チャレンジする苦しさ

 渡米後4週間経って、帰国まであと3週間を切った。ほとんど娯楽もなく生活する毎日で、食事とテレビと、ジョギングの時の外の景色を楽しむ程度で、あとはひたすら研究者強化合宿のような毎日が続いている。幸い、WBCの日本チームの優勝シーンは目にすることができた。普段プロ野球など全く見ない妻も影響されてブログに書いているほどなので、国内では相当に幅広い層で盛り上がったのだろうなと思う。
 イチロー選手が出しているコメントを見ると、不振の時には相当に苦しい思いをして、気持ちも折れかけたというようなことも率直に口にしていた。日本のプロ野球選手には、紋切り型のコメントでお茶を濁したり適当にやり過ごして、苦しい時の自分の心情にあまり踏み込まないような印象があるが、メジャーリーグの選手たちはみんな丁寧にコメントするのでその影響もあるのか、イチロー選手は年々自分の状況や感情を言葉で説明しようとするようになった感がある。今回もここまで不振が続いて弱った気持ちも素直に表現してきたことで、最後の活躍とそのコメントがドラマを盛り上げた側面はあるだろう。
 誰しもつねに成長を志向して生きていれば、思うように行かない苦しい局面に必ず遭遇する。イチロー選手のようなレベルで誰もが注目する場面での苦労でないにせよ、何かの壁にぶち当たって、切羽詰った状況でもがく苦しい状況というのは、その人にとっては特別で比較しようのないものだろう。メジャーリーグであれルーキーリーグであれ、社会人草野球であれ、どの段階にいても自分の目の前の壁を乗り越えようとチャレンジする個人にすればどんな状況にあっても苦しいものだ。客観的に見ればなんてことはないような些細なことかもしれないし、成長した自分が振り返ってみれば何でそんなことに苦労していたのか理解できないようなちっぽけなことだったりするかもしれなくても、その苦しいタイミングにいる時には相対化できない当人にとってはMAXな苦しさがそこにある。
 そういう苦しみの真っ只中にいて気持ちが折れてくると、なんて自分はダメなんだ、何であの時こうしなかったのか、何でこんなことを始めたのか、何で自分はこんな仕事を選んだのか、とだんだんと悩みが大きくなっていって、果てには何で自分は生まれてきたんだろうと、自分の存在意義まで疑い始めてしまうほどに悩みは大きくなる。その途中でつらくなってくると、人のせいにしたり、社会のせいにしたり、運のせいにしたりと、逃避的な思考も沸きあがってくる。
 そういう厳しい状況の中で壁を乗り越える糸口になるのは、日々の鍛錬だったり、経験だったり、外からの何かの刺激やきっかけだったり、その組み合わせだったりする。客観的な難易度のようなものは全く違えども、乗り越えられない状態があって、そこから抜け出すまでのプロセスには、どれだけ成長してもそこから次のレベルにチャレンジする限りは終わることがない。でもそこを乗り越えた時の達成感もまた相対化しようのない最大級の喜びが待っているからこそチャレンジし続けるのだろう。
 このような見方は、学習や上達のようなことを日々考えている人間の職業病のような見方かもしれないけれども、イチロー選手が今回日本の多くの人たちに見せてくれたことには、そういう側面があるのではないかという感想を持った。