2つの「モデルハウス」−2つの「お試しセット」
−広島県「コーチズ」と島根県「リベロ」−
1 新しい時代の「モデルソフト」
第24回大会の「特別報告」において、生涯学習の「広言実行」を提案した。その本意は、プログラムの理念と方法と実行プロセスの「情報公開」である。従来の、社会教育事業は分かりにくい。分かりにくさの第1は、目的が不明瞭であること、したがって結果が提示できないことである。第2は、方法に工夫が足りず、前年踏襲のマンネリ化が続いていて、反省と改善の方向が示されないことである。第3は、上記2点の原因である評価システムの欠落である。生涯学習事業の多くは、「費用対効果」の発想に乏しく、活動成果は「指標化」されていない。具体的な評価が無ければ、当然、改善の方向も方法も示し得ない。結果的に、実行プロセスは公開されにくくなるのである。それゆえ、筆者の主張は他の産業界に倣って「モデルハウス」の公開、「お試しセット」の提供、「体験プログラム」の多様化、「実行マニュアル」の公開等々であった。要は、生涯学習における意識的・目的的な「モデルソフト」の開発と公開が遅れているのである。筆者が関わった長崎県壱岐市立霞翠小学校の「タフな子どもを育てるモデル事業」は「生きる力」を育てるための「モデルソフト」である。具体的には、体力、耐性、学力、社会規範の育成、家庭との連携、地域との連携、教員集団の発表力などを中身とする学校再編のモデルである。また、福岡県豊津町の「豊津寺子屋」の構想は「保育と教育」を総合化し、高齢者の元気を引き出し、女性の社会参画を推進し、最終的にはコミュニティの活力を向上させるための「モデルソフト」の開発である。当然、モデルソフトは開発の途上にあり、改良を重ねなければならない。それは建築における「モデルハウス」や化粧品における「お試しセット」となんら変わりはない。生涯学習では「パイロットプログラム」の積み重ねが重要になる。公開して多くの方々の批判と提案を受けることも重要である。公開こそがプログラムの進化と深化を促すからである。
2 金のとれる生涯スポーツ −広島県「コーチズ」−
今大回の発表には4つのNPOの活動報告がそろった。佐賀県武雄市の谷口仁史さんが発表した「NPOグループによる不適応問題に関する総合支援体制の創造と実践」、鹿児島県鹿児島市の後田逸馬さんの「NPOかごしま生涯学習サポートセンター設立の目的と経過」、それに表記の二つである。筆者には別の興味と関心もあって、全部を聞くことはできなかったが、選択的に表記二つのNPO法人の活動を聞いた。いよいよ時代が動き始めた、という実感をもった。日本社会のマーケットに出しても、「金のとれる」生涯学習が始まったというのが総括的な感想である。「コーチズ」の活動も、「リベロ」のプログラムも、生涯学習市場の需要に対応している。「コーチズ」は、生涯スポーツが介護予防と密接に関わった「証拠」を提示している。指導者の派遣は「健康づくり運動教室」に重点がおかれ、そこで稼ぎ、雇用を創出している。コーチズの活動は初めから生涯学習を目的としたわけではない。スポーツを特技とする人々が後継者の「コーチ」を思い付き、あわせて雇用の創出を目指した結果が生涯スポーツ分野への進出につながったという。青少年の指導ではまだ飯が食えないので、実践の試行錯誤の中から高齢者の健康指導に活路を見い出した、という児玉宏代表の説明が印象的であった。学校中心主義の日本では、学校外で専門家に金を払う習慣は「塾」と「家庭教師」以外にはないのであろう。
「コーチズ」の経営も企画も徹底した現場主義である。立ってソーラン節を踊れない人々には、椅子に坐ったまま踊る「座・ソーラン」を開発した。軽快なソーラン節のリズムに乗って椅子に坐ったままのソーラン節を踊る熟年者はやがて立てるようになる。健康体操に使用する特殊なボールも開発して年間一千万円を売り上げるとの報告もあった。紹介された映像の中の人々の楽しそうで、躍動的な動きを見れば、コーチズの指導がいかに有効であるか、容易に推定できる。少子高齢化のなかの生涯スポーツは、「医療費の削減」でも、「子どもの生きる力」でも、現行の"鳴かず飛ばずの"「行政主導型」プログラムを民営化して行けば、企業化できるのである。コーチズは指導のプロセスにおいて、雇用をつくり出し、その雇用機会を暴走族少年達の立ち直りに活用することもできた。行政では、福祉と教育の共同化というようなたった一つの縦割りの壁すら打ち破ることはできないのにNPOは軽々とそうした規制を乗り越えてしまうのである。
3 成果で勝負−島根県「リベロ」
「リべロ」のサービスも「コーチズ」と同じく有料である。浜田市の生涯学習「お試しセット」プログラムは機能している。「リべロ」は「働くお母さんの子育てと仕事の両立をお手伝いします」。「リベロ」の活動は学校週5日制対応の不備と学童保育の不十分を補い、子どもの安全を考慮し、家族の不慮の事態に対応して子どもを預かる。不登校にも対応する。「リベロ体験基地」は子どもの「生きる力」の向上も請け負う。長期の休暇中には体験と学習サポートを組み合わせた「スクーリング合宿」も行う。"「民」ができるものは「民」へ"、のスローガンのもとに、各種の規制を取り払った「特区構想」を提案した小泉総理大臣に聞いていただきたいものだと思って聞いた。
現行の子育て支援システムでは学校の振り替え休日には対応できないことが多い。学童保育の大部分は年齢制限があり、小学校の3年生までしか対応しない。実績が証明する通り、学校カウンセラーでは不登校や引きこもりを解決することは絶望的であり、最悪の公金の浪費の一つであると筆者が指摘し続けている通りである。「リべロ」や佐賀県武雄市の「NPOグループによる不適応問題に関する総合支援体制」はそうした難問に効果的に取り組んでいる。現在、学校カウンセラーに払っている給料は、プログラムの効果を確かめた上で、民間への委託金に廻すべきであろう。
現在の子育て支援システムでは、不意に発生する家族の必要に対応する保育の仕組みはほとんど存在していない。「リベロ」は子どもの送迎までサービスに含めて、天晴れにもその「空白」を突いたのである。
4 20世紀型プログラムの終焉
生涯学習推進行政には今や金はない。職員も急激な減少傾向にある。理由は明解である。行政主導型の生涯学習は暮らしの役に立っていない、ということである。生涯学習理念が珍しかった頃はともかく、現行の生涯学習施策では政治家は選挙には勝てない。住民の意識のレベルで見れば、現行の生涯学習プログラムなど選挙の争点にもならないであろう。それが近年の生涯学習の実績に対する政治の評価/判定である。20世紀のプログラムの役割は終わった。それらは「行政主導」に代表され、趣味と教養とスポーツを組み合わせた「学級・講座」型が主流であった。公金を投入し、成人市民の意欲の高い層を主たるターゲットとした。「民間ではやらないから」という理由で、理屈っぽい啓蒙型・説教型のプログラムを極々少数のお義理の受講生のために今も続けている。行政が何と理屈を付けようが、政治勢力が圧力をかけようが、生涯学習革命の洗礼を受けた新しい日本人にはすでに「動員」は効かない。「男女共同参画」も、「人権講座」もがらがらなのはそのためである。個人の「選択」が生涯学習の原理となった以上、人々が選択しないものに参加は得られない。異分野と統合し、市民の生活必要に根ざした魅力的なプログラムが組めない以上、社会教育が「お客」を失うのは必然である。
反対に、「コーチズ」も「リベロ」も21世紀のプログラムの象徴として登場したのである。「お客」の必要に答えようとしている。人々もようやく行政依存の甘えを自覚し、自分の利益のためには「対価」を払うことを学び始めている。多くの生涯学習プログラムにおいて「受益者負担」の原則を阻んでいるのは行政の側である。結果的に「安かろう、悪かろう」のプログラムはさらに「お客」を失うことに気づいていない。このように書くと「経済負担に耐え得ない層」を無視しているという批判を招くが、本気で「貧困層」の生涯学習をやろうとするのであれば、(前にも提案したことであるが、)かつて「公明党」の提案で全国にばらまいた「地域振興券」を徹底改良して「生涯学習振興券」として支給すればいい。多少の金はかかっても人々が健康学習やスポーツに取り組み、現代的課題についての知的レベルを向上させることになれば、立派に税金の元は取り返せるというものである。
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