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生涯学習通信

「風の便り」(第60号)

発行日:平成16年12月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 『 論 よ り 証 拠 』 総括−壱岐市立霞翠小学校のパイロット事業

2. 『 論 よ り 証 拠 』 総括−壱岐市立霞翠小学校のパイロット事業 (続き)

3. 60号記念小論 『風をつくった男』 宰相小泉純一郎論

4. 60号記念小論 『風をつくった男』 宰相小泉純一郎論 (続き)

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

60号記念小論 『風をつくった男』 宰相小泉純一郎論

 

■ 1 ■ 政治は論ぜず                                     
  「風の便り」は生涯学習通信だから政治は論じない。政治学者でもない筆者には、当然、個々の政策の成否や、適否について論じる能力もない。しかし、政治は個々の政策の総合として、時代や風土をつくる。それゆえ、小泉純一郎がつくり出した政治風土は生涯学習や生涯スポーツの舞台となる。政治は時代の雰囲気や文化を形成する。宰相小泉純一郎が登場して時代はどこを目指そうとしたのか?小泉政治がもたらした変化の「風」は社会や文化をどのように揺らしたのか?それが小論のテーマである。それゆえ、宰相小泉純一郎を論じても、政策の是非や政治姿勢の適否には最小限しか論及しまいと自制している。
  日経(2004.12.26)によると採点を問われた識者の6割が小泉内閣の経済政策に「及第点」をつけたという。マスコミは小泉改革を巡って終始批判的であった。理由もいろいろ論じられたが、大半は、既得権や利害の調整に関することで、結論は終始的外れの些末な政策のあら探しであった。経済政策の反対論者も、経済が上向いた今となっては、さすがに初めの頃のように気勢は上がらない。公共投資論者も沈黙した。"小泉改革は言葉ばかりで実行が伴わない"などとさも分かった風な解説をして来たメディアも、実行を妨げたのは、自分達の言動であることを少しずつ悟ったであろう。小泉改革の政治思想と政策の実行度の乖離に批判的であったメディアも世間の支持が続くと自信を無くした。最近は出たがり屋の識者の意見の陰に隠れてものを言う。また、そうした識者も、多くが変節しかつ変説した。小泉改革を酷評した人々も、メディア自身も、かつての自分の意見を忘れたかのようなふりをしている。"卑怯"な振る舞いである。かつて大声で吠えた連中も、自分の意見が間違っていたことが明らかになって、沈黙を守っている。この際、政治家やメディアの沈黙は無責任であり、不作為の罪に当たる。彼らは言論で飯を食っているにも関わらず、遡って自らの主張や学説の誤りを認めない。「人のうわさも75日」を決め込んでいる。"ずる賢い"人々である。声だけが大きくて、反小泉で格好だけをつけた連中は、さすがにメディアからも見放されて、テレビには登場しなくなった。こうした連中と同じ次元で宰相小泉純一郎を論じるつもりは毛頭無い。以下は問わず語りにかつての教え子達に解説した我が宰相論である。

■ 2 ■  『風をつくった男』                                   
  宰相小泉純一郎を一言で形容すれば、『風をつくった男』である。アルビン・トフラーの「第3の波」を意識すれば、時代の「波をつくった男」と呼んでもいいが、日本語は「風土」といい、「家風」といい、「風習」といい、「風流」といい、小誌も「風の便り」と「風」を名乗っているので、この際「波」よりは「風」がふさわしい。テレビ時代の政治家は役者も、演出家も、指揮者も兼ねなければならない。政治家でありながら宰相小泉純一郎は、あたかも役者や思想家やオーケストラの指揮者のごとく時代のシナリオを執筆・演出し、自ら主演し、時代の音楽を奏でた日本で最初の政治家だった。彼は、時代の方向を指し示し、これまでの日本文化とシステムをひっくり返して、人々の気分を一新した。「風を作る」とは、社会の雰囲気を醸し出すことである。ひっくり返したのは既得権益にしがみつく固陋なシステムである。打ち壊したのは日本を世界から孤立させる因習と伝統であった。結果的に、日本人の気分が一新したのである。新しいシステムが始動し、新しい試みが試されるようになった。そうした気分の中から、しきたりに囚われない「特区」構想が登場した。また、日本人でありながら日本の枠に囚われない新しい日本人が生まれたのである。世界で勝負しようとするイチローがその突出したサンプルである。
  今は未だ、開拓者はスポーツや優れた企業の技術分野に限られている。しかし、現在のあらゆる既得権益の壁を打ち壊せば、数多くの分野に新しいイチローがうまれるであろう。
  生み出すのは時代の風である。その「風」をつくったのがほかならぬ宰相自身であった。小泉純一郎の政治家としての最たる才能こそ「風」を生む力であった。浅薄な批判者は宰相の「パフォーマンス」と評するが、「風」を生む為には「パフォーマンス」の持続こそが重要なのである。彼は政治という舞台で一流の演技を続けているのである。彼の「パフォーマンス」は常にメディアを賑わせ、やがて時代の風になる。政治が生み出した「風」は報道のくり返しが支え、やがては浸透して、教育やメディアの「風」の方向を定める。教育が新しい「風」を理解し、本腰を入れて、人々に説くようになれば、そこから更に新しい「風」が生み出される。人々の生涯学習を支えているのも、生涯スポーツに人々が勤しむのも、すべて時代の「風」の為せる業である。そして、それらの「風」がエネルギー源となって次の「風」を生み出すという循環は、生涯学習や生涯スポーツの為せる業なのである。
  しかし、小泉内閣の文部科学大臣はすべてミスキャストであった。小泉自身が文部大臣を兼務して、教育システムの閉鎖された壁を破壊し、殻にこもった大学を打ち壊し、教員の免許制度や終身雇用制を流動化させれば、世界に通用する研究者も、芸術家も生まれるであろう。結果的に、日本人の中に世界の中で生きようとする「風」が生まれ、日本自身が世界の日本になって行くだろう。「風を起こした」宰相は日本人の敵が日本人であることを最も痛烈に知っていた人であった。だからこそ彼は頑固に方針を変えない。総理大臣が言い続け、演じ続ければ、「風」が起る。頑固に「風」にこだわるのである。「風」をもって日本人の変革、時代の変革を成し遂げようとしたのである。彼は、時代を変える「風」の重要性を一番自覚していた。しかしながら、最後に風を支える根源が教育にあるという事実認識においては不覚であった。システムを変える為には日本人を変えるしかない。文化を変える為にも日本人を変革するしかない。もちろん、日本人を変革する為には教育以外に方法はない。経済の構造改革が急務であったことは分かるが、それを成し遂げる為にも教育の「抵抗勢力」を粉砕することが最も重要であった。「抵抗勢力」の大部分は現行の教育システムの産物である。従って、そこを改革しない限り、ふたたびまた、旧態依然たる「抵抗勢力」を生みだしていく。教育の「抵抗勢力」を温存すれば、次の「抵抗勢力」を生み出す。小泉改革には、教育の「抵抗勢力」が生み出す悪循環の実態診断が不十分であった。それゆえ、小泉改革の時代精神を理解しない文部大臣の任命が最大の失敗であった。ミスキャストであるとはそういう意味である。小泉特区構想において最も消極的であり、最も想像力に欠けていたのも教育界であった。大臣の顔ぶれを見れば、新聞の報道は当然の結果であった。


■ 3 ■  「改革」と「再生」                                    

  総理大臣は「改革なくして成長なし」を馬鹿の一つ覚えのようにくり返した。短いフレーズのくり返しが小泉政治の真髄である。新聞を通して、テレビを通して、このスローガンは小泉政治を象徴した。時代は「改革」と「再生」のスローガンに彩られ、国民はこの二つの言葉の響きに慣れた。それが宰相小泉純一郎が生み出した最強の「風」である。「改革」も、「再生」も現状の否定から始まる。両者共に、現在の自己の否定である。現状に問題がなければ「改革」の必要はない。地域も、企業も潰れていないのなら、「再生」の必要はない。小泉政治の出発は現状では「ダメだ!」と言うメッセージで始まる。「改革」の2文字はいたる所に登場する。いわく、行政改革、経済改革、教育改革、年金改革、司法改革、特殊法人改革、規制改革、そしてすべてをひっくるめた構造改革という具合である。改革の風はあらゆる政策に多用された。公約書のマニフェストは「小泉改革宣言」と命名されたのである。一方の「再生」は「日本再生」に始まる。日本自体が沈没していることを国民に知らしめたのである。「日本再生」を構成しているものは、「地域の再生」であり、「都市の再生」であり、「環境の再生」であり、「経済の再生」であり、「教育の再生」であった。個々のスローガンの背景には個別の政策が掲げられた。それらの結果が成功であったか、否かは専門家の診断に任せるとして、少なくとも「再生」の必要に付いて国民に認知させたという点では成功であった。要は、現在の日本も、個々の地域も、個別の都市も、環境も、教育も、経済もダメだと認知した。小泉政治の診断は国民の間に深く浸透したのである。人々が理解すれば、そこから当然、再生方法の模索が始まる。いろいろと個別の批判はあっても、内閣が今日まで人々の支持を大きく失っていないのは、国民の多くが改革と再生の必要を認めているからである。
 

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