NBCがこの夏一番力を入れているっぽいドラマシリーズ「Windfall」の初回が放送された。このドラマは、グループで買った宝くじが大当たりして、大金を手にしてしまったがために起こるさまざまな人生の変化、特に身を持ち崩して不幸になっていく様子を描いたお話。タイトルの「Windfall」とは、風で落ちた果実、予期せぬ収穫という意味。日本語で言う「棚からぼたもち」。
出てくる登場人物は、貧乏だったり、不倫してたり、離婚前だったり、前科があったり、親との関係が悪かったりして、それぞれの立場で微妙な不幸さを抱えながら日々を生きていて、「宝くじが当たったらなぁ」と考えて宝くじをグループ購入しているありふれた友だちやご近所さんたち。それがグループ買いした宝くじで386百万ドルも当たって、その大金が転がり込んできて夢が叶うのだけど、そこから先に待ち受けているいろんな不幸を予感させつつ、続きをお楽しみに、という一回目の内容だった。
大金を手にすると、それまでは謙虚に抑えていたタガが外れたり、浮き足立った人や分け前に預かろうという人が集まってきたり、さまざまな欲望が渦巻く様子がリアルに描かれていて、嫌な気分にさせられるけど、続きを見ずにはいられないという感じにさせられ、この辺はアメリカの主力TVドラマのストーリーテリングの上手さを本領発揮している。
メインの登場人物がたくさんいて、速い展開で複数のストーリーが同時進行で進むところは、「ER」とか「ザ・ホワイトハウス」、「24」、「デスパレートな妻たち」などの他の人気TVドラマシリーズと共通している。このストーリーの展開の速さと複雑さは、刺激の要素の一つにもなっていて、単線的で丁寧にストーリーを追う昔のドラマのストーリーテリングの手法から進化した形となって定着している。ストーリーライティングの技術としては、かなり高度なのだろうと想像するが、それが毎シーズン複数タイトル出てくるというのだから、アメリカのTVドラマ作家の層の厚さは結構なものだと思う。
なお、ドラマだけでなく、リアリティショー番組、アニメやゲームなど、日常の中で触れるエンターテインメントはどんどん複雑になってきており、その複雑さに触れていく中で、人々の認知的なスキルは高められている、と Steven Johnson が著書「Everything Bad Is Good for You」で指摘している。この本は、日常生活における学習、あるいはインフォーマルラーニングに関心がある人にはオススメ。
Everything Bad Is Good for You: How Today’s Popular Culture Is Actually Making Us Smarter
Steven Johnson 著
Windfallに話を戻すと、「宝くじでも当たんねえかなぁ」と誰もが何気なく考えていることが現実に起こると、どんなことが待ち受けているか、ドラマを通して事例提供していると捉えることもできる。ドラマではあっても、お話だからとバカにはできないリアルさがあって、そのリアルさが視聴者をひきつける要素にもなっている。実際問題として、普通の庶民が大金を手にしたら、多くはこんな風に身を持ち崩していくんだろうな、自分の身に起こったらどうなんだろうか、と考えさせられる。宝くじが当たる夢をナイーブに持っていて、本当にそれが急に起こった時に、このドラマを見てわが身に寄せて考えたかどうかで、その時の幸不幸の縄目の状態が多少なりとも変わっていくんじゃないかと思う。そういう意味でも、「Everything Bad Is Good for You」というのは当を得ていて、掘り下げていけばいくほど面白いものが見えてきそうな奥深さがある。
月別アーカイブ: 2006年6月
不便さが方向付ける学習
最近、うちのデスクトップマシンの自動データバックアップがうまく作動しないので、少し設定を変えて手動でバックアップを取った。古いデータを消したので、一からデータを取り直すためにやたら時間がかかる様子。走らせながら作業してもいいのだが、うまくバックアップが取れてなかったら嫌なので、そのまま放置して待つことにした。ラップトップの方に必要なデータを移して作業するという手もあったが、余計な手間が発生するので、とりあえずコンピュータ無しでできることに時間をとることにした。
いざコンピュータ無しの作業をやろうとすると、選択肢が激減していることに気づく。日常的にこなしている暗黙のToDoリストの上位にあるもののほとんどは、「メールの返事を書く」「ブログを書く」「XXの文書をまとめる」「ネットで調べ物をする」など、いずれもコンピュータとインターネットが必要なもので占められている。音楽やゲームやスポーツの結果を見たりするのも、コンピュータを使う。それらのうちで、疲れていてもできるやり易いものや、気の向き易いものをこなしているうちに一日が終わるので、リストの下の方にあるものはいつも下の方でそのままたまっている。
時々プロバイダーがダウンして、インターネットが使えなくなることがあるのだが、その時はネットがないとできないものがToDoリストから消える。さらにコンピュータそのものが使えないとなると、ToDoリストの下の方でおとなしくしている項目が選択肢の上位に入ってくる。それでもモチベーションの低い日は、普段見ないテレビを観るとか、書類の整理をするとか、とりとめなく時間を消費することになる。今回は夕方少し寝てしまったこともあって、何かをやろうという元気が多少残っていた。
日ごろやらなきゃと思っていてタイミングを逃していた作業の中から、「日本の学会誌の論文をチェックする」というのを選んで、うちに届いたまま本棚に眠っていた学会誌を積み上げて、今進めている研究に関連しそうなものに一通り目を通した。論文というのは、面白い研究について書いてあっても、読むとなると非常に労苦が伴う。端的に言えば、面倒くさい。
英語の論文は、急いでチェックしようにも字面を追っているだけでは意味がなくて、結局じっくり読まないといけなくなり、ものすごい時間がとられて一向にはかどらない。日本語の論文は拾い読みというのが可能で、要らない情報はザクザク飛ばしていけるのでまだましだが、それでもすぐに興味を失って、投げ出したくなる。普段はそういう時に「ちょっとメールを」なんてコンピュータに向かってしまい、それっきり戻ってこなくなるのだが、今回はそれができない。それが幸いして、4時間半ほどは論文読みの作業に集中でき、積み上げた学会誌の山はだいたい片付いた。
テクノロジーやメディアには、人の行動を方向付ける性質があり、学習行動も人の行動の一部なので、テクノロジーやメディアの影響を受ける。調べ物という作業は、いまやネットがないとできない作業になり、部屋の本棚には立派な事典のようなものは並んでいない。原稿書きという作業も、メモや概念図は手書きで作ったりもするけど、最終的に文章にする作業は、コンピュータなしにはできなくなってしまった。
コンピュータに向かっていて、メールで飛び込んでくるリンクや添付ファイルの方がアクセスし易く、本棚に並んでいる書籍や論文は、いかに手がすぐ届く位置にあっても、すぐには手が伸びない。いつでも読みたいときには読めるという安心感からくる面と、自分の情報行動がコンピュータによって規定されていることによって生じている面がある。
なので、コンピュータやケータイなど、日頃頼っているテクノロジーが使えない状態で、自分の行動がどう変わり、何をしようとするかをモニターしてみると、そのテクノロジーが持つ強みや、どういう使われ方をしているかといったことが見えてきて面白い。
たとえば私の場合、ブログを書くことは、面倒な作業をやっている途中で嫌になって、ある種の現実逃避としてやっている面が結構ある。なので、ブログが書けなくなると、面倒で後回しにしている仕事が進むという面もある一方で、書くという行為によって生じる気分転換の機会が失われて、長期的には生産性が下がりそうだ。
そうなってくると、一概に封印すればいいわけでも、野放図に使わせればいいわけでもない。どちらでもなく、「ほどよい不便さ」というところに、案外ちょうど良い落としどころがありそうな気がする。
名言のストック
先日、本家のシリアスゲームML上で、「ゲームと学習に関わる名言をシェアしようぜぃ」という呼びかけがあって、何人かが自分のお気に入りの名言ストックを提供していた。
英語で書かれる著作では、その文章の伝えようとすることを端的に表したり例えたりするような、昔の偉人や専門家の名言がよく引用される。翻訳書などを読むとよく見かけると思う。大学院生なんかでも、ライティングのトレーニングを受けたアメリカ人はそうしたスタイルを身につけていて、見事な引用を駆使するのを目にすることがある。アメリカで作家や学者のような物書きを業とする人にとっては、この引用のスキルは標準装備のようなものだ。この引用の技の切れ具合で、教養の高さの示し、自分の文章の格調の高さを演出するというわけだ。その引用が見事だと、それだけで文章が格調高く見えて印象が良くなる(鼻につき過ぎると、キザっちくて嫌だけど)。そういう文化で育っていない身としては、よくまあこんなのをうまく引っ張ってくるなぁとか、こんなにたくさんよく知っているなぁと感心するばかりだ。
しかし、みんなどうやってそんなにちょうど良いタイミングでいい名言を引っ張ってこれるのかと言えば、このMLでのやり取りのように、普段から引用ネタのストックを増やす努力をしているのであって、パッと急にできるものではない。何事においてもいい仕事をしている人は、日ごろのネタ仕込の大切さを理解して、地道に実践しているのだから、感心してばかりいてもしょうがない。ただ、そういうことに関心が高い中にいるかどうかというのは大きいなと感じた。
ゲームとは関係ないけれど、私のお気に入りは、ドラッカーの次の一文で、ネタが少ないのでいつも使いまわしている。
「できない子などありえない。お粗末な学校があるだけである。しかし、そのような学校があるのは、教師が愚かであったり、能力がないからではない。正しい方法と正しい道具が欠けているからである。」
– Peter. F. Drucker
次の言葉は普遍的過ぎてピンポイントには使いにくいけれど、格言としては、同じくらい気に入っている。
‘There is nothing so practical as a good theory’(よい理論ほど実践的なものはない)
– Kurt Lewin
最近見かけて気に入ったのは次の二つ。
“One does not discover new lands without consenting to lose sight of the shore for a very long time.” (視界に陸が見えない長い長い時間を経る覚悟無しには、新しい大陸を見つけることなどできない)
– Andre Gide (1869-1951) French Novelist
こちらはシンプルなので、英語のままで(原文は英語じゃないけど)。
“I am always doing what I cannot do yet, in order to learn how to do it.”
– Vincent Van Gogh