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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第55号)

発行日:平成16年7月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「経験則」を超える

2. 「保教育」概念の創造

3. 二つの後日談

4. 夏休み自然体験プログラムの創造

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

◆◆ 二つの後日談 ◆◆

◆ 1 ◆  『聞かなかった話』
  風邪からようやく立ち直って妻と食事に出かけた。食事の合間に54号に書いた短編時代小説「手習い子の家」の話を紹介した。当時のしきたりでは6歳の年の6月6日から読み書きの稽古を始める。女主人公は幼い娘の手を引いて「筆学指南」の先生の前に出る。『両手をついて深々と頭を下げる』。当然、子どもも母に倣う。先生は正装で、正座している。花が活けてあり、片側には手習い子の机が積んである。机には硯があり、子どもの名前が貼ってある。それが学習者と教育者がそれぞれの「役」を演ずべき舞台である。母は、用意した「授業料」を目録に包んで差し出し、頭を畳までさげて口上する。これが江戸時代の「入塾」の通過儀礼である。『本日よりこの子はお師匠さまを父上のように敬います。何ごとによらずお師匠さまのお教えはありがたくお受け申すよう、言い聞かせて参りました。よろしくお導きくださいまし』。
  この瞬間から「子ども」は「学習者」になり、先生は尊敬さるべき「師」の位置を獲得する。現代の教育や現在進行中の寺子屋にはこうした「舞台装置」が不足している。生身の教師の力量だけでは指導は不可能である。教育には教育の舞台装置が不可欠である。現代の教育が難しいのは教師自らその舞台を捨て去ったからである。筆者には、小説の中の入塾の口上がいたく胸を打ったこと、母の口上の精神が当時の社会の雰囲気と背景を代表していたこと、それに引き換え、自分が関わっている現代の子育て支援事業の「寺子屋」の雰囲気は"なっとらん"と嘆いて妻に話した。
  その時、私の話を黙って聞いていた妻からそれまで聞いたことのない思いがけない話を聞いた。私が仕事に没頭して駆け回り、下の息子の子育てにはあまり関わることのできなかった頃の事であった。話は同じく「舞台装置」の貧困であった。
  息子が幼かった頃、保育園は子どもの観劇を推奨して、多くの保護者が会費制の劇の鑑賞会に参加したという。当然、園の勧めを尊重してわが家も参加したそうである。ところが1回目の観劇に出かけて唖然としたという。会場は騒然、雑然の極みであり、集まった子どもの態度は放任と不作法を混合した烏合の衆であったという。何百人の子どもが走り回り、叫び騒ぐ喧噪は想像に余りある。にもかかわわらず主催者の指示はなく、注意する保護者もいない。そうした状況を放置すれば、劇の鑑賞にかぎらずあらゆる指導はできる筈がない。すぐにわが子も同じように振る舞っていいのだ、と判断するであろう。小人は付和雷同する。危機感にかられて劇も見ることなく、すぐに子どもを連れ帰り、以後2度とふたたび観劇には参加しなかったという。1年目の会費は掛け捨てにした、と言って妻は笑った。代わりに福岡まで礼儀正しい観劇に連れて行ったという。劇場とは「こういうところである」。観劇とは「こういう態度でするものである」。すべては無言の舞台環境が教えるのである。父も知らない、息子も知らない、聞いたことのない母の話であった。
  観劇の話は20年も前の事である。すでにその頃からそういうことがあったのである。今は、劇場で騒ぎまくった子ども達が親になっている。現代の「寺子屋」に江戸の折り目正しさを望むべくはないとしても、秩序と礼儀の欠如した放任の子育て支援ならやらない方がましである。猥雑な舞台は猥雑な観客を作る。喧噪の劇場は喧噪の観客に相応しい。舞台がないのではない。ろくな舞台しかないのである。観客がいないのではない。ろくな観客しか育てていないのである。我が関わっている「寺子屋」も同じ轍を踏まないことだ、と結論した。現代の「寺子屋」にはせめて往年の折り目正しさを回復したい。筆者はかならず初日に参加してひたすら声を張り上げる。礼儀の型が基本である。プログラムの前後には、先生方の前に直立させてあいさつを行う。暴力的な「声の威嚇」をもって子ども達を律している筆者を見て「有志指導者」も、実行委員も、あるいは保護者の方々もあまりの厳しさを異様に感じていらっしゃるかも知れない。しかし、筆者は「舞台」を作っているのである。「型」をしつける効果があって、子ども達の朗誦は見事になりつつある。蚊の鳴くような声は立派な音読になりつつある。整列も規律も少しずつ様になりつつある。集団行動ができるようになり、静かに自習もできるようになる。決め手は初日の環境づくりにあるのである。見学の方々も、いつかはお分かりになると思うが、「烏合の衆の子ども」が「寺子屋の児童」になった時、後の指導が格段に楽になるのである。授業崩壊の悲劇は「子ども」が「児童」になっていないからである。まして、荒れた中学の悲劇は児童にならなかった子どもが図体だけ大きくなって「生徒」になろうとはしないからである。児童になろうとしない子どもや生徒になれそうもない中学生は、学校から切り離して体罰を含んだ厳しい環境に放り込んでその社会性を叩き直すしかない。すでに彼らは社会性において、間違った「形成」をしたのである。すでに出来上った無秩序にして、無礼な態度を叩き壊して、最小限「学習」の準備を整える「変革」を施さなければならない。「変革」は破壊と建て直しである。ひとたび間違えて子どもを育てた時、「変革」は常に「形成」より手間がかかるのである。へなへなの一年坊主がみるみる立派な朗誦をするようになって行く様を見るのは現代の寺子屋の喜びである。

◆ 2 ◆  生きていた口上
  「初夏コース」が終わり、夏休みコースが始まって、寺子屋の指導に何回か出かけた。今の時代どこの子も同じであるが、寺子屋の子ども達もまた予想通りの烏合の衆である。声を張り上げ、それなりの手練手管を駆使して号令をかけ、朗誦の指導をする。筆者の「気合いと恐怖」が会場を支配し、子ども達は辛うじて集団行動を取ることができる。明らかに子ども達は指導者の顔色を読み、気合いを感得する。起立をさせ、「気を付け」をさせ、指導者に向かって深々と礼をさせ、「お願いします」と大声で言わせる。たらたらしている子どもに対してはつかみかからんばかりにして、その場で怒鳴りあげる。先生が"恐い時"、子どもはそれなりに整然と、それなりに張り切ってあいさつや朗誦ができる。この調子なら活動が朝から夕方まで毎日行われる夏休みに勝負ができる。後は「鬼の塾長」にお願いするしかない。現代の教育には指導者と学習者、導くものと導かれるものの一線を画するけじめと舞台装置が存在しないのである。筆者の役割は舞台を作り上げることである。少しでも油断をすれば舞台は過保護と過干渉に転落する。
それゆえ、現代の寺子屋の担当者にも前号に書いた時代小説「手習い子の家」の入塾の口上;『何ごとによらずお師匠さまのお教えはありがたくお受け申すよう、言い聞かせて参りました』の話を紹介した。その時、偶然にも、担当者が遭遇したという、生きていた「現代の口上」を聞くことができた。
  参加児童の保護者の一人が開講式の帰り際に、お礼方々担当者のところへ来た。30代の父親だという。『先生方の言うことはきちんと守るように言って聞かせてあります。万一、指導者の指示に従わないようなことがあった場合にはどうぞ叩いてでも厳しくご指導ください』とおっしゃって深々と頭を下げられたという。彼には寺子屋の保護者代表になってもらおう、と心に決めた。一人でもそういう方が生き残っていれば、夏休み寺子屋は必ず成功する。夏休みプログラムの「親子説明会」には友人や行政の後輩諸君に案内状を出して現代の「子育て支援」モデルのご披露をした。
  夏休みの寺子屋が始まり、再びこんどは別の保護者から励ましの言葉をいただいたり、差し入れをいただいたりした、という。子どもが厳しく一人前の方向を辿り始めた時、「子宝の風土」はその意味を瞬時に理解するのである。学校が信頼を失い、風土における教師の位置は地に落ちたけれど、現代の寺子屋はその指導方針において「守役」の位置を回復し、今夏の苦労が報いられることを夢みている。

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