年度末が近づいて、年度区切りの日本からの仕事が一つ大詰めになっている。その仕事に関連して、なぜゲームやシミュレーションが教育のためのツールとして有効なのか、を検討する資料を作成している。
昔から、学校や研修への期待として「実践的なスキル」や「社会で役立つ知識」を身につけることが期待されてきたものの、期待される成果をあげることが少ないままで今日に至っている。その期待がそもそも現実的でない場合もあるという議論も必要だが、それはここでは置くとして、学校での教え方が「役に立つ」という点においてかみ合っていないことにまず留意する必要がある。
多くの場合、学校で教えられる知識・スキルが実社会で役に立たないのは、それが利用される文脈を無視して、知識だけ抜き出して教えられているからだ。新しい知識を説明して、練習させ、身についたかどうかを確認するテストを行う。これが学校での基本的な教育方法だが、知識は利用される文脈や、うまく利用するための振る舞いや目のつけ方のような周辺的な要素と共に身につけなければ役に立たない。これはいわゆる「状況的学習論」の考え方で、この考え方に立つと、今の学校の教育方法の延長線上では、役に立つ知識習得も実践的な専門家の養成も困難で、教え方やカリキュラムの組み方を大きく変える必要があるという認識を持つに至る。
学校で役に立つ知識というのは、テストでよい評価を得るためのテクニック、評価者からの覚えのよい生活を送る振舞い方であって、学校にいる限りにおいては、学校で教えられている知識とは役に立つ知識である。また、試験で昇進やその人の評価が決まる学校的なシステムにいる場合にも、テストでよい点を挙げるための知識は役に立つ。しかし、学校を一歩外に出ると、いかに教えられている知識が仕事や生活に関係する知識であっても、その文脈で役立たせるためには、学習者本人が知識を使うための周辺的な要素を身につけるまではその知識は役に立たない知識のままとなる。
知識が役に立つためには、その知識が使われる文脈のなかで理解されて、その使われ方のところから身につけていく必要がある。ゲーム・シミュレーション型教材は、知識を使う、知識を使う役割を演じる、というアプローチで教える際にとても有効な要素を多く持っている。この状況的学習論の文脈でゲーム・シミュレーション型教材の有効性が議論されるようになって、その立場で開発された教材が出てきている点は、この分野が従来の取り組みから進展しているところだ。この辺りを整理していくと、最近のシリアスゲームの盛り上がりも、教育工学分野でのゲーム・シミュレーション型教材への関心も、学習理論の発達の中で位置づけて理解できて面白い。
月別アーカイブ: 2007年2月
「シリアスゲーム」近況
昨日、ようやく手元に本の見本が届きました。これが世の中で流通しているというのはまだあまり実感が湧きません。店頭で見かけたというのを教えてもらったり、オンライン書店で扱われているのを見たりして、ようやく「あぁ、やっと完成したのだな」という気が少しずつしているところです。校了してからだいぶ時間が経っているので、まだ発売2日目だという感じはあまりしません。
流通状況ですが、実はアマゾンが一番流通の出だしが悪かった、というなんともさえない状況になっています(アマゾンで予約してくださった皆さま、お待たせしてしまってごめんなさい・・・)。楽天ブックスやBK1では入荷しているようですし、紀伊国屋書店やジュンク堂などの大型書店には店頭にも並んでいるようです。なお、新聞広告も21日の読売に出ていて、23日の毎日にも出るそうです。
店頭での目撃情報など関連情報、ご意見やご感想などぜひお寄せください。応援よろしくお願いします。
ゲームと非ゲームとシリアスゲーム(2)
前回の「ゲームと非ゲームとシリアスゲーム(1)」に続いて2回目。前回分から先にご覧ください。
★エンターテインメントゲームと非ゲームの違い
DSで注目されるようになった「非ゲーム系コンテンツ」にも幅がある。まったくゲーム性のないものも、ゲーム的な要素を多分に含むものもこの枠の中で語られている。「ゲームか非ゲームか」を分ける要素は、「ゲーム性の有無」と、「ハードとしてのゲームメディアをプラットフォームに使っていること」の2つである。
「ゲーム性の有無」については、「ゲームとは何か」というところに立ち返って考えると、ある程度境界線がはっきりしてくる。たとえば、「バランス・オブ・パワー」などの戦略シミュレーションゲームのデザイナーとして知られるクリス・クロフォードは、著書「The Art of Computer Game Design」で、コンピュータゲームは次の4つを共通要素として持つとしている。
・描写(Representation)
・インタラクション(Interaction)
・対立(Conflict)
・安全性(Safety)
これを簡潔にまとめれば、「何かの世界を描写して文脈が提示され」、「ユーザーのアクションに対してフィードバックがあり」、「一定のルールや競争やチャレンジがあり」、「アクションの結果が現実には直接影響しない」ことだとされる。クロフォードだけでなく多くの研究者やデザイナーがゲームの定義を議論している。(詳しくは拙著「シリアスゲーム」の第一章「ゲームと教育・学習」を参照)。この要素の有無で判断すると、非ゲームと呼ばれている製品も「ゲーム性あり・なし」の軸で位置付けが見えてくるだろう。
ここで「ゲーム性あり」に分類できるのに、非ゲームとして語られているタイトルはなぜそうなのか?それらは「従来のエンターテインメントゲームとは異なるタイプのゲーム」という意味での非ゲームなのであって、「非(エンターテインメント)ゲーム」である。「ゲーム性なし」のタイトルは、文字通りの意味での「非・ゲーム」なのであって、それらは「ゲームメディアで提供されるゲームでないコンテンツ」、または「ゲーム会社がゲームのノウハウを使って開発したゲーム以外のコンテンツ」という意味でわざわざ非ゲームと呼ばれているのだと言える。つまり、非ゲームには「非エンターテインメントゲーム」と「ゲームメディアで提供される(ゲームのノウハウを利用した)ゲーム以外のコンテンツ」の2種類あると考えるべきだろう。
具体的なタイトルを例にして考えてみる。「脳トレ」や「常識力トレーニングDS
」をはじめとする同種のタイトルは、教育分野から見れば「学習履歴管理機能付のドリル学習教材」であり、それがゲームをプレイしているような快適な操作感で気軽に利用できるという点に付加価値がある。だがそれと同時に、これらはゲームのジャンルで言えば、「クイズゲーム」や「パズルゲーム」と呼ばれるものであり、プレイ過程の全体を通して、上記のゲームの要素がすべて当てはまる。学習要素が強い「英語漬け」も、ゲーム性の観点から見れば、ここに区分されると言ってよいだろう。
「ニンテンドッグス」も、「バーチャルペットソフトウェア」と捉えればゲーム以外に括ることもできるが、プレイ内容自体はゲームそのものだ。芸を仕込んで大会に出て賞金を得るところや、貯めたお金でアイテムを買い、部屋をアップグレードするなどの活動は、エンターテインメントゲームで普通に出てくるゲーム要素である。また、「タッチで楽しむ百人一首 DS時雨殿
」は、そもそも百人一首がカードゲームであって、麻雀やポーカーがゲームなのと同じくゲームである。これらはいずれも、従来のゲームの枠組では出てきてなかったタイプのゲーム、という意味で非ゲームとされていると捉えるのが適切だ。
一方で、辞書ソフトやレシピソフト
など、ルールに沿った競争やチャレンジを含まないタイトルは、文字通りの「非ゲーム」である。DSというプラットフォームを使っていて、ゲーム会社が作っているので、「ゲームでないコンテンツ」という整理の仕方が意味を持つと言える。ただし、非ゲームコンテンツがメインであっても、「弾いて歌えるDSギター”M-06″
」の「耳トレ(コードの音を聞き当てるゲーム)」ように、クイズゲーム的な要素が含まれるものもある。その意味で、この手の非ゲームにも多少のゲーム要素を含むものはあるので、前述のゲーム性の有無によって分類を細分化できる。
こうして考えていくと、重要な視点が二つ浮かび上がってくる。一つは、「学校や資格取得のテストは、実はゲームとやっていることは変わらない」ということだ。英検もセンター試験も、世の多くの筆記テストの類は、運営の簡略化のために多肢選択式質問になっていて、これは要は2択や4択のクイズのことである。学校で嫌々学んでいたことを、マーケティング的にキャッチーなテーマで区切って、DSというプラットフォームにのせただけで、老いも若きも喜々としてやっている。
ここに一つ教育方法論として掘り下げるべきテーマがある。学校や塾が行っている教育の多くは「クイズ回答者養成」に過ぎない。出題形式や内容が少し面倒くさいだけで、やっていることは単なる「クイズ研究会」と同じだと言っても別に言い過ぎではない。DSのヒットが、そもそも教育機関がやっていることが「クイズ対策」でよいのか、多くのところはゲームメディアで肩代わりできてしまうのではないか、という問題提起となっている。従来は見過ごされてきた知識教育偏重の学校教育の根本的な問題が、DSのヒットによって明らかにされているという点にもっと着目すべきだろう。
もう一つの視点は、DSがエンタテインメントメディアからより一般的な家庭用インタラクティブメディアとなった時に、この「非ゲーム」という区切りがどう変化していくのかという点だ。今はまだ珍しいのでわざわざ「非ゲーム」として整理しているが、ゲームでないコンテンツが当たり前になった時点で、このジャンルは意味を失う。その時に非ゲームはどんな付加価値を持つのかが非常に問題になる。
「脳トレ」のヒットで出てきたフォロワータイトルの多くは、これまでにパソコン用ソフトウェアで出ていたタイトルの焼き直しで、いわば「エデュテインメントの逆襲」といったところだ。そこにはゲーム会社の持つノウハウもなにもなく、単にラベルを張り替えて、DSというプラットフォームの売れ行きに便乗しているだけのようなタイトルもある。そのようなタイトルばかりが続いていくと、おそらくは脳トレブームも消費されて市場も冷え込んで消えていくことになる。
だがそんななかでも、たとえばレベルファイブの「レイトン教授と不思議な町」のように、ゲーム会社が作るからにはこうだ、という気概をみせているタイトルも出ている。ゲーム会社がこれまでに培ったノウハウを持ってしっかり作りこんだ作品が出てくれば、「脳トレ」が切り開いた市場を一つのジャンルとして定着していく可能性はある。学習や癒しや技能の習得など、従来のゲーマー層以外の人々がゲームを手にする「言い訳」を持ちながら、さらに高度なゲーム性や従来にない操作感の良さを持ったタイトルを開発していくことが、今後のDSの非ゲーム系コンテンツの発展の鍵になるだろう。
「シリアスゲーム」アマゾンで予約開始
拙著「シリアスゲーム-教育・社会に役立つデジタルゲーム」が、オンライン書店のアマゾンで予約できるようになりました。
流通の出だしがそんなによくないかもしれないので、早めに入手されたい方には、ぜひ予約をお勧めします。応援よろしくお願いします。
教育テクノロジーのトレンド予測レポート
ニューメディアコンソーシアムとEDUCAUSEが共同して毎年出している教育テクノロジーのトレンド予測レポート「2007 Horizon Report」が公開された。
2007 Horizon Report
http://www.nmc.org/horizon/
このレポートでは、近い将来にどのようなテクノロジーが教育分野で大いに利用されるようになるかを予測して、6つのテクノロジーを短期・中期・長期で二つずつ取り上げて解説する形でまとめられている。
★1年以内に採用
・User-created content
・Social networking
★2~3年で採用
・Mobile phones
・Virtual worlds
★4~5年で採用
・New scholarship and emerging forms of publication
・Massively multiplayer educational gaming
最初の二つは、Web2.0の話題でよく取り上げられるし、ユーザーレベルでは定着していて生徒・学生たちは普通に利用している。これらがもっと学校で公式的に教育や研究のために利用されるようになるでしょう、という話だろう。携帯電話も教育利用の研究があちこちで進んでいるようなので、妥当な線なのかもしれない。5つ目のNew scholarship and emerging forms of publicationはわかりにくいかもしれないが、研究活動のやり方や成果の発表方法がよりテクノロジーベースドで新しいものに変わっていくでしょう、という話。
トレンド予測というのは、消費者的な発想で当たり外れを云々しているうちは平和でよいのだけど、メディアリテラシーの観点から見ると、それでは少し危なっかしい。この手の書き物には、書き手の「そうなってほしい」という願望や意図が含まれているのが常なので、純粋な予測として見るには少し割り引いて考える必要がある。しかしそれと同時に、書き手の側の「これを流行らせたい」という意思表示でもあるので、割り引いた分以上にこれから普及に向けて力が入れられるだろうと見た方が良い。
このレポートでは、「バーチャルワールド」と「教育用多人数参加型オンラインゲーム」が入っているところに、この書き手の願望や意欲が表れているように見える。その分野の研究をしている身としては、単純に歓迎しておいてもよいのだけど、この分野を知っているだけになおのことそう能天気でもいられない。この二つは別に一つにくくっても構わない性質のもので、わざわざ分けて書いているところは、他に手ごろなネタがなかったのか、よほどこのテーマで書きたかったのかどちらだろう。実際、このレポートの書き手の一方のニューメディア・コンソーシアムは、最近話題のMMO「セカンドライフ」の教育利用に力を入れているので、このテーマで書きたいことがたくさんあるのには違いない。
「未来とは予測するものでなく、自ら創り出すもの」と考えれば、自分たちの創りたい未来を描いて語ることは間違いではない。むしろ大いにやって、それをたたき台にして、どんな未来に向かって進みたいのかを議論する方が健全だと思う。
だがその一方で、テクノロジーの普及というのは、ある段階から非常に政治性を帯びた活動が多くなる。特に学校や行政のような旧来的なシステムへの導入のような場合には、さらにその色合いが強くなる。テクノロジーの良し悪しや、そのテクノロジーを使ったシステムのデザインの良し悪しよりも、「オカネの流れと掴み方を知っているかどうか」、「そのテクノロジーであおりを食うことを心配している人たちをいかに丸め込むか」といった泥臭い話になってくる。
この手のトレンドレポートもそのような政治的活動におけるツールの一つとして機能する面が大きい。だが、だからといって忌むべきものでもない。なぜなら、研究者の立場でテクノロジーを普及させようとした場合、必ずしも得意ではない泥臭い政治活動を回避するための有効なツールとして使えるからだ。なぜそのようなことを考える必要があるかは、書き出すと長くなるのでまたあらためて書こうと思う。
デジタルゲームやMMOの教育利用の推進は、こんなところで取り上げられていることでも、米国ではすでに気楽な研究レベルの段階を超えて、政治的な動きを伴う段階に入っていることを示している。どんな意図かはわからないが、このレポートもある意図の中でどこかに位置づけられているのだろうということに思い至る。そんなわけで、単純に歓迎もしていられない面をやや感じている。
「Don’t Bother Me Mom」脱稿
拙著「シリアスゲーム」もあと一週間でリリースというところで、翻訳書「Don’t Bother Me Mom-I’m Learning!: How Computer And Video Games Are Preparing Your Kids for Twenty-First Century Success 」もどうにか脱稿しました。訳者解説がもう一つキレのある文章が書けなくてやや手間取ったものの、ようやく満足いくレベルで書き上げて、原稿に魂を入れた感じで仕上げることができました。テレビゲームが子どもたちの学習と将来のために貢献している、というテーマの本で、ゲームや最近のデジタルメディアのポジティブな側面を詳しく論じています。順調にいけば5月~6月には刊行できるのではなかろうかと思います。こちらの進捗はまたお知らせします。
さて、「シリアスゲーム」の出版情報ですが、オンライン書店では紀伊国屋書店のKinokuniya Bookwebで先行して予約を受け付け開始していますが、アマゾンほかはまだ始まっていません。予約開始されたらお知らせします。
ゲームと非ゲームとシリアスゲーム(1)
先日受けた「まんたんブロード」の取材の時に、ニンテンドーDSの成功とともに「非ゲーム系コンテンツ」が注目されており、それらとエンターテインメントゲームやシリアスゲームをどう区別して捉えればよいか、という話になった。記事ではその話はうまく伝わる形では触れられていなかったので、簡単に考え方を示しておこうと思う。
エンターテインメントゲーム、シリアスゲーム、非ゲームとも、その境目のあたりはそれぞれに重なっており、区切りははっきりしない。「エンターテインメントとして遊べて、シリアスゲームとして機能して、コンテンツのコアの部分は従来のゲームではない」コンテンツというのは存在し得る。エンターテインメントゲーム、シリアスゲーム、非ゲームの3つの輪が重なったベン図をイメージしてもらえばよいと思う。既存のタイトルの例では、「脳トレ」、「常識力トレーニング」、「ニンテンドッグス」などはここに含まれるだろう。それ以外の「これってシリアスゲームでは?」「非ゲームでは?」と思いつくタイトルも、いずれも何らかの形でその境界線のあたりにいると考えてよいだろう。
3つのタイプのコンテンツが重なる部分を無理やり切り分けて考えようとしても、厳密に切り分けることは不可能だし、そんなことをしてもあまり意味はない。むしろそれらが重ならない要素を整理した方が得るところが大きいので、少しその辺りを整理してみようと思う。
★エンターテインメントゲームとシリアスゲームの違い
もうすぐ発売の拙著に考え方を整理しているが、基本的には「作り手の意図」と「使い手の意図」の要素がその違いとなる。まず、そのゲームがシリアスゲームかどうかを判断するポイントは、作り手が「純粋な娯楽以外に何かのタメになる」ことを意図しているかどうか。次に、使い手が「娯楽以外の目的で」そのゲームを利用しているかどうか。この2点が判断軸となる。「遊んでいるうちに脳が鍛えられる」、「癒される」、「何かができるようになる」、という要素を考慮してゲームがデザインされているか、販売されているのであれば、そのゲームはシリアスゲームだと言ってよい。
また、作り手にそのつもりがなくても、使い手側がそうした意図を持ってゲームを利用することもある。エンターテインメントゲームとして作られていたとしても、学校の授業で利用されたり、運動不足解消のために利用されたりすれば、そのゲームはシリアスゲームとして利用されていることになる。
シリアスゲームとは、「エンターテインメント性のないゲーム」ではない。ゲームの持つ人を夢中にさせる力や学習を活動のなかに埋め込む技術を教育課題や社会問題に利用する、ということが基本にあるので、エンターテインメント性、あるいはゲーム性は、そのコンテンツの重要な要素として扱う必要がある。その意味で、エンターテインメントゲームとシリアスゲームの重なる部分は大きい。
ポイントは「エンターテインメントの要素をどれだけ前面に出すか」ということにあり、そのゲームの想定される利用シーンによって、扱い方が変わってくる。ユーザーの自由時間の利用をメインにするのと、学校の授業での利用をメインにするのとでは、楽しさの要素の力点の置き方は変わってくる。
いかに何かのタメになることをうたっていたとしても、つまらないゲームはユーザーの生活に浸透しないし、逆に学校での利用がメインであれば、(ゲームに対する期待水準が下がるので)楽しさの部分はある程度妥協できても、学習効果や授業での使いやすさの点で強みを出す必要がある。
このように考えると、エンターテインメントゲームとシリアスゲームの切り分けは、機能面の捉え方の問題であるとともに、多分にゲーム開発のマーケティング問題に絡むところが大きい。そう考えると、エンターテインメントゲームの開発においても、ゲーム業界が社会に働きかけるための補助線的なコンセプトとしてシリアスゲームを捉えていくと、まだ未開拓分野は広大で、アイデアしだいで新たなヒット作を生み出す可能性は大きいことが見えてくるだろう。
今日のところはここまでにして、不定期連載で次のトピックで話を続けようと思う。
★エンターテインメントゲームと非ゲームの違い
★シリアスゲームと非ゲームの違い
「シリアスゲーム」の紹介
シリアスゲームジャパンで、拙著「シリアスゲーム」-教育・社会に役立つデジタルゲーム」の公式アナウンスと、本書の目次等の紹介をしましたのでご覧ください。
シリアスゲーム解説書発刊のお知らせ
バーチャル講演会初体験
先日シリアスゲームジャパンでも紹介した、AOGCプレイベントのセカンドライフ内でのバーチャル講演会の件について、こちらでは個人的な所感を。
日本時間の2月2日金曜午後1時から開始されて、東部時間のこちらは2月1日の午後11時、深夜の参加となった。講演会とはいえ、アバターだけで本人の顔出しはないので、本人はだらしない家着姿。アバターはこの講演のためにセカンドライフ内のメンズウェア店で買ってきた青シャツにネクタイ姿に着替えて参加。スーツを買おうと思って、カジノでお金を増やそうとがんばったがだめだった。
会場は、リアル、バーチャルともデジタルハリウッドさんにご提供いただいての開催となった。バーチャル会場は多目的広場のようになっているところに結構立派なものが特設ステージが設営されていた。
会では、駒澤大学の山口先生の講演の合間にゲストとして10分くらいでシリアスゲームとシリアスゲームの観点から見たオンラインゲームの話をした。聴衆はリアル会場の方にプレス関係者が10数人にいて、バーチャル会場の方も10人くらい。こちらはアメリカからの完全バーチャル参加なので、リアル会場の様子はさっぱりわからない。バーチャル会場もアバターなので聞いているのかどうなのか反応はわからない。話している感じとしては、ラジオ講座や電話会議をしているのと似た感覚だと思う。自分のペースで話せるようになるには少し慣れが必要になる。今回は慣れてないので話しづらさの方が上回った。
せっかくバーチャルな世界でプレゼンをするのだから、なにかセカンドライフだからできることをやれないかと思って、とりあえず宙に浮いて高い位置にあるスクリーンの横で話をしてみた。そうしてみたのはよかったが、スライドを見える視点にしながらアバターに前を向かせる方法がわからず、聴衆にはずっとオシリを向けたまま話すことになってしまった。リアルでもバーチャルでも、慣れない環境ではいちいち勝手のわからないことが起きるのは変わらない。
バーチャル会場では机と椅子が並んでいたが、座るとスクリーンが見やすいわけではないので、もっとみやすい位置を求めて宙に浮いて話を聞いている人が多かった。講演会場は、リアル世界をモデルに作られていたが、必ずしもそうする必要はないのかもしれない。空を飛べることを活かした講演会場やイベント会場の座席配置をデザインするのは面白そうだ。その意味では、セカンドライフ内の施設の多くは、リアル世界の模倣でしかないので、セカンドライフの特性を活かしたリアルのモデルにとらわれない施設デザインと言うのが今後重要なテーマになってくるだろう。
講演中のやり取りにしても、まだ実施する側も話す側も不慣れで未開拓な要素は多い。講演者としては、質疑応答の時に音声とテキストチャットと二つのチャネルがあるため、リアルの質疑応答とはやり取りの仕方が変わってくる。不慣れなために、チャットの方に気をとられて音声での質問をうまく聞き取れず、ずれた回答をしてしまうことも生じた。この辺りはこのようなイベントを何度かこなす中で型が見えてくると思う。
現時点では、セカンドライフならではの使い方はまだ出てきていない。だからといって、一度や二度試しただけで、あまりよさが見えてこないと考えるのは早計だろう。いかなるツールも少し使い込んでみないと判断できない。セカンドライフは使い込んでみるに値する多様な機能とポテンシャルを持っていると思う。今回のようなリアルとバーチャルの連動イベントのような試みを重ねて行けば、また面白い用途も思いつくだろうし、そこからあらたなデザインのアイデアも浮かんでくるだろう。
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★補足:なお、先日毎日新聞のフリーペーパー「まんたんブロード」に掲載された記事が「まんたんウェブ」に掲載されたのでご覧ください。
特集:脳トレ・DSビッグバン 「DSの成功は世界に驚き」シリアスゲーム研究者に聞く(毎日新聞まんたんウェブ)
http://mantanweb.mainichi.co.jp/web/2007/02/dsds.html
外は激寒
ここ二週間ばかり寒い日が続いていて、この週末はさらに気温が下がった。雪は少ないのだけど、気温がやたらに低い。今朝に至っては、華氏で0度に届こうかという寒さだ。摂氏でマイナス20度以下。ペンシルバニア中のあちこちで観測史上最低気温を記録したというニュースをやっている。学校も休校や午前休みが続出。天気だけはよくて、お日様が照らしている。うちの中にいれば大丈夫なのだけど、個人的には身も心もこの寒さにつられて冷え込んでくる。ついでに懐の寒さも身にしみてくる。せめて希望くらいは持っていなければやっていられない。