研修効果を問わなくていいか−『公金投資のアカウンタビリティ』
−実践を前提とした宿泊型断続研修における人間関係の形成過程と実践力の養成−
(*註 本稿は第76回生涯学習フォーラムにおいて、山口県生涯学習推進センター主担当赤田博夫、九州女子短期大学 大島まな助教授の御両名が発表された資料と,前2名に三浦が加わって,事前に反省・協議を行なった時の論点を複合して、三浦が文章化したものです。残念ながら従来の座学研修に慣れた、フォーラムの大多数の参加者には発表の意図や研修方法を革新したことの『衝撃』が十分に通じていないと感じました。質問も反応もなかったのはそのためだったでしょう。
島根県出雲市の浜田満明校長先生が実践された『学校主催の通学合宿』が内容・方法ともに強烈であったということも影響したのでしょう。しかし、山口研修の革新性はその影響の及ぶ範囲において、公金の投資効果において、生涯学習推進の人的な資源を具体的に発掘した実績において、先の出雲の実践に優るとも劣らぬ意義を有していると確信しております。筆者が関わり,かつ見聞している多くの座学研修が目に見える効果を上げることが出来ず、相も変わらず,「むり」と「むだ」と「無評価」を続けていることは周知の事実でしょう。事務局を担当して、試行錯誤を続けてきた赤田博夫氏の功績を検証する意味も込めて一文にしたためてみました。)
1 実践と理論の往復運動−実践を前提とした研修・研修を組み合わせた実践
(1) 人材育成とは何か
山口生涯学習推進センターは研修目的を単なる「Catch-up学習」や「政策適応研修」の課題を超えて、確実な人材の「育成」と「蓄積」に置いた。当然、「後者のようになること」は望ましいに違いないが、見聞する研修はそうなってはいない。とすれば「人材育成」とは何か、「人材蓄積」とは何か、が問われなければならない。何がどう変われば「人材」が育成され、蓄積されたことになるのか?しかも、答えは具体的でかつ単純でなければならない。複雑な目標を現行の研修日程や予算の範囲内で実現することは不可能であることは明らかであるからである。従って、「人材育成・蓄積」の定義:研修の目標は2点に絞られた。
第1は県内各地で自らの意欲と方法によって持続的に何らかの生涯学習関連事業を創始する初発集団(イニシャティヴ・グループ)を形成すること;要は「実践者」の育成である。第2に研修終了後に自らの実践との関わりを糧として、継続的に生涯学習推進センターの生涯学習事業に参加・協力が得られる人々;すなわち「生涯学習ボランティア」の確保である。
生涯学習推進センターは、過去、従来型の座学研修を積み上げて来たが、センターが期待する「人材」は遺憾ながら育たず、かつ蓄積もされていないことを自覚し、「座学研修」からの脱却を目指した。折しも、研修改革と時を同じくして、センターの母体である(財)山口県人づくり財団は、県内外の生涯学習の優れた実践者を糾合した「人づくり・地域づくりフォーラムin山口」をセンターのメイン事業として発足させ、生涯学習の振興を図ると同時に、センターが育成・蓄積した人材が活躍できる舞台を創設したのである。
研修は3カ年にわたって同一事務局、同一テーマ、同一講師陣で展開された。研修は土日に亘る2日間研修を2回繰り返し、最後は土曜日の1日研修で締めくくる3回−5日間の断続研修である。また、第2年次以降は土日の連続研修に『宿泊』と『懇親会』を追加したので「3回−2泊−5日』の日程となった。最大の特徴は、3回?5日間の研修日程の間に参加者がテーマ別のグループを編成して実際に地域の生涯学習事業を起業するという点であった。それゆえ、研修生が実際に生涯学習事業の"戦力"として育成できるか、否かは本「研修」の成否を占う『鍵』となった。研修の目的は実践者の育成であり、『実践」の遂行であり、研修の実行過程がそのまま理論と実践の往復運動となったのである。上記人材の育成が出来なければ、目標に照らして研修の『効用度』は低かったと言われても弁明の余地はないのである。
(2) 実践を組み込み、実践を前提とした研修計画の採用
実際に泳げるようになるためには「畳の上の水練」では効果は上がらない。水に入る以外近道はない。それゆえ、新しい研修計画は研修参加者に実践を前提とする約束を迫った。しかし、導入の初年度、研修参加者の大部分は行政システムの推薦によって上がってきた社会教育の職員であった。結果的に、従来の研修のあり方に慣れ切った大部分の参加者は「実践の約束」を正面から受け止めることはなかった。もとよりセンターに研修参加者を実践に駆り立てる「強制力」はない。第1回研修は大いに実践を語りはしたが,理屈が事実によって検証されることはなかった。初年度第1回研修は通常業務の評価を語るだけの座学研修に終始し、山口県が掲げた研修目的を達成できなかったのである。そこで第2回以降は,『義務的研修参加者』を捨てて、研修参加を完全「公募制」による「希望参加」に切り替え、合わせて募集時に当該研修には実践の義務が付随していることを周知し、条件づけたのである。
公募結果は、大部分の参加者が民間グループ・サークルのメンバーと一般の個人参加者になった。従来の行政主導型社会教育からの希望参加者は皆無に近かった。研修生の募集については、従来の、教育事務所や社会教育関係施設からの推薦方式とは完全に訣別したのである。また、研修のシステムは、座学主導、分野別講師の日替わり入れ替え方式とは完全に訣別したのである。目的は、ただ1点、生涯学習関連事業を創始する意欲とエネルギー、内容と方法を身につけた人々の育成に焦点化した。
(3) 「モデル」の提示とその背景の分析−「問題意識を紡ぐ」
研修課題は知識ではなく、「実践の意欲やエネルギーを伴った知識」である。知識だけならゼロからの出発も不可能ではないが、実践を前提とした知識はゼロからの取り組みは至難の業である。何もないところから問題意識を紡ぎだすことも不可能ではないが、極めて難しい。そこで現在生涯学習を巡って行なわれている様々の優れた事業と人のモデルを紹介し、当該事業が創始されるにあたって推進したのは誰か、どのような背景・理由があったのか、事業の目的は何か、事業は何をどこまで達成しようとしているのか、目標達成のためにどのような中身と方法を採用しているのか,等々、ハーバードビジネススクール等で用いられる『ケーススタディ』メソッドにならった解説・理解から入った。講義の後,モデル事業の論理と成果が参加者の研修動機と交差して,彼らの問題意識を紡ぎだすことが出来れば,次はKJ法の作業に入ることが出来る。KJ法による第1の討議テーマは「なにゆえに、何をやりたいのか?事業の理由は?その背景は?」である。
(4) 「効用」の意味−理論と実践の往復運動
すでに実践中の者に対する研修はその中身や方法についての「座学」でも役に立つことは多い。理論を説明する言葉が現場の実践とつながっているか、否かを研修生自身が判別できるからである。論理も方法も現場の事実によって検証される。しかし、従来通りのやり方を踏襲し、新しい実践に挑戦してこなかった人々に対する研修は「座学」ではほとんど意味をなさない。なぜなら、実践の体験のない者にとっては、いいも、悪いも、役立つも、役立たないも、言葉の背後にある現実の風景や事情が見えないからである。「理屈と膏薬はどこにでもつき」,「口では大阪の城も建つ」が,実践の事実は頑固である。
実際にやったことがなければ,基本的には言葉を鵜呑みにするしか方法がない。社会を知らない学生や生徒に対する講義が、教える側にとっては「知識の詰め込み」となり、教えられる側にとっては無味乾燥な言葉の羅列にならざるを得ない事情も、通常、彼らの想像力が現実の風景や現場の事情を感得するだけの体験を踏んでいないからである。そのため実践を知らない者にとっての「座学」の優劣は実践に対する「効用度」ではなく、講師の熱意やその表現力の「優劣」で判断される場合が多くなる。
しかし,社会教育研修の意義は第1に「効用度」である。研修過程の指導が新鮮であったか、理解可能であったかは、すべてこれからの実践に役に立つ研修であったか、否かの効用度に収斂する。もとより「効用度」の判断基準こそが現場に存在する。現場こそが問題解決の成否が示される場所だからである。それゆえ,現場体験の乏しい参加者には講師や講義の評価は出来ても、研修効果の評価は正確には出来ないと考えるべきであろう。
いまだ現場を踏んでいない者(現場感覚に乏しい者)に対する研修は講義と実習を連動させ、参加者自身が,「実践と理論の往復運動」をしなければならない理由がここにある。実践を研修に組み込んだのは、理論及び計画案の「現場検証」を行ない、あわせて現場実態から新しいアプローチや考え方を導くためである。
「現実対応能力」は実際にやってみない限り検証は難しい。水に入らない限り泳ぎの能力は証明できないのと同じである。参加者の意欲や好奇心が継続できるよう2年目からはサポートスタッフ体制を導入した。サポートには過去のセンター関連事業でその実力を認められた地域のグループ・サークルの活動家を依頼した。少なくともサポートにあたったスタッフは何らかの実践を続けてきた人々である。彼らの現場感覚は実践に向かって参加者を引っ張り、重要なリーダーシップを発揮したが、時に『吉』と出、時に『凶』と出た。現場感覚はこれまで踏んできた『現場』によって制約されるからである。実践者は時に『成功体験』にこだわり、『失敗体験』に縛られ、新しい挑戦にブレーキをかけることもある。そこで研修第2年度の最終回にはサポートスタッフを一般参加者から離して、上記の『人づくり・地域づくりフォーラムin山口』の運営企画を立案する課題に集中してもらった。結果は山口県のスローガンにある「一石数鳥」の収穫を得た。参加グループの実践案は多様性を失わずに実践に移され、大会フォーラムは行政主導の無味乾燥な運営から官民恊働の多彩なアイデア溢れるものに変身し、事実、大部分の研修生が当日の大会運営を支えることになったのである。
初回2日間の研修でKJ法によって班別に作成された実施計画はそれぞれの班が選んだ地域に持ち帰って実際に事業化するのである。第2回目の研修にはその結果報告を持ち寄ることにしている。もちろん、計画や分析が正しくてもその他の要因のために実行できない場合もある。それこそが「現場検証」の作業である。なんらかの事情で出来ないのであれば,障碍を回避し、やり方を変更して再度工夫しなければならない。現場実態は往々にして新しいアプローチを要求しているからである。研修チームの実施計画は細案の段階で何度も修正が行なわれた。理論と実践の往復運動とはまさしくこのことを意味している。
2 研修の「費用対効果」
山口県は今回の人材育成と蓄積のためになみなみならぬ財政上の決意を示し、参加者にまで旅費の実費を支払ったのであるが、2年目の途中からは研修を受けさせてもらった上で旅費までは受け取れないという理由で辞退者が続出した。参加者の『向上実感』がもたらした結果であろうと想像している。通常の行政研修とは発想も雰囲気も全く異なっていることが分かろう。研修経費の「費用対効果」の比率を高めるためには、研修生が知識や技法を学ぶにとどまらず、「現場体験」・「実践体験」を経て「現実対応能力」を体得することが一番である。学んだ成果が県内各地の生涯学習事業の実践となって現れれば、「費用対効果」の優位性は疑いようがない。事務局の評価では第2回研修では参加者の7-8割が「起業」実践に参加し、第3回研修は参加者のほぼ100パーセントが実践に参画した。
どの分野にもあるとは思うが,社会教育の研修事業は基本的にやりっ放しである。お決まりのアンケート以外に研修効果の確認方法は存在しないと言って過言ではない。試験をやっても,レポートを書かせても確認できるのはせいぜい知識と思考力にすぎない。これに対して実践と組み合わせた研修は「現実対応能力」は現場が証明してくれる。実践の結果も残る。「論より証拠」は実践研修の最大の強みである。成果は参加者の「現実対応能力」の向上だけにとどまらない。後に,彼らの自信とエネルギーと知識は山口県最大の生涯学習大会の運営を支えることにつながって行くのである。研修生が実践の現場から身につけた「現実対応能力」は、臨機応変の接客態度やプログラム進行上の運営技術、参加者と運営者を兼ねた協力の姿勢は、後の「第1回及び第2回人づくり・地域づくり大会in山口」で十二分に証明されたのである。
山口県は県全域にいつなんどきでも生涯学習事業の「核」となりうる「人的資源」のストックを確保したのである。
3 なぜ宿泊型か?
研修はウィークエンド・プログラムの形式を守った。土日を活用した理由は一つではない。土日は最も長く研修に利用可能な時間を確保できる。また宿泊を入れれば、日にちをまたがって、連続研修が可能になり、KJ法のような自主作業による演習の時間が確保できる。宿泊に伴って,研修を側面からサポートする
意味のある交流時間を工夫できる。一般に開放して公募した関係上、土日活用の県民ニーズに合致している、等々があげられる。連続研修の最大の目的は「宿泊」による「交流」の促進であり、実践及び研修に対して意識を集約し、共有することであった。
そのために経費を節約した「自前」で,「持ち寄り」の「懇親交流会」を創設した。もちろん参加は任意であるが,最後はほとんどの方々が参加するようになった。手作りの懇親・交流のプログラムは、参加者が自ら作り上げたものであるため,参加意欲も高かった。「持ち寄り」義務については講師陣も,事務局も、もとより例外ではない。交流会は、班別のチームをまとめ,参加者を繋ぎ,中根千枝氏のいわゆる「体験を共有する時間」をたっぷりと保障したので、連帯感の向上は著しかった。研修の終わりが縁の切れ目になっていないのは宿泊と懇親がもたらした「同じ釜の飯」効果である。それは人々の自尊感情に基づく防衛システムや羞恥心の壁を取り払い、相互の感情移入がおこり、人々は一気に打ち解けさせたのである。宿泊時の共同風呂の効果も「裸の付き合い」として日本人の胸襟を開く効果があったことも見逃せない。談笑は「会」の終了後も各自の部屋で三々五々続けられたことも明らかであった。
最終年度の宿泊型研修は断続的に3回実施し、その都度、懇親・交流会も実施したので3回に及んだ。もちろん、準備、後片付けなど「会」の実施には多大の労力を要したが,「手作り」の原則に基づいて研修生及び事務局及び講師陣の総参加で行なったため,事務局の「負担感」は相対的に遥かに少なくて済んだはずである。『研修民主主義』の成果と呼んでいいだろう。当然,上記の効果は参加した事務局員及び講師陣をも変えたことは疑いない。研修関係者は実践の"戦場"をともにした「戦友のチーム」になったのである。
4 継続研修の効果と意義
実践を間に挟んで、同一講師陣による宿泊型の研修を連続させたことは理念と方法の一貫性を維持し,研修の目的を拡散させない効果をもたらした。一貫指導の最大の利点は,当面、実践に直接関係のない情報や知識は選別し、焦点化できることである。
たとえ有益な講師や情報がもたらされても、実践を前提としたプログラムの集中が失われれば、研修の目的と中身が拡散しやすい。「いろいろあっていいんだ」という雰囲気は研修生の緊張感を拡散し,到底実践に向けてのエネルギーを持続・保障することは出来ない。実践を研修上の必須課題ー責任課題とする上で同一講師陣による一貫指導は重要であった。個人の都合は色々あったであろうが、研修はまるまる二日間を、断続的に2回、まる一日を1回、計3回合計5日間行った。毎回、参加者の7-8割が懇親会に参加し、半数以上が宿泊した。結果的に、KJ法の討議を尽くし,KJ法によって作り上げた自主編成プログラムの作成および発表の時間を保障することが出来た。また、事業化への挑戦のプロセスで想定外の諸問題に遭遇し、計画案及びその実施方法の修正が迫られることは当然である。実践の進行中の研修においては,実践の成果を持ち寄り、「plan-do-check-action」の計画評価のサイクルに倣って班別の机上演習をプログラム化することも可能になった。自主企画、自主編成のプログラムおよび実践の経過は、毎回の研修で、班別に分担発表の時間をスケジュール化することで,プレゼンテーションの練習,他の研修生の質疑・批判に耐えうる中身と方法であることを再確認する作業となった。具体的な実践の試みから生じた諸問題を解決する作業過程がいっそう各班別チームの団結を強めたことは言うまでもない。最終日は実践した事業の点検を課題とした班別及び個人の評価レポートの作成をもって研修を締めくくったのである。
5 「KJ法」の革新性と創造性
KJ法の革新性は全員参加を保障できるところである。KJ法の第1段階であるブレーン・ストーミングは、参加者の発言に対する質問や批判を禁じ,「演説」や「解説」も禁じる。翻って、質を問わず,内容を問わず、例外なく全員の発言を促し,全員の発言を記録する。批判や質問や演説でない限り,全員の発言が記録される。また、全員が持ち回りで「記録者」の機能を果たすように工夫すれば,記録の「こつ」も、発言の「こつ」も自然に学んで行く。完成した「まとめ」の発表会を実施すれば各自の表現力・プレゼンテーションの力も向上して行く。KJ法でなければ自主企画、自主編成、自主評価など全員参加型の研修を続行することは極めて難しい。「KJ法」の創造性はあらためて解説は不要であろう。参加者全員の意見・視点を寄せ集めるだけで新しい発想が生まれる訳ではないが、全員の発言が論理の体系にまとまって行く過程は例外なく多くの参加者を感動させる。KJ法は学習や思考過程の「民主主義」と呼んでいいだろう。継続研修の中にKJ法の作業時間を十分に確保したことは正しい選択であった。また、参加者から出された個々の意見や分析の情報を「似通ったものどうし」のグループにまとめてタイトルを付けて行く「表札づくり」の作業過程やまとめられたグループごとの「関係性」を見いだそうとする作業過程を通して、目標とした当該実践の全体像を把握し、問題の構成要因を理解し、それらは班別の発表実習を通して仲間と共有されることになる。後に実践に移った段階でチーム仲間の理解が拡散しないのも、実践の目的・方法がぶれないのも作業過程を共有したKJ法の共同実習が生み出したものだからである。
6 事務局の支援体制と具体的な応援
事務局は応援と評価と広報の機能を受け持った。参加者の意欲にも、エネルギーにも「波」があるので絶えざる「応援」と「社会的承認」が不可欠である。支援の第1は応援である。「応援」は「監視」を兼ねて人々が研修の目的を見失わないよう常に連絡を絶やさないようにすることが肝要である。事務局も講師陣も各グループの実践現場へ幾度となく足を運んで、実践の進捗を見守っていることを参加者に知らせ続けたのである。また、2年目は3千円の通信費、3年目は3万円の事業スタート予算;「seed
money」を準備した。市民参加者の大部分にとっては予算計画の立案とその執行についての体得の機会になった。
第2は「社会的承認」である。社会的承認とは実践の意義を認め、その方向が間違っていないことを第3者の目で評価することである。 研修内容の「理解度」や「新鮮度」は本人の申告によるが、実践の評価は自分がするのではない。他者がその意義を認めるのである。事務局はその「他者」を代表しており、それゆえに、事務局の承認は社会に代わって実践の意義を評価・公認するという「社会的承認」の機能を果たすのである。実践の多くは地方のメディアに注目され,メディアによる報道も「社会的承認』の機能を果たしたことは言うまでもない。研修生の「やる気」の継続には「応援」と「見張り」と「社会的承認」の機能が必要であった。
支援の第3は「広報」機能である。事務局は絶えず他のグループの現状を把握し、全グループ及び講師陣に報告した。「人並み」、「横並び」を尊ぶ日本的集団は基本的に最も進んでいるグループをモデルとして奮起する。山本七平が指摘した「隣百姓」の論理である。最も進んでいる「隣の百姓」より遅れていることを知らされることは「がんばらなくてはならない」ことへの「警告機能」を果たしている。かくして、実践の努力は脱落者なく続いたのである。
7 具体的な成果
研修3年目の実践は6グループ6つである。
グループの編成は実践時の会議や共同作業の関係があるので、可能な限り居住地域が県内近接のメンバーによるものとしたが、選んだテーマや方法によってそれぞれの興味が異なるので、実施計画立案後の所属グループの変更は認めている。
第1グループ(5名) 「子どもふく福事業」−地域の宝見つけませんか−
(宇部市の東岐波地区を対象に子どもたちが「訪問ボランティアグループ」と共同して、夏、冬、春の休暇中に誕生ケーキを自ら作り、地域内の独居老人宅を訪問して世代間交流を体験した。)
第2グループ(4名) 「休校となった小学校を活用して過疎に立ち向かい自然と歴史を生かす」
(岩国市と合併した旧美和町,長谷地区の休校の小学校を拠点に地域おこしのプログラムを創設することを目的に、地域住民との恊働事業に取り組み始めている。)
第3グループ(4名)「防災のためのまちづくり学習会」
(山口市の大内地区を対象に防災を手がかりとし、アンケート調査を実施、報告会を兼ねたまちづくりのための学習会を組織化した。)
第4グループ(4名) シニアのための生涯学習「きらめき塾」
(山口市大歳地区を対象に会費制全6回の学習会をプログラム化。歴史、健康、市内探訪等を組み合わせた生涯学習・交流プログラムである。)
第5グループ(7名)「heart to Heart」
(下関市を中心に心臓病をもつ子どもの親の会が子どもたち自身の自助組織を確立するため、親子及び研修生の恊働で4回のセミナー「Heart to
Heart」を実行した。)
第6グループ(6名)『長門寺子屋」−子ども文化村で新しい風を作る
(長門市を拠点に6名のメンバーが二つの子育て支援プログラムを創始。まずは2カ所の『土曜塾」からスタートした。)
*註1 実践の詳細は、最終報告書『平成18年度生涯学習活動プランナー養成セミナー実践事例集」((財)山口県ひとづくり財団発行)を参照いただきたい。
*註2 「第1回人づくり・地域づくりフォーラムin山口」は第2回研修生の大半が大会ボランティアとして参加して支え、第2回大会は第2回および第3回研修生の大半が同じように支えた。人材の『蓄積』が進んでいることの証明の一つと考えていいだろう。
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