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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第65号)

発行日:平成17年5月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 2つの「モデルハウス」−2つの「お試しセット」

2. 「学校評議会」のTPO −なぜ「すぐれた学校」に「素人の意見と権限」を入れるのか?−

3. 徒労のアンケート−悪しき「員数主義」、女子学生の質問 『女はなぜ子どもを生まないのか?』

4. ななめ読みの感想−平成17年5月29日日経新聞日曜版−

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

お知らせ 第57回生涯学習フォーラム

  フォーラム実行委員会では第25回中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会を期して記念出版を行うため編集の準備を開始しています。そのため当分の間、各地の事例発表のお招きはお休みとし、代わりに、過去の「交流会」の発表の中から注目すべき事例を選び、その意義と内容・方法を実行委員の持ち回りによりそれぞれが小論文の形にまとめて発表する形式を取ります。

◆日時: 平成17年6月18日(土)15時-17時 のち「センターレストラン『そよかぜ』にて夕食会」
◆場所: 福岡県立社会教育総合センター
◆テーマ及び事例取りまとめ者:
1 正平辰男 (仮)「生活体験学校が問うたもの」(東和大学)
2 永渕美法 (仮)「きよらの里づくり」(九州女子短期大学)
3 三浦清一郎 (仮)「生涯学習革命」の30年・・・実行委員座談会
ふるってご参加下さい。準備の関係上、事前参加申込みをお願い致します。092-947-3511(担当:恵良)まで。


◆ 編集後記 『時間消費の質』 ◆

季節は帰らない
誰も代わりには生きられない
力を尽くさねば生きたことにはならない
全力で疾走すれば
苦しい息の向こうに希望が見える
気力もエネルギーも不燃焼のままに時間ばかりが流れてはいないか
希望や意志や沈潜や独歩
これらの言葉がいまだに息づいているなら
始めてみないか
朝の二時間
志の似通ったものが
ただ黙って本を読むだけのことだが

  上記は筆者の福岡教育大学の時代に学生に呼び掛けた「早朝読書会」の参加者募集の一文である。当時は自覚していなかったが、「同志」は「志縁」によって形成される。人生をできるだけ悔いなく過ごすためには「時間消費の質」の似通った人々と暮らすしかない。「時間消費の質」の共通性とは、生きる上での価値観や感情が似ており、類似の風景を好み、似たような不正や不作法に怒り、悲しみや淋しさを分かち合うことができることである。
  学生の指導には長い時間と多くのエネルギーが必要である。それゆえ、偶然割り当てられた学生と人生の波長が合致する保障は少ない。波長が合わない学生の卒業論文や就職指導にはどうしても気合いが入らず、給料分だけの義務的任務で終わってしまう。せっかく一期一会の縁によって帰らぬ季節を共に過ごすのであれば、自分で選別して、未来の同志を育てたい、という感覚的な発想が底流にあった。学生もまた我が「同志」であって欲しかった。斯くして朝の6時から集合する「早朝読書会」は未来の同志に巡り会う有効な仕掛けとして機能した。
  人間関係の基本は「志縁」である。高齢社会の真只中で年をとった今、こんどは明確な思想として、確信を持って老後の交友関係の質を考えるようになった。平均寿命世界一の日本では、定年後の生涯時間は20年である。現行の生涯学習や福祉プログラムが提供する「ゲートボールやグラウンドゴルフと歌と踊りと風呂」だけで残された20年を暮らせば、脳細胞が死滅するか、当方の気が狂う。問われているのは「時間消費の質」であり、欧米流の「Quality of Life」の中身である。
  先日、ある団体から近隣コミュニティの「近所付き合い」がもっとも重要である、という趣旨で講演のご依頼があった。しかし、筆者は「近所付き合い」がもっとも重要であるとは考えていない。「志縁」による「同志的」人間関係がもっとも重要であると考えている。「地縁」と「志縁」の共通点は無い。それゆえ、志が共通で、波長が合い、人生の価値や感情を共有できる仲間が常に近所にいる可能性は少ない。本当の「仲良し」は、線路の向こうにいて、隣町にいて、時にはもっと遠いところにいる。依頼者には自分の考えを御説明申し上げて丁重にお断りした。"「男女共同参画」一つをとってもあなたの人生の同志は御近所にいらっしゃいますか"、と尋ねたら、依頼者も筆者の考えに同感であるとおっしゃって、再度講演「テーマ」の変更を実行委員会にお諮りになった。しかし、協議の結果は否決されたので今回の講演依頼は無かったことにして下さいとご連絡があった。それでいいのである。年をとった今、残されたわずかの時間を自分の意に添わない仕事でいやいや消費したくはない。

  第24回の大会直後、アメリカから久々に娘が帰国した。彼女には山口県の自分の講演の仕事場を見せ、毎日わが友犬と散歩にでかける「カイザーの森」の細道を共にくまなく歩き、公民館の英語ボランティアの授業に参加させ、日課のプールで一緒に泳ぎ、愛好する隣町の温泉に出かけ、行きつけの「そば屋」の蕎麦を食い、妻は老後の生活設計を語った。宗像「ごはんや」だけは案内の機会を逸したが、できるだけ具体的に我ら夫婦の日常の紹介に務めた。「カイザーの森」の丘の頂きにはどんな風景が広がっているのか、どんな風が吹いているのか、「時間消費の質」はメールや手紙だけではなかなか伝えることが難しい。どこまで共通の時間を持てたか、どこまで「時間消費の質」の同質性願望を伝え得たか、自信はない。しかし、今の彼女には自らの「時間消費の質」を保障するものが日本にはないのであろう。「アメリカには個性を認め、自分を発揮させるものがあるのです」と公民館の英語学習者達に語って、疾風のように来て疾風のように再びアメリカへ帰って行った。

季節は帰らない。
誰も代わりには生きられない。
力を尽くさねば生きたことにはならない。

私の感想は遠いあの頃と同じである。
 


『編集事務局連絡先』  
(代表) 三浦清一郎 E-mail:  kazenotayori@anotherway.jp

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