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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第93号)

発行日:平成19年9月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 試論 人間とは何か?-教育論の背景

2. 試論 人間とは何か?-教育論の背景 (続き)

3. 小学校教育の変革

4. 団塊の世代よ、あつまれ!!

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

★★小学校教育の変革★★
11月18日(日)飯塚市立八木山小学校第1回研究発表会
ごあんない―公開発表会です。学校にご通知の上、ご自由にご参加ください。

1  変革の試み

  今年こそと思いながら小学校教育の変革に参画しています。変革の対象は「子ども観」であり、そこから派生する「指導観」であり、「学校観」であり、具体的な指導方法です。したがって、教師の役割意識も、地域との関係も、家庭との関係も変わらなければなりません。その過程では研究プロジェクトのあり方も、戦後教育を主導して来た諸概念の見直しも修正も不可欠です。
  当然、あらゆる改革に戦後60年の蓄積と惰性は頑強に抵抗します。昨年のささやかな改革実践の試みが挫折したのはそのためです。教育の変革には膨大なエネルギーが必要です。学校教育の変革はその最たるものです。多くの教員は変革に立ち向かう前向きのエネルギーを有してはいません。仕事が増えるのはごめんだ!という感情はあらゆる変革提案に抵抗します。また、自己の正当化もあらゆる変化に抵抗します。自分たちはプロで、自分たちが正しく、これまで慣れ親しんだやり方でいいんだと思えば、変革の必要は感じないわけです。世間が放置し、教育行政が黙認して来た、学校と教員の閉鎖性は、筆者のような外部からの提案や助言を干渉と受け取り、頑強に抵抗します。
  子どもがここまで「へなへな」になった今日、学校の変革は時代の課題ですが、一気に変えることは不可能であり、全面的に変えることも不可能です。しかし、どの領域にも優れた意欲的な人々は必ずいます。
  幸い今年も意欲的な校長先生とそのチームに巡り会うことが出来ました。不十分ながらもめざした変革は着実に進んでいます。11月の発表会はその成果を世間に問う最初の試みになりました。果たして子どもは変容したでしょうか?何が変わり、変容はどの程度までなし得たか?果たして地域や家庭の評価はいただけるか?教育行政はモデルの意味を理解し得るか?課題は山積しています。

2  11月18日(日)8:20に八木山へお出かけください

  協力してくださっているのは福岡県飯塚市立八木山小学校です。発表会は子どもの接遇実践から始めます。当日の受付は8:20からです。9月以降、先生方があいさつ・作法の型を鍛えた子どもたちが来訪者をお迎えします。果たして「のびのび育児」の風潮の中で、やりたい放題に野放しにされて来た現代っ子の接遇・歓迎はみなさまの評価に耐え得るでしょうか!?変革の第1課題は「なる」から「する」へ、です。子どもが「学ぶ」から、子どもに「教える」への方向転換です。核心は「教えること」の復権です。
  したがって、当然、教師集団を学校の中心に置きました。それゆえ、「何が出来なかったのか?」という診断と、「何を出来るようにしたのか?」という処方の効果が問われます。指導の過程で「どのようなプログラムで?」、「どう指導したのか?」も問われます。
  教師が中心であると宣言する以上、成果の責任を子どもの生育歴や家庭の教育努力に負わせることは許されません。教師は指導のプロであり、結果の責任は教師が負わなければならないのです。今までの学校はこの指導責任の原点を確認していません。その分だけ言い訳と逃げ口上が多いのは当然の結果です。
  筆者が想定している発表会の特性は以下の諸点にまとめることが出来ます。

(1) 全教員の参画による指導方針及び指導過程の発表と役割分担
子ども達の「before」と「after」を比較し、何のために、何を、どのように指導したか、を報告します。
(2) 体力と耐性を基本とした少年期の鍛錬成果の披露
「へなへな」の子どもが少なくとも集団に適応し、激しい運動に耐えて行きます。身体表現はきちんと「できること」と「美しいこと」の両方が問われます。果たして彼らはみなさまの鑑賞に耐え得るでしょうか?
(3) 学習活動における地域との恊働成果の発表
目標は「伝承」と「創造」です。教えていただいたことに猛練習を積み上げて新しい命を吹き込もうと努力しました。地域のみなさんのお顔に注目しております。
(4) 子どもの「潜在能力」を前提とした記憶の「負荷」の成果を発表
子どもは見事に教材を覚え切ります。その吸収力は驚異的です。この時期を逃さず基本知識・基本教養を詰め込んでやるのは「教育の親切」と呼ぶべきでしょう。発表会に成功したあとの子ども達の飛躍にご期待ください。
(5) 教育論でもなく、努力論でもなく、子どもの変容によって問う発表会
子どもが変われば、教育方法も変わります。家庭のしつけも変わるでしょう。結果的に親も変わるのです。「親が変われば子どもが変わる」は原理的には正しいのですが、「子どもが変われば親が変わる」もまた正しいのです。親を変えることはできないでしょうが、子どもを変えることは十分可能なのです。それゆえ、発表プログラムは3点に絞りこみました。
  第1発表は縦集団を組織して行った「郷土学習プログラム」です。地域に伝わる獅子舞とすもう甚句を披露します。本歌の指導は地域の方々にお願いしましたが、歌も演技も身に付くまで反復練習して仕込んだのは先生方です。
  第2発表は全力疾走の「身体表現プログラム」です。体力や反応速度、集団行動の正確さを追求しました。学習の持続と努力の集中を支える基礎は「体力」と「耐性」だからです。集団行動は人間だけに与えられた後天的な学習の成果です。見ていただきたいのは社会的行動耐性と呼んでいいでしょう。1年生から6年生まで、体力も、耐性も、体験も、舞台度胸も異なる全学年児童が、一糸乱れず、息も切らせず、強烈なリズムで全力疾走する「南中ソーラン節」を無事演じ抜きましたら、どうぞ、万雷の拍手をお願いします!!『南中ソーラン節』で鍛え上げた「行動耐性」こそが、後日、必ず「見える学力」に邁進する基礎力を形成します。
  第3発表は「江戸・京都いろはかるた」の朗唱プログラムを選びました。カルタは合計102種類あります。子どもの「潜在能力」を引き出すため、子どもの記憶指導に意図的に「負荷」をかけています。伝統的な「素読」、「暗唱」は、戦後教育の中で、長く「つめこみ」として拒否され、子どもの自主性、主体性、あるいは個性、創造性に敵対する元凶として否定されて来ました。本当に「詰め込み」は創造性の敵だったでしょうか!?「詰め込み」を拒否して、「主体性」は育ったでしょうか!?
  成長期の有用な知識をつめこんだぐらいで、縮こまってしまう「個性」や「創造性」であれば、なんとちゃちなものだったでしょうか!反対に、人生に不可欠なものを、人生で唯一可能な幼少年期に「つめこんでもらえなかった」子どもの不幸は誰が責任を取るのでしょうか!?戦後日本の指導法の最大の誤りは、半人前の子どもの「主体性」や「欲求」と引き換えに、生活文化の基礎・基本を「詰め込む」ことに失敗したことです。
  それゆえ、今回の実践研究の暗唱教材はいろはかるただけに限定しませんでした。ご家庭の協力もいただいて保護者にも聞いていただくお願いをしました。
  全校発表の朗唱は発声法が試され、リズムが問われ、チームワークが不可欠です。朗唱の発表は身体表現の集団行動と基本は変わらないのです。もちろん、東北大学、川島隆太教授が証明した脳の活性化、知的作業の準備運動の意義を前提としていることは言うまでもありません。


 

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