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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第54号)

発行日:平成16年6月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「現代の寺子屋」−民間活力の活用と総合的「子育て支援」−

2. 失った口上、忘れた舞台

3. 子どもの復讐―なぜ人間の中の「悪」を教えないのか?

4. 教育行政の面従腹背

5. 分野横断型生涯学習プログラムの創造、MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

失った口上、忘れた舞台

久々に風邪をこじらせて寝込んだ。筆者は病気に弱く、熱に弱い。本人は正直苦しいのであるが、家人は「オーバー」である、としか思ってはいない。それゆえ、少しぐらい唸っても相手にしてはくれない。一人でじっと寝ているしかない。
これ以上眠れないというところまで眠りに眠った。24時間近くはうつらうつらと眠った。熱は少し下がったが、胸の奥底におりた咳は取れない。散歩の相手が寝込んでいるのだ。小犬のカイザーも致し方ない、と思ったのだろう。心配そうに(と私には見える)時々こちらを見ては、足もとや横腹にくっついて一日中付き合って眠っている。驚いたことに24時間一緒である。以後「忠犬カイザー」と呼ぶことにしたい、と言ってみたが妻は返事もしない。
1日眠ったあと、さすがに退屈して寝床で読みさしの本を読み始めた。時代物である。日本文芸家協会が編集した新選代表作時代小説24「花ごよみ夢一夜」である。当代作家の短編を集めている。タイトルのおもしろそうなものから順に読み始めた。「手習い子の家」を初めに選んだ。現在関わっている子育て支援事業の小さな「寺子屋」を思い出させるからである。作者の名は聞いたことがない。梅本育子とあった。物語は少年の日の恋人同士が思わぬことから別れ別れになり、それぞれの人生の宿命を生きる。後年、子どもの縁でふたたび巡り会って若き日にはかなわなかった恋を復活させ、目出たく結ばれるという物語である。主題の「手習い子の家」は女主人公の娘が通う「筆学指南」の塾であった。当時のしきたりでは6歳の年の6月6日から読み書きの稽古を始める。
物語は千変万化に展開するが、筆者には何より入塾を依頼する母子が初めて先生と対面する場面が新鮮であった。女主人公は幼い娘の手を引いて先生の前に出る。『両手をついて深々と頭を下げる』。当然、子どもも母に倣う。先生は正装で、正座している。花が活けてあり、片側には手習い子の机が積んである。机には硯があり、子どもの名前が貼ってある。それが学習者と教育者がそれぞれの「役」を演ずべき舞台である。母は、用意した「授業料」を目録に包んで差し出し、頭を畳までさげて口上する。『本日よりこの子はお師匠さまを父上のように敬います。何ごとによらずお師匠さまのお教えはありがたくお受け申すよう、言い聞かせて参りました。よろしくお導きくださいまし』。
  この口上こそが子どもの「学習者」宣言である。頭をさげる事はできても、子どもにはまだ口上は言えない。それゆえ、代わりに母が述べる。母が述べても子は自分が述べたことと同じだと了解している。これが学校へ送る前のしつけの原点である。それゆえ翌日から師匠は師匠となり、学習者は学習者となって、学習が始まる。
  指導を受ける師匠の前に正座して、平伏し保護者と一緒に口上を述べる。このようなイニシエーション(通過儀礼)を通るだけで学習の半分は成ったようなものである。筆者は、小説を放り出し、熱にけだるい頭で開講式を済ませたばかりの現代の「寺子屋」を思い出した。指導の各場面にはかつての緊張感と師弟対面の舞台を復活させなければならない。「有志指導者」は「先生」として子ども達の尊敬を受けなければならない。子ども達には直立不動の姿勢で先生方にごあいさつをさせよう。終わりには声を揃えて「有難うございました」と言わせよう。後片付けはすべて子どもの力で全うさせよう。現代の寺子屋もまた「型から入りて、型から出ずる」という原点の精神を復活させなければならない。「子ども」が「学習者」・「児童」になれば、学習の半分は成ったも同じなのである。筆者も気合いを入れ直して子ども達の指導にあたってみようと決心した次第である。 ■
 

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