを作り出せるようになってきた。スポーツ選手のキャンプや合宿のような感じで、ひとり合宿のような日常が非常に坦々と過ぎていく。そのなかでブログ更新がだんだんと優先度が下がってきているので、たまには気分転換をかねつつ挽回する意味も込めて、たまには日々の生活のことなど書いておいたりしておこうと思う。
ITmedia にインタビュー記事掲載
先日受けたインタビューの記事が掲載されましたのでご紹介します。掲載サイトで提供しているブログツールを使ってみました。
4月から教える「シリアスゲーム論」の話など、シリアスゲームについて話してます。僕の研究活動の近況についても少し触れてます。
この記事を執筆された松井さんとは、デジタルコンテンツ協会の「シリアスゲーム現状調査報告書」の仕事の時に知り合ったのですが、彼はデジタルゲームを競技スポーツとしてプレイする「eスポーツ」の振興など、ゲーマー文化を盛り上げる各種の面白い活動をされています。奥深いゲーマーの世界をデジタル移民の人々にもわかりやすく語れる貴重な存在です。