HOME

風の便り

フォーラム論文

編集長略歴

問い合わせ


生涯学習通信

「風の便り」(第88号)

発行日:平成19年4月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「教育公害」の発生を助長する教育論の特性(2) 「単眼」の教育論−「Single Issue主義」

2. 「教育公害」の発生を助長する教育論の特性 (2) (続き)

3. "年寄りは死んでください国のため"

4. 出口のない癒し−「子育てサロン」の行方−

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

出 口 の な い 癒 し − 「子育てサロン」の行方 −

 1   出口のない癒し                                                 

  子育て相談や子育てグループのネットワーク化のプログラムが盛んである。筆者のところにも数種類の報告書をいただいている。気になるのは多くの報告書が「出口のない癒し」や「処方のない診断」に終始していることである。保護者の「交流」も「情報の交換」も「ほっとすること」も大事なことであるが、仮にそれらがうまく進んだとしても、子育ての実質的作業は、変わらずに残る。子育てサロンで仲間を見つけても、子育ての義務は変わらない。"苦しいのは自分だけではないのだ"とほっとしても、養育行動の実質負担は何ら変わらないのである。子育てサロンに自らの居場所を見つけても、子育ての緊張や負担感から解放されて一時的に救われたとしても、「一人前」の育成の任務も義務もまだまだ終らない。「癒し」は大切であるが、それは具体的作業の出発点にすぎない。状況の診断も重要であるが、処方の実践が伴わなければ、状況の改善はできない。公的施設が時間と金をかけて実施する家庭教育や子育て支援に対する教育の「カウンセリング」的アプローチだけでは問題は解決しないのである。
  真に重要なのは問題解決の実践であり、実践の中身を決定する「原理」と「方法」である。サロンで自分と共通項のある仲間と出会って参加者は楽しかったろうが、その後の子育て実践に何か変化は生じるのか?それとも気を取り直してこれまでの苦労を再び繰り返すのか?問われるのはそこである。
  現代教育は惨めな失敗である。養育の失敗についても、いじめの悲劇についても多くの癒しが語られ、多くの診断が発表されるが、効果的な処方の実践は見あたらない。家庭教育も大問題だからこそ、家庭教育支援が公的に行なわれるのであろう。真の課題は現行の教育プログラムや子育て実践を変革することである。何よりも当面の具体的課題は3代続いた「過保護」を止めなければならない。

 2   「宴」の後                                                                

  みんなが集まればエネルギーが生まれる。ネットワークが出来れば新しい交流も楽しいことだろう。楽しい祭りは人々の「元気」を生み出す。それゆえ、出会いは大事だが、公的に支援する以上は予算も時間もかかる。それゆえ、行政は支援事業の優先順位を決めなければならない。宴を作ることも、宴への参加を促すことも、そこから「元気」を生み出すことも少子化の防止や子育て支援の決定的な決め手にはならない。このような集まりに参加できない、あるいは参加しない人々への支援にもならない。「宴」の後に子育て実践がそのまま残ることも上記の通りである。
  鍵はシステムとしての保育と教育の統合である。したがって、幼保の一元化と学童保育と教育における子育て支援のドッキングである。家族が負っている養育の負担を減らし、子どもの発達上の保護者の心配を緩和できなければつぎの子どもを育ててみようという気にはならないであろう。
少子化防止の答えは「子育てサロン」ではない。「養育の社会化」である。子育て支援は女性支援であり、なかんずく働く女性の養育負担の軽減である。同様に、子育て支援は現状の子育ての諸問題を教育的に補完する発達支援でなければならない。国の政治家が「放課後子どもプラン」の機能と意義に気づいたにもかかわらず、地方の政治家や行政はその発想をほとんど実行に移してはいない。少子化防止、子育て支援に関する限り、地方の分析力も実行力も極めて弱く、国の方針にも従わない。地方分権論の幻想に落胆したのは筆者だけではないであろう。少子化は政治課題である。地方政治の質が問われ、行政の自己調整能力が問われ、行政に対する政治家の指導力が問われている。

 3  カウンセリング的アプローチの限界

  当今のカウンセリングはアメリカの心理学者ロジャースの流れを汲んで、「積極的傾聴(Active Listening)」を基本とする。積極的傾聴はクライアントの現状の肯定と受容を前提とする。それゆえ、「癒し」はクライアントの現状を受容し、否定しないことから起こる。人々の現状を"これでいいんだ"と肯定することによって辛さや欲求不満を解消するのである。しかし、子育ての努力は数年〜十数年に亘る連続である。現状を肯定するだけで決して問題は解決しない。家族の負担も変わらない。"みんな同じように苦労しているのだ"と心情を分かち合う同士を発見しても、仲良しクラブの交流の範囲を地域を越え、郡域を越え、時に県域を越えて広域化したとしても、それで子育ての苦労や負担が解決する訳ではない。
  学校教育がカウンセリング的アプローチに影響されて、不登校や引きこもりや非行やいじめなどに対処しようとして来たが、結果はどうか?成果は上がっているのか?状況は改善されていないではないか!社会教育よ、おまえもか!?である。

←前ページ    次ページ→

Copyright (c) 2002-, Seiichirou Miura ( kazenotayori (@) anotherway.jp )

本サイトへのリンクはご自由にどうぞ。論文の転載等についてはメールにてお問い合わせください。